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第六話 紗矢も転校生になる




 鈴彦は厳しい顔をしていた。

 騎士には猫アレルギーもある。ケースの中で猫が鳴いているのを聞いて、ポケットの中のメプチンエアーがあるのを確かめた。予備でまだ一回も使っていない新しいものだ。日美子おばさんは猫の毛は大丈夫だろうか。もしアスベスト喘息の発作が出たら無事ではすまない。

 鈴彦は深刻な表情を崩さないし、紗矢は涙を流している。すみれは一気に老けて見えた。騎士も日美子も、おろおろした。

「まあ、どうしたの。いえ、いらっしゃい。あがって。親戚だからいつ来てもええんやで。梨ゼリーもまだあったはずよね」

 鈴彦はうろたえる日美子を「そんなことはどうでもええから」 と制した。

「テレビを見たか、大変なことになったで」

「ニュースはまだ見てへん。でも、本当にどないしたの」

「薫がな、桜木薫。この子の……紗矢の母親やけどな」

「確かシングルマザーで銀行員でしたね」

「うん、保険金詐欺と勤務先の横領で警察に引っ張られてん」

「えっ」

「家にマスコミが来てるし、薫は警察の聴取で当面帰宅はできへん。悪いけど預かったげてや」

「どういうことなん」

 紗矢が両手で顔を伏せて叫ぶ。

「もう、あかん。ほんまに、あかん。お母さんたら、とても悪いことしてた。そうしてまで、わたしは海外にバレエ留学に行きたくない。ぜいたくしとうない。もう全部なにもかも、あかんねん」

 上島親子はまだ帰らず立っていた。日美子は皆を部屋に招き入れて、テレビをつけた。猫は紗矢に言って、玄関に置いてもらった。騎士がテレビをつけた。ちょうど七時のニュースをやっていた。

「四月に兵庫県尼崎市にあった火事ですが、放火と断定され、十七歳の少年が逮捕されました」

 騎士は目を丸くした。

「え、うそやろ。これ、もしかして久志……」

 鈴彦おじさんは頷く。

「せや、久志や。数年前の自分の家も、今回の騎士の家も放火した」

「なぜ、どうして。ぼくのお父さんやお母さんや犬も死んだんだよ、なぜ放火を」

 するとすみれがその場で土下座をした。

「そうです。うちの久志です。うちの久志が放火しました。我が家も放火、そして騎士ちゃんの家も……申し訳ない。でもうちの久志はうちの義妹の薫に言われてやったと言うてます。それが本当なら許せませんが、放火をしたことには間違いはない。本当になんていっていいか」

 紗矢も顔をくしゃくしゃにして言う。

「多分、私のせい。私がお金がかかるバレエ留学に行きたいといったせい。それでお母さんは、久志くんを脅して」

 するとすみれが気色ばんだ。

「ちゃうで、何度も言うたやろ。紗矢ちゃんのせいやないで。それに放火は確かにうちの久志やけど、放火しろと脅迫されたんやで。薫のやつ、うちの久志を犯罪人にして絶対に許せんわ」

 日美子も動揺していた。すみれとは初対面だ。

「すみれさん、あなたは騎士ちゃんのおばさんで看護師さんでしたよね。電話でも騎士ちゃんの喘息のことを教えてくださいました。久志くんはあなたの息子さん? でも、なぜ、その薫さんは……放火って」

 すみれは顔を歪ませすぎて目の形が三角になっている。そして涙で顔が全部濡れていた。

「薫は私を含めて次志さんもみな、常々通帳を預かって利率がええというので、資産の運営もまかせていたんや。でも、それどころか損失を出したらしい。あろうことか、勤務先で横領もしていてな。保険金詐欺もやで。薫の夫も殺ったんやろ思うわ。何が投資がうまいこといった、んや。ことあるごとに高級ホテルのケーキやお菓子をもろうて喜んでた自分が恥ずかしい。高級時計も久志にぽんぽんくれて、手名付けて。許せんわ。薫は太志さんにそういうことがばれて、久志を脅して放火しろ言うたらしい」

 騎士はあまりのことに言葉も出ない。横領、保険金詐欺に放火。とても身近なことに思えない。でもそれで騎士の両親やペットは死んだ。久志は普段は無口だったが、ゲームの攻略に詳しくて聞けば快く教えてくれた。でもなぜだろう。すみれは座り込んだまま両手を膝の中に入れて消え入りそうな顔をしていた。紗矢は黙って震えている。

