19話 潜入、地下格闘技場
港区第七再開発ブロック──
かつてショッピングモールとして華やかだった場所は、いまや都市の肺のように機能を止めた“空洞”だった。
再開発計画の凍結と資金引き上げ。
残されたコンクリートの骨組みは、仮囲いと工事車両で覆い隠されている。だがその地下に、夜な夜な現れる“もうひとつの都市”があった。
黒いコロッセオ。
勝ち残れば金。負ければ“行方不明”。
賭けるものは命。
「……ここだな」
静かにハンドルを切りながら、ヘッドライトは車を停めた。ボロボロの送迎車に見せかけた車内には、隠しコンソールと無線中継器が搭載されている。
後部座席にはグリッチとヴァンプが待機しており、パッチワークはユウナのために診療所に残っていた。
助手席にはシルエットが座っていた。
「入口は“正面”じゃなく、搬入用の裏ルートから入る。あえて堂々とね」
「観客としてじゃなく、“闘う側”で入るってことか」
「その方が情報に近づけるのよ。しかもここの参加条件は“自信がある素人”限定。アンタみたいな昭和筋肉マンには、ぴったりよ」
「……おだてるな。背中が痒くなる」
ヘッドライトは肩を鳴らすと、運転席を降りた。
そのまま廃材が積まれたフェンスの間をすり抜け、隠された搬入口へと向かう。
搬入口の前には、目つきの鋭い男たちが立っていた。いずれも全身黒のスーツ。装備は無し──だが、目が“殺せる目”をしている。
「見学じゃない。出場者だ」
ヘッドライトは無言で腕を差し出す。
手首には、あらかじめCAINで偽装した簡易バイタルリングが巻かれていた。
ひとりの男がスキャナーをかざす。
──ピッ。
「登録番号《Z-79》。初出場、推薦枠。確認完了」
スーツの男が一歩下がり、暗い通路へと続く鉄扉を開けた。
「──ようこそ、“リング”へ」
照明のない階段を降りる。
足音は重く、壁のタイルは湿気と苔に覆われていた。
「この空気……」
シルエットが呟く。
「人間の汗と血が染みてるな。まるで“獣の檻”だ」
やがて視界が開けた。
現れたのは、巨大なアリーナ構造の地下空間。
中央には、金網とスポットライトに囲まれた闘技場。
その外周には観客席──金持ち達が必死に戦う戦士達を“見下ろすための高台”が幾層にも組まれている。
その最上段には、ガラス張りの観察室。
まるで“神の目”のように、リング全体を見下ろしていた。
「この会場、造りが完全に一方通行だな。リングに上がったら、逃げ場はない。……負ければ、“出口”も選ばせてもらえないって訳か」
「ルールも正義もない。だが──情報はここにあるはずだ」
その時、背後から声がかかった。
「おい、新入り。控室はこっちだ」
手招きしたのは、場内案内係の男。
ヘッドライトは無言でうなずくと、通路の奥へと消えていった。
──控室。薄暗い小部屋には、試合を待つ男たちが座っていた。
多くは無言。
ジム帰りの格闘家風の男もいれば、痩せこけた若者、明らかに素人の中年まで様々。
だが共通していたのは──誰も、目を合わせようとしないことだった。
全員、金が必要なんだ。
家族のため、自身のため、理由はなんでもいい。
とにかくあの腐った連中からでも誰からでも金を貰いたいんだ。
「……この空気、昔の特殊任務前と似てやがる」
ヘッドライトは肩を回し、古びたジャケットを脱いだ。
肉体は鍛え上げられ、歳月による鈍りはまるで感じられない。
ただそこにあるのは、実戦を潜り抜けた“建築構造物”としての身体だった。
「《Z-79》、準備完了。次のカードに登壇せよ」
アナウンスの声がスピーカーから響いた。
静かに立ち上がるヘッドライト。
リングまでの廊下を進みながら、ふと振り返った。
そこには、リングを降りるための扉は、ひとつもなかった。
──勝ち抜かなければ、“この場所”では生きられない。
リングサイド。
ライトの眩しさが、彼の影を地面に鋭く落とした。
「さぁ……幕を開けようか。戦うジジイを見せつけてやる」
次の瞬間、アナウンスが響いた。
「──第3試合、《Z-79》VS《B-22》。開始!」




