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第五話 喘息いじめ

第五話 喘息いじめ


 翌日は早めに登校した。途中相津の姿が低い道路から仰ぎ見えた。相津も騎士を見かけて手を振った。横には杖をついた父親がいて笑顔を向けてくれる。相津は家の仕事を一人前にやっている。えらいなあと思った。教室を入る前に図書室へ向かうとすでに上島と沢村がいた。騎士を見るなり、手招きをする。

「騎士くんは、携帯を持っていないし、おばさんの家の電話番号がわからなくて連絡しなかったけど、あれからちょっと大変だったのじゃ」

「なんやろ」

「ひまりが皆で決めたことをラインで穂乃果に伝えたのじゃ。すると穂乃果に黙って発表のやり方を変えたのが気に入らない。無断で決めるのは許さないって」

 騎士は驚いた。

「あの子は、バレエレッスンで抜けたのだから仕方がないだろう。別に怒らなくっても」

「皆にいじめられたっていうのよ」

「えっ、どうしてそうなるの」

「穂乃果の思い通りにならないと、それはいじめになるらしい」


 騎士は沢村が例の「石の肺」 を持っているのに気づく。背表紙の下に番号が書かれたシールが貼られている。

「あ、その本、誰か返しにきたのだね」

「それが塚本先生だったの。先生なのに貸出手続きもしないで、持って行っちゃうなんて。でも返しにきてくれてよかった。私が返却するところを黙って見ていたら、先生ったら本を乱暴に本棚に戻してそのまま出て行ったの。本が傷んでしまうからイヤだったな」

 そこへ穂乃果が速足でこちらに向かってきた。なぜか相津と沖田を従えている。そして「沢村と上島、塚本先生が探していたわよ。だから二人とも早く行きなよ」 と命令した。二人は怪訝そうな顔をして職員室に行った。

 穂乃果は、騎士を振り返ってにらみつける。それから図書室のすみに騎士を誘導して、腕組みをした。顔からして怒っているのがわかる。でも怒られる筋合いはないだろう。相津はどことなく、おどおどしていて朝に見かけた笑顔がない。沖田も一緒だ。

「騎士くん、ポケットの中にあるものを出して。ほら、あの吸入器を見せてちょうだい」

 なぜだろうと思った矢先、相津が騎士のポケットをまさぐり、青い色をした吸入器を取り出した。そして穂乃果にそれを渡すと穂乃果はL字型容器の下部についたふたをはずした。そして容器を上下に軽く揺すってからしゅっとボタンを押した。それで吸入器の薬が一回分空中に無駄に飛んだ。騎士は「何するんや」 と叫んだ。穂乃果は吸入器を相津に渡して、あごを向けた。相津は、首を振った。

「それはさすがにまずいじゃろ」

「なんですって? じゃあ、お前はいらない。沖田がやりなさい」

 沖田が相津から吸入器を取り上げた。それから無表情で沖田はシュカシュカと吸入器の薬液を抜いていく。穂乃果がやってみせたように。こんなときにもし発作が起きたらどうなるのか。沖田は騎士から顔をそむけながら、穂乃果に質問をする。

「薬を全部出しちゃっていいのね」

「ええ」

「そうしたらまた仲良くしてくれるのね」

「もちろん、席も隣においでよ」

 騎士はすぐに吸入を取り戻そうとする。

「やめろったら!」

 とたんに口の中一杯に空気の塊が押し込められ感覚になった。息が吸えない。苦しい。空気が見えない。まだシュカシュカという音が続く。

「や、やめ……」

 穂乃果は床に臥せた騎士のそばでしゃがんだ。

「これが欲しかったら、次からは私の言う通りにしなさい。これからはわたしのいうことだけを聞いて。上島のいうことなぞ、聞いてはダメ」

「……」

「言うことを聞かないのだったら、中身はゼロになってあんたは死ぬ。それでもいいの」

 騎士は苦しい息の中、かろうじて首をもちあげて沖田と相津を見る。相津も騎士から目をそらしている。仲良く話をしていたのに、なんてことだ。なぜ穂乃果のいうことを聞くのか。