 日美子は、きっぱりと言った。

「とりあえず、梨ゼリーを食べよう。美味しくて口の中がさっぱりすると気分も落ち着くやろ」

 鈴彦は、紗矢を預かってくれと日美子に改めて頼んだ。日美子は騎士をちらりと見て迷っている。騎士には猫アレルギーがある。そこへ上島の父が「よかったら我が家はどうかな、部屋もあるし、猫も一緒にいられますよ」 と助け船を出した。

 紗矢が猫と一緒にいたいのなら、選択肢はなかった。しょんぼりしたまま、上島親子に支えられながら、車の中に入っていった。涙をためた目で騎士を見つめるが、騎士もかける言葉がない。小さいころからバレエレッスンを一緒にしていたが、こんなに哀しいことになるとは思わなかった。

 薫はなぜそんなことをしたのか。

「預けていた貯金通帳を返してくれない。印鑑も返してくれない」

 ふいに亡くなった母親が父親に愚痴っていたことを思い出した。横領はお金を盗ること、保険金詐欺もお金を盗ることだ。薫はかなり前から悪いことをして、お金儲けをしたのか。だけどそんなお金で高価なものや旅行に使って、紗矢にぜいたくをさせて、うれしかったのか。騎士の両親を殺してでもそんなことをする価値が果たしてあったのか。


 鈴彦は日美子と夜遅くまで話し合いをしていたが、そのまま仕事で大阪に戻ったようだ。

 翌朝、日美子が騎士に焼けたトーストとホットミルクを渡し、ため息をついた。

「紹子おばちゃんから薫さんは小さいころからしっかりしていたと聞いている。けど、変にお金に執着すると、人生も変なことになる。周りも迷惑なこっちゃ」

「うん……」

「子どもが一番可哀そうやで、騎士ちゃんもそうやが、あの紗矢ちゃんも大丈夫かな」

「そろそろもう学校に行かなきゃ」

「あっ、せやな。騎士は、まだ学校へ行き始めたばかりなのにいろんなことがあるな」


 日美子に見送られて騎士は登校する。途中で相津の家に通りかかると牛の肥料らしきものを重そうに運んでいた。もう汗をいっぱいかいていてそれが朝日で光って見えた。相津は騎士を認めると道まで下りてきて頭を下げた。

「騎士、吸入器のこと、本当にごめんな。おやじにも怒られたわ。それでもう兆章病院の通院はやめて遠くなるけど違う病院に行くことになった。これで穂乃果の命令も聞くこともない」

「もういいって。ところで今日は働くの? 学校は?」

「ちゃんと行くけん。じゃけど俺はこれから畑にも水をまかなきゃいけん。じゃから、遅刻ぎりぎりになる。先に行っとくれやあ」

「わかった」


 昨日の今日だ。時間の流れが速い。もう相津を責める気はない。逆に相津の屈託のない笑顔に救われたものを感じて騎士も手を振った。まだ来て一か月もたってないのに、昔からいるような気分だ。

 学校で靴を履き替えていると上島に会った。紗矢はどうしているだろうか。

「あの子ね、私の部屋のとなりで寝てもらった。まだ起きてこられないようだし、しばらくそっとしておやりってお母さんも言っていた。あ、シャネルは元気よ? 猫の名前がシャネルってすごいよね」

