15話 どもっす。
夜明け前、灰色の空の下。
錆びた建設途中の鉄骨ビルの影に、3人の影がうずくまっていた。グールの追跡から逃れるために身を潜めていた。
ユウナは、まるで人形のように力を失って倒れていた。
先ほどまで見せていた“未来の姿”はすでに消え、小柄な小学生の姿に戻っている。
「……ユウナ!」
シルエットが気付き抱き起こすと、彼女の体は熱を帯びていた。額は燃えるように熱く、呼吸は浅く、まるで空気を掴もうとするような小さな動き。
「完全に燃え尽きているわね……」
ヴァンプが脈を測る。整ってはいるが、異常な早さだった。今にも破裂しそうだ。
「能力の反動か……?」
「間違いないわ。体を……成長させてた。時間を先取りしたような、そんな感じ。でも、まだ“子ども”の体なのよ。耐えられるはずがない」
シルエットは唇をかすかに噛んだ。
「……あの医者のとこに行く。あいつなら何とかするかもしれない」
「ええ。ここで死なせたら、彼女が見せてくれた“未来”が意味をなくすもの」
訪れたのは、下町の路地裏。錆びた表札に「篁医院」とだけ記された建物。中に足を踏み入れると、薬品と珈琲、そして南国の柔軟剤のような匂いが入り混じった空気が漂った。
「おやおや。これはまた、朝から香ばしい空気で!そんな汚れた服で病院に来るなんて非常識ですよ〜!」
軽快な声とともに現れたのは、アロハシャツに白衣を羽織った男。黒いカチューシャで後ろに流した金髪をまとめ、表情には飄々とした微笑み。
篁 央志。
──コードネーム《パッチワーク》。
あらゆる薬物・能力者用の血液分析・再生処置・薬品対処の専門医。表は古びた診療所の開業医であり、ポケットの中にはシルエットの店で買った駄菓子が詰まっている。
「パッチワーク。……この子を頼むわ」
ヴァンプが真剣な目でそう言うと、男は片目を細めてユウナの顔を覗き込む。
「いや〜、これはまた。熱出して燃え尽きた顔ですねぇ……彼女、“身体の進化”を一気に引き出した感じっす。……すっごい燃費悪そぉ〜」
「ふざけてる暇はないぞ」
シルエットが低く言うと、パッチワークは人差し指を立てて返した。
「もちろん本気ですよ。──ただ、緊張すると手が震える性質でして。笑ってる方が処置がうまくいくんです」
その言葉どおり、手際は確かだった。機材の準備、血液検査、神経スキャン。そのすべてが驚くほど無駄がなく、洗練されていた。
ユウナを診察台に寝かせたまま、パッチワークは小さく頷く。
「筋肉密度、神経伝達、内臓負荷──全部一時的に“成長状態”へシフトしてる。この子、自分の未来を無理やり引っ張ってきてたんですねぇ」
「つまり……“未来の体”で戦っていた?」
「はいっ。ざっくり言うと、細胞が“15年後の理想の自分”を一瞬だけ模倣した。その代償として、今の彼女の体に全部、反動がきてる」
「治るのか?」
シルエットが問うと、パッチワークは軽く肩をすくめた。
「治すのが僕のし・ご・と。……っすけど……この子、今後何度もこの“火”を使うようになる。一歩間違えば、自分の年齢がわからなくなるかもしれませんよ?」
ヴァンプの眉がわずかに動いた。
「……それでも、彼女は“止まらない”わ」
ユウナが眠りについた処置室の外、ヴァンプとシルエットが静かに言葉を交わす。
「……ノクターンについて、どう思う?」
「正直、タイミングが良すぎる。グールが襲ってきた夜に限って、ノクターンも、ヘッドライトもあのグリッチでさえも“外出中”だった」
「裏で手を引いてた……ってこと?」
「まだ決めつけられない。けど──」
「匂いが変わってた。昨日の彼から、“迷い”の香りがしたのよ」
ヴァンプはシルエットの鼻先を指で押さえる。
「ねぇ、あんたは? まだ……信じてる?」
「……信じたい。だが──」
シルエットは言葉を濁した。
心では信じたいが、彼の直感がそれを否定し続けている。数日前、久々に会ったあの夜からずっと。
パッチワークは処置室のカーテンから出てきて缶コーヒーを一口啜った。
「──戦争っすねぇ。科学と、心と、罪と」
「どれの話だ?」
「全部っすよ。だって、全部ひとまとめになってここに転がってきたんですから」
彼の目は笑っていたが、どこか悲しげだった。
静かな診療所に、機械音と寝息だけが響く。
ユウナの夢の中では、まだ、誰かが“赤い目”でこちらを見ていた──。




