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駄菓子屋まるふくより  作者: ゆめのあと
3章 決戦!地下研究所!編
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38話 灰と影と

 音が、消えた。


 コンクリートの床に響いていた靴音も、グリッチの絶命とともに途絶えた警報も、今はただ、鼓動の音だけが世界を支配していた。


 「……グリッチ」


 シルエットが呟いた名は、返ってこない。床に崩れた若い仲間の亡骸。手には折れたドローンのパーツ。その横に立つのは、殺意を生き物にしたような巨体──ベヒモス。


 「お前の足音は、象が全力で駆けてくるくらいにはうるせぇな」


 口元だけで毒を吐きながら、じりじりと後退する。だが、逃げ道はない。背後には瓦礫と崩落した壁。ベヒモスが塞いだ通路に、戻る選択肢はない。


 「いいねえ……いい声だ。そうやって絶望しながら生き延びる顔を見るのが、一番いい……」


 ベヒモスの声は、にじむような嗤いに濡れていた。先ほどまで人語を操っていた知性が、既に何か別の感情に侵食され始めている。それは本能、あるいはもっと原始的な衝動。殺すという行為そのものが、彼の“言語”だった。


 「お喋りすぎんだよ、研究者ってのはよ……」


 シルエットは懐から、一本の棒付き駄菓子を取り出す──ラムネフラッシュ。炭酸ラムネを模したその細工菓子は、衝撃と同時に高輝度の閃光を発し、目眩ましとして機能する。


 「せめて一発、目に入れてやるよ」


 それが合図だった。


 次の瞬間、ラムネフラッシュが床を転がり、閃光が辺りを白く染める。ベヒモスが咄嗟に目を瞑った隙を突き、シルエットは横の通路へ飛び込んだ。


 影ではなく、本物の逃走だった。

 

 「ハァ……ハァ……ッ」


 息が荒い。肺が焼けつくように軋んでいる。左足の太腿に負った裂傷が、じわじわと血を流しながらスーツの裾を濡らしていた。


 ベヒモスの一撃はかすっただけでこの有様。まともに喰らえば骨ごと砕けていただろう。


 「ちくしょう、あんなもん、もう人間じゃねぇ……」


 だが、立ち止まるわけにはいかない。グリッチの仇を討つにしても、生きて帰るにしても、ここで倒れる選択肢だけはない。


 非常階段へとつながる扉が見えた瞬間、床が爆ぜた。


 「っ……!」


 ベヒモスが壁を砕いて現れる。追ってきたのではない。奴は音で追跡などしていない。鼻、あるいは記憶、もしかすると第六感。獣のような本能が逃がす気など微塵もなかった。


 シルエットはすぐさま階段を駆け上がる。肺が焼ける。視界が揺れる。銃すら持っていない。使い切ったガム銃は研究室に落としたままだ。今の彼にできることは、ただ──


 「逃げることだけかよ、俺は……!」


 自嘲と怒りが混ざる。



 風が、吹いた。

 屋上の扉が音を立てて開かれた。


 冷たい風が吹きつける。見上げれば曇天の空、夜と朝の狭間。雨粒がぽつり、ぽつりと肩を濡らす。


 「はっ……!」


 ようやく辿り着いた──そう思った瞬間、視界に入ってきたものが、肺からすべての酸素を奪った。


 「……嘘、だろ……」


 そこに転がっていたのは、見覚えのある男の、上半身だった。


 血に濡れたタクシー会社の制服。左腕には、ボディアーマーが食いちぎられたような痕。頭部はかろうじて原形をとどめていたが、瞼は閉じられ、口はわずかに開かれたままだった。


 「ヘッド……ライト……」


 その名を呼んだ声は、風に飲まれて消えた。


 何があった? 誰が殺した? ノクターンか? それとも、別の──


 「よくここまで来たな」


 低く、乾いた声が響いた。


 振り返れば、そこにいたのは──ノクターン。そして、その隣には、見知らぬ男が立っていた。


 スーツ姿。右手には長身の杖。瞳は血のように赤く、口元には冷笑だけを貼り付けた、明らかな“異物”。


 「紹介しよう。彼はアモン──ヘリオス製薬幹部の方だよ」


 ノクターンがそう言ったときには、シルエットの拳は既に動いていた。


 「ノクターン……!!」


 叫びと共に殴りかかったその拳は、アモンに掴まれた。人間とは思えぬ速度。無表情のまま、アモンは静かに告げた。


 「お前の怒りは理解できる、だがダメだよ」


 その言葉の直後、屋上の扉が再び揺れた。


 「チッ……追いつきやがったか」


 咆哮が響く。


 ベヒモスが屋上に現れたのだ。


 逃げ場が、なくなった。


 「こんなもんかよ……こんな終わり方で、誰が納得すんだ……!」


 シルエットの拳が震える。


 だが、アモンが視線を逸らした一瞬の隙を突き、シルエットは床を蹴った。死角を抜け、ベヒモスの突進を躱すと同時に、非常階段とは逆方向──東側の通用口へと駆けた。


 扉を蹴破り、階下へ。


 「逃げたか……」


 アモンの目が細くなる。


 「追え、ベヒモス」

 「私に命令するな、言われなくても始末する」


 コンクリートの壁がひび割れた細い廊下。どこへ続くかも分からぬその先に、シルエットは転がるように飛び込んだ。


 「はぁ……はっ……クソ……どこでもいい……どこかに、隠れられる場所を……!」


 突き当たりに見えたのは、重厚な鉄製の扉。非常灯に照らされたその部屋の札には、見慣れない英数字と、研究番号。


 ドアを開けると、薬品の匂いと共に、静まり返った部屋が広がった。


 棚。試験管。冷却装置。


 そして──中央の台座に置かれた、一本の注射器。


 そのラベルにはこう書かれていた。


 《ラプス試作型 No.12》




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