適度な酔いは魅力を増す!?
人は適度に酔うと、異性が魅力的に見えるらしい。女性はより美しく、男性はよりハンサムに見えるようになるらしい。これを、ビアゴーグル効果という。大事なのは、適度に酔うということだ。ビアゴーグル効果は、ほろ酔いの時しか起こらない。飲み過ぎてしまうと、逆に魅力度が下がるので注意しなければならない。
ある日の放課後、俺は遅れて部室に向かった。部室にはベルさんと牡丹さんがおらず、一年ズと時雨と紫苑がいた。時雨は足を組んで微動だにせず文庫本を読んでおり、紫苑は机に顔を伏せており、一年ズは各々何かしていた。みんな特に変わったことをしているわけではないが、いつもと違う空気が流れているのを肌で感じた。しかし、なんとなくそう感じるだけであって、具体的に何がおかしいのかまではわからなかったので、俺はいつも通り定位置に座り、本を読もうとすると、ひまわりさんが声を掛けてきた。
「先輩…私、こう見えても毎日牛乳飲んでいるんですよ!」
「え! あ、あぁ、そうなんだ…」
「でも、ヒック、全然、身長が伸びないんです…」
「そ、そうなんだな…」
ひまわりさんからこの話をしてくるのは珍しいと思ったが、この話題は地雷を踏みやすいので、俺は必要最低の相槌だけをすることにした。
「どうやったら、ヒック、身長って伸びるんですかー?」
「うーん。どうすればいいんだろうな…」
「先輩でも…わからないんですか?」
「そうだなぁ。難しいなぁ」
「それって…私は、もう身長が伸びないってことなんでしょうか?」ひまわりさんはそう言いながら涙目になっていた。
「え!? い、いや、そんなことはないと思うけど…。それに、ひまわりさんは今のままでも十分魅力的というか…」
「そんなこと言って、実は陰で笑っているんでしょ!」ひまわりさんはそう言って泣き始めた。
「え!? いや、そんなことは…」俺はひまわりさんを慰めようとしたが、上手くいかず、戸惑い、どうすればいいのかわからなかったので、桔梗さんに助けを求めることにした。
「き、桔梗さん! 助けてくれないか?」
「アハハハハ! 汝よ! ひまわりを泣かせてしまったのか! アハハハ!」なぜか桔梗さんは大爆笑していた。
「え!? 桔梗さん!? どうしたんだ?」
「ん? 何がだ? ハハ!」
「い、いや、そんなに笑う桔梗さんを見たのは初めてだから…」
「んー、そうか? 我は普段から結構笑う方だぞ! アハハハ!」
「そ、そうか…。そんなことより、ひまわりさんがなぜか急に泣き出してしまったんだが、どうすればいいんだ?」
「そんなの…簡単だ! ………笑えばいいと思うよ! アハハハハ!」
桔梗さんの様子もおかしく、意味不明な言動をしていたので、俺は霞さんに助けてもらうことにした。
「霞さん! ひまわりさんと桔梗さんの様子がおかしいんだ! どうすればいいんだ?」
「はぁ? ニャにを言っているのかニャ? 翔くんは! ひまわりちゃんを泣かせておいて、ボクは許さニャいニャ!」カスミンがすごく怒った様子で言い、霞さんも俺を鋭い目つきで睨んできた。
「え!? あ、いや、あれは俺が泣かせたというか…」
「言い訳ニャんていらニャいニャ! すぐにひまわりちゃんに謝るニャ!」
「あ、謝ればいいのか?」
「そうだニャ! まずは謝るニャ!」
「わかった」そう言って俺は泣いているひまわりさんの方を向き、「ひまわりさん。さっきはごめんなさい」と頭を下げて真面目に謝った。
ひまわりさんは俺を見てから、「許しません」と一言だけ言い、そのまま泣き止まず、許してくれなかった。
「え!?」
「アハハハハ!」桔梗さんが大爆笑していた。
「翔くん! キミは一体ニャにをしたんだ!?」
