良い頼み方、ダメな頼み方!!
人に頼み事をするのが苦手という人は多いだろうと思う。俺も苦手な方だと自覚している。人は、ほんの些細な頼み事をするのを想像するだけで、不快な気持ちになるらしい。それは、脳が肉体的な痛みと同じような方法で、他者との関りから生じる不快感を処理しているからだ。そして、人は他者に何かを頼む時、社会的脅威の5つのタイプの痛みを感じるという。
社会的脅威とは、ステータスへの脅威から生じる痛み、確実性への脅威から生じる痛み、自律性への脅威から生じる痛み、関係性への脅威から生じる痛み、公平性への脅威から生じる痛みの5つだ。ステータスとは、他者と比較した自らの価値や重要性の認識のことであり、集団内で周りが自分をどれくらい尊重しているかを測る尺度のことだ。他者からの否定や無視などは、ステータスの大きな脅威になる。また、人間には未来を予測したいという生まれついての強い欲求があり、それが分からないと痛みを感じるようにできている。それが確実性への脅威だ。さらに、起こり得る事態に対処したい、物事を自分の意志でコントロールしたい、という欲求もあり、この感覚を失うと、痛みを生じる。
関係性とは、集団への帰属意識や他者との繋がりのことである。他者の拒絶は大きな痛みを生じる。また、人間は公平に扱われることに敏感であり、公平でないと思い込むと痛みを生じる。
誰かに頼み事をする時、この5つの社会的苦痛をすべて同時に体験する可能性がある。人は他者に何かを頼む時、無意識にそのことで自分のステータスが下がると感じ、相手がこちらのお願いにどう応えてくれるのかが分からないので、確実性の感覚も下がり、また、相手の反応を受け入れなくてはならないので、自律性の感覚も低下する。「ノー」と言われた時は、個人的に拒絶されたように感じることがあるため、関係性への脅威も生じ、公平性を感じることも滅多にないだろう。これらが原因で、多くの人は誰かに何かを頼むのを気まずく感じるのである。
多くの人は、頼み事に関して勘違いしている。頼んでも断られるだろう、と思い込んでいるらしいが、面と向かって助けを求めると、相手がそれに応えてくれる確率は結構高いのだ。人は思っているよりも誰かを助けたいと思っているのである。また、一度断られた相手は、次も「ノー」と言うだろうと誤解している人も多い。人は、誰かに頼み事をされた時、親切で協力的であるべきだ、という考えを持っているため、二度続けて断ることは耐えがたい程の抵抗や罪悪感を覚える。その結果、「イエス」と答えてくれるのだ。一度断られたからといって、二度と助けを求めなければ、お互いが得られるかもしれないメリットを逃してしまうかもしれないのだ。
頼み事をしたら嫌がられるかもしれない、という誤解をしている人も多い。ほとんどの人は、助けることは、助けられることよりも、はるかに印象を良くするものだ、という間違った考えを抱いている。実際、人は誰かに助けられた時に恥ずかしさや自己嫌悪など複雑な感情を抱くことがある。一方、助ける側に生じる効果は一貫しており、相手に対して好意を抱くようになるのだ。人は、嫌な印象を抱いている人の頼みごとに応じることで、その相手への嫌な印象が薄れ、大きな頼み事に応じた場合、その相手が良い人のように思える効果が生じるのである。つまり、助けを求めることで相手から良くない印象を持たれるかもしれないと心配する必要はないということだ。
しかし、頼み方にも良い頼み方と悪い頼み方がある。人は頼み事をされた時、次の4つのうちのいずれかの反応をする。その4つとは、拒否、沈黙、消極的な承諾、積極的な承諾だ。頼み事をする時は、相手が積極的に助けたいと思わせることが重要になる。
本題に入る前に、「ちょっとお願いできますか?」と尋ねると、協力してくれる確率は大幅に高まる。なぜなら、事前に約束することで、「ノー」と言うことへの抵抗が強まり、かつ相手に協力すると言ったばかりなので、その言葉を守ろうとする心理が働くからだ。だが、このやり方にはデメリットもあり、罠に嵌められたように感じるので、親身になって相手を助けようとしなくなる可能性がある。この問題を解くカギは返報性にあるかもしれない。返報性とは、自分が得たのと同じものを与え、与えたのと同じものを得るべきだという考えのことで、人間の心理に強い影響を及ぼす。これを利用して、私はあなたを助けるから、あなたも私を助けてね、という持ちつ持たれつの関係で、全員が気持ちよく助け合えるのではないだろうか。
助けを得るためには、4つのステップがあり、このステップを経ないと、助けてもらえないだろう。
最初のステップは、助けて欲しいということを相手に気づかせることだ。一般的に多くの人は、自分にことで頭がいっぱいなので、思っている以上に注意を向けてくれないのである。
次のステップは、助けを求めていると相手に確信させることだ。人は、相手が困っていないのに、助けが必要だと誤解してしまうことのリスクと、求められていないのに助けようとして嫌がられることへの不安で、助けることを躊躇してしまうのだ。これを乗り越えるためには、直接相手に助けを求めればいい。助けてもらいたいとはっきり伝えることで、相手はそのことに気づき、助ければ喜んでもらえる、という確信を抱けるようになるのだ。
3つ目のステップは、自分がこの人を助ける、という責任感を抱かせることだ。周りに人が多い場合、誰かが困っている人を助けるだろう、という心理が働くために、結局誰からも助けてもらえないということが起こり得る。なので、誰かの助けが必要な時は、相手に明確に伝える必要がある。
