89.タカ奪還作戦
――夢を見ていた。
ここは。ここはどこだろう。
白いベッドとカーテン……。
そうだ。ここは病室だ。
俺の目線は、低い位置にあった。
俺は8歳。小学3年生。
「おい高俊、ちょっと来いよ」
背後に立つ親父は、微笑んでいた。
ただし、その腕には赤ん坊が抱かれている。
「可愛いだろ。母さんが頑張って産んでくれたんだ。高俊の弟だぞ」
親父はずっと微笑んでいた。
でも、とても悲しそうだった。
俺は赤ん坊に視線を落とす。
赤ん坊は、穏やかに眠っていた。
「っ……!」
親父が赤ん坊を差し出すのに、俺は慌てて身を引く。
そして赤ん坊の顔を、思いっきり叩いた。
「高俊!?」
「弟なんかいらない! 僕には、僕には……っ」
赤ん坊は激しく泣き、俺もむせび泣いていた。
「お前なんか、生まれてこなければよかったんだ!」
俺は走って病室を抜け出した。
親父の呼ぶ声も、赤ん坊の泣き声も聞こえないふりをした。
暗く長い廊下をひたすら走り、行き止まりの扉を開ける。
俺の部屋だった。
だが、家具は散乱し、ガラスの破片が床に散らばっている。
左手に、水が流れる感覚があった。
見ると、左腕の袖が血で真っ赤に染まっている。
痛みは感じなかった。
ただ何も考えることが出来ず、指の先から血が流れ落ちていくのを、ぼんやりと見つめていた。
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深夜2時前。
ひかるたち4人は、会話も少なくどうにか廃工場からさくら号へ辿り着いた。
和室の電気を付け、皆バラバラにベッドや畳の上に座る。
しばらく放心状態で、誰も口を開かなかった。
「……みんな」
ひかるは畳に正座し、頭を下げた。
「本当に本当に、ごめんなさい……」
3人は、黙ってひかるを見ていた。
「おれもタカも、もう言わなきゃって思ってた。それで今日が無事に終わったら言おうって、約束してたんだよ。だからタカも、悪気はなくて……」
「何で『今日が無事に終わったら』なんだよ。順序がおかしくねーか?」
まさかりさんが苛立ちを隠さずに言う。
ひかるは俯いた。
「あんだけ『お前らの中に裏切り者』がいる、だけど『俺の事は信じろ』って言っておいて。
自分が一番とんでもねぇ隠し事してたじゃねぇか。自分の名前を隠すって……。オレたちの事信用してなかった何よりの証拠だろ? オレが何度も『高英』って呼ぶのに、アイツは何も思わなかったのかよ」
「……」
「お前ら2人、同郷で引っ越した時期も同じで歳も近いって、ここ来る前から顔馴染みだったって事は、もうオレらも気づいてるよ。
ひかる、今ここでお前が知ってる事全部話せよ。じゃなきゃお前も共犯だぜ?」
「……おれが嘘ついてた理由から話すね。
タカはね、お父さんの事が大好きだった。だけど国会事件の後、お父さんが死んだ事と、他にも色んな辛い事や許せない事が重なって……。真冬の海に飛び込んで、本当に死のうとしてた」
「!」
3人は息を呑んだ。
「それをおれがたまたま通りかかって止めたんだけどね。でもその時おれはタカの事を何も知らなくて、何もしてあげる事が出来なかった……。それが悔しくて、何でもいいから力になりたくて、さくら号まで追いかけたんだ。
だからね、おれが性別と名前嘘ついたのは、元はタカにバレないようにする為で……。すぐにバレちゃったんだけど」
ひかるはまた、頭を下げた。
「みんなにも、もっと早く言うべきでした。本当に本当に、ごめん」
「……ひかる」
エリンギが口を開いた。
「あノ、言いにくいんだけド……。ひかるが女の子って事は知ってたヨ……」
「え、えぇ!? 何で!?」
「何でっテ……カワイイかラ……」
「っ……」
ひかるは赤面して俯いた。
「おいエリンギ、口説くな。今ボケる空気じゃねーだろ」
「ゴメン。あ、安心してネひかる。無駄だってのは分かってル」
「う……」
「ボクらこそ黙っててごめんネ……。デモ、さくら号に住む理由が彼にあるって事は、薄々分かってたかラ。まあだとしてモ、彼と一緒に名前嘘ついてたのは許されないけド……」
「……うん。そうだね……」
「ひかる」
今度はじーさんが口を開いた。
「長井の言ってた事は、何が嘘で何が本当じゃ?」
「……タカの名前以外は、全部嘘だよ」
「糸原くんが裏切り者って事も?」
「ない! 絶対ないよ!」
「彼のお父さんが長井を殺そうとしておったのは事実じゃろ。彼の最終的な目的は、長井の言ってた通り父親が出来なかった事を果たす、ではないのか?