「え!? いや、特に何かしたわけじゃ…」
「じゃあ、どうしてひまわりちゃんはニャいているんだニャ?」
「そ、それは…俺にもよくわからなくて…。何か身長のことを気にしているみたいだったけど…」
「それだニャ! ひまわりちゃんは背が低いのがコンプレックスニャんだニャ! 翔くんはそのことでひまわりちゃんを傷つけたんだニャ!」
カスミンにそう言われて、俺は気づかないうちに自分の言動でひまわりさんを傷つけてしまったのかもしれないと思い始めた。何か怒らせるようなことを言ったつもりはないが、もしかしたら態度が悪かったのかもしれない。そう思ったので、もう一度謝ろうとした時、ベルさんが戻って来た。ベルさんは小さな箱を持っていた。
「Oh! 翔サン! ここにいたのデスか! すれ違いになったみたいデスね!」
「ベルさん…は、いつも通りみたいだな…」
「ん? どうかしたのデスか?」
「いや、なんかみんなの様子がおかしくて…」
「様子がおかしい?」
「あぁ、ひまわりさんは突然泣き出すし、桔梗さんは大笑いするし、霞さんはめっちゃ怒ってるし…」
「そうなんデスか…。翔サン、何かしたんじゃないデスか?」
「いや、俺は何もしてないと思うんだけど…」
「そうデスか…。大変みたいデスね」ベルさんは同情してくれて、続けて「そんな翔サンにも元気が出るチョコをプレゼントデス!」と言って持っていた箱を差し出してきた。その中身はチョコレートだった。
「これ、どうしたんだ?」
「この前バレンタインで貰ったチョコレートデス! 一人では食べきれないので、みんなにも分けていマス! 翔サンもどうぞ! 美味しいデスよ!」
「あぁ、ありがとう」そう言って一つチョコを掴み一口で食べると、中に何か液体が入っているのがわかった。そしてそれがアルコールだということもすぐにわかった。
「ん! このチョコってもしかして、ウイスキーボンボンか?」
「ハイ! 美味しいデスよね!」
この時、俺はハッと思った。
「ベルさん…もしかして…このチョコ…一年ズにもあげたのか?」
「ハイ!」
これでようやく合点がいった。一年ズの様子がおかしかったのは、ウイスキーボンボンを食べたせいだ。おそらくアルコールで酔った状態になっているのだろう。見たところ、ひまわりさんが泣き上戸、桔梗さんが笑い上戸、霞さんが怒り上戸になっているようだ。普段とのギャップがあり過ぎてビックリしたが、これも一つの気質なのだろうか。お酒を飲むと本性が出ると聞いたことがあるが、これが三人の本性なのだろうか…。
「ベルさんも食べたのか? このチョコレート」
「ハイ! 食べまシタよ!」
「そっか…。ベルさんはあまり酔わないタイプなんだな!」
「そうデスか? なんだか顔は熱いデスよ…」
そう言われれば、普段は色白のベルさんの顔が、ほんのり赤くなっているのがわかった。初めは夕日に照らされて赤くなっていると思っていたが、どうやら原因はアルコールだったようだ。その時、紫苑が突然声を掛けてきた。
「なぁ、翔…」紫苑の声は弱々しかった。
「ん? なんだ?」
「俺って、どうしてこんなにダメダメなんだろうな」
「は? どうしたんだよ、急に!」
「だって、俺はいつも大口叩いている割に、いつも負けてばかり…。俺って所詮、口だけの奴なんだよ…」
紫苑はそう言って再びふさぎ込んでしまった。どうやら紫苑は酔うと、超ネガティブになるらしい。その姿を見た時、俺はふとベルさんのある発言を思い出した。
「ベルさん、このチョコ、他の人にも分けたって言ってたよな?」
「ハイ! お世話になっているみんなに分けまシタ!」ベルさんは屈託のない笑顔で答えた。
