74.平穏な日常
2074年2月初旬
「ごっはん、ごっはん。きゃーー! いい匂い」
女の子みたいな奇声を発しながらダイニングに現れたのは、まさかりさんだ。
時刻は午前9時を回った。
キッチンで片付けていたひかるが文句を言う。
「おそよう。まさかりさん」
「おはー。遅くねーよ日曜日だし」
「遅いよー。さくら号の朝は8時って決まってんじゃん。ご飯と味噌汁自分で温めてね」
「はいはーい。ごめんねひかるん」
「今日は一段と磨きをかけて気色悪いな、まさかりさん」
俺は食卓で、悠々とコーヒーを飲みながら携帯のネット記事を見ていた。
「そーゆーテンションなんですぅ。今日は」
「そうか。あまりにも女に恵まれなさ過ぎて、ならいっそ自分が女になれと自暴自棄に陥ったのがその結果か。残念だな」
「アホ、どんな分析だっ。そこまで深いものはねーよ!」
くくっと笑う俺に釣られ、まさかりさんにも笑みが零れる。
「……あ、高英、醤油取って」
「ん」
俺は近くにあった醤油をまさかりさんに渡す。
「サンキュ」
まさかりさんは鮭に醤油をかけ始めた。
――至って、平穏だ。
ひかるを奪還してから、青山と接触した事を除き特に何もなく、さくら号は穏やかな日常を過ごしていた。
幸い、長井や谷田貝からは次のダークの催促はない。
しかし……前回のダークの熱が冷め切る前に、事を起こさなければとは思っている。
俺は陰で最終計画の準備はしているが、この穏やかな日常がずっと続けばいいのにと、……心のどこかで願ってやまない。
その時、ダイニングにエリンギとじーさんがやって来る。
「タカー。今日ヒマー?」
「暇」
「『怪盗ブラック』映画化したじゃろ。今日公開初日で安いんじゃよ。行かんか?」
「……行く」
「野郎3人で映画かー。寂しいねぇ」
「ム。まさかりさんは行かないノ」
「オレは絶対彼女と行く。野郎とは絶対行かねー」
「エ? いるノ?」
「……これから作るんだよ」
「ひかるはどうじゃ?」
「ごめん、昼から部活……」
「そうか……、残念」
それからも皆の他愛のない会話が続く。
『お前、仲間の誰かがダークのことをチクったって疑ったらしいじゃねぇか。で、終いには殴り合いのケンカになったとか』
……もう、あの事は本当に、忘れたい。
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ダーク誕生のきっかけになったドラマ、“怪盗ブラック”。
そもそも怪盗ブラックは、良い怪盗に含まれる。ブラックの盗みは一見思慮分別がない様だが、盗まれた側は何故かいつも幸せになるという。
そして映画版はドラマでは登場しなかった怪盗ホワイトが現われる。ホワイトの盗みは悪質なものばかりで、終いには邪魔なブラックを始末しようとする。
映画の結末は、ブラックと彼をいつも追い回していた刑事がいつの間にか協力して、ホワイトを捕まえるものだった。
『ホワイト、私にはあって君にはないものがあるんだよ』
『そう。愛だ』
『人を慈しむ心だ』
『人と人を繋ぐのが愛なんだよ』
『君には愛がない。愛そうとしないから人から恨まれるんだ』
『もちろん、私は君に憎しみはないよ』
『むしろ、愛してる』
『私に愛の大切さを教えてくれた君に、感謝をこめてもう一度言うよ』
『愛してる』
ブラックがホワイトの捕まり際に言った台詞だ。
鳥肌がたちそうなくらい気色悪く飾った言葉に俺は耳を塞ぎたくなったが、隣のエリンギは号泣していた。
――そういえば、親父も怪盗ブラック見てたな。
もし生きていたら、一緒に映画を見に行ってたんだろう。……どんな感想を抱いただろうな。
「おもしろかっター! ブラック最高ー!」
「まあまあかの……。ドラマの方が良かった」
「反吐が出る。時間と金の無駄だった」
多種多様な感想に、俺とエリンギとじーさんは睨み合う。
「ねェ……、思ったんだけド。ちょっとダークの影響受けてるよネ? 特に映画版」
「あ、わしも思った。特に最後の台詞。ドラマじゃあそこまでキザなことは言わんかった様な」
「別にダークもあんな事は言わないだろ」
ドラマはダークが現われる前に放映されている。
「あのセリフかっこよかっター。泣いちゃっタ」
