68.コンドルの手下
結局ひかるの言うように、俺たちは喧嘩のことについてそこで話題に触れることはなかった。
診察が終わり、エリンギはまさかりさんやじーさんの待つさくら号へと車を走らせようとした。
エリンギがアクセルを踏む前に、俺は運転席に身を乗り出して言った。
「エリンギ……、降ろして欲しい場所がある。帰りは勝手に帰るから」
「エ……、どコ?」
「皇居前」
「エ?」
ひかるもエリンギも不思議そうな顔をして、俺の顔を見ていた。
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皇居前に着いた頃には、雪は本降りになっていた。
俺は傘をさして外に踏み出すと、うっすらと足跡がついた。服がまだ乾ききっていなかったので、少しの風で簡単に体が冷えてしまう。
「寒……っ」
俺が思わず口に出すと、エリンギは自分のコートとニット帽を脱ぎ俺に渡した。
「そレ、エレンジャーズ社の製品だかラ。宣伝してきテ」
平然と言うエリンギに、俺もひかるも笑ってしまった。
俺はあまり帽子を被らない主義だったので、少し恥ずかしさを感じたが、……背に腹はかえられないか。
「……良い商品だな。買ってやってもいい」
「でショ〜? 後でレビュー書いてネ」
うっすらと道路に積もった雪を掻き分けながら、去って行くエリンギの車を見送った。
……決して、諦めた訳じゃなかった。
病院が一番混雑する夕方に行ったのもあり、時間はとうに17時を回っている。
……どう考えても、この雪の中いる筈がなかった。
そうは分かっていても、出向かずにはいられなかったのだ。
雪のせいで視界は狭くなっている。
俺がきょろきょろと辺りを見渡すと、一台の黒塗りの車が止まっている。そして車内の男も俺の存在に気付き、ドアを開けた。
――まさか、と思ったが、男は車から出て来て手招きをした。
奴がコンドルだろうか。
俺は表情を強張らせて男に近付いた。
雪のためだろう、俺が当初思っていたよりも人の目がない。
俺は男に近付きながらさりげなくコートのポケットに手を入れ、麻酔銃の所在を確認する。
……連れ去られることは絶対に避けなければ。
俺にもダークにも不利な状況になってしまう。
俺は警戒して男や男の車とある程度距離を保った。
車の中を覗いてみると、他に誰も乗っていないようだったので、少し安心する。
男は傘をさして、一歩俺に近付いた。
赤いチェックの奇抜なズボンが目に入る。
男は写真と俺の顔を交互に見比べて言った。
「で、お前が糸原クン?」
「……そうだ」
「ふぅん」
「お前が、コンドルなのか?」
「違うよ」
しんしんと降りしきる雪の中、遠くの横断歩道のピヨピヨという音が耳に入る。
「オレは、コンドルさんの手下……だな。お前に伝言を伝えるために待ってた」
「やはり……帰ったか」
「そんな待てる程度量の大きい人だったら、糸原高成への長井の殺害命令も、踏みとどまっている筈だろう?」
「……」
向こうの指定する時刻に来れないことが事前に分かりつつも、俺はコンドルに何も連絡をしなかった。
立場は俺が弱い。どう考えてもあっちがこっちの都合に合わせてくれるとは思えなかったのだ。
「まず、何故平野なのか。それを一番に教えて貰おうか」
「……」
長井に仲間を人質に取られていた……、とは言えない。
恐らくコンドルは、ダークは俺単体のものだと思っている。……普通に考えたらそうだろう。下手にあいつらの存在を教え、弱みを握られることはない……。
「俺の……狙いどおりになった」
「?」
「長井を2度追い詰めた。家のポストに入れたメールアドレスはなくなっている。……なのに連絡は来ない。だからコンドルに、揺さぶりをかけた」
「確かにそのお陰で今ここでオレと接触出来た訳だ。……なるほどそんな理由なら安心した。コンドルさんはお前と長井が既に繋がってるんじゃないかと、心配しておられたよ」
「断じて、ない」
俺は心情が顔に出ないように言った。
男は口元を綻ばせた。
「そうか。よかった。コンドルさんからの伝言、『次は長井政権を畳むつもりでやれ』だとよ」
「……分かってる」
「まぁオレには、たかが盗みでどうやって長井政権を終わらせられるのか、想像もつかねぇな」
男は軽快に笑いながら、さっさと車の中に乗り込もうとした。
「おい、待て」
「あ?」
