2.目障りな新居者
2073年3月
都内23区内某所
“シェアハウス”、とは。
他人同士が一つの家を共同で借りることを言う。
経済不景気の今日この頃。下層庶民からは、アパートよりも格安で住めるとあって人気を博していた。
そして藤井ひかるも、今日からその1人になる。
一軒家。
空ベッド4。
4人入居済み。
大家さんは主婦。
そして、男子限定。
大家は何件かの家屋を、シェアハウス用として掛持ちして貸し出している。そしてひかるがこれから引っ越すのも、その1つ。
その家屋に、大家が区別するためにつけた名前がある。
“さくら号”
「ふふ……」
ひかるは、さくら号の扉の前で苦笑していた。
似合わない。
可愛いすぎて、“あの人”には似合わない。
そして“あの人”の顔が頭に浮かぶ度に、ひかるはさくら号の引き戸を引く事を躊躇っていた。
この扉1枚の先に、いる。
そう考えただけで、鼓動が早くなった。
目が合ったら、……どうしよう。
いやいや、これから一緒に住むんだから。
一日に何回も目が合うよ。そりゃ。
うわ……。
今更ながら、自分何してるんだろうと思った。
けど後悔はしてないし、この先もしない。決意は堅いから。
一度下見に行った時に、あの人以外の3人とはもうそこそこ仲良くなったし……。
その時一度も、あの人は見なかったけど。
「……よし」
ひかるは、引き戸に手を掛けた。
深呼吸を一回。
行こう。
大丈夫、おれは男なんだ。
手に力を込めようとした、その時だった。
「あっ、ひかるじゃねーか!」
聞き覚えのある声が聞こえて、振り替える。
茶髪で癖毛の男に、白髪混じりの老人。
2人は買い物袋を片手に、こちらへ向かって来た。
「まさかりさんに、じーさん!」
「いらっしゃい、ひかる」
2人は、さくら号の住人だ。
___________
一方、さくら号の和室。
「何だこれは」
和室に4つ並べられた二段ベッド。
その内の1つの下の段に、いくつかのダンボール。
……新居者の荷物だ。
それを見て、俺は眉をひそめた。
「おい、誰か来るのか?」
「そーだヨー。……って、タカ知らなかっタ?」
向かいのベッドでこう言うのは、金髪碧眼白肌の外国人。
俺は小さく舌打ちした。
人がこれ以上増えるのは御免だ。
8人の定員で先住者が3人、一番人口密度が低いからさくら号を選んだのに。
しかもよりによって、この場所は俺の2段ベッドの下段だ。
「まさか隠してたんじゃないだろうな」
苛立って言う俺に対して、金髪は笑った。
「そんな訳ないじゃン。なんでタカにだけ隠さなきゃいけないんだヨ」
「有り得ないか?」
「有り得ないヨ。……そっか、この前挨拶に来た時、タカだけ出かけてたもんネ」
金髪は自分のベッドから抜け出して、俺に近寄る。
「なんかすっごいカワイイって感じの人だヨ。ア、ボクらより年下なんだけどサ……」
「はあ? 可愛い?」
「エ? タカも気になっちゃウ?」
「けど男なんだろ」
「……そりゃそうだけド」
「気色悪いな。それは女に使う言葉だ」
「ア……、まぁ、うン……」
金髪が口を閉ざしたその時、玄関扉の開く音。
「ただいまー」
「ア! おかえリー!」
逃げる様に玄関へ駆け出す金髪。
……あいつ。
俺が苦手なら無理に馴れ合うな。
「あ、エリンギ……さん! おれのこと、覚えてますか?」
玄関から聞こえる会話。
“エリンギ”とは、金髪のあだ名だ。
「もちろン! ひかるだよネ。今日からよろしくネ。ア、“さん”は付けなくていいヨ」
「はいっ、よろしくお願いしますっ」
1人だけ見知らぬ声。
なんだもう来たのか、新居者……。
「入れよひかる」
「あ、はいっ。おじゃましまーす……」
「自分の家になるんだから。『おじゃまします』はいーの」
「そ、そうですね」
まさかりさんとじーさんの声も聞こえる。4人の会話と足音が、近付いて聞こえて来た。
そしてすぐに、俺のいる和室に姿を現す。
間もなく、新居者と目が一瞬合う。
「あっ」
そいつの口から小さく漏れる声。
しかしそいつはせかせかと会釈だけをして、すぐに目を逸らした。
……おい。
俺には何の挨拶もなしか。
まあ馴れ合うつもりはないから、どうでも良いが……。
しかしその後そいつが、何度も何度も俺をチラ見している事が、俺を余計に苛つかせていた。
___________
「あの……」
来た。
藤井ひかるがここに来てから数時間。
初めて話しかけられる。
「……何だ」
読書中の本から、片時も目線を外さない。
俺は言動やオーラから、目障りだと藤井に訴えた。
「あの、一応一緒に住むんで、挨拶したいなと……」
「そ」
「ふ、藤井ひかるです。えっと、夜に歓迎会開いてくださるそうなので、また自己紹介すると思うんですけど……」
「じゃあ、その時でいい」
「え?」
「後にしてもらえませんか」
俺は持ってる本を指差して付け加えた。
「読んでるんで」
「……」
無言の藤井の顔を、チラリと窺う。
あぁ、予想通り。
悲しくて、困った顔をしている。
「じゃあ、せめて名前だけでも」
「……」
「……あのっ」
俺は読んでた本をバタンと勢いよく閉じて、藤井を睨んだ。
「くどい。二度も言わせるな。初対面のお前に、俺の時間を阻む権利がどこにある」
「……っ」
「先に言っておく。俺はお前ら他人と馴れ合うつもりはない。気安く話しかけるな」
非情な俺の言葉に、藤井はぎゅっと口を噤み泣きそうになった。
この台詞は俺がここに引っ越してきた初日に、他の3人にも言ったことだ。理由は単純、時間の無駄。俺は友達を作るために人間関係が煩わしいルームシェアにいる訳じゃない。元より俺という人間の事を誰かに開示するつもりもない。
……まぁ先程のエリンギのように、それでも仲良くなろうと何度も話しかけてくるバカはいるが。
「何で……っ、そんな頑なに……」
藤井が俺から顔を背け、拳を握ってボソボソと言う。
「何か言ったか?」
「……何でもないです」
「失せろ。目障りだ」
藤井は俺を潤んだ目で睨んだ後、唇を噛み締めそそくさと去って行った。