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駄菓子屋まるふくより  作者: ゆめのあと
3章 決戦!地下研究所!編
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34話 Die Verwandlung

コンクリートの奥で、靴音が止んだ。


 重く、沈み込むような気配。獣とも人ともつかぬ、しかしどこかで記憶に触れる匂いをシルエットは感じ取った。


「誰だ……」


 声に応じたのは、鋭く張り詰めた静寂だった。


 次の瞬間、白衣の裾がゆらりと揺れ、ひとりの男が姿を見せた。

 身なりは整っていた。白衣、端整な眼鏡、冷たい無表情。研究者にしては異様な存在感があった。空気が、その男の周囲だけ腐りかけているようだった。


「お初にお目にかかります、諸君」


 男は丁寧に礼をした。


「私はベヒモス。ヘリオス製薬の“製造責任者”とでも申しましょうか」


 グリッチが目を細める。


「……こいつ、データにあった。ラプスの実地開発責任者……!」


「その通り。情報部門も優秀ですね」


 ベヒモスは眼鏡の縁を指で押し上げた。


「さて。これ以上、踏み込まれては困ります。お帰りを。あるいは、ここで“廃棄物”として処理されるか」


「ふざけるな。お前が……あのクスリで子どもたちを化け物に変えたのか」


 シルエットが低く唸った。


 だがベヒモスは、まるで教壇に立つ講師のような穏やかな声で返す。


「“変えた”?違いますよ。私たちは“可能性を開いた”のです。倫理や法の呪縛から、ね」


 その瞬間、グリッチが舌打ちした。


「クズ野郎……」


 ベヒモスは軽く顎を上げた。


「では、始めましょうか。“実験”を」


 そう言った途端、彼の身体が異様に膨張し始めた。


 骨が軋み、皮膚が裂ける。白衣がはじけ、筋肉と異形の装甲が露出する。

 人の形を留めていた輪郭が、ねじれ、崩れ、怪物の輪郭へと変わっていく。


「うわ、マジで変身すんのかよ……ッ!」


 グリッチが一歩後退した。


 ベヒモスは、元の口からはもう声を発していなかった。

 喉の奥からは不協和音のような唸りと、爆ぜるような振動音だけが漏れていた。


 異形の巨体が、研究室の天井を軋ませながら立ち上がる。


 シルエットはひとつ、舌を打った。


「まったく、科学の進歩ってやつは……洒落がきかねぇな」


「シルエット、退いた方が……!」


 そう言いかけたグリッチの肩を、何かが裂いた。


 音もなく走った影が、彼の胸を貫いていた。


「……が……ッ」


「グリッチ!!」


 振り返った時には、グリッチの体はもう宙に浮かんでいた。

 ベヒモスの異形の腕が、彼を持ち上げていた。爪は心臓部を貫通している。


「技術者は素晴らしい。だからこそ、素材としては……惜しいですね」


 無感情な瞳が、グリッチの生命の灯火を観察していた。


 だが、それは長くは続かなかった。

 ズシン、と鈍い音がし、グリッチの身体が床に転がった。


「……チクショウが……」


 シルエットがポケットから何かを取り出した。


 小さな包み。鮮やかなパッケージには、レトロなロゴ――**“サワーショック・キャンディ”**と記されている。


 それを口に放り込み、噛み砕く。


「……やれやれ。血の味と、駄菓子の酸っぱさ。これが本職に戻る合図ってわけか」


 シルエットは右手を振るうと、手に“仕込み飴”を模した短剣を握っていた。飴細工のような外観ながら、刃は戦闘用の複合素材だ。


 「ベヒモスだっけか……。そいつはありがたいな。お前の存在ごと、“ラプス”の化け物どももまとめて」


 構えた短剣の先が、異形の胴体を狙う。


「——削除する」


 爆ぜるように、シルエットが踏み込んだ。


 床が砕け、キャンディナイフが異形の腕を弾く。激しい火花と衝撃音。

 ベヒモスが咆哮を上げた瞬間、研究室の壁面が熱風とともにひび割れた。


 重たい空気が、ゆっくりと血と硝煙に染まり始める。


 駄菓子の匂いは、もうほとんど残っていなかった——。


  「……やれやれ、随分と期待外れだな」


 グリッチの身体が崩れ落ちた床の前で、男が立っていた。

 否――もはや“男”と呼べるのかも怪しい。白衣は裂け、皮膚は泡立つように脈打ち、背骨が隆起し、黒い外骨格のような装甲が肩から肘までを覆っていく。

 それでもその瞳は、研究者の光を宿していた。冷徹で、確信的で、救いようがないほどに“合理”だった。


 