その答えを聞いて、俺は嫌な予感がしたので、時雨に相談することにした。
「なぁ、時雨。ちょっと気になることがあるから手伝ってくれないか?」俺は時雨の耳元で小さな声で言ったが何も反応がなかったので、「おい、時雨!」と言って肩を揺らすと、時雨が寝ているのがわかった。どうやら時雨は酔うと眠ってしまうらしい。時雨は気持ちよさそうに寝ていたので、起こすわけにもいかず、結局俺は一人でウイスキーボンボンの被害者、もといみんなの様子を見に行くことにした。
俺は部室を出て、とりあえず教室の方へ向かおうとした時、後ろから「水無月くん!」と俺を呼ぶ一ノ瀬さんの声が聞こえたので振り返ると、一ノ瀬さんと一ノ瀬さんにべったり引っ付いている睦月会長の姿があった。睦月会長の姿は、普段の凛々しさとは程遠く、まるで子犬や子猫が飼い主に甘えてそばに寄っているように見えた。その姿を見て俺は言葉が出ず、ただ茫然と立ち尽くしていると、「水無月くん、ちょっと来て」と一ノ瀬さんに言われたので付いて行くと、生徒会室に通された。生徒会室に入ると、一ノ瀬さんは入り口の鍵を閉めた。
「水無月くん! これ、どういうこと?」
「え!?」
「睦月ちゃんが学校でこんな風に甘えてくるなんて今までなかったのに……もしかして何かあったのかな? 水無月くん、何か知らない?」一ノ瀬さんは困り顔で尋ねてきた。どうやら睦月会長のことを心配しているようだった。
「うーん、睦月会長に何があったかは知らないけど、こうなった理由はなんとなく見当が付いている…かな!」
「そうなの! 教えて!」
ということで、俺はベルさんのウイスキーボンボンのことを伝えると、睦月会長と一ノ瀬さんも食べたということだった。一ノ瀬さんによると、睦月会長がこんな風に甘えん坊になったのは、チョコを食べた後からだったということがわかったので、おそらく睦月会長も酔っているのだろうと思った。一ノ瀬さんは、睦月会長が何か大きな悩みを抱えてストレスを溜め込んでいるのではないかと、心配しているようだったが、違うとわかって安心したようだった。それに一ノ瀬さんも食べたらしいが、いつもと変わらない様子だった。
「でも、この姿の睦月ちゃんを他の生徒に見せるわけにはいかないなぁ。睦月ちゃんの威厳のためにも」
「そうか? その姿の睦月会長もギャップがあって魅力的だと思うけど…」
「それはそうだけど、周りが良いと思っても睦月ちゃんが良くないと思うの! 多分、正気に戻ったら羞恥心に苛まれると思うから、なるべく誰にも見られないようにしないと」
「一ノ瀬さんは、睦月会長のこと…よくわかってるんだな!」
「当たり前でしょ! 親友なんだから!」
「そっか!」
「ところで、どのくらいで元に戻るのかな?」
「まぁ、チョコ一個だから醒めるまでそんな時間はかからないと思うけど」
ということで、一ノ瀬さんは睦月会長の酔いが醒めるまで、生徒会室でゆっくり過ごすことにするらしい。俺は他にも酔っている人がいないか、再び学校を散策することにした。
教室前の廊下を歩いていると、後ろから「翔くん!」と俺を呼ぶ声が聞こえたので、振り返ると皐月さんが立っていた。
「皐月さん! ちょうど良かった。探してたんだ!」
「知ってる。…でも、別に嬉しくもなんともないんだからね!」
「え? あ、あぁ。じゃあ、俺が酔っている人を探していることも…」
「知ってるよ。ベルちゃんが配ったウイスキーボンボンで酔った人たちを探しているんでしょ?」
さすが皐月さんの情報網。ついさっきの出来事なのに、もういろんなことを知っているようだった。見たところ、皐月さんは酔ってなさそうだし、俺の意図も組んでいるようだったの、協力してもらおうと思った。
