46.闇の中
2072年12月中旬
国会事件から2週間が経つ頃
俺は、絶望の底にいた。
この2週間、俺はただ何もせず、屍のように息をしているだけだった。
事件から数日間、優輝は寝泊まりしてくれていたが、アイツだって受験生だ。
優輝の人生まで狂わせてしまえば親父としては更に不本意な結果になるだろう。俺はもう大丈夫だから来るなと、毅然として追い払った。
全然大丈夫ではない。
コンドルからの封書が来て、親父が事件を起こした理由を知った。
沸き起こった感情はコンドルへの激しい怒りと憎しみと同時に、どうしようもない失望感だった。
『長井政権を潰せ』?
こんなイチ高校生に、何ができると言うのか。
また親父と同じ事をしろと言うのか。……それではコンドルの思う壺だ。
何も出来ない。
親父は、何故俺に何も相談してくれなかったんだろう。
親としてのプライドか。俺が受験生で心配かけさせたくなかったのか。
そんなのどうでもいいのに。
全部打ち明けてくれたら、どこへだって逃げようと言えたのに。
アンタが生きてさえしてくれれば、俺の人生なんて幾らでも立て直せたのに。
それすら分からなかったのか。
本当に、バカな男だ。
事件の後、俺がどうなるか分からなかったのか。
置いて行かれる側がどんな気持ちになるか、想像できなかったのか。
大好きだった親父のことが今、死ぬ程憎い。
母さんが死んだ後、俺が生きられたのも親父がいたからだった。
俺が笑えたのも、親父がいたからだった。
あんなに勉強を頑張ったのも、親父の為だった。
……これから俺は、親父のいない未来で“殺人犯の息子”として生きていく意味はあるのか?
そうして俺は、ゆっくりと次第に、暗闇の中、どうやって死ぬかを考え始めた。
誰にも迷惑をかけず、ひっそりと消えたかった。
思い出深いこの家を汚したくはなかった。だから首吊りはない。
電車に飛び込むのも、大勢の注目を浴びてしまう。
……海だ。死ぬなら、海に飛び込もう。
そうぼんやり考えていても、数日は実行に移せなかった。
完全にそれを後押ししたのは、親父が、帰ってきたからだ。
遺骨で。
日本の死刑制度は、絞首刑しか未だ認められていない。遺体を焼かれたのは、銃殺痕を隠すためだろう。
俺は、親父の死に顔すら見る事を許されなかった。
まるでゴミ箱にぶち込む様に、安そうな骨壺に骨は無造作に入れられていた。俺はそれを一瞬だけ見て、あまりの辛さにすぐに目を背けた。
この瞬間が一番、長井とコンドルを殺してやりたいと思った。
だけど、出来ない。親父がそれをやらなかったから。
親父の無言の帰宅は、俺を絶望に突き落とすのに十分過ぎた。
夜も深まる頃、俺はゾンビの様にフラフラと海の方へと歩き出した。
______________
数十分暗い道を歩いて、海辺に辿り着いた。
街灯も人通りもほとんどない。
俺は立ち入り禁止と書かれた看板の横を通る。
足を滑らさないようゆっくりと岩場を進み、陸と海との境界線に立つ。
下の海を見下ろす。昼間美しい青を放ち輝く海は、今は暗黒の闇でしかない。
まさに、今の俺そのものだ。
ここに飛び込んで死ねば、親父にも母さんにも、会ったことのない弟にも会えるのか。
そう考えたらこの闇の中が、希望の光に思えてきた。
……行きたかったな、家族でフェアリーランド。
死んだ後なら、行けるかもしれないな。
ふっと、迷いが消えた瞬間だった。
目をゆっくり閉じた。
体重を少しずつ前に落とす。
まぶたの裏で、俺は家族4人の姿が見えていた。
揃うことのなかった俺の家族。
家族がいるという、俺はたったこれだけの幸せが欲しかった。
この闇の中に飛び込めば、やっと苦しみが終わると、俺は思わず笑った――。
「糸原先輩!!」
「っ!?」
肩をびくりと震わせて、俺は目を開き一歩後退りした。
目を開いて見たのは、黒く塗りつぶされた海と空。
現実に引き戻されて、表情は強張る。
……見られた。
ゆっくりと振り返ると、見覚えのある人影だった。
……藤原光里。
何故、お前がここに。
お前は、俺が欲しかった走りの才能を持っていて、
お前は、俺が行きたかったインターハイのチケットを1年で手に入れて、
お前は、普通の暖かい家族がいて、
俺が欲しかったもの、全部持っている。
そんな頭お花畑の、幸せいっぱいのお前が、上から当然の様に俺を止めるな。
お前には今、一番会いたくなかった!!