わしらはそんな目的の為に、彼と一緒にダークをしとった訳じゃない。長井を殺す為にわしらも利用されとったんじゃないかという疑惑に、わしらは怒っとるんじゃよ?」
「ダーク結成の時に言ってたよね。『人は絶対殺さない』って。その約束は絶対だよ」
「どうしてそう言い切れるんじゃ」
「お父さんが長井を殺さなかったから、自分もやらないって言ってた」
「じゃあそもそも、何故お父さんは長井を殺そうと国会に侵入したんじゃ?」
「それは……」
ひかるは、口を噤んだ。
一瞬『知らない』と言おうとしたが、もう、嘘を重ねる事はしたくない。
「タカは……、自分の口から説明して謝りたいって言ってた。おれもそうすべきだと思うし、おれからは言わないってタカと約束した。だからタカの事は、これ以上おれからは……」
「こんな非常時でもかよ」
まさかりさんは眉間にシワを寄せて言った。
まさかりさんが怒るのも分かる。
板挟みになっているのが辛くて、ひかるは泣きそうになった。……だけど、やっぱり譲れない。
「うん……ごめん……」
「アイツがここに戻って来れる保証もねぇのに? アイツか長井が全部喋って、明日オレ達も捕まる可能性だってあるのに? アイツがオレたちの事を庇って、帰ってくるのを待ってろって言うのかよ?」
「待つんじゃないよ。おれたちの力で連れ戻す」
「ジョーダンじゃねーぞ、ひかる。分かってんのか? オレらの中でアイツ――糸原高俊の信用はもう、ゼロだぜ!? 裏切り者の疑惑もあるのに、どうやって信用しろって言うんだよ!?」
「それにもウ、あの国会事件の動画ってもう一度流せるノ? 彼も一撃必殺の手段って言ってたよネ? それがダメだったって事ハ、もうダークしても長井を倒す手段が無いんじゃないノ?」
「それでも、タカをここに連れ戻そう」
ひかるは、強く言った。
「タカは諦めないよ。絶対に何か考えてる。今までだってタカが居たから、ここまで来れたんじゃん。タカが『もう無理』って言わない限り、おれも諦めない」
「……」
まさかりさんもエリンギも、ため息を吐いて項垂れた。
じーさんだけ、苦笑いした。
「全く、ひかるは強情じゃのう」
「うん。おれはタカを信じるから」
「わかった。じゃあこうしよう。まずは糸原くんをここに連れ戻す。わしらも捕まらんように立ち回る。
その後、糸原くんを煮るなり焼くなり好きに問い詰める。……羽ペン拷問が効いたのは立証済みじゃし」
「アレはこういうシリアスな場面で使う技じゃねーよ……」
「その時、彼の事を許す許さんかを決めれば良いじゃろ。だからまずは、ひかるの言う通りここに連れ戻そう。どうじゃ?」
「……」
「それにこのまま何もせんのは、余計に長井の思う壺じゃろ」
「それもそうだネ……」
エリンギが手を挙げた。
「じーさんに賛成するヨ……」
まさかりさんは、また大きく息を吐いてひかるを睨んだ。
「ひかる、本当にもう喋る気はねーんだな」
「……ごめん」
「はぁ、分かったよ。その代わり、アイツが帰った時に謝罪の言葉がなかったりまた嘘ついたりしたら、オレはアイツをまた警察に突き返すからな」
「大丈夫。絶対言うよ」
――昨日の夜、タカが勉強を教えてくれたあの夜。
タカがあの時眠れずに起きてきたのも、ココアをおれに作ってくれたのも。
おれに本音を吐きたいくらい、タカだって色々不安やモヤモヤがあった筈で。……本当はもう、全てを言いたそうにも見えた。
あの時タカの言った事に、嘘はなかった筈だ。彼はもうきっと、ここに帰ってきた時は強がったりしない。みんなにも素直に曝け出すハズだ。
ひかるは大きく息を吐き、気丈に言った。
「やるよ、タカ奪還作戦。絶対成功させよう」
「了解」
「おぅ」
「うン」
「……」
「……」
「……デ、何からすれバ……」
全員がずっこけた。
「やっぱ司令塔がいないと調子狂うの……」
「あ、待って」
ひかるは棚をあさり、一枚のノートを出した。
「それがあった!」
「そう……、今はこれを頼るしかない、よね」