 穂乃果は騎士の耳元まで口元を寄せてささやく。

「あんたは私のグループでしょ? 私と発表内容を決めないといけなかったのに上島なんかと仲良くしてどういうつもりなの? あんたも沢村も許さないからね。これはあんたへの罰よ」

 なぜ罰を受けるのかはわからぬ。穂乃果は、騎士が関与して日美子に引き合わせて発表テーマが変わったのが気に入らなかった。だから罰になるのか。しかし声は出せぬ。

 やがて横たわる騎士の口の中にメプチンエアーの容器が突っ込まれた。騎士は震える手で、口から吸入器を取り出し、呼吸を整えてゆっくりと吸入した。まだ話せない。だが空気が楽に吸えるようになった。吸入液がまだ残っていてよかった。カウンターを見たら数字が赤くなっていて「2」という目盛りにまで減っていた。この薬は一本で百回分吸入できるのに……なんてひどいことをするのだろう。相津と沖田は穂乃果になぜ言いなりになるのか。


 騎士の頭からまた言葉がかかった。

「あんたは沖田と交換じゃ。それと沢村も私のグループにいらない。竜巻あたりと交換ね。わかったわね」

 穂乃果と沖田が仲良く手をつないで図書室から出ていった。入れ替わりに上島と沢村が大丈夫かと駆け込んできた。騎士が座り込んでいるところに相津も座ってうなだれている。騎士は相津に質問をした。

「ぼくがこれを吸入できなくなったら、もしかしなくてもぼくは死んでしまうんだよ」

「……ごめん。あいつのいうことを聞かないと、ぼくのお父さんの怪我を診察しないってさ。おばあちゃんの薬も出さないって。ぼくの家は家族全員が兆章病院にかかっているから……兆章町には病院は穂乃果のところしかないのじゃ」

「でも、それって」

 事情を察した上島は大きなため息をついた。沢村が言った。

「穂乃果はいつもそれよ。お父さんがお医者さんって自慢に思うのはいいけど、いうことを聞かないとお父さんの病院に来てはダメとか、診察してあげないとかすぐに言う。それで皆恐れて言うことを聞いている」

上島は笑った。

「病人を選別するのは差別よ。穂乃果は病院に勤めている親がいれば友達になってあげる。でも女王気取りで命令する。それ以外はゴミ。おかしいでしょ。でも塚本先生もそうなのよ。穂乃果の言いなり、機嫌取り。わかるでしょ。大人がそんな態度をとるのだもん、子どもだってそうなるよ」

 相津は涙を流していた。騎士は、もう一度呼吸を整え、ゆっくり起き上がって相津の涙を手で拭いてやった。

「もう大丈夫やから、泣きなや。それに家に帰れば同じ吸入薬が、もう一本あるから。次の診察まで間に合うよ、多分ね」

 教室に戻ると、騎士の席と沖田の席がすでに交換されており、穂乃果の横には沖田が座っていた。そして沢村の席も移動していた。竜巻とやらと席を交換したらしい。竜巻も穂乃果の病院に世話になっているか何かだろう。黙って移動していた。

騎士は新しい席に行った。一番後ろの出入り口の近くだ。相津と隣でそれはそれでいい。そもそもこの席が本当の騎士の席だった。。

 相津は騎士に対して遠慮がちだったが、やがて元通りの態度になった。そして一枚の小さな絵をくれた。昔風の着物を着た子供が笛を吹いている。

「この町の天女伝説の絵じゃ。お母さんの天女が飛んでいなくなってしもうたんで、泣きながら笛を吹いて呼び戻しちょる」

「うまいじゃないか」

 絵を裏返してみると「ごめんなさい」 と下手な字で一言だけ書いていた。騎士は許した。


 発表日が近づいてきた。昼休みには、皆で固まって社会の教科書を広げたり、画用紙に図形を書いたりしている。相津も黙々と絵を描いていた。女性キャラのままにするかで揉めたが結局可愛いからという理由でそのままになった。

