32話 裏切りの夜
地下研究所を進んだ先、空気の質が変わった。
埃と薬品が混じった金属臭。人工照明が無機質に壁を照らし、あたりには足音ひとつない。
シルエット、ヘッドライト、グリッチの三人は、慎重に通路を進んでいた。
「……異常なし。赤外線、熱源反応ゼロ」
グリッチがゴーグル越しに呟いた。
「静かすぎるな」
シルエットが低く言う。
「誘ってやがるのかもしれねぇ」
「……それでも、行くしかねぇ」
そう言ったのはヘッドライトだった。
声に揺らぎはない。まるで自分の命の価値など最初から勘定に入れていないかのように、黙々と前を見据えている。
「……で、グリッチ。例の通信データ、確かにここから出てるんだな?」
「間違いないよ。十日前に傍受したやつ、ノクターンの音声波形と一致した。あれは“外部”と接触してたんだ。ここで」
「なら……もう逃げ場はねぇな」
ヘッドライトがそう言った瞬間、照明が唐突に落ちた。
薄暗闇。非常灯の赤い光が、廊下に奇妙な影を描く。
「来るぞ……!」
その声と同時だった。
黒い影が、まるで闇に溶けるように音もなく現れた。
白杖を銃のように構えていた。
白杖型狙撃銃。
ノクターンだった。
「……こんなところまで来るとは、感激だよ」
口元に浮かんだのは、いつもの皮肉めいた笑み。
「視えないのに、よく出てこられたな」
シルエットが踏み出す。拳を握ったその瞬間、ノクターンは銃口をわずかに傾けた。
「視えないからこそだ、それが俺の戦い方だろ?」
「よく言うな、裏切り者が」
ヘッドライトの声が低く唸るように響いた。
ノクターンは少しだけ肩をすくめた。
「ただ、“選んだ”だけだ。生き残る方を」
「仲間を売るのが生き残り方かよ」
シルエットが前に出る。だがノクターンは動じない。聴覚だけで、相手の位置と呼吸の変化を読み取っている。
「その“仲間”とやらが、俺の目を取り戻してくれるのか?」
「……」
「そういうことだよ。俺はな、お前たちみたいに“光”の中にいたわけじゃない。闇の中で、目を奪われて、それでも生きてきた」
その瞬間――。
破裂音が鳴った。
ノクターンの銃弾が壁を跳ね、グリッチの足元を掠める。
「ちっ……!」
「跳弾狙撃。音の反響だけで角度を計算して撃ってる……!」
「正確には“音の死角”を撃ってるんだよ、グリッチ」
ノクターンの笑い声は、どこか哀しげで、どこか空虚だった。
「これ以上、喋らなくていい」
ヘッドライトが一歩踏み出す。
その動きに呼応して、シルエットも武器を抜いた。
──取り出したのは、棒付きキャンディのような形状のナイフ。
先端には電極が仕込まれており、触れた瞬間に痺れが走る。
「昔のお前なら、どうしただろうな」
「その“昔”は、もういないさ」
ノクターンが再び銃口を向ける。が、その銃口がわずかにブレた。
シルエットの動きは、それを見逃さなかった。
「いけ、グリッチ!」
「了解っ!」
グリッチが放った閃光弾が、瞬間的に通路を照らす。
ノクターンが反射的に顔を背ける。視覚はないはずだが、それでも“光”の記憶が神経に走った。
その刹那――。
シルエットのナイフがノクターンの腕を撃った。
「っ……!」
「殺しはしねぇ。だが、“眠って”もらうぜ」
電流が走る。ノクターンの身体が震えた。
だが、倒れない。
「……なるほど」
ノクターンは、血を吐きながらも笑った。
「これが、“友情”ってやつか」
「違ぇよ。これは“怒り”だ。……裏切りに対するな」
その言葉に、ノクターンはかすかに目を伏せた。
次の瞬間――後方から爆発音が響いた。
「な……!?」
グリッチが振り返る。通路の奥、封鎖されていたはずの扉が吹き飛んでいる。
「音源特定……あれ、まさか……」
「いやな予感がするぜ……」
ヘッドライトが低く呟いた。
闇の奥から、足音が響いてくる。
「……なん、だと?」
シルエットが呻いた。
重い扉が開く音がした後、コンクリートをコツコツと鳴らしながら近づいてくる音。
ノクターンはその足音を聞いて、かすかに笑った。
「さあ、どうする?“正義”の味方さんたち」
3人はそれぞれ構える。
「……シルエット、俺がノクターンを追う」
「こっちは止める、シルエットとグリッチは足音を頼む」
「グリッチ……俺たちの分担だ」
「了解……!」
ノクターンが跳躍する。
「待て、ノクターン!」
ヘッドライトが後を追う。
薄暗い通路に、二人の足音だけが消えていった。