そして最後のステップは、助ける人が、必要な助けを提供できる状態でなければならないということだ。俺たちは誰もが忙しい毎日を過ごしている。自分も切羽詰まっているかもしれないが、相手も忙しいのである。このように忙しい人から助けを得るには、3つのポイントを押さえる必要がある。まずは、何を求めているのか、どの程度の助けが必要なのかを、はっきりと詳しく説明すること。次に、妥当な量の助けを求めること。相手のすべきことの妨げにならないようにしなければならない。そして、求めていたものとは違っていても、相手の助けを受け入れることだ。
ここまでは、頼み方のコツを述べてきた。では、悪い頼み方とは、どのような頼み方なのだろうか。そのパターンはいくつもある。共感に頼りすぎる、やたらと謝る、言い訳をする、頼み事の内容の楽しさを強調する、頼み事は些細なものだとアピールする、借りがあることを思い出させる、助けられたことの自分にとってのメリットを強調するなどだ。このような頼み方をすると、すべてを台無しにしてしまう可能性があるので、ぜひとも気をつけたいところだ。
2月上旬のある日、俺は頼み方の練習をしようと思い立った。なぜなら、俺は何でも一人で抱え込もうとする傾向があるらしいからだ。自覚はないが、何人かに言われたことがあるので、俺は頼むことなど造作もないというところを見せてやろうと思った。
まずは身近な人から始めることにした。俺は2時間目の終わった後の休み時間に、時雨に頼み事をした。
「なぁ時雨。自販機でお茶を買おうと思うんだけど、付き合ってくれないか?」俺は次の授業の準備をしていた時雨に突然お願いした。
「ん? あぁ、いいよ!」時雨はあっさり承諾してくれたので、俺たちは自販機まで行った。そして俺はお茶を買い、時雨もコーヒーを買っていた。
「ありがとな。付き合ってくれて」俺は付き合ってくれたことに対して、お礼を言った。
「別にこれくらい感謝されることでもないよ」時雨はそう言っていたが、軽く微笑んでいたので嬉しかったのだろうと思った。
第一段階は無事クリアした。まずは、何かを一方的にお願いするのではなく、一緒に付き合ってもらうことを条件にした。それに相手が時雨だったので、断られることに対する不安などもなかった。
昼休み、俺は次の頼み事をするために、二年C組の教室に向かった。入り口でターゲットを探していると、偶然近くにいた一ノ瀬さんが声を掛けてきた。
「あれ? 水無月くんじゃん! どうしたの? 誰か探してるみたいだけど…」一ノ瀬さんが俺の様子を伺いながら言った。
「あぁ、ちょっと紫苑に用事があって…」俺は一ノ瀬さんの質問に答えながら、紫苑を探した。
「神無月くんなら、あそこにいるよ」一ノ瀬さんはそう言って、教室の一番後ろ端の席を指さした。そこに視線を送ると、紫苑が一人で黙々と勉強している姿が見えた。
「勉強中か…」俺は頼み事をするのを躊躇った。
「そうだね。呼んでこようか?」
「いや、また後で…」
「おーい、神無月くん! 水無月くんが呼んでるよー」俺の答えを聞く前に、一ノ瀬さんが紫苑を呼んでしまった。そして紫苑もすぐに反応して、すごい勢いで目の前にやって来た。
「ど、どうしたんだ? お前が俺に用事なんて、珍しいな!」紫苑は体裁を保ちながらも喜んでいるように見えた。
「あぁ、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど…」俺は断られにくいと言われている方法を使うことにした。
「な、なんだよ? 俺にお願い事って?」紫苑は笑みを浮かべながら言った。おそらく頼られて嬉しかったのだろう。
「実は、俺、今日弁当を忘れてしまったんだ。紫苑と一緒に食べるつもりだったんだが、ついうっかり忘れてしまって…。だから、紫苑に弁当を買って来てもらいたいんだ!」自分で言いながら、なんと自分勝手なお願い事だろうと思っていた。
「そ、そんなに俺と一緒に食べたかいのか?」紫苑は照れた様子で言った。予想外に悪い反応ではなかった。
「あぁ!」俺は力強く答えた。
「でも、何が食べたいか分からないから、自分で買った方がいいんじゃないか?」もっともな意見だ。だが、ここで屈するわけにはいかない。
「そうだな。でも、今日は紫苑が選んでくれたものを食べたい気分なんだ!」俺は適当なことを言った。この時点で面倒くさいと思い始めたからだ。
「そ、そうか!」紫苑もなぜか納得してくれたようだった。
「それに、今日は部室で食べようと思っているから、俺は先に行って準備しようと思っている!」
「そ、そうだな! 分かった! じゃあ買ってくるから、先に部室に行って待っててくれ!」紫苑はそう言って、弁当を買いに行った。
「水無月くん、上手く神無月くんをパシったね!」隣でやり取りを聞いていた一ノ瀬さんが感想を述べ、親指を立てたグットのジャスチャーをしてきた。
「その言い方はちょっと嫌だな…」事実を言われて、さすがの俺も紫苑に対して罪悪感を抱いてしまった。
頼み事は成功したが、気持ち的には失敗だった。次は内容もしっかりしなければならないと反省した。ちなみに、紫苑は唐揚げ弁当を買って来てくれ、部室には相談部のみんなが集まり一緒に食べることになった。それでも紫苑は満足してくれていたようなので、少しホッとした。
そして放課後、俺は部室に行く前にベルさんに頼まれ事をされた。
「翔サン! この荷物、理科室に運ぶように言われたのデスが、ちょっと重いので、手伝ってくれまセンか?」ベルさんの足元には1メートル幅の段ボール箱が2つ置いてあった。
「ん? あぁ、いいよ!」俺はすぐに了承して、中身が多く、重いと思われる方を持った。
「アリガトウゴザイマス!」ベルさんに笑顔で感謝された。
そして俺とベルさんは、荷物を理科室まで運んだ。