 「彼はただの技術屋だった。人間の限界で当然。だが……滑稽だったな。死ぬ間際まで“仲間”を守ろうとしていた」


 


 シルエットの顔が、ピクリと動く。


 キャンディ型のナイフを握りしめる手が、微かに震えていた。


 


 「グリッチは……うるさくて、冗談ばっかで、でも肝心なときには絶対に外さない男だった」


 「ふうん?」


 ベヒモスの声がくぐもりながら低く響く。


 


 「なのにお前みたいなやつに、“滑稽”だと?」


 


 シルエットの瞳が鋭く細まった。


 静かだった。言葉は沈んでいた。

 だが、駄菓子屋の棚にそっと置かれた飴玉のように、ゆっくりと“熱”が滲み始める。


 


 「一個百円のガキの夢を、命懸けで守るやつだった」


 「そんなもののために、命を使う奴がいるとはな……」


 「いるさ。俺の仲間には、な」


 


 シルエットは一歩、前へ。


 床板が微かに軋む。


 空気が変わった。殺意の温度が、場を支配した。


 


 「――試してみるか。駄菓子屋シルエットの本気を」


 


 構えは低い。肩越しに構えたのは、棒付きキャンディ型のスタンブレード。

 飴玉の部分に電荷が溜まり、棒の中に仕込まれた伸縮針が、キィン、と音を立てた。


 


 「子ども騙しで何が――」


 


 言葉の途中、シルエットの姿が掻き消えた。


 


 次の瞬間、ベヒモスの左肩に深く突き刺さったナイフ。

 雷光のような電撃が奔り、異形の皮膚を焦がした。


 


 「っ……クッ!」


 ベヒモスが咆哮し、腕を振るう。

 空気が唸り、シルエットは後方へ跳ぶように身を引いた。


 


 「まだだ――!」


 


 地を蹴り、再び距離を詰める。

 左手のポケットから取り出したのは、ソーダガム型の閃光弾。


 


 「目、潰してやるよ」


 


 ガムを握り潰す。


 ドン、と低い音と共に白煙が弾け、フロア一面が青白く照らされた。


 


 しかし。


 


 「……甘いな」


 


 煙の中から、異形の影が突き出た。

 ベヒモスの腕が膨れ上がり、鎖のような骨がうねるように飛び出す。


 


 「ッ……ぐ!」


 シルエットの脇腹を捉えたそれが、体を打ちつけるように弾いた。

 壁へ叩きつけられる音が、コンクリートに乾いた残響を残す。


 


 「貴様らが“仲間”を盾にするなら、こちらも見せてやろう。

 人間を、どこまで“改造”できるかをな」


 


 骨が割れ、筋肉が裂け、ベヒモスの背から触手状の骨の腕が二本、追加で伸びた。

 足元の床すら砕きながら、それは“生物兵器”の完成体へと移行していた。


 


 「ちっ……あいつが、ラプスの研究者かよ……!」


 


 呻きながら立ち上がるシルエット。口元から血が滲んでいた。


 視界がぐらつく。だが、引けない。

 仲間を侮辱されて、立ち止まれるわけがなかった。


 


 「グリッチ……見てろよ」


 


 立ち上がる足に、意思が宿る。


 敵は人間じゃない。化け物だ。

 だが、こちらも“覚悟”はとうに化け物だ。


 


 「テメェの研究成果ってやつが、どれほどのもんか。……試してやるよ」


 


 コートの裾が揺れ、再び棒付きナイフが手の中で煌めいた。


 床に残る血と汗の匂いを、風が撫でていく。


 


 その先には、まだ終わらない戦いが――待っていた。

 

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