3話 夜の社交場『ロンド』
タクシーを降り銀行でいくらか下ろした後。
ネオンの海をモーセの如く割り、歩く。
煌びやかなビルの絨毯のひかれた階段を一歩ずつ上がっていく。
エレベーター?使わない。
彼は機械を信じていない。
自分の足が階段を鳴らす音が何よりの真実なのだ。
いや、ただ昨日のドキュメンタリー番組でエレベーターに閉じ込められる映像を見たせいだ。
まあ、信じれないってのは真実だな。
怖いもん。
黒い艶やかな石にはアルファベットで「ロンド」と刻まれている。
この町に生きる男たちの夜を支える貴重な場所だ。
欲望と野望が渦巻く高級クラブだ。
駄菓子屋は真っ赤なエプロンを脱ぎ影の如く黒いスーツを身に纏っていた。
駄菓子屋へやってくる女子高生は彼のこの姿をみれば波の音が聞こえてくるだろう。
入り口で新人の黒服に話しかけられるが、後ろにいた黒服がそれを止める。
すでに顔は通っている。
特段通っているわけではない。
しかし、顔が通っているのだ。
ここにいる誰も彼の素性は知らない。
これを読んでいるあなたでさえも。
ただ1人を除いて。
「久しぶりね駄菓子屋さん。
今日は何味のキャンディなのかしら?」
彼女はこの町に煌めく一輪の花。
シャンデリアからこぼれ落ちた一滴の光の雫だ。
赤いドレスは照明を反射し、彼女の美しさを一層強調させる。
グラスを傾けて彼女はゆっくりと微笑む。
彼女の瞳のために数多のVIP達が何千万という金額をかける。その微笑みには現金にして何億、何兆という情報が隠されている。
彼女が少し口を割れば世界の国の半分が消える。
「今日のキャンディか……最初はちょいと甘いが隠し味のガラスがキモだ」
「へぇ、ずいぶん苦い味なのね」
俺は失踪した子供について、七不思議について話をした。
お嬢は最近見た映画のあらすじに交えて情報を話し出す。お嬢の情報によれば失踪したのはユウ君だけではなく、複数の子供達が失踪しているのだとか。
七不思議については情報自体はあるがどうもただの都市伝説や噂話程度らしい。
「そういえば、映画に出てくる壁を登る影。
赤い目が素敵だったわ」
ウイスキーグラスの氷が溶けた。
一口運び、喉にピリッと痛みが纏う。
「赤目?」
「ええ」
「それはずいぶんなネタバレだな」
「過去の伏線が活きてくるわね」
駄菓子屋の古傷が痛む。
数年前に片付いたはずの事件が再び起きるとは。
数分の沈黙。
その間に黒服が入ってくる。
お嬢と少し話をしたかと思うと去っていった。
「悪いわね、私人気者で。女王様が来るわ。気をつけて」
そう言って彼女は立ち上がり、部屋には甘い香水の香りが残された。さすがNo1だ。
他の席でもご指名なのだろう。
そこにやってくるのは何も知らない女の子。
『本物』のキャバ嬢だ。
THE キャバ嬢。
シンプル2000シリーズで出せるぐらいTHEって感じのキャバ嬢。
巻き髪にキラキラの青いドレス。その笑顔はプライスレスだ。金も情報も銃もいらない。真実の笑顔だ。
「こんばんは〜! 今日はお仕事帰りですか? てかいつもルナさん指名されてますよねぇ!趣味とかありますかぁ?」
駄菓子屋は再び苦いウイスキーを口に含み喉を焼いた。
「趣味か、お菓子と夢を子供に売ること……かな?」
女の子は笑って頷いた。
ただ、笑顔。
プライスレス。
多分俺の言った言葉の意味は何一つ分かってない。
THE 何一つ。
シンプル2000シリーズ vol2.THE 何一つ。
分かっていなくてもそれでいい。
ここは舞台。
夜の男達の欲望が渦巻く舞台。
煌びやかな衣装に身を纏った女性が輝く舞台。
誰もが仮面を被り踊る。
まるで輪舞曲〈ロンド〉だ。
仮面の下、話す情報が命を奪い、救うことだろう。
テーブルに置かれたグラスの氷が少し溶けた。