「さえきかずみ、ちゅう作家もこんな田舎まで聞きに来ないから大丈夫」

 意外と可愛らしく出来上がり、他のグループの皆も相津の絵を見に来て褒めたりしている。

 やりにくいのは穂乃果で、ずっとむくれていた。上島が穂乃果を説教した。穂乃果は上島に反論したいようだが、どうにも分が悪い。ただ穂乃果が決めた発表会のメンバーと席の交換は、騎士も沢村も異論がなく、そのままにした。そして発表も別々にする。それでよかった。

 穂乃果のグループは元からいたきくちゃん、桃ちゃん、それに沖田と竜巻になった。騎士と沖田とトレードだ。そして沢村も竜巻とトレードだ。穂乃果の隣の席に戻った沖田だけが笑顔でいた。しかし穂乃果はこう言ってのける。

「沢村は事務員の娘のくせに生意気じゃ。じゃから追放した。沖田の親はケアマネージャーじゃけど、あたしの言うことをちゃんと聞くからな。元通り仲良くしてやるわ」

 沖田の顔はさすがに曇り、従兄弟の前川から「お前は何様じゃあ」 と怒られるぐらいだった。

 もちろん騎士も穂乃果を嫌いになった。あそこまで人を使って、いじめをすることはない。騎士は穂乃果には笑顔は見せないし、話しかけもしなかった。


 穂乃果が相津と沖田に命じて騎士にやってことはクラス中に広まっていた。空気が変わったのを感じる。しかし穂乃果は気づいていないようだ。騎士は塚本先生のようにクラス全員が穂乃果の言いなりになると心配だったので安心した。穂乃果がお手洗いに立っている間に、沢村が言う。

「いじめも公害と一緒よ。だって、ほら、公害の元になった会社に訴えても、最初は相手にされなかったとあったでしょ。どうも、大人の世界ってそんなものらしいね」

 上島も言葉を継ぐ。

「じゃから私はお父さんのように大人になったら弁護士になろうって決めた。弱い者の味方になったほうが、やりがいがありそうだから。お父さんはいつも言うわ。世の中はやったもの勝ちではないって。あ、そうだ。騎士、今度お父さんがおばさんに会わせてって」

「どうして」

「アスベストによる喘息が本当ならお役に立てるかもって、だから話を聞かせてほしいみたい」

「わかった。ありがとう」



 その夜、上島が約束通り、父親を連れてやってきた。弁護士というとお金持ちのイメージを勝手に持っていたが、意外と普通の人だった。上島とよく似た丸っこい眼鏡をかけている。多分上島がこのお父さんのことが好きで似た眼鏡を買ったのだろう。

 果たして日美子は喜んだ。上島のお父さんは名刺を渡し、できるだけのことはしますので、各種の委任状にサインをしてくださいと言った。そうしないと、弁護士でも日美子の前の住所や戸籍をみたりできないそうだ。

「でもお金が、あんまりなくて」

「大丈夫です。補償金がもし取れたら手数料として一部をいただきます。取れなかったらそのままでいいですよ」

「なんだかすみませんねえ」

「お話を伺う限りは、アスベストによる喘息が証明される可能性がゼロではない。じゃから、書類の整理だけはやっておくべきです。これも仕事のうちですから気にせずに」

 騎士と上島とは、大人たちが会話をしている間、梨ゼリーとジュースを飲んでいた。


 そこへ、表で車が止まる音がした。台所の窓からすかし見ると大型トラックだ。鈴彦だとわかった。インターホンが鳴り、騎士が出た。

 鈴彦の後ろに紗矢がしょんぼりとした様子で立っていた。髪が短くなって洋服もぼろぼろになっている。ランドセルと、そして猫を入れたケースを持っていた。そこへもう一台の車が来た。白い自家用車でそれにも見覚えがある。すみれのものだ。あとに続いてきたすみれも、うなだれている。



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