「フゥー、アリガトウゴザイマシタ! 助かりまシタ!」ベルさんが荷物を置き、一息ついてから言った。
「結構重かったな! 一人じゃ大変だったろうから、二人で運んで正解だったな!」と言い、ベルさんに視線を送ると、ベルさんは前髪を整えていた。その姿を見た俺は、ドキッとした気がして、自分の胸に手を当てていた。
「ン? 翔サン? どうかしたのデスか?」
「い、いや、なんでもない…」
それから俺とベルさんは部室に向かった。俺はその途中で教室に本を忘れたことに気づいたので、ベルさんと別れて教室に戻ることにした。その道中である二年C組教室前の廊下で、睦月会長に出くわした。その時の睦月会長は、なんだか困っているように見えたので声を掛けてみた。
「お疲れ様です。睦月会長!」
「ん? あぁ、水無月くん! お疲れ! 今帰り?」
「いえ、教室に本を忘れたので、それを取りに行っているところです。睦月会長は何をしているんですか?」
「私は、弥生を待っているの。渡すものがあるから。でも、弥生がなかなか戻って来ないから、ちょっと困ってて…。生徒会の仕事もあるのに…」睦月会長は手を頬に当て、困った顔をしていた。そして、俺の顔を見て何か閃いたような顔になり「そうだ! 水無月くんが弥生に渡してくれないかしら?」と頼み事をしてきた。
「え!? 俺が渡しても大丈夫なものなんですか?」
「大丈夫! ただのお守りだから!」睦月会長はそう言って、お守りが入っていると思われる袋を俺に渡してきた。
「いや、でも…」受け取るのを躊躇っていると、俺の手を掴み、強引に握らせてきた。
「大丈夫! 私は水無月くんを信じているから! じゃあ後はよろしく頼むわね!」睦月会長はそう言って、そそくさと去っていった。
半ば強引に頼まれた事だが、無視するわけにもいかなかったので、その場で弥生さんが来るのを待っていた。そして10分程で弥生さんがやって来た。
「あれ!? 翔くん! こんなところで何してるの?」
「あ! 弥生さん! 弥生さんに渡すものがあるから、待ってたんだ!」
「え!? 私に渡したいもの? なになに?」弥生さんはワクワクした様子で言った。
「これ、睦月会長から渡してって頼まれたものなんだけど…」俺はそう言って、睦月会長から託されたものを弥生さんに渡した。
「あ! 睦月ちゃんからのだったんだ」弥生さんのテンションが少し下がった気がした。
「睦月会長はお守りって言ってたけど…」
「うん! この前、睦月ちゃんと初雪ちゃんが神社巡りするって言ってたから、お守りをお願いしてたの」
「そっか! どこの神社のお守りなんだ?」
「恋月神社ってところのお守り! ほら!」弥生さんはそう言って袋からお守りを取り出して俺に見せてきた。
「へぇー、そんな神社があったんだな! 何のご利益があるんだ?」
「それは……ひ・み・つ!」弥生さんはそう言いながらウインクした。まぁ、神社の名前からして恋愛成就だろうなぁ、と俺は思っていた。
「あ! そうだ! これは翔くんにお願いしちゃおっと」弥生さんはそう言って肩に掛けていたバックを漁り始め、何かを探し始めた。そして、「あった、あった!」と言ってバックの中から片手サイズの箱を取り出し、俺に渡してきた。
「ん? なにこれ?」
「これ、この前買い物していた時に見つけたコスメで、皐月にもいいかなぁって思って買ったの!」
「へぇー……。で?」
「これ、翔くんから皐月に渡してくれないかな? その方が皐月も喜ぶと思うし…」
「いや、プレゼントなら直接渡した方がいいだろ!」
「プレゼントって言うほどでもないんだけどね。渡そうと思って探してたんだけど、全然見つからなくて…」
「そうだったのか!」どうやら弥生さんは皐月さんを探していたようだった。
「でも、この後仕事の打ち合わせがあるから、もう時間がないの! だから、お願い!」弥生さんは両手を合わせてお願いしてきた。
「そこまで言うなら…」
「そっか! 良かった! ありがとう! じゃあ、あとはよろしくね! 翔くん!」弥生さんはサッと俺の手にプレゼントを渡してから、急ぎ足で帰って行った。
またもや半強制的にお願いされたが、これも無視するわけにはいかないので、皐月さんを探すことにした。それにしても、弥生さんが探し回って見つからなかったってことは、もう帰っているのかもしれないと思った。
「皐月さん……」と俺は弥生さんから受け取ったプレゼントを見つめながら、独り言を呟いた。
「はい」という返事が、俺の後ろから聴こえた。
「おわっ!」俺は驚いてオーバーリアクションをしながら振り返ると、そこには皐月さんが立っていた。
「え!? 皐月さん! いつから俺の後ろに…?」
「今来たところです」
「そ、そっか。弥生さんが探していたみたいだけど、会わなかったんだな」
「そうだったんだ。会わなかったよ。翔くんは弥生と会ったの?」
「あぁ。それで皐月さんに渡して欲しいって、これを頼まれたんだ!」俺は弥生さんに託されたものを皐月さんに渡した。
「弥生から? なんだろう?」皐月さんは受け取った箱を回し見したり、振ったりしながら、中身を確認していた。
「弥生さんはコスメって言ってたけど…」
「そっか! あとでお礼を言わなきゃ。翔くんもありがとう。わざわざ届けてくれて」
「いや、俺はほとんど何もしてないんだけどな」受け取ってからすぐに皐月さんが現れたので、実際俺が持っていた時間は1分程だった。
この時、俺は唐突に思い出した。俺がみんなに頼み事をするはずが、いつの間にか逆に頼まれ事を引き受けることになっていた。みんながあまりにも自然に頼み事をしてくるので、俺も意識せずに二つ返事で了承してしまっていた。このままでは、俺の威厳が危ういと思ったので、皐月さんに頼み事をすることにした。だが、何を頼もうか考えていなかったので、俺は少し考えることにした。そして10秒で思いついたので、早速皐月さんに頼むことにした。
