14話 覚醒の兆し
目前に迫る何か。
ユウナが目を覚ました直後から、ヴァンプもシルエットも、言い知れない“違和感”を覚えていた。
シルエットはすぐに通信機を取り出す。
「こちら本部。グリッチ、応答しろ。至急本部の監視網を確認──異常が起きてる」
雑音。次いで、機械的な合成音声。
《現在グリッチは本部を離れています。連絡が必要な場合は──》
「……離れてる? こんなときに?」
焦りは見せないが、目の奥で何かがきな臭く軋む。
続けて、ヘッドライトへ通信を切り替える。
「ヘッドライト、応答を──異常が発生してる。本部に戻れるか?」
数秒の沈黙ののち、無機質な音声が返ってくる。
《ヘッドライトは現在、ノクターンの要請により外部調査に同行中です──》
「……ノクターン、だと?」
シルエットの声が低く落ちる。
その場にいたヴァンプが、少し眉を寄せた。
「何、それ。偶然? ……まさか」
「全員、外に出されてる。……タイミングが良すぎる」
「……ノクターンが、引き離した?」
「可能性はある。だが今は──後だ」
シルエットが通信機を切る。
廊下の奥で、壊れたオルゴールのような旋律が響き出す。
包帯に包まれた異形の肉体。
赤く濁った双眼。
動くたび、骨がきしむ音がする。
異形の怪物はまるでどこかの国の伝承に出てくるような屍食鬼――グールのようだ。
グールはゆっくりと進んできた。
皮膚の下で筋繊維が蠢いている。
目だけが生きていて、だがそれは“誰か”ではなかった。
あの赤い光には、名も記憶も意志も宿っていない──ただ命令と殺意だけ。
「……スコアじゃ、ないのね……」
グール──それは“CAINの亡霊”、飯嶋透。
かつてのコードネームは【スコア】。
今はただの実験体。
かつて事件の後失踪したかに思えたが、まさか敵組織に捕まり実験隊になっていたとは。
ヴァンプが、未練を断ち切るように低く息を漏らす。
シルエットが先に動く。
鋼のような拳が一閃、グールの顔面を捉える。
だが──
「……硬いっ……!」
グールは揺れない。
骨格が常識を逸していた。カウンターで放たれた爪のように細く尖った指が、シルエットの肩を裂く。
「っ……!」
ヴァンプもすぐに間合いを詰める。ネイルに仕込まれた注射針を突き刺し、神経毒を打ち込もうとした。
だが──
「……効かない……っ! 麻痺しない!」
“生物”としての反応がない。
まるで、死体に薬を打っているような違和感。
毒は確かに注入されたが身震い一つしない。
「ヴァンプ!離れろ!」
シルエットが叫んだ直後、グールが咆哮する。
──重低音の衝撃波。
音ではない、“圧”そのもの。
不可視の重力が二人の身体が壁に叩きつける。
呼吸が止まり、意識がにじむ。
……ここまでか……?
自身の無力さに反吐が出る。
誰かを守ろうなんてまだ俺には早かったのか……?
意識が遠のいていく。
グールが目前に迫るというのに女子供を救えない。
シルエットは自分自身の無力を痛感していた。
しかしその意識も今は遠く。
そのとき──
ユウナが、立ち上がっていた。
誰もが気を失いかける中で、
彼女だけが、夢の中で見た光景と、今自分自身に起きていることを振り返る。
「……怖く、ない……わけ、ない。……でも」
“あの時”、ユウが言った。
『逃げて』
──でも、今は逃げない。守りたい。
「私はッ!私を守ってくれた2人を傷つける奴をッ!
ぜったいに許しはしないんだッ!」
その瞬間。
彼女の背中から、熱が弾けた。
髪がふわりと逆立ち、皮膚が赤熱し、血流が一瞬で加速する。体温の上昇に伴い、彼女を蒸気が包む。
体格が一気に伸び、筋肉と骨格が“未来”のそれへと一時的に変化する。
──成長。
少女が、“力を得た少女”の姿へと変わった。
青年の姿へと変貌していく。
そして、赤く燃える瞳で“亡霊”を睨んだ。
その瞳は唯一変わらない。
幼き姿のユウナ自身のものだった。
「──やめて」
床を蹴った音が、空気を裂いた。
次の瞬間、ユウナの拳がグールの顎を撃ち抜く。
凄まじい音とともに、包帯の顔面が崩れる。
身体が持ち上がり、数メートル先まで吹き飛ばされた。
「……今の……ユウナ……?」
ヴァンプが呻く。目を開けた先にいたのは、もう“小学生”ではない、紅蓮のように燃える少女だった。
「立って!今のうちに逃げて!」
声は落ち着いていた。
だがその響きには、“覚悟”が宿っていた。
「俺がヴァンプを運ぶ、ユウナ──お前は奴を頼む」
シルエットが立ち上がり、ヴァンプの肩を支えた。
シルエットは少女に任せてしまう自分の不甲斐なさに呆れながらも彼女に希望を見ていた。
ユウナは無言でうなずき、グールの動きを睨みながら、退路を探す。非常通路だ。あそこからなら逃げられる。
壁が音を立てて崩れ、グールが再び迫る。
ユウナはもう迷わなかった。
「私の未来は、私が決める」
全身の血管が赤く光り、ユウナの蹴りが再びグールの胸を叩き割る。グールが膝をつく。吐き出されたのは、白く濁った泡だった。その一撃でも膝をつく程度に止まるグールにヴァンプはかつての面影を重ねることはもうなかった。
「──いまだ! 外へ!」
非常口のロックを破り、3人は脱出した。
その背後で、グールが立ち上がりかけた──が、どこかに“音”を感じて止まる。
──それはクラシック。薄れゆく壊れた記憶の中に微かだが残る旋律。
そのまま、グールは動かなくなった。
仮初の沈黙。
だがそれは、束の間の“死者が生者に与える猶予”だった。
夜の街へ飛び出した彼らの瞳には、
ビル街のネオンが、まるで戦火のように滲んでいた。




