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第三話 アスベストの存在を知る

第三話 アスベストの存在を知る


 放課後になった。ホームルームと教室の掃除が終わると、帰宅する前にグループ発表の件で、五人が集まった。

 穂乃果が先に口をきった。

「私はバレエレッスンがある。鳥取市まで往復は車で行くのじゃ。バレエが終わったら、家に家庭教師も来るけん、いそがしい。じゃから先に帰る」

 そう言うとさっさと帰った。穂乃果には新しいことを調べるという意気込みが全くなかった。

 騎士を入れたグループ五人の中では、沢村が一番の読書家のようだ。

「調べ物をするときはね、図書室に行くのよ。わたしは、下校時間まで、ずっといてられるよ」

 それで残ったメンバーで図書室に行ってみることになった。桃ちゃんときくちゃんは、大げさにため息をつく。どうにも、興味がもてないからだろう。案の定「用事があるので、ちょっとだけ見て帰る」 と言い出す。その言葉通り途中でいなくなっていた。

 騎士は日美子のやせた胸を思い出した。鳥取は大阪より肌寒くて、まだ長袖のセーターを着ている。しかし日美子おばさんの胸は呼吸するたびに、細かく上下する。肺の中に、アスベストの細かいかけらがあるから、そうなると言った。いったい、アスベストってなんだろう。カドミウムや有機水銀と一緒で一度体に入ったら、取り出せないのか、だから公害って言われるのか。でもアスベストが教科書に乗らないのはなぜだろう。人数が少なくてめずらしいからだろうか。

 

 図書室は、学校の二階の一番はしにあった。入り口の案内図と天井からつるされたプレートで本が置かれているジャンルがわかる。

 奥側に「環境かんきょう」 と書かれたプレートの下にクラスメートが固まっていた。前川が沢村を見かけると、訴えるようにしていう。

「沢村は図書委員じゃろ。水俣病の本が全然ないぜ? ぼくらは水俣病グループじゃのに、困るよ」

 沢村がささっと本を探した。

「これならあったよ」

「小説じゃん。しかも分厚いし、もっと困るよ」

「これ、水俣病の小説だよ。この本は、苦海浄土……くかいじょうどって読むの。めちゃくちゃ有名な本だよ。教科書にもこの題名が出ていたと思うけど」

「いしむれ、みちこ、か。小説はめんどくさいよ」

「あとは歴史漫画コーナーかな。近代のあたりで、公害も漫画になっているはずよ。それを読むのが一番わかりやすいかも」

 数人が、入り口すぐにある漫画コーナーに行った。その中には大柄の相津もいた。騎士は、沢村が目当ての本をすぐに探し当て、アドバイスもできているのに驚いていた。

「沢村さんは本が好きなん?」

「ええ。わたし、ここには昼休みも放課後もいるわ」

「もしかして、さっきの苦海浄土っていう本も?」

「ええ。予習のつもりで全部読んだわ。難しいところはお父さんに聞いたし」

「そうなんだ」

「お父さんも本が好きだからね」

 騎士は亡くなった父の顔を思い出した。父の長志は、本はあまり読まなかった。スマホの中のゴルフのゲームをしていたのを思い出してチクリと胸が痛んだ。きくちゃんが沢村に聞く。

「それでアスベストの本は?」

「ここにも、あったと思う。まだ読んでないけど。パソコンで検索してみようか」

 パソコンの前にはすでに人がいた。上島だ。沢村を見て笑顔で話しかけてきた。

「ひまりちゃん、聞こえたよ。アスベストの本は難しそうだけど小説で検索したら、さえきなんとかって人の本が一冊だけあるよ。でも在庫がゼロになってる。誰かが借りたか、借りっぱなしかどちらじゃな」

 沢村が、ひまりと呼びかけられてはずんだ声を出した。

「ここあちゃん、さすがねえ。題名は?」

 上島は「ここあ」 という名前らしい。

「題名は?」

「いしのはい―アスベスト禍を追うってある」

 すると桃ちゃん、きくちゃんが同時に呻いた。

「題名から難しそう、いしむれみちこより、めんどくさそう」

「そんなの読まなくても、パソコンで検索して適当に発表できるのでは」

 騎士はパソコンを除いて「いしのはい」 が「石の肺」 とわかった。

とたんに胸の中にある肺が石のように固くなっていくイメージが湧いた。肺が石になれば、呼吸ができない。騎士は逆にこの本を読もうと決めた。

 沢村と上島は真面目に話をしている。二人とも相当な本好きらしい。

「誰が借りたのだろう。借りっぱなしだったら困るから司書の先生に相談しないと」

 相津は歴史漫画本を片手に騎士に「男でバレエやってんのはめずらしいな、そこで踊ってみせろよ」 と言った。騎士が「もうやめたよ。だから、全部忘れた」 というと「うそつけ」 と笑う。

