ドキドキ!!修学旅行大作戦!!①
今日から3泊4日の修学旅行だ。行先は京都、大阪という定番中の定番だ。正直、最初は行く気が全くなかった。なぜなら、一人で何度か訪れたことがあるからだ。清水寺、金閣寺、嵐山などの観光スポットはすでに行ったことがあった。それに、なぜわざわざ時間に制限されかつ団体行動をしなければならない旅行に行かなければならないのか、疑問に思っていた。それなら、一人で行った方がどちらも自由にできて、気楽に旅行を楽しめると思っていた。つゆりに説得されて仕方なく旅費を払ったくらいだ。しかし、今では少し楽しみになっている。というよりベルさんのテンションに俺も影響を受けている気がする。ベルさんは京都、大阪、奈良に行くのが初めてらしいので、すごく楽しみにしている様子だった。俺は自分が観光で楽しむというよりは、ベルさんや如月さんたちがどんな風に旅行を楽しむのかが気になった。それに、修学旅行直前で十七里と八月一日さんの関係が悪くなっているので、そちらもなんとかならないか、と思っている。変に介入しすぎて、余計関係が悪化しないように気を付けなければならない。
家を出る時、つゆりの反応に少し違和感を抱いたが、笑顔で見送ってくれたので、おそらくお土産を期待しているのだろうと思った。なので、つゆりの好きなお菓子を買うことにした。今の時代、何でもネットで買うことができるので、現地に買いに行かなくてもよくなったのは本当に便利になったな、と改めて思った。集合場所の駅に到着すると、すでに多くの生徒が集まっていた。俺は、出会って早々ベルさんに「翔サン! 荷物それだけデスか?」と驚かれてしまった。俺は旅行であまり大きな荷物を持たないようにしているので、バックパック一つにまとめられる量しか準備をしてない。足りなくなったら現地調達すればいいと考えているからだ。みんなは大きなキャリーバックにいろんな荷物を詰めているようだが、俺はそれが苦手で運ぶのが面倒だと思ってしまう。逆に何をそんなに詰め込んでいるのだろうと疑問に思うくらいだ。新幹線では、景色を眺めたり、トランプやUNOなどで遊んだり、寝ていたりして過ごしている人が多かったが、相変わらず十七里と八月一日さんは一度も会話をしていなかった。そして、目的地の京都に到着した。
修学旅行の日程は、このようになっている。一日目は団体行動で、京都を散策する。嵐山、龍安寺、金閣寺などに行き、その後、宿に移動して一日目は終了となる。二日目は班別行動で京都を散策する。そして三日目は大阪に移動し、US〇で一日遊ぶ。最終日は団体で大阪を散策してから帰る、という流れだ。団体行動では周りに人が多いため、下手な行動はしないほうがいいだろうと考えた。なので、二日目と三日目の班別行動が仲直りするチャンスだろうと思った。ということで、一日目に俺が特に何かすることはないので、観光を楽しむことにした。俺たちの中で一番楽しそうに見えたのはベルさんだった。ベルさんを観察していると、一つひとつのリアクションが大きくて、見ている俺も楽しくなってきた。嵐山では、渡月橋や竹林などを見て回ったり、大玉みたらし団子やわらび餅を食べたりして感動しているようだった。龍安寺では、世界遺産に登録されている石庭を見て「Beautiful!」と呟いていた。金閣寺では、金色に一番感動しているように見えた。「ワタシの髪と同じ色デス!」と言いながら、自分の髪を風になびかせ俺たちにアピールしてきた。本当に心から楽しんでいるように見えたので、一緒に旅行に行くならベルさんはオススメかもしれない、と思った。それに釣られてか、神無月もベルさんの後を追って、テンションが上がっていた。まるで童心に帰ったような二人を見て、俺もこんな風になれたらな、と少し羨ましく思った。
「二人とも楽しそうだね!」と如月さんが笑顔で俺に言葉を掛けてきた。
「そうだな!」と俺は返事をした。
「あそこまで童心に帰って楽しめるの、ちょっと羨ましいなぁ!」と如月さんが言った。如月さんが俺と同じことを考えていたので、少し驚いた。
「如月さんはあんな風にできないのか?」と俺は聞いた。
「私は、周りが気になっちゃうから、できないなぁ! 翔くんは?」
「俺もあそこまではしゃぐのはできないな! 元々反応は薄い方だと思うけど…」
「そうなんだぁ! 私たち、ちょっと似ているかもね!」と如月さんが笑顔で言ってきたのを見た時、胸がドキッとしたのが分かった。それも仕方ないことだ。こんなにかわいい人にあんなことを言われて、ドキッとしない方がおかしいくらいだ。俺は正常な反応をしただけだ。たとえそれがお世辞だったとしても…。少し離れたところから、童心の二人を見ていると、ベルさんが「こっちにも面白いものがありマスよー!」と言いながら、俺たちに来るように促したので、俺はゆっくり歩いて向かった。散策中、誰かに見られているような感じがしたり、つゆりの声が聞こえた気がしたりしたが、おそらく気のせいだろうと思って考えないようにした。
そして、京都散策を終えてから宿に移動した。部屋割りは男女に分かれて三人一部屋だった。基本同じ班の人と同部屋なので、俺は霜月と十七里と同じ部屋だった。今日一日、俺は十七里と八月一日さんを観察していた。二人ともそれぞれ友達と笑顔で楽しそうに会話していたが、二人が話すことはなかった。いつもだと必ず一日一度は会話する仲であるはずなのに…だ。そこで、十七里に現状を確認することにした。十七里によると、この前のことがあってから、話しかけづらくなっているようだった。今までもケンカをすることはあったけど、次の日には仲直りをしていたので、こんなに長引くケンカをしたのは初めてで、どうすればいいのか分からなくなっているようだった。謝っても許してもらえない、話しかけようとしても避けられるなど、打つ手がないと十七里は頭を抱えて悩んでいた。あの十七里がここまで悩んでいる姿を見て俺は驚いた。一見、悩みなんてなさそうな十七里でも人間関係でここまでなるのか、と思った。そんな状態でも何か行動しなければ現状は変わらない。俺は最後に十七里がどうしたいのかを尋ねた。すると、十七里は八月一日さんと仲直りしたいと答えたので、俺と霜月も協力することになった。正直、具体的な作戦は特になかった。ただ、明日の班別行動で十七里と八月一日さんを二人きりにする時間を確保する作戦にした。二人っきりになりやすそうな場所をいくつか共有した。その際、あからさまに行動すると意図に気づかれて、逆効果になる恐れがあるので、なるべく自然に行うように注意しなければならないことを確認してから、俺たちは眠りについた。
二日目の早朝6時、俺は宿周辺を散歩した。いつもと違う街並みを楽しみながら歩いていると、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
「グッモー! 翔さん!」という元気な声が聞こえたので、振り返るとベルさんがいた。
「おはよ! 早いな! ベルさん」と俺は返答した。
「ハイ! 今日が楽しみすぎて、早く目覚めてしまいまシタ!」とベルさんは元気な声で言った。
「そっか。昨日はよく眠れたのか?」と気になったので聞いてみた。
「ハイ! ぐっすり眠りまシタよ! おかげで元気いっぱいデス!」とベルさんは言いながら腕を上に伸ばして元気アピールをした。
「それならよかった!」
「翔サンも早いデスね! よく眠れまシタか?」
「あぁ。眠れたよ! 俺はいつもこのくらいに起きているから、いつも通りだな!」
「そうなんデスか! 早起きなんデスね!」
