16話 影の裏切り
早朝の風が、診療所の玄関に吹き込んだ。
乾いた空気が埃と薬品の匂いを巻き上げ、アロハシャツの裾を軽く揺らす。
「……やっと来たかい」
パッチワークは白衣のポケットから飴を取り出しながら、ドアの前に立つ影に言った。
「さて、面倒ごとは先に部屋にいるよ」
返答の代わりに、タクシーのドアがバタンと閉じた。
現れたのは、無精髭と筋肉の塊のような体を持つ男、ヘッドライト。
その後ろから、リュックを背負いながらあくびをかみ殺しているグリッチが姿を見せた。
「いやー……着いた着いた。先生、朝からずいぶんご機嫌だな」
パッチワークは涼しげに笑いながら、彼らを診療所の奥へと通した。
通されたのは、休憩スペースに隣接する簡易作戦室。といっても医者の休憩所を作戦室のように少し内装をいじっただけだが。
そこには、コーヒーの香りと静寂が漂っていた。
「ユウナは今、安定してる。……問題は、その間に何が起きたかってことよ」
ヴァンプがソファに背を預けながら言った。
隣に立つシルエットは、重たい目で2人を見やった。
「……“スコア”が来た」
その一言で、場の空気が変わった。
「見た目から推測するに人体実験の失敗作らしい。まるで別の生き物だった。ラプスのせいか、それとも別の何かか……詳細はまだ不明だ」
「“スコア”が……」
グリッチは目を細め、言葉を選ぶように呟いた。
「つまり、俺らがいなかった間に、マジの地獄が来てたってわけだな……。ノクターンに呼び出されてなかったら、そっちにもいたかもしれないのに」
「3人で行こうって言ったのにね、1人だけ用事があるからとことわられたんだよね」
「……そのノクターンだがな」
ヘッドライトがコーヒーを一口飲み、低く続けた。
「連絡がつかねぇ」
「は?」
グリッチは急いでノートパソコンを起動してノクターンの足取りを追ってみるが見つからない。
「GPS、通信回線、暗号化されたLINEの鍵まで……全部、使えなくなってるね。それも、“消した”んじゃなくて、“最初からなかったみたいに”痕跡ごと抹消されてるね」
「……それって」
「プロの仕事だね」
ヴァンプが呟く。表情には怒りも驚きもなかった。ただ、諦めと予感が混じっていた。
「私たち、たぶん──最初から泳がされてたのかも」
「アイツが裏切ったって、言い切るにはまだ証拠が足りねぇ。けどな……」
シルエットが口を開く。
「“現場にいなかった”って事実だけでも──俺たちの信頼には、深いヒビが入る」
診療所の奥で眠っているユウナの安らかな寝息だけが、静寂を刻んでいた。
「ユウナは……よく生きてたわ。今は眠ってる。でも、まだ火種を抱えてる。この先、また能力を使えば、今度は本当に“戻れなくなる”かもしれない」
グリッチが問う。
ユウナに何が起きたのか、彼女は一体何があったのか。シルエットたちはCAIN本部で起きたことを事細かく説明した。スコアのこと、ユウナの覚醒のこと。何も包み隠さずだ。
「夢の中で、俺が探していた少年ユウに会ったらしい。“見せられていた”だけじゃない。ユウナは今、ユウと繋がってる、パッチワークの見立てではユウに何かしらの危険が迫っていてそれを知らせようとしてくれてるってことだが.......」
「罠の可能性もあるってところか」
ヘッドライトの疑問にシルエットは静かに頷いた。
ヴァンプの目が鋭くなる。
「それが、何者かの狙いだとしても──もう一度火の海に飛び込む覚悟がいるわ、みんな」
そのとき、グリッチのポケットでスマホが振動した。
小さな通知ウィンドウに浮かび上がったのは、解析AIからの報告。
──港区、消失ゾーン“再確認”。
──物資搬送ログ、完全消去。
──“空白地帯”に再度トラック侵入あり。
「……おいおい」
グリッチが立ち上がった。
「これ、ただの“物流の穴”じゃない。……誰かが、意図的に“影を作ってる”」
シルエットとヘッドライトが顔を上げた。
「なんの話だ」
物語が再び動き出す。そう確信するには、十分な“空気”だった。