「皐月さん! 俺に協力して…」
「嫌!」皐月さんは食い気味に答えた。
「え!?」
「翔くんに頼み事をされても、全然嬉しくないんだからね!」
皐月さんはそっぽを向いて俺の頼みを拒否した。この時、俺は自分の今までの行いを振る返り、皐月さんに如何に甘えていたのかを反省した。
「そ、そっか…。ごめん。いつも自分勝手なお願いばかりして、皐月さんの気持ち、考えてなかった。迷惑だったよな?」
「べ、別に、迷惑って程じゃないけど…」
「いや、いつも皐月さんには頼ってばかりだったからな! 今回は俺一人で何とかしてみせるよ!」
「え!? いや、私も手伝うくらいなら…」
「ありがとう。皐月さん! 」
俺は皐月さんの両手を掴み感謝を述べていると、皐月さんが急に脱力するように床に座り込んだ。急でビックリして、何度も名前を呼んだり、肩を揺すったりしたが反応がなかった。体調が悪くなったのかもしれないと心配になったので、表情を伺うと、気持ちよさそうに寝ているようだった。寝息からは微かにチョコレートの匂いがしたので、皐月さんは酔って寝てしまったということがわかった。このままここに放置しておくわけにもいかないので、保健室まで背負って運んだ。保健室には先生がいたので、皐月さんをベッドに寝かせてから後をお願いし、俺は散策を再開した。
体育館周辺を歩いていると、体育館から聞き覚えのある歌い声が聞こえたので、中を覗くと、弥生さんがステージで歌を歌っていた。弥生さんは妙にハイテンションで、最高の笑顔で歌っており、いつも通りのライブみたいな感じだと思ったが、途中フラフラしていたので、明らかに酔っているようだった。部活生はそんなことを知らないので、練習を止め、突然始まったゲリラライブに驚きながらも盛り上がっていた。弥生さんはそんな状態で数曲歌ってから、満足した様子で去って行った。どうやら教室に戻っているようだったが、心配になったので、後を付けていると、途中の廊下で急に倒れた。俺は急いで駆け寄り声を掛けると、弥生さんは寝ているようだったので、近くの保健室まで背負って運び、ベッドに寝かせた。保健室の先生と皐月さんがいなかったので、その場でしばらく見守っていると、弥生さんが寝言を言い始めた。
「お父さん……。私の声……届いた?」弥生さんは涙を流しながら寝言を言った。
俺は弥生さんの家庭の事情を知らないので、その言葉の意味はよくわからないが、弥生さんも何かを抱えているのだろうということはわかった。それから少しして、弥生さんは目を覚ました。
「お父…さん?」弥生さんは薄目のまま俺を見ながら言った。
「おっ! 目が覚めたか?」
「翔…くん………! 翔くん! え!? どうしてここに!? てか、ここどこ?」弥生さんは正気に戻ったようで、周りを見渡しながら状況を確認していた。
「ここは保健室だ。弥生さんが体育館でライブをした後、戻っている途中で倒れたから連れて来たんだ」
「え!? ライブ? 倒れた?」弥生さんは頭を抱えて、混乱しているようだったので、深呼吸するように言い、ゆっくり振り返ることを促した。
そして弥生さんは完全ではないが、断片的に記憶を思い出していき、ベルさんからチョコを貰ったこと、その後ハイテンションになって体育館に向かったこと、そこで急に歌い出したこと、その後廊下で倒れたことを思い出したようだった。
「私…なんてことを…」弥生さんは頭を抱えて自分の行動を後悔しているようだった。
「まぁ、みんな喜んでいるようだったし、気にしなくてもいいんじゃないか?」
「気になるよ! あんな恥ずかしい姿をみんなに見られるなんて…もうお嫁に行けない」弥生さんはそう言って顔を両手で覆った。