「ところで、ベルさんは朝早くに何をしているんだ? もしかして散歩?」
「ハイ! 早く目が覚めて暇だったので、せっかくなら散歩をしようと思いまシタ! 翔サンも散歩デスか?」
「あぁ。俺は朝散歩するのが日課になっているからな! それに今日はいつもと景色が違うから新鮮だと思って…」
「そうなんデスね! じゃあ一緒に散歩しまセンか?」
「あぁ、というより、もう一緒に散歩しているけどな!」
「そうデスね!」
それからしばらく二人とも沈黙して歩いていると、ベルさんが新しい話題を振ってきた。
「アノー、翔サン! 一つ聞いてもいいデスか?」とベルさんは畏まった感じで言った。
「あぁ。なんだ?」
「十七里サンって風鈴サンのこと、どう思っていると思いマスか?」とベルさんは突然、俺に聞いてきた。どうして急にベルさんの口から十七里と八月一日さんの話が出てきたんだ、と疑問に思ったが、もしかしたら、ベルさんも一日目の二人の違和感に気づいたのかもしれない、と推測した。しかし、俺がここで変なことを言い、ベルさんから八月一日さんに伝わり、関係が悪くなると大変なことになるかもしれない、と考えた。なぜなら、ベルさんと八月一日さんは、気づかないうちにいつの間にか仲良くなっていたからだ。おそらく学園祭がきっかけだろうと思った。そんなことより、俺は今どう返答すればいいのかを考えなければならなかった。沈黙するのも変に捉えられるかもしれないので、俺は脳をフル回転させて理想の答えを考えた。
「んー、まぁ俺から見たら、仲の良い幼馴染に見えるけどな!」と俺は内心ハラハラしながらも、表面ではなるべく冷静さを保ちながら答えた。
「ハァ、そうデスか」とベルさんは言ったが、明らかにテンションが下がったのが分かった。もしかして俺は地雷を踏んだかもしれない、とこの時思った。
「ベっ、ベルさんは、どう思うんだ? 二人のこと?」と俺は苦し紛れに聞き返してみた。
「ワタシデスか!? ワタシは、お似合いな二人だなぁって思いマス! 仲が良くて……」と言いかけたところで、ベルさんは突然、ハッとした表情になって途中で話すのをやめた。そして「ホラ! 見てくだサイ! 太陽が出てきまシタ!」と話題を変えたので、俺もそれ以上は追及しなかった。自分からボロを出さないためにも懸命な判断だったと思う。それから俺とベルさんは20分程一緒に散歩をしてから宿に戻った。
そして、修学旅行二日目の京都散策の時間になった。今日は班行動なので、俺、霜月、十七里、如月さん、ベルさん、八月一日さんの6人での行動のはずだったのだが…。出発する時には、雛月さん、睦月会長、一ノ瀬さん、芙蓉さん、藤さん、神無月も一緒にいた。「いや、なんで他のクラスの班が一緒にいるんですか?」と問いただすと、一人ずつ順番に答えだした。
「だって、翔くんたちと偶然ルートが同じだったから!」と雛月さんがわざとらしく答えた。
「私は、弥生に任せていたから、それについて行くだけよ!」と睦月会長が凛々しい態度で答えた。
「私はー、弥生ちゃんと睦月ちゃんについて行くだけー」と一ノ瀬さんがゆるーい感じで答えた。
「あたしは、久しぶりに牡丹と一緒に回りたいなーって思ったから!」と芙蓉さんがあっさり答えた。
「私は、水無月くんと一緒に回りたいって言ったら、班のみんなが応援してくれたから!」と藤さんは答えた。
「俺は…」と神無月も何か理由を言っていたようだが、もはやその言葉は俺の耳には届いていなかった。
そんなことよりも、俺は十七里と八月一日さんを自然に二人きりにする作戦が難しくなったことを考えていた。雛月さん、睦月会長、一ノ瀬さんは一緒の班らしく、行先は雛月さんが決めたようだった。ルートを確認すると俺たちの班と全部同じだったので、おそらく事前に確認し合っていたのか、もしくは藤さんからの情報だろうと思った。つまり、俺たちとずっと一緒だということだ。藤さんは、まぁ、うん。なんとなく予想はできた。というより、藤さんの友達はいい人そうだな、と思った。芙蓉さんは全くの予想外だった。まさか如月さんと回りたいと言って、単独で来るとは思わなかった。俺と霜月と十七里は、一度円陣を組んで周りに聞こえないように小さな声で作戦会議を始めた。そこに途中で神無月が無理やり入ってきた。
「十七里! これは予想外の展開だ! どうする?」と俺は小さな声で聞いた。
「どうするって聞かれても、僕一人じゃどうしようもない!」と十七里は弱気になっていた。
「まさかここまで人が増えるとは思わなかったな!」と霜月が小さな声で言った。
「え!? なに? 何かするつもりなのか?」と神無月がワクワクしているような感じで言った。
「だけど、やるなら班行動である今日か明日の方がいいだろう!」と俺は小さな声で提言した。
「そうだな! 団体行動よりは、班行動の方がやりやすいだろう!」と霜月が俺の意見に同意した。
「でも、それだと水無月くんたちが大変なんじゃ?」と十七里は俺たちの心配をしながら言った。
「そんなこと気にしなくていいだろ!」と神無月があっさり言った。
「俺はもう何回も来たことある場所だから、そこまで観光に興味はない! だからこっちに集中できる!」と俺は答えた。
「こうなってしまったなら仕方ない! 俺たちで、できる限りのことはしよう!」と霜月も覚悟を決めて言った。
「ありがとう! よろしく頼む!」と言う十七里もやる気を取り戻したような顔になった。
「よし! 俺も頑張ってみるか!」とよく分かってないはずの神無月もやる気になっていたので、後で説明することにした。俺たちは円陣の真ん中で手を重ねた後、霜月が「絶対成功させるぞー!」と小さな声で言い、全員で「オー!」と言ってやる気を上げてから、それぞれ散った。雛月さんに「何をしていたの?」と聞かれたので、俺は「役割をこなすためにモチベーションを向上させたんだ!」とカッコつけて答えたが、何のことかよく分かっていないようだった。
今日の俺たちの予定はこうだ。まず伏見稲荷大社に行き、次に清水寺、八坂神社、祇園という順番で散策予定だ。このどこかで十七里と八月一日を自然と二人きりにして、話し合いをするように仕向ける作戦を決行する。人数が増えた時は難しいかもしれないと思ったが、よく考えると、意外とそうでもないかもしれないと思うようになった。おそらく睦月会長は一ノ瀬さんとペアでずっといるだろうし、芙蓉さんは如月さんと一緒に回るだろう。藤さんは事情を知っているので、お願いすると協力してくれるだろうし、ベルさんは一人でも勝手に突き進むだろう。雛月さんがどんな行動をするのか分からないが、彼女さえ押さえておけば、この作戦は上手くいくのではないかと思った。
ということで、俺たちは最初の伏見稲荷大社に到着した。境内を回り始めると、俺の予想通りの割り振りになった。千本鳥居を見たベルさんは我先にと突き進み、それに続いて神無月も舞い上がっていた。この時、神無月は当てにならないと確信したので、作戦にはいない体で考えることにした。睦月会長と一ノ瀬さんは腕を組んで歩いており、如月さんと芙蓉さんも一緒に話しながら歩いていた。気になっていた雛月さんは、藤さんと一緒に話しながら歩いていた。そういえば、この二人の仲が良いということを忘れていたが、これは嬉しい誤算だった。これで俺と霜月が周りを警戒することで、自然と十七里と八月一日さんを二人ペアにできると思った。八月一日さんは如月さん、芙蓉さんの話に加わって話していたので、俺が如月さん、霜月が芙蓉さんに自然に話しかける作戦に出た。作戦は上手くいったかに思えたが、先に行っていたベルさんが戻って来て「こっちに面白い石がありマスよ!」とテンション高めに言ってきたので、みんなの注目がそちらに向かってしまい、失敗した。ベルさんが言っていたのは、おもかる石という石のことだった。これは願い事を想いながら石を持ち上げ、予想より軽ければ願いが叶う、というよくある石の一つだ。それを聞いたベルさんは、早速持ち上げる準備を始めた。ベルさんはおもかる石の前に立ち、持ち上げる前に手を合わせて願い事を祈り、持ち上げた。その感想は、思ったよりも少し重かったそうだ。その結果にベルさんは少しへこんだ様子になったので、このままではマズいと俺は思った。ベルさんはこの中で盛り上げてくれる存在なので、ベルさんが落ち込むと、みんなにも影響が出るかもしれない、と思った。
