42.最大の理解者
10年前――
「……あー。いーなぁフェアリーランド」
テレビを見ながら、8歳の俺の隣で親父――糸原高成は呟いた。
フェアリーランドは関東にある日本最大のテーマパークだ。だが行くとすれば地方に住む糸原家には、中々ハードルが高い旅行だった。
「行きてぇ。がちで死ぬまでには行きて〜」
「……そんなに行きたい?」
「高俊! お前、知らないからワクワク出来ないんだろーが! 無知は罪だ! 俺が教えてやる」
そう言って親父は、携帯を俺に見せながら永遠と語り出した。聞いていて段々、楽しそうだなと思った。家族で行きたいとも。
そして親父は俺の頭を、ぽんぽんと撫でた。
「絶対行こうな。4人で」
俺は微笑んで、大きく頷いた。
そして家族でフェアリーランドに行くというのが、幼少の俺の夢になった。
「ただいまー」
買い物袋を下げて、母が帰ってきた。
親父が怒りながらそれを奪い取る。
「あぁぁ明香音ぇ! 買い物は俺がすると言ってるだろ! 妊婦なんだから!」
「いいじゃん近かったんだし。ナリにいちいち連絡するのも面倒」
「お前ほんと楽観的だよなー。助産師さんにも言われただろ、重いものはパパに任せなさいって」
「束縛はもうちょっとアツアツの時にして欲しかったわ。そんなに言うならあたしを鎖で繋いだら?」
「今もアツアツだろバーカ。第一今のは束縛に入らん」
30過ぎてもこんな会話をしている親だ、今だったら恥ずかしいが、当時の俺には楽しかった。
父も母も、大好きだった。
幼馴染の優輝には弟がいた。だから俺も欲しいと両親に願った。
俺の夢はこちらも叶いそうだった。
母も親父も俺も、新しい家族の誕生に期待に胸を膨らませていた。
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不幸は突然やって来た。
出産予定日まで、あと数日だったと記憶している。
ある日目覚めたら、病院のベッドの上だった。
全く、この上で寝たという記憶はない。
それと左腕に包帯がぐるぐると巻かれていた。押さえると、かなり痛んだ。
不安そうな表情で、親父が問う。
「高俊、今日が何日か分かるか?」
「え?」
――どうして急にそんなこと聞くんだろう。
少し考えてみたが、どうしても思い出せない。
「……分かんない」
親父はそれを聞いて、ホッとしたような、だけど切なそうにうんうんと頷いた。
そして俺をそっと抱き締める。
「高俊……、今から言うこと、よく聞きなさい」
「……?」
親父が命令口調になったのを初めて聞いて、驚いた。
「高俊お前は……、今まで5日間、ずっと眠ってたんだ」
「え……?」
「覚えてないだろうが、5日前、お前は事故にあったんだ。明香音と一緒に……」
覚えてない。
「明香音は、お前を必死に守ろうとしたんだ。だけど……」
俺はまだ8歳だったが、その時の親父の次の言葉が想像出来た。
「……嘘だ」
親父がこんな冗談を言うとは思えない。
だが突然母がいなくなったという事実を、認められなかった。
後で聞いた話だが、もう俺が目覚めた頃には葬式も火葬も済んでいた。
だから余計に、現実味がなくて。
「嘘だ! 一緒にフェアリーランド行くって、僕に弟をくれるって約束したのにっ!」
「……ごめん。ごめんよ高俊。俺にはこんなことしか出来ない、ダメ親父で……」
「うわあぁぁっ……!」
俺は一瞬にして、母と弟を失った。
そして幼い俺の夢も、一緒に崩れ去った。
俺を抱き締める親父も啜り泣いていた。
その日は二人で、涙が枯れるまで泣いた。
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それから俺と親父2人だけの生活が、9年に渡って続く。
母がいなくなった寂しさは、気さくで明るい親父のお陰で俺の心を埋めてくれた。
その分、学校が苦痛だった。
元々、他人と群れるのが嫌いな性分ではあった。
多種多様な人物を一つの学級という密室に押し込める“学校”というシステムは、俺にはあまりにも不向きだった。
本当に親父と優輝以外の人間関係は要らなかった。学校とは勉強する場なのに、媚び諂って話す時間が無駄過ぎる。
「高俊、お前……。優輝以外に友達いないのか……?」
親父に心配されて聞かれた事がある。
正直、そのストレートな聞き方に胸がちくりと痛んだが。
「バカばかりで話が合わないんだよ。どうせ高校を卒業すれば皆バラバラになる。所詮友達なんて赤の他人だからな。だったら会話する時間も無駄だ。その分勉強して、良い大学に行けるだろ」
本心だ。俺は大学を卒業して就職した後、学費を全部親父に返すつもりでいた。
親父には断られそうな気もしていたが。
でもたった一人で他の親族にも頼らず、ここまで俺を育ててくれた。その借りを返したかった。
「……ま、お前には俺と優輝がいるからな」
本当にその通り。俺はアンタがいれば充分だ。
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2072年8月
(俺がさくら号に入居する約半年前)
俺は高校3年になっていた。
部活は陸上の長距離。陸上を選んだ理由は、個人競技なのと、親父も学生時代やっていて勧められたからだ。