 相津は上島から「図書室はバレエ踊ってもらう場所じゃないでしょ」 と怒られてしょんぼりした。上目遣いで「ごめん」 と小さい声で言うので騎士は笑って許した。

 結局図書室では、話をまとめられないことがわかり、それなら騎士が日美子の話を聞いてみると提案した。すると沢村と上島が興味を示して、一緒に聞いてもいいかという。騎士は、皆と一緒の方が逆に聞きやすいかもと思った。携帯電話の番号を知らないし持っていない。これから許可なしで行くのもどうかと思ったが、もし日美子の具合が悪そうだったらすぐに帰ってもらうことにした。


 それにしても、転校して最初の授業でアスベストという言葉に接するとは思わなかった。そして授業の一環として調べ物をするのはチャンスだと思った。なぜなら日美子は、最初の自己紹介で、アスベスト喘息で咳をよくするけど、大丈夫やから心配せんでええよ、と言ったからだ。

 日美子おばさんの家は、狭く古かったが、居心地の良さは感じる。それは窓から見える鳥取の山と、大阪ではスズメ以外は聞くことのない野鳥の鳴き声が聞こえてくるかからかもしれない。それと、日中は家の周囲の田んぼからカエルの鳴き声がする。

 兆章町では、田植えは早くも終わっていて、カエルたちの楽園になっている。げこげこげこげこ……永遠に続くカエルの声は、耳に響くが不思議とイヤではなかった。

 もっとも家に引き取られて最初の日は、布団から出られなかった。寝てばかりいたが、日美子は何も言わなかった。ご飯は食べられる? の日美子からの質問にも黙っていた。

枕元にラップでくるんだおにぎりと、ジュースやお茶のペットボトルとカップに入ったゼリーとスナック菓子の袋が置いてくれている。騎士はゼリーを食べてみた。鳥取名産梨ゼリーとあり、その美味しさに驚いた。みずみずしくて、あっさりしていて食べやすい。

 おばさんは、隣の台所で長い間、電話で会話をしていた。その声は弱弱しくしゃがれていた。時折ケホケホと咳こむ。

「そうなの、大変だったのね。何もしらなくてごめんなさいね……いえいえ、預かる分は平気よ……」

「喘息の持病が、あるのね。薬? そりゃあ、大変。薬がなかったら騎士ちゃんが困るね。そうや、わたし、明日大学病院の受診予約日だから一緒に連れて行こう……」


 日美子が悪い人ではないのは、すぐにわかった。騎士が目覚めた朝が初対面だったが、日美子は、騎士を見るなり顔をくしゃくしゃにして泣き出したからだ。空になった梨ゼリーの容器を手にとって、食べたか、よかったぁ~と小さい声で泣く。額と目じりのしわが深い。

「騎士ちゃんも私と一緒で喘息やてな、明日病院へ行って薬をもらいに行こうかねえ」

 日美子の背は身長百六十五センチある騎士のそれより、ずっと低い。小柄でやせていて、背中がまがっていて弱弱しく見えた。騎士はどうしてよいか、わからず、また布団をかぶって寝た。  


 次に目覚めたときは、部屋が真っ暗で、窓から半分になった月が見えた。カエルの声が耳をつんざくように聞こえる。騎士は布団の上に座ったまま、枕元を見たら、梨ゼリーがまた置いてあった。それを食べ次にラップに包んだおにぎりを食べた。そのおにぎりには、しゃけが入っていて、外から見えるぐらいにはみ出していた。美味しかった。それから、お茶のペットボトルを一本飲みほしてから、また寝た。翌朝、ぐしゃぐしゃになったラップを見て、日美子は喜んだ。ジュース飲める? やっぱり子どもは炭酸が好きかな、コーラのほうがよかったかな? と小声でつぶやいて、楽しそうにする。