「まっ、まぁ重いからといって、願い事が叶わないわけじゃないからな! 叶えるのが大変かもしれないけど、その方が面白くないか?」と俺はベルさんを励ますつもりで言った。
「そうだよ! 願い事は大変な方が、達成感が大きいって言うし!」と続いて如月さんもフォローしていた。もしかしたら、如月さんも俺と同じ考えなのかもいれない、と思った。
「そうデスか? ………そうデスね!」とベルさんは言い、表情が少し明るくなったので、なんとか励ますことに成功したと思い、如月さんと一緒に安堵していると、隣でおもかる石を持ち上げた神無月が、思ったより石が軽かったということを声に出して喜び始めたので、再びベルさんが落ち込んだ。この時、俺は神無月を作戦の妨害者に認定した。
それから、みんなもおもかる石を順番に持ち上げ始めた。その結果、軽いと感じたのは神無月、雛月さん、一ノ瀬さん、芙蓉さん、十七里、八月一日さん、俺で、重いと感じたのは、ベルさん、如月さん、霜月、睦月会長、藤さんだった。ちなみに、この時俺は、十七里と八月一日さんが仲直りしますように、と願った。軽かったのだから、ぜひとも叶えて欲しいものだ。
次に俺たちは、清水寺に向かった。清水寺に着くと、テンションの高いベルさんが復活して突き進んで行ったので安心した。定番スポットで境内も広かったので、ここで上手く逸れることができれば、と思っていた。移動中に霜月、十七里と作戦会議をして、清水寺で勝負に出るということで意見が一致した。作戦はこうだ。最初はみんなで見て回りながら頃合いを見て、俺と霜月がそれぞれのグループに声を掛け分離する。そして自然と十七里と八月一日さんを二人っきりにするという作戦だ。この人の多さは、逆に俺たちに味方をしてくれるというわけだ。一度逸れることができれば、連絡しない限り、そう簡単に合流はできないだろう。作戦は本堂である清水の舞台かそれまでに決行しようと思っていた。俺たちは清水寺に到着する前にそれぞれの健闘を祈った。そして作戦通り、最初の仁王門や三重塔などをみんなで見て回った。俺と霜月は機会をうかがっていたが、ベストなタイミングが掴めずに、本堂まで来てしまった。本堂にもたくさんの人がいたので、ここがチャンスだと思い、霜月とアイコンタクトをして、作戦を決行しようとした瞬間、予想外のことが起こった。一般の観光客が雛月さんに気づいて、群がって来たのだ。俺たちはその人混みに巻き込まれバラバラになってしまった。俺は一人になってしまった。逸れるといっても、これでは誰と誰が一緒にいるのか分からないので意味がない。俺はスマホをポケットから取り出し連絡しようと思ったが、電源が切れていたのでできなかった。今日の朝、起きた時に充電していたはずだが、なぜか充電できていなかった。俺は普段、外出時にスマホを使うことがほとんどないので、予備の電池は持っていなかった。それにもしかしたらスマホが故障したのかもしれない、と思ったが、今はそれどころではなかった。俺はどうするかを考えた。スマホの電池を買いに行くか、でも、そんなことしていたら、八月一日さんは散策を終えるかもしれない。じゃあ、このままみんなを探すか、でも、この人の多さではそれも時間が掛かる。それに早く連絡しないと状況が分からずに俺は作戦を決行することができない。俺はその場に立ち尽くして考え込んでいると、後ろから肩を叩かれた。振り向くと八月一日さんだった。
「よかった! 知っている人に会えた!」と八月一日さんは俺に会えて安心しているようだった。どうやら八月一日さんもさっきの人混みに巻き込まれ一人になっていたようだ。
「八月一日さん! ごめん。俺、スマホの電池が切れてて、誰にも連絡ができないんだ!」と俺は申し訳なさそうに言った。
「私もスマホ切れてて、誰とも連絡できないの!」と八月一日さんは自分のスマホを見せながら言った。
「え!? 八月一日さんも?」と俺は驚きながら聞いた。
「うん! 昨日充電し忘れちゃった!」と八月一日さんは答えた。
その言葉を聞いて俺は疑問に思った。今日に限って、俺と八月一日さんのスマホの充電が切れていることなんてあるのか、と俺は思った。もちろん偶然ということもあり得るが、俺の記憶が正しければ、朝部屋でスマホを充電していたはずだった。それができていなかったということは、俺が散歩に出ている間に誰かが充電器を外して、俺が戻った時に再び差し込んだ可能性がある。俺は充電ができていると思い込んでいいたために、充電量を確認せずにスマホを取ってしまった。その結果、電池残量が少なかったので、電源が切れたことになる。もしかしたら、八月一日さんも同じことを誰かにやられた可能性があるので、確認してみると、八月一日さんの場合はただ単に充電のし忘れだったと本人が言っていたので、俺の推測はただの考えすぎかもしれない、と思った。人間の記憶というものは、自分の都合のいいように保存されるため、当てにならないということが分かっているので、俺も充電器を差していなかったのかもしれない、と思った。
「とりあえず会えたのはよかったけど、俺たち二人ともスマホが使えないとなると、もう一人誰か探さないとな!」と俺は提案した。
「もう、いいんじゃないかな! 別に探さなくても…」と八月一日さんは答えた。
「え!?」と俺は八月一日さんの発言の意図が分からず、驚いた。
「だって、入る前に約束したよね!」と八月一日さんが言ったのを聞いて、俺は思い出した。
俺たちは清水寺に入る前に、ある約束事をしていた。それはもし中で逸れてしまった時は、入り口に集合しようという約束だった。勝手に次の目的地に行かないように、ということと、中で逸れても探すよりか各自で楽しんだ方がいいだろう、ということだった。これは八月一日さんが提案したことだった。会話の流れはこんな感じだった。
「Oh! 結構人多いデスね!」とベルさんが言った。
「そうだね。逸れないようにしないとね!」と如月さんが言った。
「私はー、ずっと睦月ちゃんに引っ付いているから、もし逸れても大丈夫だよー!」と一ノ瀬さんが睦月会長と腕を組みながら言った。睦月会長はデレデレだった。
「あたしも牡丹と逸れないようにちゃんと見ているから!」と芙蓉さんが言った。
「じゃあ私は、翔くんと手を繋いでおこうかなぁ!」と雛月さんが冗談で言った。
「それはダメ! それは私の役目だから!」と藤さんは即否定して、逃がさないように雛月さんの腕を掴んだ。
「じゃあ、もし中で逸れてしまったら、ここに集合ということでどうですか?」と八月一日さんはみんなに提案した。
「いや、そんなことしなくてもスマホがあれば逸れても大丈夫だろ?」と神無月がツッコんだ。
「そうだね! でも、もしなにか理由があって連絡できなかったら、その時はここに集合にしませんか?」と八月一日さんは再度提案した。