「あの、皐月さん!」
「はい! 分かりました!」
「え!? 何が…?」
「翔くんのお願いを引き受けます!」
「え!? まだ何も言ってないんだけど…。てか、何かをお願いするってことも言ってないはずだけど…」
「翔くんの頼み事なら、私、何でも受け入れるよ!」皐月さんは満面の笑みで言った。
「え!? まさか、何を頼もうとしたのかも知ってる…とか?」俺は恐る恐る尋ねた。
「さすがに内容までは分からないよ! でも、推測はできるかな!」
「え!? ち、ちなみにどんな内容だと思うんだ?」俺は少し恐怖心を抱きながら尋ねた。
「そうだなぁ。翔くんのことだから、『今度一緒に〇マブラをしないか?』って思ったんだけど…。違うかな?」皐月さんは俺の口調を真似しながらも最後は控えめな態度で言った。
そして俺は驚愕していた。なぜなら、一言一句当たっていたからだ。俺の思考は皐月さんにバレバレだった。このセリフは先程考えたばかりなので、皐月さんはエスパーじゃないかという非科学的なことを疑うほど驚いてしまった。
「どどど、どうして分かったんだ?」俺は動揺しながら尋ねた。
「たまたまだよ! 最近、翔くんゲームでいろんな人に負けてるみたいだから、強くなるために、ゲーム配信している私に頼むことがあるかもしれないなぁって思ってたの!」
「なん……だと?」俺はさらに驚愕した。理由も完璧だったからだ。ここまで来ると、皐月さんの推理力がすごいのか、俺の思考が単純なのか、分からなくなってきたので、もうどうでもよくなり、俺は考えるのをやめた。
そんな風に俺の思考が停止している時、皐月さんが声を掛けてきた。
「私も翔くんに頼みたいことがあるんだけど、聞いてくれるかな?」皐月さんが改まった様子で言った。
「ん? あ、あぁ。なんだ?」俺は頭を切り替えて、聞く準備をした。
「実は明日の夜、視聴者参加型のライブ配信をやるんだけど、それを見て欲しいの」
「え!? それだけでいいのか?」
「うん」皐月さんは頷いた。
「まぁ、それぐらいなら…」
「ほんと! やった!」
「何時から配信なんだ?」
「明日の夜8時から、2時間配信する予定なの!」
「そっか! 分かった。必ず見るよ!」
その約束をして、俺と皐月さんは別れた。
そして、俺は教室に忘れていた本を回収し、部室に向かった。
翌日の朝、俺はもう一度頼み事の練習をしようと思いながら登校していた。そして、靴箱に着くと、牡丹さんと一緒になった。
「おはよう! 翔くん!」牡丹さんが元気なあいさつをしてきた。
「おはよう!」俺も返事をした。
「翔くん、このあとちょっと時間あるかな?」
「ん? あぁ、大丈夫だけど…」
「ちょっと数学で分からないところがあったから、教えてもらいたいんだけど、いいかな?」牡丹さんは遠慮がちに頼んできた。
「あぁ、いいよ!」俺はすぐに了承した。頼られて嬉しかったからだ。
そして一緒に教室まで行った。俺が机で準備をしていると、牡丹さんが数学の問題集を両手に持って、俺の席まで来てくれた。
「翔くん、いいかな?」
「ん? あ、あぁ! いいよ! ここ座って!」俺は席を立って、牡丹さんに座るように促した。
「え! い、いいよ! 私、立ったまま見るから!」牡丹さんが遠慮した。
「じゃあ、この椅子を借りよう!」俺はそう言って、隣の時雨の椅子を自分の机の隣に寄せた。「ここ座って!」俺がそう言うと、牡丹さんは遠慮がちに座り、黙ってしまった。それから少し沈黙が流れた。
「で、どこが分からないんだ?」俺は質問した。
「あ! そうだったね! この問題なんだけど…」牡丹さんはそう言いながら、問題集を開き、分からないという問題を指し示した。
「あぁ、これな! 結構難しいよな! 俺も時々間違うことがあるよ!」
「そうなんだ」
「ここはこれが…」俺が解き方の説明を始めると、牡丹さんは「うんうん」と頷きながら聞いていた。俺の声を聞きやすくするためか、途中、何度か髪の毛を耳に掛ける仕草をしていたので、その時の牡丹さんの横顔を見た時、ドキッとしてしまい、集中が途切れることがあった。
「そっか! 私、ここを間違えてたんだ!」一通り説明を終えると、牡丹さんは理解したようだった。
「この問題の難しさはここだからな。これが解けなくて躓いている人が結構いるらしい」
「へぇー、そうなんだ! でも、翔くんの説明、とっても分かりやすかったよ!」
「いや、俺は普通に説明しただけだ。ただ牡丹さんの理解力が高いんだと思う」
「えー、そんなことないんだけどな…。翔くんの教え方が上手いんだよ! 先生とか向いているかもね!」
「先生!? 俺が!? うーん………ないな!」自分の将来の姿を想像しようとしたが、あまりに不格好に見えたので、否定してしまった。
「えー、そうかなぁ? 私は良いと思うんだけどなぁ」
「まぁ、将来どうなるかなんて分からないから、もしかしたら先生になっていることも、あるかもしれないな!」
「そうだね!」
「ん、んん! そろそろ話は終わったのかな? 翔くん?」隣で立ったまま待っていた時雨が声を掛けてきた。
「ん? あぁ、大体終わったぞ!」俺はあっさり返事をした。
「え!? あ! 時雨くん! ごめんなさい! 椅子、借りっぱなしで」牡丹さんが慌てて立ち上がり、椅子を時雨に返した。
「あ、いや、気にしないで」時雨は牡丹さんをフォローした。
「じゃ、じゃあ翔くん、ありがとう! またあとでね!」牡丹さんはそう言って、自分の席に戻って行った。
そして昼休みなった。俺は今日プチ断食をしようと思い、昼は何も食べないつもりだったので、自分の席で読書をしていると、俺の名前を呼ぶ声が聴こえた。
