10話 無音の衝撃
夜の学校には、昼とは別の顔がある。
天野原小学校の裏庭――その植え込みの奥、手入れされていない芝生の間に、シルエットはしゃがみ込んでいた。
右手には錆びたマンホールの蓋。
ヴァンプの報告は正しかった。“子供たちの失踪”と“暴走能力者の群れ”は、この学校を根城にしている。
「……地下に何か……」
言いかけた瞬間だった。
空気が、揺れた。
風でもない。声でもない。音楽でも、雑音でもない。
それは「無音の衝撃」だった。
“やられる”と、彼の直感が叫んだ。
躊躇なく、シルエットは横へ跳んだ。
その瞬間、彼がいた場所の地面が“見えない力”でえぐられた。
草が千切れ、土が波打つ。
耳では捉えれなかった音を直感で聴いた。
「沈黙の音」を。
「出てこい……」
その言葉に応じるように、月の光が1人の少女を照らし出した。月明かりにより伸びた影の中。ゆらりと1人の人影が浮かぶ。
細身の黒いコートに身を包み、長く真っ直ぐな髪を風に揺らす少女。女子高生ぐらいだろうか。
切り揃えられた前髪の下、赤い瞳が冷たく輝いていた。
まだ名を知らぬその女は、まるでオーケストラの指揮者のように、両手をゆっくりと広げた。
「……耳は塞いでおくことね」
その囁きが終わった瞬間、空気が割れる。
突如、四方八方から響く“不可視の音波”がシルエットを襲った。
これは“空間そのもの”を震わせている。
確かに何かが爆発するような音が鳴り響くが、この攻撃の本体は音じゃなく衝撃波だ。
耳を塞いだところで避けれない。
彼女は音を聞かせるつもりはない。
打ち込んできている。
先日出会った異形の存在よりも明らかに人型を保っており、人間としての意思の疎通が行える。
明らかに人間なのだが、どうもこの音はありえない。
シルエットは校舎の壁を蹴って翻る。着地と同時に、蹴った校舎の風通しが良くなる。
「……名乗らないのは、殺す気がないってことか? それとも、名前を名乗る価値もねえって?」
彼女は答えない。
ただ、その瞳だけが何かを訴えているようだった。
哀しみとも、怒りともつかない揺れ。
赤い瞳の奥に確かに何か思いが存在している。
――直感が告げる。
この女は、完全な“敵”じゃない。だが今は、そんなことを考える余裕はない。ヴァンプなら彼女の気持ちを理解して寄り添うことで説得でもできそうだが、生憎シルエットには心を操る術はない。
「付き合うぜ。お前の“演奏”に」
シルエットはポケットから棒状のスナック菓子を取り出す。うま◯棒と書かれていた。
パッケージを開くとまんまそれが出てくる。
粉にまみれており、一口食べれば口はパサパサ。
飲み物がなければとても食べれない。
「違うこっちじゃない!」
彼は捨てるわけにもいかず、それを頬張り飲み込む。
今度は逆のポケットから同じシルエットの袋を取り出すと、今度は金属の筒が姿を見せた。
彼がそれを振り下ろすと棒は伸びる。
どうやら小型の警棒のようだ。
とても武器には見えない袋から取り出した警棒の形状は無駄がないように見える。
彼には音も、術も、異能もない。
あるのは、少しのユーモアと天性の「勘」――。
超直感だけ。
空気が再びうねった。
少女の右手が小さく振れた瞬間、地面に無数の“音の刃”が走る。
しかしそれを、シルエットは見るよりも早く“感じ”、かわす。まるで風の流れを読むように、彼は音の軌道を逸れて踏み込む。
「見えないなら、見なけりゃいい。聞こえないなら、読むしかねぇ。そうやって、今まで生きてきた。」
ナイフの刃が彼女の首元へ迫ったその瞬間――
少女は微かに目を閉じた。
次の一撃は、彼女自身の“声”だった。
「負けを認めるわ、一哉」
その囁きと同時に、振動が止んだ。
シルエットの刃先は、彼女の肌に届く寸前で止まる。
彼女の空気の振動とは関係なく手が震える。
「……なんで、名前を……」
少女は一歩下がり、背を向ける。
「私とあなたはずっと前に会っている。でもそれは別の話。」
そう言い残し、彼女は音もなく闇に紛れたかと思えば再び現れた。
「言い残したことがあったの。なぜあなたが地下室を見つけたと同時に私が現れたのか。なぜあなたたちの潜入に気づくことができたのか。決して九条先生はミスを犯していないわ。」
そう言い残すと再び影に消え、現れることはなかった。
後に残されたのは、えぐれた地面と、ほんの僅かな残り香。
桜のようで、血のような、音を帯びた匂い。
シルエットは警棒を納め、吐き捨てるように呟いた。
「……ラムネみたいなやつだ。最初の勢いだけは派手だが、気が抜けたらスカスカだ」