「そうだな! もしもの時はそうしよう!」と俺は八月一日さんの提案に賛成した。俺たちの作戦にとって、この提案は好都合だったからだ。続いて、霜月も賛成すると、みんなも賛成した。
ということで、今現在みんなと逸れてしまい、連絡手段もないということで、もしもの時なってしまったというわけだ。約束事を守るなら、俺と八月一日さんの二人で清水寺の残りを散策することになる。これはマズい…。十七里と二人っきりにするはずが、俺と二人っきりになってどうする、と心の中で自分を怒った。しかし、ここで断って変に勘違いされて、俺が八月一日さんを嫌っているとでも思われたら、それはそれで問題だ。
「なんか、ごめん。俺と二人になってしまって…」と俺は八月一日さん深く謝罪しながら、心では十七里にも謝罪した。
「どうして謝るの!? 仕方ないよ! バラバラになっちゃたんだから…」と八月一日さんは俺に気を遣ってくれていた。そして続けて「それに……、水無月くんと話したいこともあったから…」と八月一日さんは言った。
「え!?」と俺が聞くと、八月一日さんは「じゃあ行こっか!」と笑顔で言って進みだしたので、俺もついて行った。
そして俺と八月一日さんは地主神社に着いた。地主神社は清水寺の境内にある恋愛成就の神様を祀っている神社で、江戸時代から恋占いをする人で賑わっていたらしい。中でも特に人気を集めているのが、本殿の前にある恋占いの石だ。これは10メートル程離れて立つ膝の高さ程の二つの石のことだ。片方の石から反対側の石に目を閉じて歩き、辿り着くことができたら恋の願いが叶うと言われているようだ。一度で辿り着けば恋の成就も早く、二度三度となると遅れるらしい。また、人にアドバイスを受けた時は、人に助けを借りて恋が成就すると言われているらしい。伏見稲荷大社でも石だったのに、また石が登場とは、人間はどれだけ石が好きなのだろうか、と思った。そして、こんな恋愛に向いている場所に八月一日さんと一緒にいるのが、十七里じゃなく俺だという現実に、ものすごい罪悪感が襲って来た。空を見つめると、十七里の怒っている幻影が見えたので、とりあえず謝った。
「ねぇ、これやってみない?」と八月一日さんは恋占いの石を指さして提案してきた。
「え!? あっ、あぁ! やろう、やろう!」と俺は気が抜けた返事をしてしまった。
最初は八月一日さんが挑戦することになった。「一人でやりたいから、危ない時以外は声を掛けないでね!」と八月一日さんは俺に向かって言ったので、頷いて返事をした。それから八月一日さんは石の間に立ち、目を閉じて静かに願い事を想い始めた。そして数秒後に歩き始めた。八月一日さんは、一歩一歩少しずつ慎重に真っ直ぐ進んでいた。歩いている時は一言も喋らずに、無事辿り着くことができた。きっと喜ぶだろうと思っていたが、八月一日さんは予想よりも冷静だった。それでも笑顔がこぼれていたので、嬉しかったのだろうと思う。八月一日さんが誰を想っているのか分からないが、その想い人が十七里だったらいいな、と俺は思った。八月一日さんに「水無月くんもやってみなよ!」と言われたので、「俺は特に想い人がいないから!」という理由で最初は断ったが、「それなら別の願い事でもいいから」と言って粘ってきたので、とりあえず挑戦してみることにした。俺は石の間に立ち、目を閉じた。願い事を考えていると、ある女性の顔が思い浮かんだ。なぜ彼女の顔が思い浮かんだのか、自分でも分からなかったが、気にせず歩き始めた。目を閉じる前になんとなく距離を想像していたので、あっという間に辿り着くことができた。着いた時は、思っていたよりも近く感じた。俺は目を開けて、振り返ると八月一日さんの姿がなくなっていた。「え!?」と思って、名前を呼んだが、返事がなかったので、近くにはいないようだった。俺が目を閉じている間にどこに行ってしまったんだ、もしかして誰かに連れ去られたのか、いや、その場合は声で知らせることができるだろうし、誘拐犯もこんな人の多い場所でそんなことはしないだろう、と思った。じゃあ、誰かを見つけて追いかけて行ったとか、その可能性はあり得る。俺が占いをしていたので、声を掛けてはいけないと思い、仕方なく無言で行ったということかもしれない。そんなことを考えていると「やっと見つけた!」と言いながら、突然雛月さんが俺の左腕に抱きついてきた。「な!?」と驚いていると、藤さんが「最初に見つけたのは私だから、水無月くんは私と一緒に回るの!」と間髪入れずに右腕に抱きついてきた。
「私の方が早く辿り着いたんだから、私と一緒に回るの!」と雛月さんが反論した。
「そもそも弥生のせいで逸れてしまったんだから、そこは譲ってもいいんじゃないかな?」と藤さんがさらに反論した。
「それはそれ! あれは私のせいじゃないし、譲る理由にもならないもん!」と雛月さんはまるで小さな子どものような感じで頬を膨らませて言った。
「そんな可愛い子ぶっても、私には意味ないからね! 水無月くんは絶対に譲らないから!」と藤さんは俺の右腕に強く抱きついてきた。
「いくら親友でも、私も譲れないから!」と雛月さんも対抗して、俺の左腕に強く抱きついてきた。
「この状況はとてもありがたいんだけど……ちょっと離れてくれないか? 腕が痛くなってきた!」と俺は二人の会話に割って入った。正直、二人の美少女に囲まれているという状況は嬉しかったが、さすがにこのままでは腕の骨を折ってしまいそうだったので、仕方なく声を掛けた。それを聞いた二人は「あ! ごめん!」と言って力を緩めてくれたが、腕を放さなかった。
「てか、この状況を見られたら雛月さんヤバくないか?」と俺は雛月さんに聞いた。
「大丈夫! 私は気にしないから!」と雛月さんは力強く答えたが、全然大丈夫じゃないだろ、と思った。雛月さんが気にしなくても、この状況を見た周りがどう解釈するか分からないからだ。
「水無月くんが心配しているでしょ! 弥生は早く離れなさいってことだよ!」と藤さんが雛月さんを煽るように言った。
「翔くんはそんなこと言わないから! 皐月こそ早く離れなさいよ! 翔くんが困っているでしょ」と雛月さんも負けずに反論した。
それから二人は睨み合ってバチバチしていたので、俺はどう鎮めようかと考えていると、雛月さんが地主神社の目の前だということに気づいた。そして恋占いの石をやりたいと言い出し、それに藤さんも賛成したので、二人は俺の腕から離れた。束の間だったが、俺は幸せな時間を過ごすことができたので、とりあえず地主神社の神様に感謝した。二人は一緒に石の間に立ち、目を閉じてから願い事を想い始めた。二人とも結構長い時間、目を閉じて願っていた。俺は二人を少し離れたところから見ていると、背中をツンツンと誰かに突かれたので、振り返ると可愛らしい顔の知らない女の子が立っていた。その女の子は見た目からして中学生くらいに見えた。
「俺に何か用ですか?」と俺は女の子に尋ねた。
「ああああの! ちょっとついて来てください!」と女の子は言ってから、突然俺の腕を掴み、引っ張ってきたので、俺はされるがまま無理やりどこかに連れていかれてしまった。急だったので、雛月さんと藤さんに伝えることもできなかった。
「ちょっと! どこに行くんですか?」と俺は尋ねた。
