37話 Dead End, Green Light
風が鳴っていた。
鉄骨のきしみ、コンクリ壁の軋み、風圧で揺れる照明灯の音が、廃ビルの屋上に不吉なリズムを刻む。
その中央に、男がいた。
ノクターン。
黒いコートをひらつかせ、薄く笑ったまま背を向けている。
追い詰めたのは、ヘッドライト。
タクシー運転手の仮面を脱ぎ捨て、戦闘班の最後のひとりとして銃を手に立つ。
「逃げ場はねぇぞ、ノクターン……お前には聞きたいことが山ほどある」
ノクターンは肩越しに振り返った。サングラスの奥、死んだような目で微笑む。
「問いに答える理由が、僕にあるか」
言葉と同時、ノクターンが跳ねた。仕込んだ小型手榴弾が爆ぜ、煙幕が広がる。
視界を遮る白煙。そのなかから撃ち出される銃声。
「随分と軽いな、裏切りってのはよ」
ヘッドライトは舌打ちしながら身体を横にずらし、反撃の弾を撃ち込む。
だがノクターンの動きは予想以上だった。
盲目でありながら、音の反響と足音で戦場の全てを読み、殺意だけを正確に感知する。
ただ、今は盲目ではなくその目で見ている。
「僕は、ただ選んだだけだ。視える世界をね」
「言い訳は墓の中でしろ!」
二人の撃ち合いは火花を撒きながら続く。だがその戦場に、新たな気配が混ざった。
風の中に混ざる、血と鉄の臭い。
「……やれやれ、また死人が出そうだなぁ」
コートを翻して現れたのは、ヘリオス製薬幹部──アモン。
感情の欠落した顔。軍服のような漆黒のスーツ。まるで鋼鉄が人の形を取ったかのよう。
「CAINの残党と、盲目の密告者。いい標本だ」
「誰だてめぇ」
「神無アモン。正す者さ」
ヘッドライトは即座に銃を構え、引き金を引いた。
しかし弾丸はアモンの手前で弾かれ、空気中で霧散する。
「能力者……か」
ノクターンは静かに手のひらを広げた。
「俺の役目は終わりだ。あとは、おまえだ、アモン」
「理解が早いな。下がっていろ」
ヘッドライトは唇を噛み、ジャケットの内側から金属片を取り出す。
小型爆弾。しかも複数。
「……どうせ死ぬなら、最後くらい吠えさせろや」
アモンは一歩ずつ歩を進める。手を動かす様子もないのに、空気が歪み、屋上の床がねじれていく。
「戦術が旧時代的だ。だが、そこが人間らしいな」
「うるせぇッ!!」
ヘッドライトは手榴弾のピンをすべて抜き、自身のベルトに括りつけた。
そして、走る。
「これが……CAINだッ!!」
爆発。
屋上を照らす閃光。吹き上がる火炎。
ノクターンは爆風に煽られ壁際まで吹き飛ばされる。
だが──
炎の中心に立っていたのは、アモン。
黒焦げたコートの下、傷ひとつない肉体。
「哀れだな。力なき正義が最も愚かだ」
風が止み、煙が晴れていく。
そこに、ヘッドライトの姿はなかった。
ただ焦げた床に転がるのは、ひとつのタクシードライバーのバッジ。
皮肉にも、乗客を送り届けることのない“最後の業務”を終えた証だった。
ノクターンは立ち上がり、崩れた壁に手をかけたまま、ひとつ深く息をつく。
「……音が、消えた」
アモンは振り向かずに言う。
「予定通り。グールも、ダスクも、役目を終えた。残るは実験台の回収と、データの消去だ」
「サイレンスは?」
「放っておけ。ボスが連絡済みだ。」
「……そうか」
ノクターンの目元がわずかに揺れる。かつての戦友たちが消えていく音だけが、耳に残る。
「君もいずれ──消える」
アモンのその言葉に、ノクターンは答えなかった。
風が再び、廃墟の鉄骨を鳴らす。
それは、英雄の最期を弔うにはあまりにも無機質な音だった。