「ま、まぁ、気にするなって言われても気になるよな…。ごめん」
「あ! ごめん。翔くんは私を心配してくれたのに…八つ当たりしちゃった…」
「いや、俺もデリカシーがなかった」
そして少し沈黙が流れた。
「あー、もういいや! 起こってしまったことを後悔してもどうしようもないもんね! 翔くんの言う通り、気にしないで開き直るよ!」
「そ、そうだな」
「でも、私がこんな風になったのは、相談部のせいなので、翔くんには責任を取ってもらいます!」
「え!? 責任?」
今回の騒動の元凶はベルさんなのだが、そこをツッコんだところで意味がなさそうだったので、スルーすることにした。
「うん! 3月3日、一日私の用事に付き合うこと!」
「3月3日って、弥生さんの誕生日じゃ…?」
「そうだよ! 知っていてくれたんだ!」
「そんな大事な日に俺がいてもいいのか? 大切な人と過ごすんじゃ?」
「そうだね。大切な人と過ごすつもりだよ!」
「それなら俺はいない方が…」
「ムー! やっぱり翔くんは、私と一緒にいたくないんだ!」
「いや、そういうわけじゃなくて…」
「じゃあ、付き合って!」弥生さんはそう言って、俺の目の奥まで覗き込むように見つめてきた。
「まぁ弥生さんがそこまで言うなら、雑用でも何でもするけど…」
「ほんと?」
「あ、あぁ」
ということで、3月3日弥生さんの誕生日に俺は雑用することになった。具体的なことは後に連絡するということで、この日は解散した。
そして俺は学校内の散策を再開した。弥生さんの目撃情報により、俺は屋上に向かっていた。そこに牡丹さんがいるらしいのだ。ドアを開けて、周りを見渡したが牡丹さんの姿はどこにもなかった。もう移動したのかもしれないと思って、部室に戻ろうとすると、上の方から「翔くん」という牡丹さんの声が聞こえたので見上げると、牡丹さんが屋上入り口の上に座った状態で俺を見降ろしていた。その目つきは、いつものやさしい穏やかな感じではなく、鋭くどこか妖艶さを感じた。この姿を見た瞬間、牡丹さんが酔っていることを確信した。
「牡丹…さん?」
「フフ。どうしたの? 誰かを探しているみたいだけど…」
「あ、あぁ、牡丹さんを探していたんだ」
「私を? どうして?」
「ベルさんのチョコを食べたみんなが、酔って変なテンションになっていたから、牡丹さんもどうなったのかと思って…」
「フフ。チョコを食べてどうして酔うの?」
「あのチョコ、中にウイスキーが入っていただろ。だからアルコールに弱い人は酔う可能性があるんだ」
「そうなんだ」牡丹さんはそう言って、上から飛び降りてきた。そして、「じゃあ私は酔っているのかもしれないね。だって、すごく胸がドキドキするから!」と俺に近づいて来ながら言った。
俺はいつもと違う牡丹さんの雰囲気に押されながら後ずさりをし、フェンスまで追いやられてしまった。牡丹さんはそのままお構いなしに近づいて来て、フェンスに右手を付いて壁ドンをしてきた。
「翔くん、私、今、とてもドキドキしているの! どうしてなのかな? アルコールで酔ったから? それとも、翔くんと一緒だから?」牡丹さんは左手を自分の胸に当てながら、尋ねてきた。
「ぼ、牡丹さん! 今の牡丹さんは明らかに酔っているように見えるから、前者かと…」俺の心拍数も過去一くらいに激しく、ドキドキし過ぎて思考を阻害していた。
「本当に…そう思うの…?」
「あ、あぁ! だって…」
「だって?」
「そ、それは…(牡丹さんの好きな人は時雨だから…)」