「いいい、いいから、ついて来てください!」と女の子は答えて俺の腕を引っ張り続けた。その様子は少し混乱しているように見えた。何か事情があるのかもしれない、と思って、とりあえず抵抗せずについて行っていると、途中で腕が離れて、女の子はそのまま人混みの中に消えて行った。女の子に声を掛けたが、あっという間に進んで行ったので、見失ってしまった。そして俺はまた一人になってしまった。予想外のことが起こりまくり、頭が混乱していたので、俺はその場で深呼吸して、状況の整理をすることにした。まず、雛月さんと藤さんが一緒にいるということが分かったので、少し安心した。そして行方が分からないのが、残りのメンバーだ。誰がどこにいるのか全く分からない。一人でいる人もいるかもしれないし、誰かと一緒にいるかもしれない。八月一日さんは一人かもしれないが、誰かを追いかけているのなら、一緒にいる可能性もある。考えてもらちが明かないので、とにかく誰かを探そうと決めた時、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「翔! やっと見つけた!」と霜月が声を掛けて近づいてきた。
「霜月! 一人か?」と俺は霜月の周りに知り合いが誰もいなかったので、尋ねた。
「あぁ! 翔は?」
「俺も一人だ! ごめん、スマホの電池が切れてるから、連絡できなかっただろ?」
「翔もか!? 俺もスマホの電池が切れて、誰とも連絡ができなかったんだ!」と霜月は驚きながら言った。
それを聞いて俺は再び疑問を感じた。俺と霜月のスマホがどちらも電池切れという偶然がこのタイミングで起こるのか、と考えた。これは誰かが意図的に仕組んだことかもしれない、と推測した。でも、誰が、何の目的で俺たちのスマホを使えなくしたんだ、と考えた。もしかして俺たちの作戦に気づいた誰かが妨害しようとしているのか、それとも同じような考えで、十七里と八月一日さんを二人っきりにしようとしているのか、どちらにしろ、この現状は予想外だっただろうと思う。雛月さんの件は一般の人が偶然気づいて起こったことだから、考えてできることじゃないはずだ。つまり、俺たちにとっても、もう一人の誰かにとっても、現状は予想外の展開になっている、ということだ。相手が敵か味方か分からないが、このまま放っておくわけにもいかないので、俺たちは俺たちの作戦を決行することにした。霜月もそれに賛成したので、再び俺と霜月は別れてみんなを探し始めた。
みんなを探しながら散策していると、いつの間にか音羽の滝に着いていた。音羽の滝とは、清水寺の寺名の由来となった清水の湧き出す滝のことだ。この滝の特徴は、3本に分かれた筧だ。それぞれに違った意味があり、ご利益も異なる。正面から見て右端は延命長寿(健康)、真ん中は恋愛成就(縁結び)、左端は学業成就(勉強)とされている。これにはマナーもあるようで、3本の中から1本選んで水を一口飲み、一つの願いごとをするらしい。飲みすぎたり、欲張って全部の水を飲んだりすると、願いが叶わなくなると言われている。いつの時代も欲深いものには厳しく、謙虚なものには良い報いがあると考えられていたんだな、と思っていると、後ろから肩をトントンとされたので、振り返ると相手の指が俺の頬に突き刺さった。
「引っ掛かりまシタねー! 翔サン!」とベルさんが笑顔で言った。
「ベルさん! よかった! 会えて!」と俺は少し興奮気味に言いながら、ベルさんの手を握った。
「そっ、そんなにワタシと会いたかったのデスか…?」とベルさんは少し照れているような表情で言った。
「あぁ! ベルさんは…一人だったのか?」
「ハイ! みんなとバラバラになった後は一人になってしまったので、ずっと探していまシタ!」
「そっか。なら見つかってよかったな!」
「ハイ! 最初に翔サンを見つけることができてよかったデス!」とベルさんは笑顔で喜んでいるようだった。
「じゃあ、もう放さないようにしないとな!」と言って、俺はベルさんの手を握った。
「ハッ、ハイ! そうデスね!」とベルさんは下を向いていた。その姿はまるで恥ずかしそうにしているように見えたが、その推測は勘違いだろうと思った。イギリスでは、これくらいのスキンシップは当たり前のように行われているだろうし、そもそもベルさんはあまり羞恥心を抱かないだろうと思ったからだ。俺の推測通り、ベルさんはすぐに顔を上げて「アアア、アレしませんか?」と音羽の滝を指さして提案してきたので、賛成し一緒に行くことになった。列に並んで待っている間も、ベルさんは俯き気味でいつもより静かだったので、願い事に集中しているんだろうな、と思っていた。
「そういえば、音羽の滝のご利益は知っているのか?」と俺はベルさんの話題を振った。
「ア! ハイ! 知っていマス!」とベルさんは答えてから、音羽の滝のご利益について話し始めた。俺はベルさんの話を頷きながら聴いた。
「昔から欲深い人には厳しく、謙虚な人には良い報いがあると考えられていたんデスね!」とベルさんが俺と同じ意見で話を締めくくると、俺たちの順番が回ってきた。俺は延命長寿の水を飲み、ベルさんは真ん中の恋愛成就の水を飲んでいた。
「ベルさん、誰か好きな人でもできたのか?」と気になったので率直に聞いてみた。
「エ!? そっ、それは…」とベルさんは顔を赤くして明らかに困っていた。
「あ! ごめん。デリカシーがなかった。言いたくないなら言わなくていい」と俺はすぐに謝罪した。
「い、いえ、気にしないでくだサイ…」とベルさんは言ってくれたが、下を向いていたので、俺はベルさんを不快な気持ちにさせてしまった、と思った。
「ごめん。ベルさんだったから、つい調子に乗ってしまった」と俺は再度謝罪した。
「そうなんデスか?」とベルさんは下を向いたまま言い、少しの沈黙が流れた後、続けて、「ワタシだから、聞いたんデスか?」と今度は顔を上げ、俺の目を見つめながら言った。
「あぁ!」と俺はベルさんの視線に耐えられずに恥ずかしくなったので、視線を横に逸らして答えた。
「ソレは、ワタシと仲が良いからデスか?」とベルさんは続けて聞いてきた。
「まぁ…そうだな…」と俺も照れながら答えた。
ベルさんは俺の答えを聞いた瞬間に、一瞬表情が明るくなり、そのあと何かを決意したような顔つきになった。
「あ、あの! 翔サン!」とベルさんが真面目な顔で言ってきたので、俺は畏まってしまった。その時、なぜか俺の心拍数は急上昇していた。そして、ベルさんが俺に何かを言おうとした時、「あのー、すみません」という男の声が横から聞こえた。俺とベルさんはビックリして、取り乱しながら声のした方に視線を向けると、ハンサム顔の知らない男の子が立っていた。その男の子は顔たちからして年下に見えた。
「なんですか?」と俺は男の子に尋ねた。
「あのー、トイレがどこにあるのか分かりますか?」と男の子は聞いてきた。
「あぁ、それならこの近くにありますよ!」と俺は答えた。
「そうですか! ありがとうございます!」と男の子は丁寧にお礼をした。
「そう言われると、俺もちょっとトイレに行きたくなったな! 一緒に行きますか?」
「いいんですか!?」
「はい! ベルさんも大丈夫?」と確認すると、ベルさんも了承してくれたので、三人で近くのトイレに向かった。
トイレで用を足していると、いつの間にか男の子の姿がなくなっていた。そしてベルさんの姿もなくなっていた。ベルさんはまだ大丈夫ということだったので、トイレの外で待っていてくれたのだが、周辺を探してみてもどこにもいなかった。もしかして、さっきの男の子に誘拐でもされたのか、いや、ベルさんは目立つだろうから誘拐はされにくいだろうと思う。じゃあどこに行ったんだろう、と考えながら周辺を歩き回っていると、周りに不注意になり、人とぶつかってしまった。ぶつかった衝撃で、相手が倒れそうになったので、咄嗟に手首を掴んで引っ張ると、相手が如月さんだということに気づいた。
