虫塚「羊」
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
う〜ん、人間……。
お、こーらくん、そろそろ帰るのかい?
いや、ちょっと人間の頼りなさ、力のなさに関して少し思うところがあってね。
――どこのRPGのボスにかぶれているんだ、て?
はは、人の弱さを嘆くというのはありがちだよね。その手のキャラは。
実際、落ち着いてみると、人間ほどの大きさだったら相応の爪や牙なりを備えていそうなものなのに、丸腰だとそれはない。
図体を上回る相手に効きそうな毒、危険をやり過ごせそうな擬態、言わずもがなの飛行や潜水の能力……どれも、しばしば動物の持つそれに及ばない。
それを補う、もろもろの道具を開発したのはさすがと言わざるを得ないけど、丸腰では及ばない領域は確かにある。
その領域に触れてしまうことがあれば……どうなるんだろうね?
僕が父さんから聞いた話なんだけど、耳に入れてみないかい?
それは父さんの小学生時代のときだったという。
学校の校庭で授業をしていた最中、どしんと音を立てて校庭に突き刺さるものがあったんだ。
数十センチもめり込んだそれは、小さな猿のものだったとか。身体の欠損はなかったものの、ぴくりとも動く様子もなく。即死していると分かったらしいんだ。
しかし、どうしてこのような場所に落ちてきたのか?
学校内では猿を飼っているようなスペースはないはずだ。もし、誰かがこっそり校舎の屋上へ猿を連れてのぼり、地上へ放り投げたとして、ここまで土にめり込むとは考えづらい。
校舎からここまでは10メートル以上離れている。よほど上空へうまい角度で投げたのだろうか。
その仮説も、同時間に屋上へのカギが閉まっていたことが確かめられていて、成り立たなくなる。
そして、落下そのものもそうだが、サル自身もまた異様な姿をしていたんだ。
その背中だ。
本来、毛に満ちているべき背中のそこかしこが、むしられている。
乱暴に、適当に抜いたというものではない。まるで「羊」の漢字そのままをかたどって、意外なほどに白い肌があらわになっている。
明らかに、誰かが手を加えたもの。
確認されたその時から、校内ではちょっとした騒ぎになって、誰が猿を持ち込んで、このようなことに至ったかと、犯人探しが行われるほどの勢い。
「……犯『人』なんかじゃないよ」
クラス中でもざわつきが広がる中、父さんの隣の席に落ち着きはらって、座っている生徒が、ぽそりとつぶやいた。
耳ざとく、その声を拾った父さんは、その意味をただしてみる。
背中に「羊」の字に似て、浮かぶものがある場合、それは「虫塚」の墓標にされた可能性が高いのだという。
塚と名前はつくものの、虫塚は土の上へ作られるものとは限らない。
羽を持つものにとっては、飛び違う空がそのまま弔う土となる。そして墓には、その所在を示す墓標がいる。それが「羊」の字に似た形を背負う、でっかい図体の持ち主。
きっと犠牲になった猿は墓標に選ばれて、空の高く高くへ、「羊」を刻まれながら運ばれ、そののちに用なしとばかりに捨てられたのだろう、と。
「不幸というのは、続くものだ。今日、家に帰るまでには虫の気配に注意しといたほうがいいかもね」
そうはいっても、初耳の父さんにはまゆつばものの話。
虫塚というのも、妄想はなはだしいし、そもそも虫程度が何するものだというのか。
指でつまめば、ぷちっとつぶれるような大きさしかない羽虫たちを思い浮かべ、どうせ取り越し苦労だろうと、父さんはたかをくくっていたのだけど。
その日の帰り道。
お父さんの通学路は、とある大きな神社を取り囲むような車道を、途中に挟んでいる。
昔ながらの敷地にそって、ぐるりと丸くカーブをしていく格好になり、取り付けられたミラーを見ないドライバーは、対向車とのヒヤリハット体験できることもしばしばだ。
車がすれ違いできるスペースを確保するために、歩道は人ひとりがようやく歩ける程度の、最小限しか用意されていない。
歩行者が安全に行くなら、境内を横切るのが確実。
父さんはいつもしているように、昼間は開放されている神社の大きな裏門から、中へ入ろうとしたのだけど。
ふと、前へ進まなくなった自分がいた。
理由は簡単で、自分の足が地面に触れていないからだ。
最初の数歩分はそのことに気づけず、はさみ跳びするときの陸上選手のような、足運びをしてしまっていたとか。
「なんだ?」と首をかしげかけるや、背中をたちまち蟻走感に襲われる。あのアリが無数に肌を歩き回っている、くすぐったくも気味悪さを覚える感触だ。
父さんはランドセルをしょっている。無防備に背中をさらしているわけじゃないのに、この感覚の主はものともしていないようだ。
正体はすぐに知れる。
父さんの両肩にせり上がり、こぼれ落ちてきたのは、無数の羽虫たちだったからさ。
父さんが学校にいるとき、取るに足らないと考えていた矮躯。それらがいまや海かじゅうたんのように、何匹も何匹も連なって、父さんの着ている服の表面をどんどん塗りつぶしていく。
まるで、自分たちがジャケットになったと言わんばかりの面積、広がりよう。
さすがのお父さんも自分の顔から血の気が引く思いをするも、足元の上昇も止まっていはいない。
普段は足元より見上げるばかりだった高さの門扉のてっぺんが、すぐ目の前まで来ている。高さとしては、家の二階に届くかどうかというところだろう。
浮上は緩やかな速さであったけど、なおも続いている。
――これ以上、連れていかれたら、あの猿と同じ目に!
まゆつばと思いながらも、耳にしていた対処法。
そいつを試さねばならない。
奇妙さも、まわりくどさもないシンプルな方法だ。
自分をまつり上げようとしている連中を、叩き潰す。
父さんは自由の聞く両手で、何度もランドセル越しに背中を殴りつけた。
ほどなく浮くのが止まり、背中を通して伝わってくるのは、いくらをどんどん?み潰すときを思わせる、プチプチとした音。
容赦はしていられない。猿のごとき、ぶざまな終わり方など、ごめんだ。
本来、手でじかに叩いても音も手ごたえもしないはずの連中を、夢中で叩き潰し続けて数秒間。
ふと、糸が切れたかのように、お父さんの身体は落下を始める。
ランドセルからいったのは、さいわいだったろう。中に入れていた筆箱などの固いものは、砕けてしまったけれども、骨や身体は痛めずに済んだ。
父さんは息を切らしながらも、背中をさする。
ボロボロとこぼれ落ちるのは、やはり数え切れないほどの羽虫たちの身体。
そしてそこにべったり張り付くのは、自分の赤い血。
飛び帰った父さんが家の鏡で確かめたときには、うっすらとだけど「羊」の字に似た切り傷を浮かべる、自分の背中があったとか。