「次……、コンドルと会うチャンスはあるのか?」
「さぁ? 何も聞いてないけど?」
「……」
扉をバタンと閉め、エンジンをかけ、数センチ窓を開けて俺に向かって言った。
「ま、次成功させるよう頑張れ。そしたら望みはある。あの人一回お前の親父で失敗して、相当いらついてるから」
俺は奥歯を噛んだ。
男の車はあっという間に去って行った。
___________
「ひかる、ひかる」
「ん……」
ひかるが車の後部座席でついうとうとしていると、エリンギの手が肩を揺らす。
「おかえリ。さくら号ヘ」
「あ……、着いた……?」
エリンギに支えられながら車を降りる。
二週間ぶりに見るさくら号に、ひかるはまた感極まって鼻がツンと痛くなる。
エリンギが扉を開ける。
懐かしい玄関の芳香剤(パワフルが男臭いとか言って勝手に置いた)の匂いが、またひかるの涙腺を緩めさせた。
「ひかるーーーっ!!」
まさかりさんがドタドタと走って来て、勢いよくひかるに飛び付いた。
「ぎゃあ」
ひかるがよろけたところを、即座にエリンギが支えた。
「よかった無事でぇぇ!」
まさかりさんはひかるを抱き締めながら、後頭部をわしわしと撫でた。
涙声だった。
「まさかりさん、ごめんね心配かけて……。本当に、助けてくれてありがとう」
「バカヤロ、当たり前だっ」
「いたっ、もー……もうちょっと優しくして……」
まさかりさんは笑いながらひかるの背中を強く叩いた。
そのまさかりさんを、隣でつんつんと肩をつつくじーさん。
「まさかり、チェンジ」
「あ、じーさんもハグすんの」
「したい。わしも」
まさかりさんが離れると、じーさんはひかるを大きく抱擁した。
「おかえり、ひかる」
「うん。……ただいまじーさん」
「元気かの?」
「うん。心配かけてごめん、大丈夫だよ」
「よかった……」
じーさんがぽんぽんと軽くおれの背中を叩くと、その弾みか、ひかるは涙が零れた。
「あ……、やば」
「おいじーさん! 泣かせんなひかるをぉ!」
「え、わしが悪いの?」
そう言うまさかりさんも、涙目である。
ひかるはそれを見て、心底嬉しそうに笑った。
「ひかる、わしら頑張ってポトフ作ったんじゃ。お腹減ってるじゃろ」
「ア……じーさん、ひかる熱があるんダ」
「ううん大丈夫。食べるよ」
「じゃ、オレが用意する」
皆はわいわいと食卓へ向かった。
まさかりさんとじーさんが渾身の力を奮って作ったポトフは、ひかるの体を底から温めてくれた。
――正直に言うと少し薄かったけど……。
2週間ずっと冷たいコンビニ弁当ばかりを食べていたひかるにとって、本当に嬉しかった。
「おいしい。泣きそう」
「いや、おいしくて泣きそうって、何だよ」
まさかりさんが照れたように頭を掻いた。
「……そういえばエリンギ。タカはどうしたんじゃ」
「あァ……、なんか用事があるって言っテ、皇居前で降りタ」
「皇居前?」
「うン……、理由聞いたけド、なんかうまくはぐらかされちゃっテ」
タカの謎の行動は、ひかるにも心当たりのないものだった。
あの時はエリンギがいたから……、おれには話してくれるかもしれない。後で聞いてみようとひかるは思った。
「……何なんだろうな。何であいつはいつも一人で抱え込むんだろうな」
「……」
「オレたち、まだ信頼されてないんだな。一体もう何回ダークやってると思ってんだよ」
「……」
『お前、仲間の誰かがダークのことをチクったって疑ったらしいじゃねぇか』
谷田貝がそう言うのに、タカは否定しなかった。
何がどうなってそういう考えに至ったかは分からないけど。
だってみんな、こんなに優しいのに。みんな本気で心配してくれてたのに。
……疑うなんて、あんまりじゃないかな。
「あのサ、タカ、何でか知らないけドびしょ濡れだったんだよネ。たぶン、谷田貝にやられたんだと思うけド……。だから帰って来たラ、もう一回ポトフ温めてあげてヨ」
「オレ、ひかるが帰って来たから再びあいつと再戦しねぇと……」
……もしかして殴り合いの喧嘩のことだろうか。
まさかりさんがはっとして、ひかるの表情を伺った。
「いや、悪いひかる、お前のせいじゃなくて……」
「あ……、うん」
「いや、分かった! 温めるから。なっ、じーさん」
「え? あぁ、そうじゃの」
まさかりさんが無邪気に笑ったのを見て、ひかるは少しホッとした。