「あ! 如月さん!」
「翔くん!」
「ごめん。俺、周りをあまり見てなかった」
「ううん。私もよく見てなかったから…」
「どこか怪我してないか?」
「うん、大丈夫! 翔くんが掴んでくれたから助かったよ! ありがと!」
「ならよかった!」と如月さんが怪我していないことに安堵しながら、続けて「如月さん、一人?」と尋ねた。
「うん! みんなと逸れてから探してたんだけど、なかなか見つからなくて…。やっと翔くんと会うことができたよ!」という如月さんは、安堵の表情を浮かべているように見えた。
「そっか。なら会えてよかった!」
「翔くんも一人?」
「あぁ、今は一人だな!」
「今は…ってことは、前は誰かと一緒にいたの?」
「あぁ! 雛月さんや藤さん、ベルさんと一度会うことができたんだけど、なぜかまた逸れてしまったんだ!」と言って、今までの一連の流れを如月さんに説明した。如月さんは俺の話を頷きながら聴いてくれた。
「そっか! じゃあ翔くんはみんなと回ることができたんだね!」と如月さんは言ったが、俺が伝えたかったことと少し違うニュアンスで捉えられているような気がした。
「まぁ、そう言われればそうだな…」と俺は納得してしまった。
「じゃあ今度は私の番だね!」と如月さんはテンション高めで言った。
「え!?」と思っていると、如月さんは俺の手を掴んで引っ張り、先に進み始めた。如月さんは「音羽の滝に行きたい!」と言い引っ張り続けるので、俺はそのままついて行った。そして一緒に列に並んで待つことになった。俺は少し前に来たので、前で見ていると言ったが、如月さんが頬を膨らまして不機嫌そうになったので、もう一度並んでしまった。これで俺は欲深い人間になってしまったので、願い事が叶わなくなってしまった。まぁ元々あまり気にする方じゃなかったのでいいんだが…。せっかくなので、先程とは違うご利益がある水を飲むことにした。俺は学業成就の水を飲み、如月さんは恋愛成就の水を飲んでいた。先ほどのベルさんの件があったので、如月さんには聞かないようにした。一通り散策も終わったので、俺と如月さんは出口に向かうことにした。
「翔くんは学業成就にしたんだ!」と如月さんが話題を振ってきた。
「あぁ! やっぱ勉強は大事だからな! 生きているうちは一生勉強って言うし!」
「そうなんだぁ! 私も学業にした方がよかったかなぁ…」
「いや、ああいうのは自分が今選びたいと思ったものでいいと思う! それが今一番叶えたい願いってことだからな!」
「今一番叶えたい願い…か…」と言ってから如月さんは考え込み始めた。そういえば如月さんは恋愛成就を願っていた。つまりこれは、霜月と上手くいきたいと願っているということだろう、と思った。如月さんならきっと上手くいくだろう、と心の中で応援した時、胸が少しモヤっとした感じがした。
「あ、あの! 翔くん!」と如月さんが突然大きな声で言った。
「はっ、はい!」という返事は、ビックリして声が裏返ってしまった。
如月さんが俺の目を見つめながら何かを言おうとしていたので、俺も息を吞むように待ち構えてしまった。その時、心臓がバクバクしているのが分かったが、簡単に落ち着けそうになかった。そして如月さんが言葉を発しようとした時、「あ! 牡丹!」という声が少し離れた場所から聞こえた。その声の方に視線を送ると、芙蓉さんが近づいて来ていた。
「やっと見つけたよ! ってあれ、水無月くんもいたんだ!」と芙蓉さんは言った。どうやら俺の姿は見えていなかったようだ。そして「あれ! …もしかして……あたし、邪魔だった?」と続けて言った。
「ううん! そんなことないよ! よかったぁ、葉月に会えて!」と如月さんは芙蓉さんを必死にフォローしているようだった。
「そうだな! とりあえず会えてよかった!」と俺もそれに乗じた。
「そっ、そう…」と芙蓉さんはとりあえず納得してくれたようだった。
芙蓉さんを加え、俺たち三人は出口に向かった。約束していた集合場所に着くと、みんなが待っていた。俺に連絡したけど繋がらないと、睦月会長に注意されたが、電池が切れていることを伝えると、今後は気を付けるようにと言って許してもらえた。ていうより、女子は八月一日さん以外スマホを使えたはずなのに連絡しなかったのか、と尋ねると、みんなサイレントにしていたから気づかずに忘れていたらしい。どうしてみんなサイレントにしていたのか尋ねると、旅行に集中したかったから事前に約束していた、と言っていた。スマホは写真を撮る時以外は使わないようにしていたらしい。それで、みんな合流することができなかったのか、と合点がいった。それに俺自身もスマホを使えなかったので、文句を言う資格はなかった。俺は十七里と八月一日さんがどうなったのか気になったが、二人の様子を見る限り、元通りには戻っていない感じがした。十七里からすぐに話を聞きたかったが、この場では話しにくかったので、宿に戻ってから詳しく聞くことにした。それでも俺と霜月は作戦を実行しようと考えていたが、その後もチャンスは訪れなかった。
俺たちは、清水寺の後、昼食をとったり八坂神社を参拝したり祇園の街並みを散策したりしてから宿に戻った。俺たちは部屋に着いてから早速、今日の振り返りをした。まず全体的に評価すると、作戦を実行できなかったし、十七里と八月一日さんの仲も戻っていなかったので、失敗だったと俺は思った。霜月も同じ意見だったが、十七里は少し前向きな評価をしていた。理由を聞くと、十七里は八月一日さんが怒っていないような感じがする、それが分かったからよかった、と答えた。たしかに八月一日さんの様子を見る限り、怒っているようには見えなかった。でも、それならなぜ十七里を避けるようなことをするんだ、と考えた時、ふと一つの可能性が思い浮かんだ。もしかしたら八月一日さんは十七里のことが好きなのではいか、ということだ。それなら八月一日さんが十七里を避ける理由も合点がいく。二人っきりになると恥ずかしいからだ。なぜ今までこの単純な答えに気づかなかったのかと不思議なくらいだ。俺たち全員が視野狭窄に陥ってしまっていたようだ。ということで、俺はその推論を十七里に説明すると、十七里は否定した。それだったら嬉しいけど、理想的すぎて現実味がない、ということらしい。可能性の一つとしてはあり得るだろうと言ったが、それも否定された。どうしてそこまで言い切れるのか、と尋ねると、十七里は清水寺でのことを語り始めた。
十七里の話によると、みんながバラバラになった後、しばらく一人でうろついていたらしい。そして音羽の滝で八月一日さんと出会ったので、二人で祈願することにしたらしい。俺たちの意図的ではないにしても、二人っきりになることはできていたらしい。十七里はもちろん真ん中の恋愛成就を飲み、八月一日さんも真ん中に恋愛成就の水を飲んだらしい。それなら、八月一日さんの想い人が十七里という可能性はまだあるんじゃないか、と尋ねると、十七里は首を横に振ってから理由を述べ始めた。祈願した後、十七里と八月一日さんは少し会話をしたらしい。その会話はこんな流れだったらしい。
「一口で全部飲むことできたか?」と十七里は八月一日さんに聞いたらしい。
「うん! 条は?」
「僕も全部飲めた!」
「よかったね! これで条の恋も叶うってことじゃん!」
「そうだな……それだといいんだけど…」
「私も応援しているからね!」
「ありがと! 風鈴も恋愛成就を祈願したんだな!」
「うん! でも、私の恋は、叶わない気がする…」