「翔サーン! 一条サンが呼んでマスよー!」ベルさんが教室のドア付近で俺を呼んでいた声が聴こえたので、視線を送ると、一条さんが入り口で手を後ろに組んで立っていた。俺は読んでいた本を机に置いて、一条さんのところに向かった。
「やあ、一条さん! 久しぶりだな! 俺に何か用事?」
「あ、はい。水無月様は昨日お弁当を忘れてお困りになったとお聞きしたのですが…」
「え!? まぁ、そうだな…」
「大丈夫だったのですか?」
「ん? ま、まぁ、紫苑が買って来てくれたから、なんとかなったかな」
「そうですか! 良かったです」一条さんは安心した様子で言い、少し間を開けてから「今日のお昼はどうされるのですか?」と尋ねてきた。
「今日? 今日は特に準備してないから…」
「そうですか! それならちょうど良かったです!」
「え!?」
「これを水無月様に差し上げます!」そう言って、一条さんは風呂敷で包んだ四角い箱のようなものを差し出してきた。
「こ、これは?」
「お弁当です!」
「お弁当…?」
「はい! 私の家で働いているシェフに作らせました! 私の知り得る水無月様のお好みのものを詰めたので、お口に合うと良いのですが…」
「シェ、シェフが作った?」
「はい!」
一条さんが差し出してきたものの正体は、重箱だった。
「もしかして、一条さんの家って結構裕福だったりする?」俺は慎重に尋ねた。
「そこまでではないです」と一条さんは答えたが、これが謙遜なのか、本当なのか分からなかった。
「そ、そっか! でも、さすがに申し訳ないな。これをもらうのは…」一条家の事情が分からない以上、もしこの重箱弁当を無理して作っているのであれば、申し訳ないな、と思って遠慮がちになっていた。
「ご、ご迷惑でしたか…」一条さんのテンションが明らかに急降下したのが分かった。
「い、いや、迷惑じゃないけど…その…」俺はこの状況をどうにかしようと思考を巡らせていた。
「女の子がせっかくお弁当を準備してくれたのに、それを受け取らないなんて、サイテーね。水無月くん!」たまたま通りかかった睦月会長が鋭い目つきで俺を見ながら言った。
「水無月くんがそんな薄情者だったなんて、私、ショックだよ!」睦月会長の隣に立っていた一ノ瀬さんが言った。
「ほんと、翔ってこういうところデリカシーがないよな!」時雨が後ろから突然現れて言った。
「そ、そうだよな。ごめん、一条さん。ありがたくもらうよ」俺は反省をして、一条さんの弁当を受け取ることにした。
「本当ですか!」一条さんが一瞬にして笑顔に変わった。
そして俺は一条さんから重箱を受け取り、自分の席まで持って行った。それから近くの席を寄せて班を作り、一条さんに座るように促した。それから風呂敷を解き、重箱を開けると、中身は高級食材を使っているようだった。伊勢海老やローストビーフ、ステーキ、煮物、焼き魚、サラダなど、ほとんど俺の好物だった。さすがに一人で食べるには量が多かったので、一条さんと一緒に食べた。というより、一条さんも最初からそのつもりだったらしい。一条さんの弁当がなさそうだったので尋ねると、この重箱は元々一条さん用の弁当で、一条さんがシェフにいつもより多めにするよう頼んだらしい。もし俺が全部食べていたら、自分は食べないつもりだった、と言っていたので、危ないところだった。もし気づかなかったら、後々、女子の弁当を奪って全部食べた暴食野郎、なんて言われていたかもしれない。学校はすぐに変な噂が広がるから注意しなければ…、と改めて警戒心を強めた。
「ごちそうさまでした!」俺は両手を合わせて心を込めて言った。
「ごちそうさまでした!」一条さんが同じように言った。
「ありがとう! すごく美味しかったよ!」
「水無月様のお口に合ったようで良かったです! では、これからも準備してきますね!」
「あ! いや、さすがにそれは遠慮する! その気持ちだけで十分嬉しいよ!」
「そうですか…。では、また食べたくなった時はいつでも言ってください!」
「あぁ、ありがとう!」
そして放課後、部室に着くと、一年ズがなにやらコソコソと話し合いをしていたが、俺は構わずにいつもの定位置に座り、読書を始めようとした。
「ねぇねぇ、翔くん! ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかニャ?」カスミンが尋ねてきた。
「ん? なんだ?」俺は読もうとしていた本を机に置いて、カスミンの方に体を向け、話を聞く態勢になった。
「今日の昼、翔くんが一条かるたちゃんと一緒に食べたって噂を聞いたんだけど、本当ニャのかニャ?」
「あぁ、そうだけど…」
「……! ほ、本当だったんだニャ!」
「そそそ、それって…一条さんの手作り…だったんですか?」霞さんが小さな声で尋ねてきた。
「いや、一条さんはシェフが作ったって言ってたけど」
「シェ、シェフが! 抜かりないですね…一条かるた…」ひまわりさんが呟いた。
「味はどうだったのだ? 美味だったのか?」桔梗さんが尋ねてきた。
「あぁ。美味しかったよ! 俺の好みのものばかりだったし!」
「………!」三人はみんな同じような顔で驚いていた。
「一条かるた! そこまで計算していたとは…」ひまわりさんが呟いた。
「そ、そうか。良かったな。……ちなみに、汝の好きな食べ物は何なのだ?」桔梗さんが尋ねてきて、ひまわりさんと霞さんも真剣な目つきに変わり、俺を見てきた。
「ん? 好きな食べ物? そうだな…たくさんあるから迷うなぁ…」
「じゃ、じゃあお弁当のおかずなら、何が好きですか?」ひまわりさんが範囲を狭めた質問に変えた。
「弁当のおかずかぁ…そうだなぁ…焼き魚とか、ハンバーグとか、エビフライとか…あとポテトサラダとか、卵焼きも好きだな!」
