110.もう帰らない
2074年8月中旬ーー
「王手!」
さくら号のちゃぶ台の向こう側で、慶音は俺にしたり顔をして見せた。
「成る程。少しは腕を磨いた様だな」
「でしょー? 最近お母さんが相手してくれるんだよ?」
「へぇ、あいつが」
「そろそろ勝てるんじゃないかなあ、タカに」
「だがしかし」
俺は王将を動かし、あっさりと危機を脱した。
「あぁぁぁ」
「あっ、また将棋?」
ひかるがオレンジジュースを持ってやってきた。
「けい、どう? 勝てそう?」
「もうちょっと!」
「嘘つけ、あと100年はかかるな」
「えー! もうおじいちゃんになってるよぉ」
「あっははは! 100年は極端だって。タカもジュースいる?」
「いる。暑いんだよこの部屋」
外気温40度。それでもさくら号のエアコンの設定温度は節電で30度。窃盗額2億を超える天下の怪盗ダークのアジトが、こんな極貧生活をしていると誰が想像出来るだろうか。
俺がジュースを一気飲みするのを、ひかるは俺の喉仏の辺りをぼんやり見つめていた。…‥俺はそれに気付きながらも、ひかると目を合わせなかった。
「温度下げちゃう? みんなに怒られるかもだけど」
「下げてしまえ。慶音もいるんだし、パワフルにも電気代を少し払わせろ」
「え〜、おれがお母さんに怒られない?」
「お前の母親はそんなケチか? ……いや、ケチかもな」
パチンと、駒と盤の当たる耳に心地良い音が響く。慶音はパワフルに立派な将棋盤まで買ってもらっていた。
「おれ将棋のルール知らないけど、今度教えて貰おうかな……」
「うん! ひかるもやろうよ!」
「うん。それにしても、タカとけいがこんなに仲良くなってよかった。一時はどうなるかと思ったけど……」
「俺もまさかこうなるとは思わなかった。王手、詰んだ」
「う……、うぅぅ~……」
「慶音、明日ついてきて欲しい場所がある」
「え?」
「どこ?」
俺は盗聴器に聞こえないように、ひかると慶音に耳打ちした。
「俺の親父のところだよ」
___________
翌日。
「おぉ~、やっと着いたあ……」
飛行機やバスに揺られて数時間、昼過ぎ俺の実家に着いた慶音は少し疲れた表情だった。
実家はかなり埃が被っていること以外は、以前来た時より変わりはなかった。
「ここからが本番だ。簡単に掃除するから手伝え」
「えぇー、疲れたよぉ……」
「休憩が多いと今日中に帰れなくなるぞ」
「むぅ……」
『別にいいんじゃない? 勝手にしなさい』
意外にもパワフルはあっさり、慶音を俺の実家に連れて行くことを許可してくれた。ただし今まで通り、俺と慶音が兄弟であるという秘密は守るという条件付きで。
慶音にパワフルの許可が下りていることを言うと、目を輝かせて行きたいと言った。それを聞いていたひかるも心底行きたがってはいたが、部活がどうしても休めず断念した。
「広いねー……」
中に入るなり、慶音は興味津々といった様子で見回していた。
「こっち」
俺は慶音を手招きして、仏間へと導く。
「おぉ~、……暑い」
「確かに」
俺は窓を全開にして換気した。
その間、慶音は親父と母さんの遺影をじっと見つめていた。
俺はその慶音の背中を見ながら、2人に心の中で語りかける。
……連れて来たぞ親父、母さん。あんたらのもう1人の息子だ。9月で11歳になる。
「やっぱり、この人がタカのお父さんだったんだ……」
……やっぱり?
