17話 空白の噂
「──この数週間、僕が個人的に気になってたデータがあってね」
グリッチは診療所の一角、ホログラム投影装置に自身のノートパソコンを接続した。
浮かび上がったのは、湾岸エリアの交通・物流ルート。それは一見すると普通の都市インフラデータに見える。
「これ。港区の再開発ブロック七番地。地図では更地になってるけど──実際は、動いてる」
「動いてる?」
シルエットが眉をひそめる。
「うん。車両ログ、物資搬送履歴、GPSデータ……全部“何か”がこの場所を通ってる痕跡はあるのに、記録が途中でプツンと切れてんだよね。まるで“見えないバイパス”を通って、何かが出入りしてるみたいなんだよね」
グリッチの指先が、赤く点滅する地点をタップした。
「その上でおかしいのが、ここを通った後のトラック、重量が増えてる」
「中身を積んだってことか」
ヘッドライトが低く唸る。
「そう。でも、積んだはずの物資はどの搬送リストにも載ってないね。“追加されたはずの物”が、記録にないんだよね。つまり、誰かが何かを隠してる。しかもかなり意図的にね」
その言葉に、場の空気が引き締まった。
「……これだけで十分ヤバい匂いがするけど、決め手はあるの?」
「俺としてはね、ただの都市伝説だと思ってた、“地下にリングがある”なんてね。でも、昨日──ここから出てきた映像データに、聞き捨てならない単語が含まれてたんだよね」
グリッチは音声ファイルを再生した。
《……リングB、観客席確保……》《……被験者候補ナンバー25……》《……暴走兆候が出たら、即回収……》
ヴァンプの眉がピクリと動く。
「“暴走”……その言葉、聞き飽きたわね」
「同感」
パッチワークは小さく鼻で笑った。
「つまり、ここは“非合法の人体実験施設”ってわけか。あるいは、もっとえげつないショーをしてやがる」
「可能性はあるね」
グリッチが画面に別ウィンドウを出す。
「いわゆる“黒いコロッセオ”。違法な地下格闘場があるって噂は前からあったけど……どうやら本当に存在するみたいだね」
「参加者は?」
「素人ばっかりだね。一般人同士を殴り合わせて、金を賭けて観戦する。勝ち残りには金や薬、女。
でも……負けた奴の行方は、誰も知らないね」
ヴァンプは腕を組んだまま、静かに言う。
「敗者を“素材”として回収してる……そう考えれば、ラプスの“供給元”としては理にかなってるわね」
「そう。ただ……気になるのは、この仕組みを動かしてる“誰か”がいるってこと」
グリッチは画面を指で弾いた。
観戦エリアのセキュリティログに、1件だけ特殊なアクセス記録が残っていた。
「こいつのIDコード……『B-Observer_X3』。これ、明らかに他とフォーマットが違うね。何かの“個人署名”かもしれない。つまり……“観察者”がいる可能性を示唆しているね」
「黒幕が、ってことか」
シルエットが呟く。
「その正体はわからねぇ。でも、奴の眼がリングを見てる。……“人間”をどう扱うか、試してる」
「怖いのはね」
パッチワークがコーヒーを飲みながら言った。
「こういう場所の“主”ってのは、姿を見せない。誰もが名前を知らないまま、背中を向けて死ぬ。
……つまり、“顔のない実験者”こそ、一番厄介なんだ」
「でも、その実験の場に私たちが足を踏み入れる以上──こっちも名前を刻まなきゃならないってわけね」
ヴァンプが薄く笑う。
「CAINの名をね」
「カッコつけてるところ悪いが俺たちは影の部隊だ。名は刻まんでいい」
室内に沈黙が落ちる。
グールの襲撃で傷を負った心は、まだ癒えきっていない。だが、次の戦場はすでに決まっていた。
シルエットがゆっくり立ち上がった。
「潜入するなら……まずは、“その地獄”に降りる覚悟を決めなきゃな」




