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氷の中のクオリア

作者: 鈴木りんご


「体に何か問題はありませんか?」


 白い壁に囲まれた六畳の個室。


 私はベッドの横にあるイスに座って、ベッドの上で足を組んで座っている男に話しかけた。


「大丈夫です。まだ本調子ではないですが、良くなってきてはいます」


「それはよかった。記憶はどうですか?」


「問題ありません。思い出せます」


「では、あなたのお名前は?」


「千葉浩太郎です」


「年齢は?」


「四十一歳です」


「生年月日は?」


「明治二十三年、七月十二日です」


「ご家族のお名前は?」


「父は慎太郎。母はトメ。姉がマヤ、兄が勇太郎。妻が沙耶で息子が慎蔵と慎平です」


「なるほど……ご自分が意識を失ったときのことは覚えていますか?」


「そのときのことは思い出せません。猟で山に入ったことまでしか覚えていません」


「そうですか」


 それから更に十五分ほど質問を繰り返してから、私は彼の部屋を出た。


 そして考える。


 違和感があった。


 彼は私の質問に淡々と答えてくれた。


 そのことに私は大きな違和感を覚えた。


 彼がいた部屋は病室のようではあるが、ここは病院ではない。


 ここは私の働く会社の中にある研究施設だ。


 私が働く会社の名前はスイートドリームス。世界で唯一コールドスリープを実現した会社で、現在すでに医療目的に限って最長三年間のコールドスリープを提供している。


 ちなみに医療目的というのは、臓器移植をしなければ死んでしまう患者がその順番を待つ間、コールドスリープするというものだ。


 長期利用のコールドスリープも理論的には問題ないのだが、現在動物実験中で結果がまだでていないため、提供は認可されていない。


 そもそも長期利用の動物実験は、その実験自体が長期的なものとなってしまう。百年間コールドスリープを施しても安全かどうかを実験で確認するためには百年かかってしまうのだ。


 私は今、四十歳。私が生きている間に証明可能なのは、せいぜい五十年間が安全かどうかまでだろう。


 そんなうちの会社に、彼についての依頼がきたのが一ヶ月前だった。


 それは依頼がくるより二ヶ月ほど前からニュースなどにも取り上げられて話題になっていた、大雪山の永久凍土の中で氷漬けになって発見された男をうちの技術を使って解凍してほしいというものだった。


 うちの会社の社長は話題作りになると、主任研究員である私の確認もとらずにその依頼を受けた。


 そして今から三日前、彼はうちの研究施設で解凍された。


 ただそれは解凍であって蘇生ではない。


 彼がどんな状況で氷漬けになってしまったのかはわからないが、その過程で血管や臓器や脳に深刻なダメージを負っていたはずで、どれだけ丁寧に解凍したところで息を吹き返すはずはなかった。


 しかし彼は蘇った。


 それは現実的にはあり得ない、まごうことなき奇跡だった。


 そして蘇生から二日目で彼は意識を取り戻し、三日目の今日にした会話が先ほどのものだ。


 会話の内容には問題はなかった。しっかりとやり取りできていたし、整合性も取れていた。


 しかし私は違和感を覚えた。


 それこそそれは彼が蘇生したことよりもずっと異常なことに私には感じられたのだ。


 だって彼は百年近くの時を越えて蘇生した。それは百年先の未来にタイムトラベルしてきたようなものだ。


 彼が今使っているベッドも、彼のいる部屋を照らす照明器具も部屋の壁に取り付けられたテレビも窓の外の光景も、そのどれもが本来彼にとっては驚愕の対象であるはずなのだ。


 それなのに彼は取り乱すこともなく平然としていた。


 それだけではない。彼には妻や子供がいたという。だったなら私にもっと家族のことを聞くのが普通ではないだろうか。


 しかし彼は私の質問に答えるだけで、一度も私に質問はしなかった。


 彼との会話はまるで心や感情のないAIと会話しているような感覚だった。


 彼にいったい何があったのだろう。


 ただ彼はすでに様々な検査を受けていて、身体や脳に大きなダメージや異変はなかった。


 だから実は彼が宇宙人だったり、未知の寄生生物に寄生されているようなSFホラー的な展開はないはずだ。


 だったら、どうしてなのだろう……


 私は考える。


 彼は生来感情の乏しい性格で、もともとああいった感じの人物であったのだろうか。それとも百年冷凍されていたことが彼になんらかの影響を与えてああなってしまったのだろうか。


 これはこれから長期的なコールドスリープの運用を目指していく私にとっても重要な事象だ。


 さらに私は思索を続ける。


 そういえば、彼は一度も私や俺などという一人称の言葉を使わなかった。


 そしてふと私は思い至る。それはとても恐ろしい仮説だった。


 逆にどうして今まで誰も思い至らなかったのだろう。


 コールドスリープは身体に問題はない。


 しかし……魂や心といった存在にはどうなのだろう。


 もし体だけでなく、魂や心といったものにも寿命があったとしたら……現在でもあると信じられていながら、観測されていないそれが、身体と違ってコールドスリープによって保存できるものではなかったとしたら……


 移植の順番を待つような長くてもせいぜい二、三年のコールドスリープは問題なかった。


 しかし長期的なものとなるとどうなのだろう。まだ実験の結果もわからない。


 もしかすると百年後に解凍された実験用のマウスたちは身体的には問題なくとも、心を失って無気力になっているかもしれない。


 それはクオリアのない哲学的ゾンビといわれるものに似ていた。


 クオリアとは何か……


 哲学や心理学は私の専門分野でないのでそこまでくわしかはないが、クオリアは感覚的な意識の経験のことだったはずだ。


 日本語では感覚質とも呼ばれる。


 例をあげるなら、夕焼けの赤い感じ。そう重要なのはこの感じという部分だ。


 視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感と過去の経験を伴って心で感じるそれがクオリアだ。


 もしそのクオリアが器官であるのなら、心で感じる心覚とでも呼ぶべき存在だろう。


 心が何かを感じるために必要な感覚器官。もしそれがクオリアで、長期間のコールドスリープがクオリアを破壊してしまうのなら、例え心が無事であったとしてもその心はもう何も感じることができない。


 私の作り出したコールドスリープがこの世界に哲学的ゾンビを作り出してしまうかもしれない。そう考えると自分のしていることが怖くなった。


 しかしだからといってここで研究を、歩みを止めることはできない。


 逆に考えれば、私はコールドスリープ開発の副産物として、世界で初めて心の存在やクオリアを証明できるかもしれないのだ。


 恐怖と期待で胸が躍る。


 さぁ、歩み続けよう。


 答えはその先に、きっとある。


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