あぁ、そうか。国会事件のニュースで名前や顔は見聞きしたことが……。
「おれ、タカのお父さんとたまに遊んでたんだ。……お母さんには秘密だけど」
「え……っ」
「公園で遊んでたらたまにやって来てね、友達になったの。だから、死んじゃったって聞いた時は、すごく悲しかった……」
親父……。
全く、あんたって人は。パワフルとの約束、俺が会いに行く前から破ってたんじゃないか。
……まあでも親父は慶音と、俺の我儘のせいで嫌々距離を置いたのであって。一番それを俺が嘲笑してはならない。
慶音の目が少し潤んでいた。
「でも、タカのお父さんだったんだ……! 最後のお別れも言えなかったから、今言えてよかった」
「……そうだな」
俺はロウソクに火をともした。線香に火をつけ、リンを鳴らす。
俺と慶音は正座をして、静かに手を合わせた。
「ナリさん、今までありがとう。楽しかった。天国でも元気でね」
「ふっ……」
ナリさん、って……。そういえば、母さんも親父の事“ナリ”って呼んでた気がする。
……そうか、今。やっと。
初めて家族4人、ここに揃えたんだな。
……。
少しの間、黙祷する。
――親父……、本当に。
今まで悪かった。
国会事件の前、1人で相当苦しい想いをしていただろう。あんたの苦しみに寄り添えるのは俺だけだった。気づくべきだった。本当に本当に悔いている。
俺の未来のためにあんたは死んだ……、なのに。俺はあんたの望んだように、この1年と8ヶ月生きられたとは思わない。
俺は親父のために長井とコンドルを倒す。その決意は今でも変わらない。
でもあんたとしては、自分の事なんて忘れて欲しかったんだろう?
そんな事俺はいつからか気づいてはいたし、俺の行動が親不孝であることは知っていたけども。
やっぱり善人のあんたが悪人として他人に語られるのは、嫌だ。
仮にコンドルを捕まえずに“殺人犯の息子”として生きていったとしても、その苦しみからは永久に抜け出すことは出来なかっただろう。
俺の親不孝、あと1度だけ付き合って欲しい。
次で綺麗さっぱり終わらせて、この苦しみから決別する。
俺は顔を上げて、慶音に言った。
「さて。始めるか掃除」
「うん」
その時、玄関チャイムが鳴った。凄く良いタイミングで来た。
「誰?」
「俺の友人だ」
玄関扉を開けると、優輝が満面の笑みで立っていた。
「よっ、高俊。初めまして、慶音くん」
___________
冷房を効かせた俺の部屋で、優輝が持ってきた菓子をつまみながら、優輝は俺の昔の話を慶音に聞かせた。……勿論俺たちが兄弟であるということは伏せて。
優輝と慶音はすぐに打ち解けて、楽しそうに話していた。
……あぁ、この場に親父が居たら良かったのに。なんて考えてしまって、少し辛くなった。
「さーて、今日はこの家の掃除手伝いに来たんだよ。高俊、オレはどこやる?」
「……慶音、お前はこの部屋を頼む」
「はーい」
「優輝はこっち来い」
慶音を冷房の効いた部屋に残し、俺と優輝は再び暑い仏間に戻った。
掃除の手を動かしながら、優輝は口を開く。
「慶音、めっちゃ良い子に育ってて良かったな。お前に似てなくて良かったー」
「おい、どういう意味だそれ」
「ま、慶音の事はともかく。光里とは最近どう? あれから何かあった?」
……ひかるの事は、優輝が東京に来た日『特に差し障りのない会話しかしてない』とだけ報告をしていたが。
「いや……、その事で相談なんだが」
「えっ、相談!? 何何何?」
「……」
何だが嬉々として興奮する優輝に、俺は唇を尖らす。
「何でそんなに嬉しそうなんだよ」
「だって、お前が恋バナをし始めるなんてねーだろ!」
「……恋バナにもならない」
その言葉に、優輝はポカンとした。
「え?」
「俺は確かに、アイツのことを特別視してる。だけど俺は……この感情に蓋をしたい」
「は!? 何でだよ!」
「このまま俺と一緒になっても、アイツは俺と一緒に地獄に落ちるだけだ。それが分かっていて無責任な事は出来ない。身を引くべきなんだ」
「高俊、お前、何言ってんだ……?」
優輝が泣きそうな目で俺の肩を掴む。
「この事はまだ、アイツらに言ってないんだ。言っても多分納得させられないから……。
でも優輝、お前には先に言っておく」
「……何だよ」
俺ははぁと息を吐いて、意を決して口を開いた。
「俺はこの最終決戦の後、さくら号にはもう帰らない」




