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第八話 公害研究の発表会その二




 さあ次は騎士たちの番だ。塚本が言った。

「上島グループが最後だ。こっちもアスベストじゃな」

 一番先に相津が立ち上がり、大きな画用紙を二枚重ねて、がさがさ音を立てながらひろげ、マグネットで貼っていく。あれ、二枚ある? 騎士たちは一枚しか見せてもらっていない。どういうことだろうと思った。

 漫画のようなキャラクターが描かれたカラフルなイラストに皆は喜んだ。アスベストの擬人化でも皆がかわいくて笑顔で強そうなポーズを取っている。そのイラストに影中も日美子も影中も満面の笑みだ。塚本まで笑った。

 先に上島が声を出した。

「私たちは今からアスベストの話をします。アスベストの被害が社会問題になったのは、二千四年で二十年以上昔の話です。アスベストを扱った機械メーカーの名前をとってクボタショックという人もいます。この日本では毎年二万人のアスベストによる死者が出ています。私たちが今持っている教科書にはなくても、アスベストは立派な公害です。まずは、アスベストはなにかを説明します。相津くん、どうぞ」


 相津の胸が思いきり膨らんだ。

「え~。いろいろとむつかしいのでイラストにしました。アスベストは実際に色分けされています。まずこの白いキャラがクリソ、青いのがクロシド、茶色がアモサ、緑がアクチ、赤がカミン。え~話の便宜上、かなり省略しておりますがこれらは可愛らしくてもみんな悪い奴です。小さくて細かくてきらきらしているけど、いったん体の中に入ると出ていきません。他の公害と一緒です。可愛く描くことはいくらでもできるけど、人間と一緒で見た目ではわかりゃあせん。とても悪い奴なのです」

 相津が一枚目をはぎ取ると、二枚目が出てきた。キャラクターの位置と色、ポーズはそのままで表情が邪悪になっている。目がつりあがり、牙がでている。五つのキャラクターの背後には骸骨が笑っていて、大きく肺がん 、 悪性中皮腫 、アスベスト肺、アスベスト喘息と書かれていた。相津の字が下手なこともあり、文字が踊っているようだ。クラスから自然と拍手が出た。騎士は相津は絶対に漫画家になれると思った。

 沢村が話を次いだ。

「アスベストは石の綿と言われます。これは髪の毛の五千分の一しかありません。本当に小さいのです。熱に強かったりするので建築や工事現場でずっと使われていました。じゃけど、これが空気と一緒に体の中に入ると一生出ていきません。そして数十年後にこの相津くんが書くイラストのように肺がんになったりするのです。

アスベストを吸い込んだときはなにも苦しむことはありません。年を取ってからアスベストで苦しむのです。アスベストが時限爆弾と言われるようになった理由です」

 その次が李という子だ。いるかいないかわからないぐらい静かな男の子だが、しっかりと声を出して説明した。

「ぼくのじいちゃんは、長い間、都会の工事現場で働いていて、年を取ってから「ちゅうひしゅ」という難しい名前のがんで死にました。じいちゃんは、しょっちゅう咳をしていて最後は息を吸うのも吐くのもつらそうじゃったけん、よう覚えちょる。でも死んでしまってからそれがアスベストのせいじゃとわかったからどうにもならん。みんな教科書を読むだけじゃとわからんが、公害の文字の中にいっぱい死んだ人と苦しんでいる人がおるけえ、ダメなことはダメだとしっかり言わないといけんと思う」

 日美子おばさんが強く拍手をした。つられて皆も拍手をした。

 次は騎士だ。

「ぼくは転校生で、家の都合で鳥取に来るまでアスベストのことを知りませんでした。でもぼくを引き取ってくれたおばさんはアスベスト被害にあった人です。この兆章小学校に転校してきて最初の授業が社会でしかも公害の話だったので驚きました」