「紗矢はここの学校も行くよね。一クラスしかないから、ぼくと一緒になるかな」

「田倉君とはさすがに一緒にはできんじゃろ。紗矢さんに、引き取り手がなければ、お父さんが別の県の親戚を紹介するっていっていた」

 紗矢の母親が放火や横領の犯人であっても、紗矢には関係がない。ただ可哀そうだった。久志もどうなるのか。

「ぼくは、紗矢と一緒でも構わないよ。日美子おばさんもそう言っていた。ずっと仲が良かったし」

 上島は笑った。

「子ども同士はそうでも、周りの大人が配慮というものをするのよ。つまり一緒に過ごすのは無理かもってこと。でもお父さんに聞いてみるわ」

「配慮ってなに」

「気配りよ」

 騎士は感心した。

「君はいろいろと難しい言葉を知っているね。やっぱり弁護士になれるよ」

 上島はメガネのつるを軽くつまんで直すとにっこりと笑った。

「今は高校生で弁護士資格を取る人もいるから、私もそうするつもり。それで困っている人を助けるの」




 教室に入ると怖い顔をした穂乃果がまた教室の前で腕組みをして待っていた。横で沖田やきくちゃんたちがうなだれている。

 騎士がそれを横目に一番後ろの相津の席のとなりに座る。

 ところが穂乃果がついてくる。腕組みを解かない。まだ機嫌が悪いようだ。騎士は放っておくことにした。すると穂乃果は騎士から目をそらしたまま質問をした。

「あなたのおばさんはアスベストの病気なの」

「そうみたい」

「私の病院に来ている?」

「いや、県立病院や」

「ふん、お父さんの患者じゃないのね」

 兆章小学校の朝の時間は最初の二十分は読書タイムですきなものを読める。騎士は借りてきた「石の肺」 のマーカーで引いた部分を読むつもりだ。集中したいので穂乃果からの問いかけは邪魔だ。肺にアスベストがつきささったままってどんな感じだろうと想像したい。

「いいじゃないか、そんなことはどうでも」

 その返事は穂乃果を怒らせたらしい。騎士には穂乃果の思考回路が理解できない。穂乃果は顔をしかめたまま、騎士にまだ問いかける。

「騎士は、将来はお医者さんになる?」

「まだ何も決めてないよ」

「バレエダンサーは?」

「だから何も考えてない。僕にはもうお父さんもお母さんもいないから。バレエ用のシューズも焼けたし、レッスンに行くお金もないから」

「わたしのお父さんにバレエレッスンに一緒に行けるように頼んであげようか」

 騎士はとうとう本を閉じて「いい加減にしろ」 と怒鳴った。前川がこっちを見て口笛を吹いた。穂乃果は一瞬だけ黙った。その顔を見て騎士は不快を通り越して、思わず笑ってしまった。なんだろうか、この子は。バカじゃないか。

「なぜ、笑うの」

 騎士は笑うのをやめて首を振った。

 穂乃果は怖い顔をしている。整った顔に影が落ちてホラーのようになっている。

「きみの家はお金持ちで病院を経営しているから、誰もなにも言わないみたいだけどさ」

「なに」

「あのさぁ」

 そこへ相津が遅刻ぎりぎりで教室に入ってきた。脇に丸めた大きな画用紙を抱えている。発表用のアスベストの絵だろう。穂乃果は息を切らして座った相津に言った。

「ちょっと、相津、騎士から吸入器を取り上げてやって」

 相津は即座に首を振った。


 穂乃果は相津が従わないことを知ると怒ったが、相津は「いやだ」 と首を振り続けた。

「あんたのお父さんやおばあちゃんを診察させないわよ、家族が死んでもいいのね」

 そこへ塚本がやってきた。穂乃果が塚本に向かって泣いた。いや、泣く真似をした。

「先生、田倉くんと相津くんが意地悪をするの」

 騎士はあわてずに反論する。

「していません」

 塚本は「女の子を泣かせるといけんのじゃ、お前らが悪い。立っとれ」 と言った。

 騎士も相津も立たなかった。

「立て」

 後ろの席の上島が立ち上がって「先生」 と叫ぶ。前川も席をたって発言しようとした。騎士は目で上島たちを抑え、座ったままで塚本に訴える。

「先生、これは兆章さんが悪いのです。ぼくは先日も吸入器を取り上げられて危うく死ぬところでした。家が病院だから機嫌を損じるとお父さんに頼んで診察しないように脅すのは犯罪です。脅していじめをさせるのは、本当に最低です」

 穂乃果の泣き声が大きくなった。塚本はじっと騎士を見ていたが、それから背中を向けた。

「まあ、今日のところはええじゃろ」


 ガタンを音をたてた。穂乃果が自分の席にあったランドセルを背負い、教室を出て行った。振り返りもせずに。誰も一言も言わなかった。塚本ですら。

 穂乃果は翌日も翌々日も出てこなかった。でも仲の良いはずの沖田やきくちゃんですら、何も言わない。それどころか、クラスの中が明るくなった。連休明けの発表会を目指して練習もさくさくとすすむ。相津は休み時間になると、大きな画用紙を持ってどこかに行く。