俺はふらりとひかるの方へ、海に背を向け歩き出す。
激しい激情を悟られない様に、俯きながら。
「……何もしてない」
自分の想像を超えて掠れた声が出た。
「……ただ、眺めていただけ」
弁解にもなっていない。
どんな馬鹿でも俺の境遇を知る者なら、俺が今何をしようとしていたか分かるはずだ。
……また、別の場所で同じことを繰り返すだろうということも。
俺はひかるの横を通り抜ける。
普通の人間なら、ここで俺を引き止める。
偽善者として。
「い……糸原先輩」
ほら。
「……何」
「え……、っと」
『死なないで』とか、そういう言葉を言おうとするものならば、俺は無慈悲にこいつが傷つく言葉を沢山ぶつけてやろうと思った。
お前も、親父をただの殺人鬼と思ってる人間の1人だ。部外者は一歩も立ち入るな。とにかくこいつを滅茶苦茶に傷つけて、追い払いたかった。
……しかし俺の想像とは裏腹に、こいつは言葉を渋った。
「優輝先輩が……」
「……優輝?」
「っ……さ、探してました、……先輩を」
まさか優輝の名がそこで出て来るとは思わなかった。虚をつかれて驚いたが、見え透いた嘘なのは分かる。
そこで自分の携帯電話を開いた。当然、連絡がある筈もなく。
俺は目一杯怪訝な顔をして、ひかるに問う。
「どこにいた」
「……っと、……あっ。中央公園、です確か。……あの、探してみて、もらえませんか……?」
「……」
時間稼ぎか。
俺の自殺を必死に食い止めようとしているのが――優輝にそうさせようとしているのが見え見えだ。
俺はひかるに背を向けた。
腹の中でどす黒い感情が渦巻く。
俺はどうしても、こいつを傷つけたかった。
俺は歩きながら、背中ごしで、わざと大きな声で言った。
「どうして探すのに、何も連絡をよこさないんだろうな」
背後で恐らく渋い顔をしているであろうひかるの姿を想像して、俺は嘲笑する。
そしてすぐに優輝に電話をかけた。
優輝が電話に出たら先程のことを聞いてやろう。
それで藤原の言ったことが嘘ならば――もう嘘は分かっているが――、大声で言ってやろう。
何だ、俺のことなんて探してなかったのか。と。
偽善者め。うんと傷つくがいい。
……しかし電話は繋がらなかった。
背後をちらりと振り返ると、ひかるが先に優輝と会話していた。
「……」
……わんわんと泣きながら。
ほんの少し、気持ちがちらついた。
傷つけた……、それは間違いない、のに。
清々しい気分なんて微塵も起こらなかった。
何だろう、この罪悪感は……。
あいつにとって、俺は空気みたいな存在だっただろう?
……あんなに必死になることはないだろう。
もう……、ほっといて欲しい。
俺は唇を噛んで、足早にその場を去った。
____________
ひかるの声が聞こえなくなっても、俺は海辺に沿って歩き続けていた。
~♪
もう何度目かという優輝からの着信。
俺は携帯をそのまま、海に放り投げた。携帯の光はその闇に紛れ、沈み、消えた。
……優輝が来るまでに、死んでしまおう。
今日、じゃなきゃ、またってことは有り得ない気がする。
この気持ちが鈍らない内に……。
「……」
しかしいざ海に飛び込もうとしても、もう出来なかった。
優輝の顔がちらちらと頭をかすめるのだ。
あいつは親父のことを知っていて、あの日あいつが流した涙は偽者ではないと思うから。
優輝と俺の友情だけは、嘘ではなかったと思うから。
「……くそ……っ」
藤原光里のおかげで死ねなくなった。
俺が死んだ後の優輝の姿を想像すると、身の毛がよだつ。
……だからと言って、俺も今死ななければ先が全く見えないんだ。それもおぞましい。
親父は何も教えてくれなかった。
どうしろと言うんだ。どうしたらいいんだ?
優輝、教えろよ。
俺はもう、お前以外に縋る人間がいないんだよ。