「紅茶もあるで? わたしは紅茶が好きなんや。今日の朝ごはんは、パンを焼いたけど、バターがいい? いちごジャムもあるけど、なにがええ?」

「……なんでもいいです」

「あっ、返事してくれた。今日は病院へ行こうね。薬、いるやろ? それと洋服や筆記用具も買わないとね」

 喘息の発作予防の薬がなかった。吸入薬一本だけでは危ない。騎士はうなずいた。

 それで日美子の家を出て車で片道一時間かけて県立病院へ行った。介護士の付き添いがいた。車も運転手さんもついていた。

 その朝、インターホンが鳴ったかと思うとすぐに部屋に入ってきた介護士は、おばあさんだった。騎士を見てすごく驚いていた。

「ええっ日美子さん、あんた、子どもがおったっけ?」

「この子は大阪の親戚ですねん。名前は騎士と書いてナイトと読む。ちょっと事故があって、両親を亡くされたばかりなんや」

 というと、そのおばあさんは、「大変じゃったな」 と言ったきり、なにも質問しなかった。そして「箕浦」 と名乗り、日美子について、週に一度の訪問看護と、月に一度の病院の診察に同行していると伝えた。そして教育委員会に知り合いがいるので、すぐに学校に入れるように手配をしてあげると言ってくれた、

 病院へ行く前に銀行にも寄った。日美子はもうそれだけで疲れたようだが、騎士に優しかった。

「大阪から見たら、このあたりは、山と田んぼばかりやろ。それでも、結構住みやすいところやで。私は空気がええから、大阪よりこっちのほうでずっと長いこと暮らしているねんで」

 箕浦は、騎士の診察に関しては業務外だ。受付で紹介状が必要だと言われて困っていた。騎士は阪大病院に三か月に一度通院していたので、それを伝えた。日美子と箕浦は、あちこちに電話してくれた。看護師のすみれおばさんとつながったらしいが、火事で薬手帳どころか何もわからないと答えたようだ。

 次にすみれと、病院受付の人が箕浦の携帯で話し合った。結果として、万一発作が出たら怖いからといって、受診が許可された。呼吸器内科にまわされ、かなり待たされたが肺のレントゲン撮影と呼吸機能検査と血液検査をされたのち、診察してもらえた。そしてメプチンエアーが出た。

 いつものメプチンキッドエアーではなく、大人用だ。

「きみ、年の割に背丈があるけん、もう大人用でも大丈夫じゃろ」

 威厳ゼロな童顔の医師からそう言われて、騎士はうなずいた。

帰宅するときは、箕浦がいなくなって、推入と名乗る別の介護士のおじさんに変わっていた。行きの時の車も違っていて運転手も別になっていた。日美子は、説明する。

「私は介護認定というものを受けているので、こういう制度を利用して助けてもらっている。でも時間決めで利用してるんや。今日はえらい時間がかかったので向こうも交代や。騎士ちゃん、しんどくないか」

 帰り道に、推入は、日美子に小学生なら小児医療で、後で申請したら無料になるから手続きしんさいよ、と説明していた。また騎士に向かっても、学校の手配は箕浦がやると言っていたから何も心配するなとも。

 日美子は騎士よりもずっとしんどそうだった。杖をついて歩くが、常に肩が上下していた。衣料品店によったが、一万円札を渡して「好きな服と下着を買っておいで」 というだけで、顔をふせている。

 騎士はいいよと断ったが、推入が「ずっとここで暮らすのじゃったら、買っておきなさい。学校の通学にも必要じゃあ」 という。騎士はもう大阪の両親がいた家も、慣れ親しんだ故阪小学校も二度と行くことはないのだと思うと哀しくてゆっくり選ぶどころではない。そこは衣料品店というよりドラッグストアで、筆記用具もそこで、そろえられた。とはいっても選ぶほど種類はないし、騎士も適当だ。服も騎士は試着もせず、サイズだけ確認して買った。

 その夜、日美子は、居間のソファに横になりながら、騎士に教えてくれた。おばさんの肺の中にアスベストの小さな粉が入っていて、それで上手に息が吸えないのだと。これは生まれつきでなく、小さいころにおばさんのお父さんがアスベスト工場の近くで住んでいたから、知らずして吸い込んでいた。年をとってからこうなったと説明した。  

 騎士はアスベストの言葉すら知らない。自分の喘息と種類が違うものとだけ理解した。そもそも騎士の喘息だって、原因はわからない。

 でも日美子のそれは、生まれつきのアレルギーではない。粉というからには騎士より大変そうと思った。その粉は水かなにかで流せないのだろうか。それよりも、こんな体の弱そうな人とこれからも、ずっと一緒に暮らさないといけない。

騎士は、日美子をかわいそうに思った。騎士がシンクに置かれたままの食器を洗うと、日美子は「そんなことせんでええよ、でもありがとう」 と何度も御礼を言った。




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