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駄菓子屋まるふくより  作者: ゆめのあと
3章 決戦!地下研究所!編
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28話 Pavane pour une infante défunte

 ピアノの音が、診療所の奥から微かに響いていた。


 廃ビルを改装したCAINの仮本部。

 部屋のひとつには、なぜか一台のアップライトピアノが置かれている。


 白と黒の鍵盤に指を滑らせているのは、飯嶋透──コードネーム《スコア》。

 今日は任務の予定もなく、風の抜ける診療室でひとり、ドビュッシーの《月の光》を奏でていた。


 


 「相変わらず、キレイに弾くのね。つい聞き惚れちゃうわ」


 ヴァンプが現れたのは、ちょうど曲の終わり際。

 いつものようにカランとヒールの音を立てて、壁にもたれかかったまま棒付きキャンディを口に転がしていた。



 「おはようございます、ヴァンプさん。……今日は、香水がローズですね」


 「さすが、超嗅覚に次ぐ嗅覚の持ち主ね。音の代わりに鼻で覚えてるんじゃないの?」


 スコアは肩をすくめ、最後の音を押し込むように弾いた。


 「僕のはただの嗜好ですよ。あなたみたいな才能じゃない」


 


 ヴァンプは苦笑しながら、近くの椅子に腰かける。


 「ピアノ、続けてたんだ?」


 「ええ。高校時代からです。あの頃と変わらない」


 


 「変わらないねぇ……あんただけは」


 


 その声色にはどこか、懐かしさと哀しみが混ざっていた。


 


 そこへ、どさっと何かを背負ったまま診療室に入ってきた男がいた。


 「おーい、ここでは静かにしろって習わなかったか?」


 ──コードネーム《シルエット》。


 駄菓子の補充用ケースを担いだまま、眉ひとつ動かさずに言い放つ。


 

 「それは“うるさいやつ”に向けての言葉でしょう?」


 スコアが笑うと、シルエットはわずかに口の端を上げた。


 「違いねぇ」


 

 「んで、今日はどうしたんだ? 駄菓子屋の売れ残り抱えて遊びにでも来たのか?」


 「新作試してみろ。炭酸ガムとエナジーキャンディ合わせたやつだ。多分死ぬぞ」


 「味覚のテロね……いいじゃない、あたし甘いの好きよ」


 ヴァンプが笑いながら手を伸ばす。


 

 「ったく……オシャレで高級な女が、駄菓子に舌巻いてんのがうちの誇りだ」


 

 その言葉に、ピアノのそばのスコアも吹き出しそうになる。



 「ヘッドは?」


 「……ああ、いつもの車の中。なんかタクシーの配車アプリいじってたぞ」


 


 「任務は?」


 「今日は休みっす!みんなでピクニックでも行きませんかぁ?……ってパッチワークが言ってた」



 「じゃあ、今日は……平和ですね」


 

 シルエットが黙った。

 ヴァンプも、キャンディを回す手を止めた。


 


 「なによ、あたしが来るときくらい、何か事件が起きてくれた方が燃えるのに」


 「平和は、戦場の中で最も贅沢な感情ですよ。……今日くらいはそれに酔いましょう」


 


 スコアは、再び鍵盤へと手を伸ばす。

 今度はラヴェルの《亡き王女のためのパヴァーヌ》だった。


 


 「……この曲、なんか嫌な予感するのよね」


 「わかります。……でも、悲しい曲ほど、美しく残るんです」


 


 扉の向こうから、誰かの足音が近づいてくる。


 「お、みんな揃ってるね!」


 グリッチだ。眼鏡をずらしながら、ノートパソコンを肩に提げていた。


 


 「パッチさんが言ってたけど、次の任務、ちょっと大きめかもね、新薬絡みの話っぽいからね」


 


 「また薬か……」


 シルエットが眉をひそめる。


 「子ども使って人体実験……なんて話だったら、今度こそぶっ潰す」


 


 「大丈夫。誰かが絶対、止めるから」


 スコアが、言った。


 


 それは、誰でもよかったのかもしれない。

 でも、きっと――この中で一番、“誰かを守ること”に向いていたのは、彼だった。


 


 「……ねえ」


 ヴァンプが、ぽつりと言った。


 


 「戦場でも、音って響くと思う?」


 


 「ええ。……音は、死の中にさえ届きます」


 「なんだそりゃ、詩人かよ」


 グリッチが笑ったが、誰も否定しなかった。


 


 それから数分、誰も何も言わず、音楽だけが部屋を満たしていた。


 ――あのとき、時が止まればよかったのに。


 誰かが、後にそう思った。


 けれど、止まらないのが時間であり、世界であり、生きているということだった。


 

 だから、あの旋律は今も、誰かの中で響いている。


  廃ビルの奥深く、閉ざされた時間のなかで、

 彼らはほんの束の間、“平和”に触れていた。


 それが永遠に続かないことを知りながら──


 


 ──そして、現在。


 


 地下研究所。


 グール。

 ラプスに身体を蝕まれ、自我を失った飯嶋透は、破壊された壁際に崩れ落ちていた。



 赤い目が、かすかに揺れる。


 かつての彼を知る者など、もういない。



 ──いや、一人だけ。



 その体の奥で、かすかに震える記憶。

 それは、かつてピアノを弾いた日々の余韻。


 ラヴェルの旋律が、崩壊した中枢神経のどこかに、微かに滲んでいた。


 誰にも聞こえない。

 誰にも届かない。


 


 けれど、それでも、スコアという男はまだそこにいた。


 


 「……生きて……」


 


 壊れた唇から漏れた声。


 

 誰に向けた言葉だったのか、それはもうわからない。


 


 ただ、願っていた。


 あの駄菓子屋で笑っていたあの子たちが、

 クラブの香水の奥で涙を隠していた仲間たちが、

 電子の海で未来を探していた後輩が──


 


 どうか、生きていてくれと。


 


 その祈りが終わったとき、彼の体は静かに崩れ落ちた。


 


 旋律だけが残った。


 


 Pavane pour une infante défunte。

 亡き王女のための哀悼曲──


 けれど、そこには確かに生きた男の、静かな最期があった。


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