 日美子は真剣な顔をして、騎士を見つめる。騎士は日美子の目がこんなに大きかったかなと思うぐらいだ。紗矢もそうだ。

「アスベストのことを調べているうちに、他の公害もそうですが今も大勢の人が苦しんでいるのに気づきました。アスベストを吸ってから数十年もたってから被害がわかるのはひどいことですが、恐ろしいことは体の中に入ったアスベストは取れません。現実に建物の中に使われたアスベストを取り除くのにお金がかかります。だから体もそのまま、建物もそのままです。ぼくたちも知らないうちにアスベストを吸っているかもしれません。とても怖いことです。

アスベストのことがぼくたちの教科書に出てこないのは、ぼくたちを怖がらせないためかもしれません。この公害はまだ終わっておらずこれからも新しく患者が出てくる可能性があるからです」

 騎士は相津の描いたキャラクターを指さした。

「この絵の一枚目のように、ちょっと見ただけでかわいいとか便利そうとかでみんなが好きになります。でも後から見ると怖いキャラに成長します。人間でもそうでしょう、ぱっと見ただけでは誰にも本当の性格はわからない。アスベストと一緒です。

ぼくも喘息なので、わかりますが、発作が起きると空気が目の前にあっても吸えなくなります。公害でアスベスト喘息になった人はもっと苦しいはずです。一生懸命働いていてアスベストを吸いこんだ人、そのアスベスト工場の近くで育って大きくなった人、アスベストを使った建物で暮らしていた人、みんなが被害者になります。そしてこれからも被害者がもっと増える可能性があります。これからアスベストのせいでガンになったりする人が増えるかもしれません。これがアスベスト公害の一番怖いところです」

 最後に上島が締めくくった。

「アスベストは古い建物ではいまだに使われています。気になる人はアスベストセンターで聞いたり、アスベストを撤去してくれる会社に連絡をしましょう。

もしみんなの周りで年を取った人がアスベストにかかわりがあるなら、弁護士か誰かに連絡して補償を受けましょう。そしてこれ以上公害のでない社会に皆でしていきましょう」

 拍手がわいた。

 やがて影中が立ち上がった。

「今日は特別に田倉くんの親戚の人がアスベストの話をしてくれます。竹中さん、どうぞ」

 どうやら影中が日美子に事前にお願いをしていたらしい。心得たように日美子が杖を手に立ち上がった。

「私は田倉騎士くんの親戚のおばちゃんです。私は小さいころに大阪のアスベスト工場の近くで住んでいました。私のおじいちゃんやおばあちゃん、お父さんやお母さんは全員喘息になりました。昔の話なのでアスベストのせいだとは誰も知りません。家の近くに大きな道路もあったので車の排気ガスが悪いのかもしれないと思っていました。それで、鳥取の親戚を頼って引っ越してきました。おじいちゃんとお父さんは肺がんで死にました。これも多分アスベストのせいだろうと思っていますが、証拠がないので保障は受けていません。私が皆さんに言いたいことは、どこに行っても公害がない社会を作ってほしいということです。もちろん先に生まれた私たちがそのための土台を作らないといけませんがそ、そ、それができなかったという……ひゅっ、うっ」


 日美子せき込みはじめた。手が空中をかいている。前へ崩れる日美子を前川たちが支えた。日美子はバッグの中に発作止めの吸入薬のサルタノールを持っていた。中に液状の薬が入っていて一度吸入すると三時間は持つ。すぐに効果はでて落ち着いたが、影中の指示で塚本が日美子を背負い、保健室に運んで横になってもらった。