俺は思っていることを言うのを躊躇った。牡丹さんが自分のやり方で時雨との親交を深めているのに、そこに俺が介入するわけにもいかないと思ったからだ。それに俺が牡丹さんの好きな人を知っていることを、牡丹さんは知らないだろうから。
「フフ。戸惑っている翔くん、可愛いね」牡丹さんは小悪魔のようにからかってきた。
「あ、あまりからかわないでくれないか?」
「からかっていると思うの?」
「ち、違うのか?」
「私…翔くんともっと近づきたいの。こうやって手を繋ぎたいし、肩を寄せ合ったりしたいの!」牡丹さんは左手で俺の右手と手を合わせ、大きさを比べるようにしながら、指を交差してガッチリ繋いできた。
牡丹さんとこんなにガッチリ手を繋いだのは初めてだったし、いつもと違う雰囲気に戸惑いながら、俺の思考はパンクして停止寸前になり、視界もおぼろげになってきた。そして牡丹さんは俺の耳元で「私…翔くんのこと…」と小さな声で言いかけたところで、突然肩に頭を乗せてきた。
「ぼ、牡丹さん!?」
反応がなかったので、そっと肩を持って様子を伺うと、牡丹さんは寝てしまっていた。何度か名前を呼びながら肩を揺すったが、起きる気配がなかったので、仕方なくおんぶして部室まで向かった。
「はぁ~。牡丹さんは酔うとこんな感じになるのか…。まぁ、珍しかったから、見ていて面白かったけど、正直、心臓に悪いな! 限界を通り越して死ぬかと思った! それに記憶が残るかわからないから、スマホで撮っておけばよかったな…。失敗した……。あれ? でも、これを知ってるのって、ひょっとして俺だけなのかな? それなら、ちょっと嬉しいかも!」廊下を歩いている途中、俺はつい独り言を呟いてしまった。まあ周りには誰もいなかったし、牡丹さんも寝ているので、問題ないだろうと思った。
そして部室に着くと、ひまわりさんがすごい形相で俺の目の前まで走って来た。
「せせせ、先輩! さっきの私は私じゃないので忘れてください!」
「え? あぁ、身長が伸びなくて悩んで…」
俺がそこまで言いかけたところで、ひまわりさんに足を蹴られたので、俺は片足立ちで痛がりならも、背負っている牡丹さん落とさないようにバランスを維持することに集中した。
「先輩…私、今日もいつも通りでしたよね?」そう言うひまわりさんからは、異常な圧を感じ、決まった答えを答えないと殺されるかもしれないと思った。
「は、はい…」
「そうですよね!」ひまわりさんは満面の笑みに変わり満足そうにしていた。
「わ、我が同胞よ。さっきはすまなかったな。笑ってばかりいて…」桔梗さんが申し訳なさそうな態度と表情で謝ってきた。
「翔くん、さっきはごめんね。あんなに怒っちゃって…」カスミンと霞さんも申し訳なさそうな態度と表情で謝ってきた。
「気にするな。普段見られない二人を見られたから面白かったよ!」
そう言うと二人は、恥ずかしそうに顔を赤くして、さっきの出来事は忘れて欲しいと言ってきた。俺は了承したが、おそらく忘れることはできないだろう。こんなインパクトのある出来事を忘れようと思っても、忘れることなんてできない。すでに脳の長期記憶に保存されてしまった。
「ところで、汝は誰を背負っているのだ?」桔梗さんが尋ねてきた。
「え? あぁ、そうだった! 牡丹さんを運んで来たんだった!」
「牡丹さん、どうかしたんですか?」霞さんが心配そうに尋ねてきた。
「いや、酔って寝ているだけだ。心配しなくてもいい」
「先輩、寝ている牡丹先輩に変なことしてないですよね?」ひまわりさんが怪しい人物を見るかのような目つきで聞いてきた。
「するはずないだろ!」
そう言った後、後ろから「か、翔くん…。そろそろ降ろしてもらえないかなぁ…」と小さな声が耳元で囁くのが聴こえた。どうやら牡丹さんが目を覚ましたようだったので、俺はゆっくりしゃがんで、牡丹さんを降ろした。
