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駄菓子屋まるふくより  作者: ゆめのあと
3章 決戦!地下研究所!編
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39話 駄菓子屋の裏メニュー

 ——影に、心があるのなら。


 喉の奥に何かが引っかかったような息苦しさ。

 焼けるような喉、熱く滲む視界、脈打つこめかみ。

 だがそれ以上に、この胸の奥に、別の何かが目を覚まそうとしていた。


 《シルエット》。


 その男は、震える指先で薬品の瓶を掴んでいた。


 


 目の前に転がっているのは、歪んだ巨体。

 ベヒモス。

 さっきまでの人間の面影は微塵もない。

 皮膚は裂け、筋繊維は膨張し、牙を剥いた獣のように唸っていた。


 「飲むのか。……そのラプスを」


 ベヒモスが、咆哮の隙間に言葉を滑り込ませた。


 「成人がラプスを使用して能力者になるのは、実にリスキーだ。ほとんどの人間は肉体が耐えられず、精神も崩壊する」


「じゃあ、なぜお前は能力者なんだよ」

「……それは君が知ることじゃない」


 ベヒモスの巨体が一歩、床を揺らす。


 「君の使った薬品は、能力者にする副作用で、“自我”の崩壊を促す。自分が誰かも、なぜ戦っているかも分からなくなる。魂ごと“薬の器”になる。……それでも、なお、打つのか?」


 無言でアンプルの封を切り、注射器を腕へ突き立てた。


 「そういうバカは、昔からいてな。……何かを守るためなら、自分なんざどうでもいい」


 薬が血に混ざった瞬間、視界が反転した。


 神経が焼かれ、骨が悲鳴を上げる。


 皮膚の下で血管が踊り、頭の奥で声が響いた。


 

 (死ね。全部潰せ。お前は“影”だ。形は要らない。ただ殺せ)


 「っは……!」


 歯を食いしばり、崩れる体を壁に叩きつけて立った。


 視界に“黒”が染み出していく。


 地面に、自分の影が揺らめいていた。


 だが、それはもう“ただの影”ではなかった。


 そこから伸びる漆黒の“腕”。


 それが彼の背中から、まるで翼のように広がる。


 「──あぁ、これが……“シルエット”ってわけか」


 目の前の化け物を見上げながら、笑った。


 「笑えねぇ……が、いいセンスしてるだろ」


 影が地面から弾け、ベヒモスに飛びかかった。


 それは鞭のように、刃のように、時に腕のようにベヒモスの肉体に打ち込まれる。


  ベヒモスは腕を振るった。空気が裂ける。

 その瞬間、シルエットは床に落ちる自分の“影”へ沈みこんだ。


 ――ズリュ。


 黒い液体のように影へと沈んだ身体が、ベヒモスの背後から這い出す。


 影は通路。影は盾。影は刃。


「……影の中を移動できるか。ずいぶん器用だ、だが――」


 ベヒモスの背中から棘のような突起が飛び出した。

 シルエットが影から跳ねるように離脱すると、コンクリの壁が粉砕される。


 シルエットはすぐに反撃に出た。自分の背中から“影の腕”を三本、ぶわりと伸ばす。

 一本は喉元へ。一本は足元へ。もう一本は、心臓めがけて真っ直ぐに。


 ベヒモスは咆哮し、二本の影を掴み砕くが――三本目に気づいたときには遅い。


 “シュッ”。


 影の刃が心臓を貫き――と、思った瞬間、ベヒモスの胸が裂け、別の筋肉層が現れた。


「……冗談じゃねぇ。内臓が二重……?」


「人の限界を超えるには、それくらいの改造は必要だったさ」


 血の気も引くような再生速度。脈打つ異形の心臓がむき出しになる。


「君の使った薬品は、能力者にする代わりに自我を削る」

「“影”に溺れれば、すぐに君も廃人になるよ」


 シルエットは、わずかに笑った。


「なら、今日くらい……この身を、影に捧げる」


 地面に、全身の影を広げる。光源に逆らい、影が自在に動く。


 床、壁、天井。あらゆる影が、シルエットの影に飲み込まれていく。

 まるでこの空間が、彼の“領域”になったかのようだった。


 そして――


「――影葬えいそう


 静かに、呟いた。


 その瞬間、ベヒモスの足元から、黒い杭が何十本も伸びる。

 両足を絡め、腹を刺し、背を縫い、最後に――心臓を、握り潰した。


 “ズシュッ”。


 ベヒモスの巨体が震えた。肺から空気が漏れる音が、ひゅう、と短く鳴る。

 目の焦点がぼやける。異形の腕が、がくりと垂れ下がった。


「……ば……かな……」


 巨大な身体が、崩れるように倒れた。


 ――勝った。


 そう思った、そのときだった。


 シルエットの膝が崩れる。頭が割れそうなほどに痛む。

 耳鳴り。視界の歪み。言葉が、思い出せない。


「っ、くそ……!」


 壁に手をついて息をつく。だが自分の手の影が、まるで他人のように見えた。


 ――これが副作用か。


「影ってのは、深いほど……自分も沈むってわけか」


 シルエットは笑った。

 渇いた、かすれた笑いだった。


 だがまだ、終わっていない。


 この先に、ノクターンがいる。

 パッチワークの死も、ヴァンプの安否も、まだ確かめられていない。


 地面に広がった自分の影が、じわじわと身体を飲み込もうとしていた。


「……死んでる暇はねぇよ、まだな」


 彼は、自らの影から抜け出すように、歩き始めた。


 そして、その背に、再び光が射すのだった。

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