 保健室には騎士と紗矢がついていったが、なぜか穂乃果がいる。彼女は影中や塚本、保健室の先生がいる前で言ってのける。

「騎士、今からお父さんを呼んであげる。点滴してもらいんさい」

 日美子はその声が聞こえたのか小さく手を振った。それを受けて騎士も返事をする。

「大丈夫だよ」

 穂乃果は善意を無駄にしたと思ったのか、機嫌を損じる。

「私にありがとうと言えないの」

 影中が静かに言った。

「田倉君に今、御礼を言わせるのは違うかな、悪気がないのはわかるけど」

 穂乃果は影中に向き直る。

「校長先生、私って悪い子なん?」

 騎士が影中より早く代わりに答えた。

「聞くけどさ、きみのどこがいいところあるの? 恩を売られると後が怖いよ。きみはぼくにとって命の次に大事な発作止めを無駄にしたからね、しかも他人に命令させてさ」

「なによ、失礼ね、騎士のバカ」

 すると紗矢が穂乃果の言葉を遮った。

「バカはあんたやで」

 思いがけない子からの反撃で穂乃果は横目を使ってにらむ。

「転校生で来たばかりのくせに」

「兆章さんと言ったね。あんたは今日聞いた公害の話とよう似てる。悪いとわかったら原因や被害者を無視する会社とな。あんたもそれで大きくなったら、バツを受けんとあかんようになるのと違うか」

 穂乃果は体を震わせたかと思うと保健室を走って出て行った。影中が待ちなさいと止めようとしたが振り向かない。出口にはクラスメートたちが固まっていたが、帰ろうとする穂乃果を止めない。それが皆の彼女に対する評価だ。前と同じだ。

 紗矢は騎士にだけ聞こえるような小さい声でつぶやく。

「あの子、私のお母さんと似てる。見栄っ張りで自信満々なところがおんなじ」


 影中は騎士を気遣ってくれた。

「心配せんでええよ。竹中さんは私の車で家まで送る。それと介護士の箕浦さんに電話して様子を見に来てもらうけえな」

「お願いします」

「兆章さんとその親御さんとも話し合う。心配しなさんな」

「わかりました」

 保健室から紗矢と二人でクラスに戻る。二階にあがるときに、紗矢がつまづいた。

「大丈夫か」

「平気。でも、ここもいろいろあるみたいね」

「みんないい人だよ。紗矢、学校へは行けるよな」

「私は負けない。いろんなことに負けない」


 騎士は数段下の紗矢を見下ろす。ざんばら髪から見える目がキラキラとしている。元の気の強い紗矢に戻ったようで安心した。

 教室に戻ると、先に戻った上島や相津たちが「おかえりい」 と迎えてくれた。

塚本の次の授業は始まっていたが何も言わない。そして穂乃果もそこにいた。着席をした紗矢の方を振り向いて塚本がいるのに「あんた、バレエできる」 と聞いた。紗矢は穂乃果の態度に驚きつつも返事をする。

「やめたわ」

「ふううん」

 騎士はその様子を見てまた悶着が起きそうだなと感じた。騎士は紗矢がプロバレリーナを目指して海外留学も視野に入れていたことを知ったら穂乃果がどうでるか。塚本はいつものように知らない顔をしている。

 でもこういうものかもしれない。騎士は小さいころから喘息で苦しんだ。そして祖父母の葬式も経験した。親もペットも死んだ。そして転校した。新しい友達もできた。

それが今になっている。これからもその今が続いていく。

大きくなったらなんになるかも決めていない。だけどこれから見えてくる景色や空気も同じでも変わっていく。

 多分他のおとなもみんな含めて、こういったあいまいな空気の中から生きていくやり方を決めていくのではないかな。騎士はそう思う。良いも悪いも含めて自分で決めていくしかない。

授業に出た公害の被害だって自分で好きで決めたものではない。流されずに戦う人とそれを手伝う人がいる。

 そういう空気の中、生きていかないといけない。きびしいことだけど、立ち位置は自分で決められないところが人生の難しいところなのだろう。

 授業は算数になっていた。分数の足し算をやっている。紗矢のつくえの上にも新しい教科書が届けられており、鉛筆を持ってノートに数字を書き込んでいる。騎士も鉛筆を持った。

 授業が終わったら日美子の家に紗矢と戻る。途中でお見舞い用のお花を摘んでいこうか。騎士はそう思った。

                       


 了



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