 アスベストキャラクターの絵を使っていない理科教室などで描いているらしい。上島や騎士が「できたものを見せてくれ」 と頼んでもダメじゃという。

「もうちょっと待っててくれやあ」

「なんだよ、ケチやなあ」

「いやあ、楽しみにしてくれよ」


 日美子の申し出で、紗矢も結局騎士と一緒に住み、学校も一緒に連休明けから出ることになった。猫は上島が引き取った。紗矢は家が狭いので日美子の部屋で一緒に寝ている。食事以外は部屋から出ることはなかった。

 紗矢は大阪からの荷物は猫グッズを除いて筆記用具しかなかった。そして洋服は上島のお古をもらっていた。でも上島の方が背が高いので、袖やすそが長い。日美子が心配する。

「紗矢ちゃん、どれもサイズが違うでしょ」

「そうだよ、紗矢。君の服、いつも上等でキレイだったのに。お母さんがいつも褒めていたよ」

 紗矢は涙をこぼして首を振る。いつも何かしらつけていたヘアアクセサリーもなにもない。あれほど長かった髪も自分で切ったらしい。そしてぼさぼさになっている。

「お母さんが悪いことをして稼いだお金で買ったものはいらない。お母さんが買った洋服はもう着ない。バレエのものも本も全部置いてきた。学校で使うものは仕方がないけど、本当は下着もなにもかも、私自身も全部、取り替えてしまいたいの」

 日美子はびっくりする。

「そないなこと考えては、あかんよ」

 騎士も言う。

「バレエもやめんの? 紗矢は上手やと先生にいつも褒められていたのに」

「ええ、お金がかかるから。わたしは学校が終わったら働くから」

「それはダメ」

 日美子は横からきっぱりと言った。

「紗矢ちゃんはまだ子供ですから働いてはいけません。お勉強をしなさい。でも紗矢ちゃんの気持ちはわかるからお洋服はサイズがあっているのを新しく買ってあげる」

 騎士は悪いことをするから、その子供が苦しむのだと思った。放火をしたのが久志としても、指示した薫が憎かった。ブランド物を誇示していつも母の佐美子を馬鹿にしていたのも思い出すだけで腹がたってくる。でも紗矢には哀れみしかなかった。


 日美子の家では、大阪にいたころのように遊んだりはなかったが、国語や算数の教科書はこれだよと教えたりはあった。紗矢はバレエはやめても、朝夕の柔軟ストレッチは続けていた。でもほとんど言葉は出さず、表情が暗いままだ。

 日美子は騎士だけでなく、紗矢のことをなんでもほめる。昔からいたように、扱ってくれた。それはありがたいことだ。

「髪ぐらいとかなきゃ。これは新品のブラシだからあげる」

 紗矢は日美子からヘアブラシを受け取り、目を伏せて小さくうなづく。でも鏡を見ないで髪をとくのが気になる。バレエレッスン前には鏡の前でストレッチをしながら、髪がうまくまとまっているがよくチェックしていたのに。

 なにかしたいことはないかと日美子が尋ねると、紗矢は猫に会いたいと伝えた。上島の家は道順を教えてもらったのでわかるという。いつでも猫と会えると説明してもらっていた。それで騎士と二人で連休中は梨ゼリーを持って遊びに行き、上島の部屋で発表の練習もした。時には相津の牛小屋の前で集まって相津のイラストの説明も聞いた。やっと見せてくれたアスベストのキャラクターはカラフルな色彩だった。まったくもって禍々しくはなく、キャラクターも笑顔だ。上島がこれを見て心配する。

「公害は楽しい話じゃないけん、塚本先生から怒られるかも」

「これでええんじゃ、どうせ俺はあいつから嫌われているけえ」

 騎士も言った。

「暗い話やから、ちょっとぐらいは可愛いのを見せて和んでもらったらええやん。それに可愛いから、良いものとは限らないとみんなにわかってもらえるやん。すごく上手だし相津はきっと漫画家になれるよ」

「おめえは、ええやつじゃのお。俺のコーラやるけえな」

 騎士は皆に良くしてもらっていると感じた。紗矢は皆の話を聞くだけで黙っていた。

 薫の勤務先の横領や実家の放火事件のことは一時テレビによく報じられていたが、すぐに出てこなくなった。こんなものだろう。誰も何も言ってこない。亡くなった両親やペットのモンドのことを思えば胸が痛むが日常はいつもと同じように時間の流れは速い。




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