「ご、ごめんね。私、迷惑かけちゃったみたいで…」
「気にしなくていい。迷惑って程でもないから」
「そ、そっか…」
「ところで、牡丹さん! 寝る前のことって覚えてるか?」
「え!? うーん………あまり覚えてないかな…」
「そっか」
牡丹さんはいつも通りに戻ったようだった。安心したが、ちょっと寂しい気持ちもあった。それに本人も覚えていないので、下手なことを言うと俺が嘘つきだと思われる可能性がある。とても貴重な体験だったが、このことは今後、俺の中で封印されるだろう。
「翔! 今度チェスで対戦しようぜ! 絶対に負けないからな!」紫苑が元気ハツラツとした態度で勝負を持ちかけてきた。
「いいのか? また負けて、さらにダメダメになってしまうぞ!」俺はからかうように言った。
「あ、あれは…! ちょっとした気の緩みだ! もうあんな風に落ち込むことなんてないからな!」紫苑は恥ずかしそうにしながら言った。
そんなやり取りをしていると、時雨がようやく目を覚ました。部室で俺たちが立ち話をしている光景を見て、「ん? 何してるんだ? 何かあったのか?」と時雨が尋ねてきたので、俺が状況を説明しようとすると、全員から睨まれたので、特に何もなかったと答えた。それから時計に目をやると、下校時間をとっくに過ぎていたので、みんな帰りの準備を始めた。
その時、ベルさんが机で気持ちよさそうに寝ていたので、名前を呼んだり肩を揺すったりしたが一向に起きる気配がなかった。どうしようか考えていると、紫苑に「翔が背負って帰ればいいだろ!」と言われたので、最初は拒否したが、みんながその意見に賛同したために、俺がベルさんを背負って帰ることになった。さすがに家まで背負って帰るのはベルさんも恥ずかしいと思うかもしれないので、校門前にタクシーを呼んで帰ろうとしたが、なぜか牡丹さんに「それはダメ」と言われたので、結局ベルさんの家まで背負って送っていくことになった。
みんなと別れた後、帰っているとベルさんが耳元で「ありがとう。翔」と囁く声が聞こえた。その時、俺の頭の中に一瞬昔の光景が浮かび上がった。その光景は、小さい頃の俺ともう一人同じくらいの歳の子がいて、一緒に遊んでいる姿だった。その子の顔は、はっきりと覚えていないが、楽しかった記憶だということはわかった。そして俺がその子を背負っている光景も思い出した。なんとなく今の姿と重なるような気がした。「ベルさん、起きたのか?」と声を掛けたが反応がなかったので、先程の発言は寝言のようだった。
目的地に到着する直前にベルさんが目を覚ましたので、俺は簡単に事情を説明した。ベルさんは思ったよりもあっさりと納得してくれて、「アリガトウゴザイマス!」と感謝してくれた。家に寄らないかと誘われたが、今回は丁重に断って帰ることにした。
俺は今日一日で四人の美少女を背負ってしまった。全部意図したことではないが、おそらくこんな経験をすることはもうないだろう。それに全員背負ってわかったことがある。胸はベルさんが一番大きいということだ。実際に見たり、サイズを聞いたりしていないので、確かなのかはわからないが、俺の背中センサーによると、ベルさんが一番大きいということだ。これは不可抗力なので俺は悪くない。故意にやったことではなく、勝手に背中に当たるから仕方のないことだ。俺は一人で帰りながら、こんなことを考えていた。おそらく俺も酔っているのだろう。
読んでいただき、ありがとうございます。
次回もお楽しみに。
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