ひかるとの出会いは部活でだったが、当時あいつは俺の中で全く印象に残らなかった。
1年だったひかるが、インターハイに行くまでは……。
「やー、優輝もおつかれっ。部活」
「うぃーす、高成さん。久しぶり〜」
最後の部活があった日の夜、俺と優輝は親父を誘ってラーメン屋に出かけた。
「いやもー、ぜんっぜん疲れてない。オレなんもしてねーもん」
親父と優輝は、もう親子のような間柄だ。
俺たちは各々ラーメンを注文し、しばらく雑談を続けた。
「やっぱりインターハイなんて簡単に行けるもんじゃないな、高俊」
「……」
「おい優輝、高俊は今ガチで沈んでるからやめとけ」
俺は、何でも一番じゃないと気に入らない性分だ。普通に凹んでいた。
真面目に真剣に取り組んで来たのに……。
俺には、才能がないのだ。
「まー、オレもぶっちゃけヘコんでるけどー……。
今年はうちの学校、1年がインハイ行ったから。女子だけど」
「へぇ。すごいなー。妬むなよ? 後輩を」
「だってよ高俊」
「だから優輝はいちいち高俊に突っ掛かるな」
注文したラーメンが来て、しばらく3人は食べることに集中する。
藤原光里……か。
俺は長距離、奴は短距離とはいえ、同じような練習メニューを積んで来た筈。
影の努力家か。それとも単に、天才か……。
「なぁ高俊、お前気付いてたか?」
俺より一足先に食べ終えた優輝が、問う。
「何を」
「その藤原光里ちゃんが、毎日オレたちと同じ電車で帰ってたってこと」
「……さぁ」
「あー。やっぱり、気付いてないと思ったー」
手を目の上に被せ、しまったのポーズを取る優輝。
「ん? その子がどうかしたのか?」
親父が割って入る。
「いや、そろそろ可哀想になってきて、その子が。あんだけ視線を送ってるってのに、気付かれない虚しさ……」
「え? え? もしかして、その子高俊にアレなの!?」
「そうアレアレ!」
「何だアレって」
「キャ〜青春! 親父きゅんきゅんしちゃう〜! 優輝、その子の写真ある?」
「あるぜ。この子」
「え〜? 素朴な感じで可愛いじゃねーか、俺はチャラチャラしてるのより、こういう子好きだぜ。高俊やるな〜」
「おい、アレって何だよ」
自分の話をされている筈なのに、理解出来ないのが腹が立つ。
親父が身を乗り出して俺に聞いた。
「高俊、お前恋してるか?」
「は?」
「してねーよなぁそのツラじゃ。でも逆に俺の息子なのにモテないのもおかしいよなぁ」
「高成さん、高俊はお母さん似だって、自分で言ってただろ」
「んなっ、俺だってモテたんだからな! 昔は!」
口ごもる親父に、優輝はくくっと笑った。
……何か、面倒な話になりそうだな。
俺はこの場で、部活の愚痴をもっと聞いて欲しかったのに。
俺はさっさと席を立ち上がった。
「帰ろう。疲れた」
「おい高俊、逃げんなよ~」
「今から話が盛り上がろうとしてるのに!」
会計は3人分、親父が済ませた。
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ラーメン屋からの帰り道、優輝と別れ、俺と親父は二人で歩いていた。
親父はラーメン屋で酒も飲んでいたから、ほろ酔いだ。
「高俊〜、本当にお前彼女作れよ〜」
「うるさいな、しつこいぞ」
「俺は母さんに一目惚れされて、ゴリゴリにゴリ押されて結婚したんだぞ? 良いだろ」
「知るか。親の色恋話なんて聞きたくない」
「俺さ? お前には本当に素敵な人と出会って欲しいんだよ。だって高俊は、俺も母さんの事も大好きで、すんげー家族想いだもん」
俺は失笑した。
「俺がいつ、あんたの事大好きなんて言った? 自意識過剰過ぎて気色悪いぞ」
「今日だってラーメン誘ってくれたじゃねーか。嫌いな人間を普通飯なんて誘わねーよ」
「……」
「だからいつか、高俊も『この人となら家族になりたい』って思える人と、出会えたらいーなって。俺は思うワケですよ。
でもお前はそもそも、最初から新しい人間関係を遮断しようとする。俺はその理由、分かるぞ」
親父は俺の肩を組んで、囁いた。
「お前が、本当に優しいヤツだからだ」
俺は目を見開いた。
「は?」
「高俊、お前は義理と人情をひたすらに大事にする。
お世話になった人、親しくして貰った人、愛をくれた人。その一人一人を宝物のように大事にして、同じだけの恩義を返そうとする。半端は許せない。
だから、多くの人間関係を作るとお前のキャパが足りなくなるから避ける。だろ?」
「……違う」
「いや違わない。俺が一番お前のこと知ってる、お前以上にな。俺は高俊のそういうところ、誇りに思うぜ」
「……」
「だからまーつまり……、彼女を作るのは……、うーん、難しいな。参ったなこりゃ……。逆にお前から惚れちまえばもー。ズブズブに溺れていきそうなんだけどなぁ……」
あっはっはっはと親父は笑い飛ばした。
そして親父の言った事に、成程と納得してしまっている自分がいた。
糸原高成は、いつも陽気で誰とでも仲良くなれてよく笑う男で。息子の俺とは正反対の性格だ。
しかし、俺が親父の事を慕っている理由は。俺の事を、俺以上に知っているからだ。
この人と話していると、たまに新しい発見がある。
それが……楽しいし、嬉しい。