「そうですか! 先輩って結構おこちゃまな舌をしているんですね!」おこちゃまな見た目のひまわりさんに言われてしまった。
「べ、別にいいだろ!」
「あ! ひょっとして今、おこちゃまはお前だろうって思いましたか?」ひまわりさんが怖い目つきで俺を見ながら尋ねてきた。
「い、いや、そんなこと思うはずないだろ! それに、今挙げたのは、老若男女問わず好きなはずだ!」俺は思考を読まれて焦ったため、声を震わせながら答えてしまった。
「……そうですね! 私も好きです!」ひまわりさんは笑顔に切り替わったので、とりあえず安心した。
「三人は何が好きなんだ? 弁当のおかずで…」俺は怪しまれないように早めに話題を変えた。
「我は唐揚げだな! 唐揚げだけで米3杯は余裕だ!」桔梗さんが自信満々に言った。
「唐揚げ美味しいよな! 俺も好きだ!」俺は賛同した。
「わ、私は…きんぴらごぼう…です」霞さんが小さな声で控えめに言った。
「きんぴらごぼうか! 美味しいよな! 俺も好きだ!」俺は賛同した。
「ボクは焼き魚だニャ! 猫だけに…」カスミンがギャグっぽく言った。
「そ、そうか…」
「私は、タコさんウインナーです!」ひまわりさんの答えを聞いて、俺は内心(やっぱりおこちゃまだな。これはまさしく、見た目は子ども、頭脳大人、味覚はおこちゃま、その名は…)と思っていると、「先輩、今、やっぱりおこちゃまだな、って思いませんでしたか?」と鋭い目つきで聞かれてしまった。
「い、いや、そんなことは…」話題を逸らすはずが、元に戻ってしまい焦ったが、なんとか誤魔化すことができた。もしかして俺は顔に出やすいのかもしれないと思ったので、今度検証することにした。今後のためにも…。
そして夜、食事を済ませた後、俺はリビングでパソコンを開き、皐月さんの生配信が始まるのを待っていた。
「あれ? お兄ちゃんがこんな時間にパソコン動画を観るなんて珍しいね! 何を観るの?」つゆりが好奇心で尋ねてきた。
「あぁ、五月さつきさんの生配信があるらしくて、それを観るって約束したんだ!」
「へぇー、どんな内容なの?」
「さぁ? 詳しくは聞いてないけど、視聴者参加型とか言ってた気がする…」
「それって、大丈夫なの?」つゆりは警戒心を抱いているようだった。
「え!? なにが?」
「いや、あの藤皐月さんのことだから、何か良からぬことを考えているんじゃないかと思って」
「良からぬことって?」
「それは、分からないけど…」
「観るだけだから大丈夫だろ!」
「そう…だね…。じゃあ私、先にお風呂入るね」
「あぁ」
つゆりはそう言って、逃げるように浴室に行った。つゆりは皐月さんに対して、何かトラウマでもあるのだろうか、というくらい警戒しているように見えた。あんまり関わりがないと思っていたが、俺の知らないところで交流しているのかもしれないと思った。
そして午後8時をちょっと過ぎた時間に、Vチューバー五月さつきの生配信が始まった。「みなさん! ヤホヤホ! 五月さつきです! 今日はよろしくね!」といういつも通りのあいさつをしてから、今回の企画の説明をし始めた。その説明によると、今回の生配信では、五月さつきさんと視聴者が電話で会話をするという内容だった。事前に応募した視聴者の中から抽選で選ばれた数人に、五月さつきさんが電話を掛けて、会話をするということだった。電話は非通知設定で、5コール以内に応答しないといけない、1人7~8分以内というルールで、会話の内容は常識的な範囲内ならジャンルを問わないということだった。これを聞いた時、俺はパソコンの隣に置いてある自分のスマホを見て、一瞬寒気を感じた。実は、始まる前に皐月さんから、「スマホを近くに置いておいてね!」というメッセージが来たので、それに従って置いておいたのだ。もしかしたら、こんなことになるかもしれない、という考えが頭の中を過ったが、まさかそんなことはないだろう、と自分で自分を説得した。それに、いつの間にか五月さつきさんの見た目が変わっていることにも驚いた。ちょっと前までは、髪が胸の辺りの長さだったのに、今回はショートヘアになっていた。どことなく、昔の皐月さんから今の皐月さんに変わったのと同じ変化のように感じた。
さすが大人気Vチューバーということもあり、リアルタイムで3万人以上の視聴者が観ていた。今日はこの中から運のいい数名が五月さつきさんと話せるらしい。正直、俺はいつでも話す機会があるので、羨ましいという感情は全くなかったが、おそらく、3万強の視聴者の中には、運のすべてを捧げている人も何人かいるだろうと思った。そして五月さつきさんは電話を掛け始め、次々といろんな人と会話をしていた。幸運だった視聴者は、男が7、女が3くらいの比率で、子どもから30代くらいの年齢層だった。話していた内容は、五月さつきさんのことをどうして好きになったのかを語る30代男性、五月さつきさんに名前を呼んでもらった女の子、仕事の悩みを打ち明ける20代女性、好きな五月さつきさんの歌を電話越しに一緒に歌う10代男性など、本当に自由だった。それから、あっという間に時間が経ち、午後10時まで残り20分というところで、次が最後の電話ということだった。
「では、次が最後の電話になります。リスナーネームは六月さんです! 5コール以内に電話に出てくださいね!」五月さつきさんがそう言った瞬間、俺のスマホに着信が来た。相手は藤皐月さんだった。もはや非通知設定ですらなかった。俺は出るかどうか迷ったが、結局5コール目の途中で応答した。
「はい」
「ヤホヤホ! 五月さつきです! 六月さんでお間違いないですか?」
「ヤホヤホ! はい。六月です」
「初めまして、六月さん! 今、配信観てますか?」