「そうか? 俺は吐き気がしたぞ」
「エェー!?」
しかしその後、エリンギはほくほくした顔で言った。
「でモ……、なんか嬉しいよネ。ボクたちの影響っテ」
「そうじゃの」
「俺ならあんな脚本書かない。やたら『愛してる』なんて言わせない」
「おぉ……、ダークのシナリオを考えてるタカは流石に厳しいのぅ……」
「でモ、元はダークはブラックのパクリじゃないノ?」
「やめろ。ダークをあんな駄作のパクリなんて言うな」
「駄作と言いつつタカも続編の映画見とるじゃないか……」
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帰りの車中。
映画の興奮が治まらないエリンギは、助手席のじーさんとまだ映画の話をしている。
暖房の利いている車内で、少しずつ2人の会話が遠くなっていく。
発進して数分、後部座席で俺はうとうととまどろみ始める。
いくら映画がつまらなかったとは言え上映中は絶対に寝なかった。金が勿体ないから。
まぁいいか。最近夜ちゃんと眠れてなかったから……。
……
……
「ネ、あれパワフルっぽくなイ?」
「ほ~……、似とると言えば似とる様な……」
2人の会話で目が覚めた。
車は信号待ち。2人は前の車の後部座席に座る人物を凝視していた。
「でモ、すごイ高級車……。確かあの車種ボクのパパも持ってタ」
「事故したら我が家は破産じゃの……」
「もちろんパワフルの車じゃないよネ?」
「そうだとしたら、かなりのお金持ちの知り合いがいるってことかの」
俺はエリンギとじーさんの間に身を乗り出した。
「お。おはようタカ」
「どうかしタ?」
俺は前の車を凝視する。
パワフル疑惑の人物は後ろ姿で、確かに髪は長い様に見えるが確証はない。
それより……。
「……あのナンバー、見覚えがある」
「エ?」
「エリンギ、あれはパワフルで間違えないのか」
「う、ン。ボクの2.0の視力が確かなラ」
ゆっくりと、車の列が動き出す。
「……なぁ、帰っても暇だよな」
「暇……じゃの」
「なら、暇つぶしに尾行してみないか?」
「エェ!?」
「あの車、長井の車……、かもしれない」
「エェ!?」
2人は両側から驚いて俺を見た。
「こらエリンギ、前」
「ア……」
「一度町で長井の乗った車を見掛けたことがあった。ナンバーは確か、あんな感じだった」
「確かっテ……」
それにもし、本当にパワフルが長井の車に乗っていたとしたら……。
___________
尾行すること数分。
パワフル疑惑の人物を乗せた車は、着実に長井邸の方へ向かっていた。
「バレてないかナ」
「大丈夫。まだ一度もこっちを振り向いてない」
「でモ、ミラーでバレてるかモ」
「じゃあそれは何とかしろ。お前は機械運転の天才だろ」
「んな無茶ナ。尾行なんて初体験だヨ」
エリンギはハンドルを握っていた手を服で拭いた。
……手汗か。
「しかしタカ、もしパワフルが長井邸に入って行ったら、それはどういうことなんじゃ」
「……それは、分からない」
「分からんのかい」
「でももしそうなら、すごく……、嫌な予感がする」
俺もじーさんも顔をしかめる。
長井とパワフルが繋がっているということは……。まさか。
しばらくして、車は予想通り長井邸の敷地内に入って行った。
当然、これ以上の追跡は不可能。俺たちの車は別の道へ逸れる。
「どうするんじゃタカ」
「もウ帰ろうヨ。ネ?」
「馬鹿、パワフルの顔を確認するまでは帰れない。俺を今すぐ下ろせ。終わったら連絡するから、また合流しよう」
「エー」
「エーじゃない。早く」
エリンギは言われるがままに、車を長井邸近くの路肩に止める。
俺は車から降りる。
「じーさんに電話するから、必ず出ろよ」
「了解」
俺は駆け出す。
そして怪しまれないように慎重に敷地内を覗く。
一度侵入したことがあるんだ。カメラの死角は把握していた。
……いた。
ちょうど人物が車から降りて来た。
……やはり。パワフルだった。
俺は息を潜めて成り行きを見守る。
運転手の男とパワフルは何か一言二言交わしてから、邸内へ入って行った。
パワフルと長井が繋がっている。
まさか情報の流出は、パワフルを介して……?
……となれば一番に疑うべきは、あいつだ。




