『置き去りにされた紙と、わたし。』
鮮明に思い出せたここでの日々はもう亡霊のように薄くなって見えない。彼らには思い出の宝庫だったろう校庭には春らしからぬカラッとした空気が私のこころを撫でる。
校舎の上にいるカラスが声を上げ、そちらに目を向けると、やる気のない太陽が私の目を焼いた。
傾きかけた太陽は春のことなんて忘れたみたいな光をさびれた校庭に届けている。
ベンチに座るとすこしだけあたたかな気持ちになる。
友達や、彼と過ごした少なくとも濃密だったあの日々を思い出せるからだ。
卒業証書はもうどこにやったのかすら忘れた。でもぐちゃぐちゃの鞄を開けば消しゴムほどの小さく、けれども私の大きな覚悟を記した紙はすぐに見つかる。
その紙に書いてあるのはたった二文字の言葉。でも、どんな二文字より大切な想いがこもってる。
そんなことを考えていると突然音がした。
---ガザッ。
「うぃーっす。おまたせ~。」
なるべく平静の表情を作りながら紙をスカートの下に隠す。
「遅いくせに、作り笑いしてこないの!緊張してんの?」
彼は驚いたような顔をして頬をかいた。いつもみていた綺麗とは...いえないけど、素敵な瞳。
損な性格ゆえに誰もかれも助けてきたこのてのひら。私がアドバイスしてからずっとつけてくれているSIHROの匂い。
近くにいるんだと思う根拠はこんなにもあるはずなのにどこか私の心は校舎のカラスと同じところにいるような気がした。
「さっき言ったからわかってると思うけど、来年から東京なんだ。」
さっきメッセージで来たからとはいえ、心は反応してしまう。
「...うん。」
「だから、俺が話したかったのもあるんだけど、なんか言いたいこととか聞いておきたいなって。」
何を?これまでずっと一緒にいると信じ込んでいたのに、別れると知ってそんな簡単に言葉なんて出るはずがない。
まず第一にこんなこと急に言ってこないでよ!もっとさ、事前に伝えられる時間もあったよね!?いや...言いにくかったのもわかってるけど...
ひとり困惑のまま愚痴にシフトした脳内を整理していると彼がしゃべった。
「お前はさ、俺が困ったときどんなお願いでもがんばって聞いてくれて、アドバイスまでくれたよな。だからさ、その...感謝してるんだ。これからメッセージすらできないってわけじゃないけど、こんな空気じゃないと言えないと思って...ありがとうな。」
ずるい。
「そんなこと言ったら本当にお別れみたいじゃん!」
口が勝手に動いていた。こんな大きな声も出せたのか。でも、彼が驚いているのは声じゃないようだった。
冬の北風が乾燥させたわたしの頬をなにかが暖かく濡らしたのだ。
「お前...」
なにか言おうとする彼の言葉にかぶせるように、私はせりあがる感情を抑えきれず、嘔吐するような勢いで言葉を掛ける。
「こちらこそありがとう!!これまで恋の{こ}の字すら知らなかった高校生はあなたのおかげでこんなに成長しました!!あなたに彼女ができたのも私のせいです!!感謝ありがとう!でも私のほうがあなたのこと好きだから!東京でお幸せに!!じゃあね!!」
気づけばいつもの帰り道にいた。いつもの情景がもう戻れないあの頃を否応にも思い出させてくる。
直前の告白をふと思い出しては赤面してしまう。告白してしまったことに後悔はない。想定ではもっと綺麗にあの紙を渡すはずだったのだけど...
あれ...?もしかしてあの紙...
慌てて鞄を探るとたしかに無い。思い返せばそれはベンチに置いたままだった。
後悔ができた。それももうどうしようもない後悔。
「あれ...読まれてたら死ねる...」
そんなことを言いながらも読まれていてもいいような気持ちもある。なんならその紙を大事に持っていてくれたならもっと嬉しいとも思う。
「あれっ?ネイル剝がれてる...」
でもそれは綺麗に夕焼けを反射して光っていた。
光る物が見えたからなのかカラスが目の前に降りてきた。
「えっ...」
そのカラスはあの紙を咥えていた。
振り向いたカラスは私に驚いたのかすぐにその紙を捨て、太陽とは真逆に飛び去っていく。
ひらひらと舞う紙はこころなしか光っているように見えた。だからカラスが持っていたのか。
「なんだ...期待して...馬鹿じゃん。」
無駄にカラスが持っていた理由を考え、理性で頭を埋めようとしたところで、零れ落ちる涙と足から崩れ落ちる体を止めることはできなかった。
もう暗くなってしまった帰り道。太陽なんてもう見えない。こんなに雑多な物があふれていても結局世界では一人きりなのだ。
卒業なんて嫌いだ。だってそれは壊れるということだから。私たちがいままで作り上げたものをだれかの事情が破壊する。
卒業なんて銘打っていても本人に変化なんて来ない。本人だってわかってるんだろう?私だって中学のときも、小学校のときも変わったと思っていただけで今考えればそこまで変わってない。勝手に変わる環境がそう思わせてくるだけのように思うのだ。
なにより、卒業にいいイメージを持ってしまったら変化しない物の価値が下がってしまうような気がする。
いつでも私を迎えてくれるこの変わらない帰り道が好きなんだ。
なんの音もしなかった道。月が上がってきた方向からカラスの声が聞こえた。
振り返ると月明りを反射して手に持っていた紙が光る。
ああ...捨てられなかったんだ。持っていることに気づかなかった。
それは私のネイルが紙にすこし付着して「好き」という文字が輝いていた。
なんて皮肉。これを書いたあの私はもういない。
彼の反応を想像して夢物語に悶絶していた私も、桜の木をみて思い高ぶった私も。
なにが言いたいのかって?
それは私が卒業というテーマにこびりついたあの幸せが待ってるってイメージが嫌いってこと。
卒業なんて時間で強制的に訪れるものに季節なんて変えられない。冬って結構長いんだよ。
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