「初めまして、五月さん! はい。観てます!」
「ありがとうございます! なんだか名前が似ているので、親近感が湧いてきますね!」
「ありがとうございます。光栄です!」
「六月さん、さっきから私の言葉を繰り返していますが、緊張していますか?」
「え!? そ、そうですか? すみません」
「いえいえ、気にしないでください」
「ありがとうございます…」
「では、私に何か聞きたいことや言いたいことはありますか?」
「え!? そ、そうですね……」
「何でもいいですよ! 好きなゲーム、好きな食べ物、好きな遊び、好きな人など、何でも答えますよー」俺が考えている間、さつきさんが喋って間を繋いでくれていた。
「あ! じゃあ、五月さつきさんの名前の由来は何ですか?」
「私の名前の由来? 良い質問ですね! そういえば、今まで言ったことなかったので、今日が初告白になりますね!」
「え! 聞いても大丈夫でしたか?」
「はい! モーマンタイですよ!」そして少し間を開けてから、「私、五月さつきの名前の由来はですね……ある人をリスペクトしているんですよ!」と言った。
「ある人…?」
「はい! 実は私、あるブログをいつも読んでいるんですよね! 『人生山あり、谷あり、希望あり!』っていうブログなんですけど…」
「ッ……!」俺は危うく声が出そうになってしまった。
「そのブログを書いている人が、六月、っていう人なんですけど…ふふ、六月さんと一緒ですね!」
「そ、そうですね…(まぁ本人だからな。てか、皐月さん絶対知っていてからかっているだろ!)」俺は思ったことを口に出さないように必死だった。
「そのブログ、前向きなことや元気が出る名言とかを書いているんで、落ち込んだ時や失敗してしまった時に見て、いつも励まされているんですよ!」
「そうなんですね…」
「たとえば、『感情は天気と同じである!』っていうタイトルでは、ポジティブとネガティブを天気になぞらえて、晴れの日もあれば、雨の日もある、雨が続くこともあるけれど、その後は必ず晴れがやって来る! っていう名言を書いているんですよ!」
「カッ、カッコイイですね!」自分で言って恥ずかしかった。
「そのブログ主の六月さんをリスペクトして、五月さつきって名前にしたんですよ! 結構単純でしょ?」
「そうだったんですね! 今頃その六月さんも驚いているかもしれないですね!」
「そうですね! 六月さんが私の配信を観てくれていれば、ですけどね! ……あ! ちなみに、雛月弥生ちゃんもこのブログのファンらしいけど、教えたのは私なんですよ!」
「そっ、そうだったんですね! あの雛月弥生さんも観ているんですね!」
「それだけ素晴らしいブログということです! 今観ている皆さんも、ぜひ、観てみてくださいねー!」さつきさんがそう言うと、コメント欄も盛り上がっていた。
「六月さんは、今高校生ということですが、学校生活はどうですか?」
「え!? そ、そうですね。楽しく過ごしています」
「勉強、大変じゃないですか?」
「そうですね。でも、僕は勉強が好きな方なので、あまり辛いと思ったことはありません」
「そうなんですね! 得意科目とかってあるんですか?」
「得意科目…ですか…。そうですね…得意かどうかは分からないですが、心理学とか脳科学は好きです!」
「へぇー、心理学や脳科学が好きなんですね! ってことは、人の心理を見抜くことができるんですか?」
「い、いえ、できません」
「そうなんですか? 謙遜しているんじゃないですか? もしかして、学校では心理学を活かしてモテモテなんじゃないですか?」
「そんなことはないです。今までモテたことは一度もないので…」
「そうなんですか? 声を聴く感じでは、やさしくて思いやりのある印象を持ちましたけど…」
「そ、そうですか! ありがとうございます! そう言っていただけるだけで、嬉しいです!」
「六月さんは、誰か気になっている人はいないんですか?」
「そ、そんな人は、い、いません!」そう言いながらも、頭の中ではある女性の顔が思い浮かんでいた。
「今の反応だと、誰かいそうですね!」
「ッ……!」
「とまぁ、話が盛り上がって来たんですが、時間が来たので、ここまでにしたいと思います! 六月さん、最後に何か一言ありますか?」
「え! あ、あの、今日はありがとうございました! お話しできて嬉しかったです!」
「はい! 私も六月さんとお話しできて楽しかったです! これからも応援お願いしますね!」
「はい!」
「では、遅い時間までありがとうございました! 失礼します」
「はい、失礼します」
そう言って、通話は切れ、五月さつきさんは生配信のまとめをし始めた。通話が切れた瞬間、緊張が解け、一気に疲労が押し寄せてきた。生配信がここまで緊張するものだとは知らなかったので、いい体験だったと思う。慣れているとはいえ、これを毎回やっている皐月さんはすごいなと改めて感心した。
翌日、学校に着くと、朝一番に弥生さんがA組の教室を訪ねてきた。
「翔くん! ちょっと聞きたいことがあるんだけど!」弥生さんがいつものあいさつを忘れるほどの勢いで俺の席までやって来た。
「弥生さん! チャオチャオ!」
「あ! チャオチャオ! じゃなくて、翔くん! もしかして、昨日の皐月の生配信に出てた?」
「え!? 何のことだ?」
「昨日の皐月の最後の電話の相手の六月さんって、翔くんのことじゃないの?」
「さ、さぁ? どうだろうな?」俺は目線を逸らしながら答えた。
「声もすごく似ているんだけど…」弥生さんはそう言って、持っていたスマホから、俺の話しているところを再生した。
「偶然ってこともあり得るんじゃないか? 声が似ている人ならたくさんいるだろうし…」
