44.余りにも無力だ
それから世間は、『天谷を殺した糸原高成は現行犯逮捕。害刑制度に基づき長井が刑罰を決定。僅か3日で死刑執行』という長井が作った筋書きに乗せられ、その衝撃で震えていた。
全てを知っていた俺は、ただ指を咥えてそれを傍観するしかなかった。
優輝は、しばらく俺の家に寝泊まりしてくれた。
近所でも人当たりがよく、親父は有名人だった。俺のことは噂の格好の的だろう。
俺は外に出られなかった。学校どころか、買い物にも行けなかった。だから、優輝の存在があって本当にありがたかった。
しかし俺は食事もろくに喉を通らず、暫くネットを見て誰かが真相を吐き出していないか探し続けていた。
誰も、いなかった。
……いや、いたのかも知れないが、見つけられなかった。見つける前に、踏み潰されている。
俺の味方は、本当に優輝しかいなかった。
そうして俺の身も心も弱っていっていた、事件から3日目。
玄関チャイムがなった。
優輝はいない。しかし優輝はあれから、チャイムを鳴さずに家に入る。
俺は忍び足で玄関の扉に近付く。
すりガラスのシルエットで、数人の大人が立っていると分かった。
……平日の昼間から、冷やかしだろうか。
「糸原高俊くん、君が学校に行ってないのは分かっている。警察の者だ、事件について話がしたい」
外から男の声が聞こえる。
……警察。
『事件について話がしたい』
俺もだった。
警察の人間なら、正義を語るこの人達なら、俺の話を聞いて動いてくれるかもしれない――。
そう浅はかな考えしかできないほど、俺は憔悴していた。
俺はゆっくりと扉を開けた。
5人もの男が立っていた。
「初めまして。警視庁の松浦です」
先頭に立つ男が手帳を見せて言った。
「お邪魔しますよ」
松浦たちは俺の有無を聞かず、ズカズカと家の中に入って行く。
俺は彼らを客間へ促し、松浦と向かって椅子に腰掛ける。
後の4人は俺の背後や横に立ち、まるで俺を囲むように立つ。
……何だ、この威圧感は。気分が悪い。
「君は、あの事件の真実を知っているかな?」
……まさか。いきなり“真実”という言葉が出て来て、驚いた。
こいつらも、知った上でここに来てるのか?
「本当は父は誰も殺していない。死刑を執行する以前に、現場で長井に殺された」
「やはり知っていたか――」
松浦は明らかに渋い顔をする。
「実はあの日あの時間、ここの家のテレビがあのチャンネルを映していたことが調べて分かったんだよ。直接、お父さんが殺されるのを見たのか」
「……」
「可哀想に」
可哀想に?
俺ははらわたが煮え返るのを抑えた。
こいつら、県警ではなく警視庁と言ってた。
わざわざ地方のここへ何しに来た?
「……忘れられるんだよ、あの事件のこと全て」
「は?」
「そう言った記憶を消せる、通称“MB”という薬があるんだ。君には無償で提供しようと決めた。投与するといい。この苦しみから抜け出せるぞ」
苦しみから……抜け出せる?
あの事件のことを忘れて?
「……余計なお世話だ、要らない」
「何故? 我々は君のことを考えて――」
「事件の記憶を葬ったとしても、父が死んだという事実は変わらない」
「……」
松浦は穏やかな表情から、少しずつ無表情になっていく。
「それに事実を忘れることは出来ない。俺は世間一般に広まったあの事件の筋書きが、長井が作った偽物だといつか証明してやる……! そもそも、あんたら警察がそうするべきだろ!」
そうだ。そもそも警察も真相を知っているなら、全てを公表すべきなのに。
それをせずに、ここに来た……。
コイツらも、長井の罪の隠蔽に加担している……。
俺はコイツらのやろうとしている事に気づき、背筋が凍った。
「俺を、口封じするために来たのか……!?」
嫌な汗がこめかみを流れる。
俺の一言により一瞬で空気が重くなった気がした。
最初から、他の警官たちが俺を囲むように立ったのは、俺を逃がさないようにするため。
長井にとって俺は犯人の息子で、事実を口外しようとする一番の危険人物。……当然の処置だ。
「……はは、酷い物言いだな。口封じなんて言い方は良くないぞ」
「いいや……俺が拒否しようが、強引にその薬を打つつもりか? どうせあんたらは長井に動かされて今働いている。逆らえない……」
「……」
松浦は俺の背後にいる警官に目線を送った。
後頭部に金属が触れる。
……銃だ。さすがに戦慄する。
「ズル賢い餓鬼だ。君には悪いが、君が素直に応じなかった場合は、強引にでも投与せよと通達されているんだよ」
「やめろ……。こんなのお前ら警察のやる事じゃないだろ!」
今事件の記憶を失ったら、どうなる?
次に目が覚めた時、俺はニュースを見て親父が殺人犯になり、処刑された事を知るだろう。
またその絶望を、二度も味わえと?
“殺人犯の息子”として、何の希望も持たずにこれから生きていけと!?
何て、何て非道な事を……ッ!
「お前らにまだ正義の片鱗が残っているなら、長井の片棒を担ぐな! 事実を明らかにしろよ! それがお前ら警察の仕事だろッ!?」
「……やれ」
カチッ
後ろの男が引き金を引いた。麻酔銃だ。
「憎むならこんな事件を引き起こした父親を憎むんだな」
「畜生……」
すぐに身体が急に重くなって、椅子にもたれる。
やがて松浦の顔も分からなくなり、意識が遠のいていく。
「親父……っ」
例え今の記憶を失っても、俺は絶対あんたを憎んだりしない。
……絶対に。
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……目覚めると、俺はベッドの上できちんと布団を掛けて眠っていたことに気付く。
暖房までつけていて、室温は快適な温度だった。
ゆっくり身体を起こし、うなだれる。
頭が重い。
……俺、いつ寝た?
そこでやっと不自然なことに気付いた。
しばらく頭が動かなかったが、それでもゆっくりと思い出す。
「……!」
俺は右腕と左腕の袖をめくり、注射のあとがないか確かめる。
そして確かに、左腕の二の腕に見つけた。
――左腕の傷を見られた……。
いや、そんなことより。
あいつらは、あの事件の事実の記憶を抹消するために投与したんじゃなかったか?
――記憶、消えてない。
親父の死に様が、鮮明に思い出される。
何故?
しかし、良かったという気持ちは起こらなかった。
まさか、頼れるはずの警察まで長井の手中にあるなんて……。
俺はこれからこの事実を誰にも口外せず、一生、殺人鬼の息子として生きていかなければいけないのか……?
親父は人を殺してないのを知っているのに、『殺した』と俺の口から言い続けなければならないのか?
かと言って抗うと言っても、じゃあ一介の高校生の俺に何が出来る?
敵が強大すぎる。親父の無念を晴らすには、俺は……
余りにも無力だ。
「っ……」
両手で顔を覆って、項垂れた。
誰も頼れない。一人で抱え込まなければならない。
親父がいない未来が全く見えない。
絶望だ。