「どうしてそう思うんだ?」
「だって、私の好きな人は……多分、他の人が好きだから…」
「そっか。でも、まだ分からないだろ! 僕も……風鈴の恋、応援してる!」
「ありがと!」
ということが清水寺であったらしい。これで十七里は八月一日さんに好きな人がいるということを知ったようだ。八月一日さんのこの発言からして、好きな人がいるということは確実だろうが、その相手が誰なのかはまだ分からなかった。十七里である可能性も無きにしも非ず。しかし、十七里はもう諦めているようだった。俺と霜月に感謝しつつ、明日はもう作戦のことを考えずに、素直に修学旅行を楽しんで欲しいと言ってきた。もう少し粘ってみないかと提案したが、もういいと断られたので、それ以上は言わないことにした。それとは別に、スマホについて十七里に尋ねてみた。すると、十七里が俺と霜月のスマホを使えないようにした犯人だと自供した。十七里は俺が散歩に出かけた後、一度充電器を抜いて、戻って来る直前に差し戻したらしい。霜月のスマホにも同じようにしたらしい。なぜそんなことをしたのかと尋ねると、神無月に言われたから、と言っていた。十七里は神無月の指示だったので、作戦の一つかもしれないと思っていたらしい。俺はすぐに神無月の元に向かい、問い詰めると、つゆりに言われたからやったと、と白状した。どうしてつゆりがそんなこと言うのか、と神無月をさらに問い詰めたが理由までは分からなかったようだ。もしかしたら、昨日連絡をしなかったので、それに怒ってイタズラをしようと思ったのかもしれない、と一瞬思ったがそんなはずはない、とすぐに冷静な判断をした。まぁ、理由はどうあれ、起こってしまったことはどうしようもないので、反省点として今後気を付けることにした。
神無月の部屋から戻っていると、前から八月一日さんが歩いて来ているのが見えた。すれ違いざまに「おやすみ!」と言葉を掛ければいいか、と考えていると、八月一日さんは俺の前で立ち止まって「少し話をしない?」と誘ってきた。そういえば、清水寺でも何か話したいことがあると言っていたのを思い出したので、俺は了承した。宿の中だと、知り合いがたくさんいるので、外を散歩しながら話すことになった。12月ということもあり冷たい夜風が吹く中、俺と八月一日さんは散歩を始めた。いつもは朝の時間に散歩をしているので、夜の散歩は少し新鮮に感じ、意外と悪くないな、と思った。少し歩いた後、俺から話を振ってみた。
「それで、俺に話したいことってなに?」と俺は率直に聞いた。少し沈黙が流れた後、八月一日さんは発言を始めた。
「水無月くんって…好きな人…いる?」
「それは恋愛的な意味ってことだよな?」
「うん! 答えたくないなら、ノーコメントでも大丈夫!」
「じゃあ、ノーコメントで!」
「そっか。ごめんね。答えにくいこと聞いちゃって…」
「気にしなくていい。あまり考えたことなかったから、答えが分からなかっただけだ!」
「じゃあ質問を変えるね! 次は、水無月くんの意見を聞きたいんだけど…?」
「あぁ! 分かった!」
すると、八月一日さんは、たとえ話をし始めた。八月一日さんの話は、恋愛でよくありそうな内容だった。簡単にまとめると、Aさんには、Bさんという好きな人がいる。けれどBさんには他に好きな人がいる。この場合Aさんはどうすればいいと思う? という話だった。おそらくAさんというのは八月一日さんのことだろう。事前に十七里から話を聞いていたので、すぐに分かった。問題はBさんが誰なのか、ということだ。俺の知っている人なのか、もしくは知らない人なのか。俺としては、十七里であることが理想の展開なのだが、それを聞くには抵抗があった。それに今は八月一日さんの悩み相談を受けているので、一旦全てをリセットして相談に集中することにした。八月一日さんの聞きたいことは、要するに好きな人に他に好きな人がいた場合、自分はどうすればいいのか、ということだったので、俺はそのことに対して率直に答えることにした。この問いに対する俺の答えは決まっている。相手に正式なパートナーがいない場合は、気持ちを伝えた方がいいということだ。たとえフラれると分かっていても、気持ちを伝えないよりは伝えた方がスッキリするだろう。相手を困らせる自分勝手な考えと思う人もいるかもしれないが、相手がそんなことを覚えるとは限らないので、ガンガン攻めた方がいいと思っている。これはあくまで俺の意見だから、鵜吞みにしなくてもいい。気持ちを伝えずに、そっと諦める方がいいという人もいるだろう。どう選択するにしろ、最終的には他人に言われた通りにするのではなく、自分で決断する方がいいだろう。
「ふーん、水無月くんって意外と強引なところがあるんだね!」と俺の意見を聞いた八月一日さんが感想を言った。
「まぁそうかもしれないな! 俺はなるべく自分が後悔しないような選択をしているつもりだから……要するに自己中なんだよ!」
「自己中ではないと思うけど……。水無月くんいつも誰かを助けているから!」
「え!? 俺が!? 誰を?」
「自覚してないんだ! だから花火も気に入ったのかな!」
「そういえば、花火ちゃんは元気?」
「うん! 元気だよ! 文化祭の日から、翔に会いたい、翔に会いたい! って、家でも言ってるよ!」
「それって、いろんなものを買ってくれるからじゃないのか?」
「そういうことではなさそうだよ! 一緒に遊びたいんだって!」
「そっか。都合が合えば公園で遊んでもいいかもな!」
「ありがと! 花火に伝えておくね!」
「あぁ!」
「それにしても、花火は水無月くんのことが大好きになってるよ! ちゃんと責任取ってよね!」と八月一日さんは俺をからかうように冗談で言った。
「まぁ、相応の年になっても俺が独り身で、花火ちゃんがまだ好意を持っていたら、考えてもいいかもな!」
「ふふっ、水無月くんらしい答えだね! だから……条も好きになったんだね!」
「ん?」
「ううん! なんでもない!」
そんな風に話しながら散歩していると、いつの間にか宿の目の前に着いていた。八月一日さんは「ありがとう! 話を聞いてくれて!」と言ってから、先に中に入って行った。その時の表情は笑顔だったが、どこか不安を感じているようにも見えた。
部屋に戻ると、霜月の友達が来ており、一緒に遊んでいたので、俺はロビーに向かい、スマホで電気書籍を読むことにした。紙の本の方が、脳を活性化させ記憶の定着率がいいという研究もあるが、旅行の時は荷物にならない電子書籍が個人的にオススメだ。ケースバイケースで使い分けるのもいいだろう。しかし、注意点もある。夜にスマホやタブレットなどで電子書籍を読むと、ブルーライトの影響を受けて、眠れなくなったり眠りの質が悪くなったりする可能性がある。普段から睡眠不足の人は、夜に電子書籍を読まない方がいいだろう。しばらく一人で読んでいると、隣の椅子に雛月さんが座った。
「こんなところで何してるの?」と雛月さんが話しかけてきた。
「本を読んでる!」と言って、俺はスマホの画面を見せた。
「何の本を読んでるの?」
「これだ!」と言って、スマホの画面を本のタイトルが載った画面に切り替えて見せた。
「サピエンス…全史…?」と雛月さんは俺のスマホに書かれているタイトルを読み上げてから、続けて「どんな内容なの?」と聞いてきた。
「この本は簡単に言うと、人類が生まれてから現在に至るまでに何が起こったのかを書いている本だ!」
「歴史の本ってこと?」
「まぁそんな感じ!」
「そうなんだぁ! ……ねぇ! 翔くん的に面白いと思ったところ、教えてよ!」