「いや、声意外にも、学生であること、六月っていう名前、勉強が好きで特に心理学が得意って、どっからどうみても翔くんなんだけど!」
「世界には自分に似ている人が3人いるって言うだろ? それに、もしかしたらパラレルワールドの俺の可能性も…」
「どうしても認めたくないんだね…」
「そ、それは…」
「弥生! 翔くんが困っているでしょ! それ以上追及しちゃダメだよ!」皐月さんが颯爽と現れた。
「皐月! あなた、アポなしで翔くんに電話したでしょ?」
「何のことを言っているのか、分からないんだけど…」
「公私混同し過ぎじゃないの?」
「私は、応募の中から公平に選んだつもりだけど…」皐月さんは堂々と嘘をついた。
「翔くん、皐月の生配信に応募してたの?」弥生さんが俺の目を見つめながら尋ねてきた。
「え!? いやー、応募した記憶は…ないんだけどな…」俺は目を逸らしながら答えた。
「やっぱりアポなしじゃない! 羨ま…ん、んん…」弥生さんが皐月さんに詰め寄った。
「さぁ、どうだったかなぁ…?」皐月さんは知らない振りをしていた。
「まぁいいわ! もう終わったことをとやかく言っても意味がないからね!」
「そうだね」皐月さんが勝ち誇ったような表情をしているように見えた。
「ってことで、私もゲストを招いてトークしようと思うんだけど、翔くんに出て欲しいの! 本物の六月さんとして!」弥生さんが突然提案してきた。
「え!?」俺と皐月さんは声を揃えて驚いた。
「さすがにそれはちょっと、荷が重いというか…」俺は予想外の提案に躊躇った。
「弥生! いきなり何を言っているの! 翔くんは顔出しNGだから!」皐月さんが俺のマネージャーのようなことを言った。別にNGって決めてるわけじゃないんだが…。
「じゃあ、顔は出さなくていい。なんならオンラインでもいいから!」弥生さんは必死そうに見えた。
「いや、でも、俺無名の一般人だし…」
「そんなことないよ! 翔くん、いや、六月さんはSNSじゃ有名人だよ!」弥生さんはそう言って持っていたスマホの画面を見せてくれた。そこには、六月というキーワードがバズっている様子が映っていた。どうやら昨日の皐月さんの発言で一瞬だけトレンドワードになったようだった。さすが大人気Vチューバーの五月さつきさんだな、と思った。影響力が半端ない。
「六月さんは、正体が分からないから魅力があるの! それを晒そうっていうの?」皐月さんが反論した。
「だから顔出しはしなくてもいいって言ってるの! ていうか、皐月だって無理やり声だけ出演させてるじゃない!」
「私は正体を明かしてないからセーフなの! 弥生はそれを明かそうとしてるじゃない!」
「そこは翔くんの要望次第で、明かさないようにもできるから!」
「それって公私混同じゃないの?」
「これはお互いにメリットがあると思ってお願いしているの! もし、私のフォロワーが六月さんのブログを観れば、翔くんのメリットになるし、私も楽しい時間が過ごせればメリットになるし、そう! WINWINなの!」
「それだと、俺のメリットの方が多い気がするけど…」俺は気になったところをツッコんでみた。
「そんなことないよ! 私はちょうど半々くらいだと思うけど!」弥生さんは真面目に答えているようだった。
「とにかく、六月さんを弥生の動画に出演させるなんて、私が許さないから!」皐月さんがムキになって言った。
「別に皐月の許可を求めているわけじゃないから! 私は翔くんの許可を求めているの!」弥生さんもムキになっているようだった。
そう言い合いながら、弥生さんと皐月さんはいつも通りバチバチしていたので、俺は二人に落ち着いてもらおうと声を掛けた。
「ま、まぁ、とりあえず二人とも落ち着いて…。いきなりでビックリしたけど、ちょっと検討してみるよ!」と言うと、弥生さんは嬉しそうな顔で、皐月さんはガッカリしたような顔で俺の方を見た。ということで、俺は超人気インフルエンサー雛月弥生さんの動画に出演する権利を得ることになった。
その日の昼休み、突然七星さんから電話が掛かってきた。
「ももも、もしかして、ききき、昨日の五月さつきの最後の電話相手は、そそそ、そなたではないのか?」七星さんが声を震わせながら尋ねてきた。
「あー、多分他人の空似だと思います」俺は適当に答えて電話を切った。
いざ、頼み方の練習をしようと思って、意識していると、自分自身がこんなにも頼まれ事を引き受けているとは思わなかった。そう言う意味では、自分の行動を知ることができて良かったと思う。それに、みんなが自然と頼み事をしてくるので、学ぶことも多かった。特に皐月さんには、フット・イン・ザ・ドアというテクニックを上手く使われてしまった。フット・イン・ザ・ドアとは、最初に相手が受け入れてくれそうな簡単な頼み事をして、相手が「イエス」と受け入れた時、次にもっと大きな頼み事をする、というテクニックだ。皐月さんは、最初に生配信を観て欲しいという簡単な頼み事をし、俺の承諾を得てから、次に電話に応答して欲しいという大きな頼み事をしてきた。この時の俺は、一度承諾している相手からの頼み事を断るわけにはいかない、という一貫性を保とうとする心理が働いていた。それに、電話に出ないと皐月さんに迷惑がかかるかもしれないなどのプレッシャーもあり、時間もなかったので、承諾する以外の選択肢が考えらない状況になっていたのだろう。知識を持っているだけでは意味がないということを、改めて思い知らされた出来事だった。頼み事に関しては、俺よりも他のみんなの方が上手くできていることを知ったので、俺もこれから練習に励もうと決心した。
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