25話 Ein Heldenleben
静かな夜だった。
港区・芝浦の倉庫街。
月のない空の下、黒いバンがエンジン音を立てずに停まった。
「――指令だ。施設内に“試作型能力者”が搬入されたって情報が入った。確認と破壊、優先目標は生存者の保護だ」
通信機越しに、ヘッドライトの低い声が響いた。
「今回はお前ら四人。ノクターン、スコア、ヴァンプ、シルエット……お前らにしか任せられねぇ」
「じゃあ、出番ってわけだね」
シルエットは飴玉の包みを指で弾いた。
表情は飄々としているが、内心はすでに戦闘モードだ。
「いつも通り“駄菓子屋価格”で片付けてやるよ」
「対象施設、構造は三階建ての研究棟。警備は最小限。だが内部は不明瞭」
グリッチの資料によると、建物はとある企業の名義で登録されていた。名前は──《日向バイオテック》。聞いたこともない小規模研究所。
「それじゃ、僕はサポートを。……現地の通信環境、あまり良くないけど、耳だけは開いてるからね」
そう言って通信を切ったのは、当時まだ新米だったグリッチだった。
「じゃ、行く?」
ヴァンプがハイヒール鳴らす。
例え潜入作戦であったとしてもドレスコードは守るようだ。
「冷たい研究所より、熱いクラブの方が好みだけど……ま、壊し甲斐はありそうね」
「……暴力は、抑えがきくなら、それに越したことはない」
静かに言ったのは、スコアだった。
黒い戦闘服の上に、イヤホンを差したまま、彼はクラシックを流していた。
「ドビュッシー。君たちがうるさいから、せめて耳だけでも整えたくてね」
「相変わらず、風流な奴だな」
ノクターンが笑った。
この頃の彼はまだ視力を失っておらず、顔にサングラスもなかった。
「でも、戦場に音楽は不釣り合いだぜ、スコア」
「違うさ。音楽は、戦場の中で“人間であること”を思い出させてくれる。
僕はそれを捨てたくないだけだ」
青く長い髪の隙間からイヤホンが覗く。
4人は静かに敷地へ入り、フェンスを乗り越える。
夜風が乾いていた。
「監視カメラ、潰した」
ノクターンが囁く。
照準を合わせるでもなく、壁際の監視機器を消音で撃ち抜いた。流れるような動作。
「入るよ」
スコアが扉を開け、まず先に入る。
彼は支援担当だが、進行の中では“盾”の役割も担っていた。
「室内、電源が落ちてる……発電機の音が、しない」
シルエットがぼそりと漏らす。
「不自然に静かね。……まさか」
ヴァンプの鼻がひくつく。
「……硝煙と怒り?それに喜び。あと、“策略”の匂い。これは、罠……?」
「足元、注意しろ」
スコアが警告する。
「ガラス片。誰かが、争った跡だ。
やがて彼らは、研究棟の中でも特に厳重に封鎖された扉の前に立つ。
「……ここが、核心部だろうな」
ノクターンが囁く。
「ねえ気をつけたほうがいい。何か嫌な匂いがするの」
「へいへい、鍵を破る。準備いいか?」
「いつでも」
シルエットが頷き、ポケットから“ドロップ缶”を取り出す。
その中には“閃光糖”。爆音と閃光を放つ駄菓子偽装の閃光弾だ。
カチリ、と鍵が外れた瞬間、スコアが突入する。
──そして、その瞬間。
四人は、地獄を見た。
バイオタンクの中に浮かぶ、無数の子供の死体。
肉体を捻じ曲げられた大人の亡骸。
白衣の人間が、床に血を流して倒れている。
その中央で、ひときわ大きなカプセルが破損していた。
そこから逃げた何かが、床に爪痕を残している。
「これ……」
ヴァンプが息を呑む。
「人間を──薬で、作り変えようとしてた……?」
スコアの顔が、初めて蒼白になる。
「これ以上、こんなことを……止めないと……」
ノクターンが通信を開く。
「ヘッドライト。現地、地獄絵図だ。資料持ち帰りは可能。だが“標本”が消えてる」
その時だった。
後方の廊下から、何かが迫る音がした。
金属を這う爪の音。
床を叩く異音。
そして──断片的に聞こえてくる、クラシックの旋律。
スコアが、一歩前へ出る。
「君たちは、先に戻ってくれ」
「おい、スコア──!」
「僕なら、守れるよ。こういう時のために、ここにいるんだろ?」
静かに、彼は言った。
「生きて帰れ。それが、最低限の美学だ」
──光が砕けた。