「俺もまだ半分しか読んでないけど、それでもいいなら…」
「うん! 全然オーケー!」と雛月さんは手でオーケーサインをしながらウインクをしたので、俺は個人的に面白いと思ったところを語った。それを雛月さんは頷きながら聴いてくれていた。雛月さんが聴き上手なので、俺は、つい調子に乗って語りすぎてしまったことに途中で気づいた。
「あ! ごめん。俺ばっかり話して…」
「ううん。私が聴きたいって言ったんだから、気にしなくていいよ!」と雛月さんはやさしく言ってくれた。
「俺はもう十分話したから、今度は雛月さんの話を聴かせてくれないか?」
「え!? 私の!? 何を話せばいいのかなぁ?」と雛月さんは困っていた。
「何でも自分の好きなことを話せばいいよ!」と俺はフォローするつもりで言ったが、あまり良いアドバイスではなかったようだった。
「その何でもが一番難しいんだよ!」と雛月さんにツッコまれしまった。
「それもそうだな!」と俺は反省して、雛月さんに何を聞こうか考えた。そしてふと思いついたことを続けて言った。
「それじゃあ、修学旅行について、二日終えてみての感想は?」
「え!? 修学旅行の感想!? ……そうだなぁ…思っていたよりも楽しい…かな!」
「そっか! それならよかった! じゃあ、具体的にどこが楽しかったんだ?」
「それはやっぱり、翔くんと一緒だから…かな!」と雛月さんは、突然俺の目を見てそう言った。その表情は俺をからかおうとして言っているような、真面目に言っているような、どちらか分からなかったが、俺の心拍数が急上昇したのは間違いなかった。
「じょ、冗談はやめてください! 俺も思春期なんで勘違いしてしまいますよ!」
「ふふっ、冗談だと思う?」と雛月さんは下から覗き込むように俺に顔を近づけてきた。そのせいで、俺の心拍数はさらに上昇し、脳も混乱し始めていたため、俺はどうすればいいのか分からなくなっていた。そして、雛月さんと俺の顔が最接近したところで、雛月さんが「アハハ! ごめん。ちょっと大胆になっちゃった!」と言い、離れた。
「あんまりからかわないでください! 雛月さんは有名人なんだから、勘違いされたら大変ですよ!」と俺が言うと、雛月さんの表情が暗くなった気がした。
「私と一緒にいると……翔くんは迷惑かな?」
「え!? いや、そんなことはないけど…。むしろ俺は嬉しいくらいで…」
「え!? 嬉しい!? なんで?」と雛月さんは驚いた顔で聞いてきた。
「なんで? って、こんな綺麗な人と一緒にいるなんて、俺にとっては一生に一度あればラッキーだと思うけどな!」
「え!? でも、私と一緒だと迷惑をかけちゃうよ…。今日も私のせいでみんな逸れちゃったし…」
「あれは雛月さんのせいじゃない。一般の人たちが群がって来たのが原因だし、そもそも俺たちが対策しておけば防げたと思う!」
「でも、翔くんはいつも私が近づくと離れていくよね。それって、嫌いだから…」
「それは、嫌いとかじゃなくて…一緒にいるところを周りの人に見られたら、雛月さんに迷惑が掛かるかもしれないからで…」
「それって、私の心配をしているってこと?」
「まぁそんな感じ…」と俺は答えた。実際、雛月さんは人気インフルエンサーなので、イメージが大事になる。霜月や神無月みたいなイケメン男子ならまだしも、俺みたいな中途半端な奴が絡んでいると、雛月さんのイメージを下げてしまいかねない、ということを心配しているのは事実だ。
「そうなんだぁ! 私のこと嫌いじゃなかったんだね!」と雛月さんは安堵の表情で言った。
「雛月さんに話しかけられて、迷惑に思う人なんていないと思う! もしいたら、俺がぶっ飛ばしますよ!」と言うと、雛月さんは笑ってくれたので、先程のネガティブな気持ちは晴れたようだった。
「じゃあ、もっと攻めてもいいってことだね!」と雛月さんは再び体全体を俺に近づけて言った。
「いや、俺とはあまり関わらない方が…」
「もうそんなこと気にしないよ! 私のやりたいようにやるから!」と雛月さんは力強く宣言した。
「そんなこと、この私が許すわけないでしょ!」と、いつの間にか俺たちの座っている椅子の後ろに立っていた藤さんが怖い顔をして言った。その声を聞いた俺と雛月さんは驚いた。気配や足音など全く気付かなかったので、藤さんは忍びかもしれない、と割と本気で思った。
「あれ? 皐月! 話聞いてたの?」と雛月さんが藤さんに尋ねた。
「今来たところだから、迷惑がどうのこうのっていうところから話は聞かせてもらった!」と藤さんは堂々と盗み聞きしたことを白状した。
「そっか! その部分だけなんだ!」と雛月さんは言ったが、その言い方はホッとしたような、または煽るような感じにも聞こえた。そして藤さんは後者として捉えたようだった。
「なに? その、大事なところは聞かれなくてよかった、とでもいうような感じは! その程度で私を出し抜けるとでも?」と藤さんは怒った感じで言った。
「別に出し抜こうだなんて思ってないよ! ただ、翔くんと二人で話した時間を大切にしたいと思っただけ!」
「フン! そんなのたいしたことないから! 私は水無月くんと一日デートをしたんだから!」
「それなら、私だって翔くんと一緒にカフェに行ったんだから!」
「え!? いつ行ったの!? 私、知らないんだけど…」と藤さんが驚いていた。この時、藤さんでも知らないことがあるんだな、と初めて分かった。
「ふっふっふっ、教えてあげな~い!」と雛月さんは勝ち誇ったような顔で言い、対する藤さんは悔しそうな表情をしていた。俺は、その情報を知っていようがいまいが、そんなたいしたことではない、と思っていたが二人の口論に口を挟まないようにした。
「それに、皐月は水無月くんって呼んでいるんだね! 私は翔くんって呼んでいるけど…!」と雛月さんはさらに煽るように言った。
「そそ、それは、私なんかが水無月くんを名前で呼ぶなんて、恐れ多いからで…」と藤さんは珍しく歯切れが悪い発言をしながら俺を見てきた。
「俺は別になんて呼んでくれてもいいけどな!」と、藤さんが困っている顔をしていたので、フォローするつもりで言った。
「それじゃあ、か、か、か、かか、翔…くん」と藤さんが恥ずかしそうな顔で言った。
「あぁ!」と俺は冷静に返事をしたが、内心少しドキドキしていた。普段、名前で呼ばれることに対して特に意識したことはなかったが、この時は少し照れてしまった。雛月さんを見ると、やさしい顔をして藤さんを見ていたので、俺と藤さんはまんまと雛月さんの手の上で操られていたことに気づいた。
「ということで、これからは翔くんも、私たちを名前で呼ぶように!」と雛月さんが俺を指さして言ってきた。
「え!? 俺も?」
「もちろん!」と雛月さんが答え、藤さんも頷いていた。
「じゃあ、改めて! これからもよろしく! 弥生さん! 皐月さん!」と言うと、二人とも顔を赤くして、目を逸らされたので少しショックだった。不安になったので、続けて「あれ? もしかして名前じゃない方がよかった?」と尋ねた。
「そそ、そんなことない! そのままでお願い!」と弥生さんが言った。
「わわ、私も皐月でお願いします!」と皐月さんが言った。
ということで、これから俺は雛月さんを弥生さん、藤さんを皐月さんと呼ぶことになった。ロビーで話し始めてから、結構時間も経っていたので、俺たちは部屋に戻るとこにした。別れる時に弥生さんが「明日も楽しみだねー!」と言いながら手を振ってきたので、俺も胸の高さまで手を上げ答えてから別れた。部屋に戻ると誰もいなかった。霜月も十七里もどこかに遊びに行っているようだった。俺はそのまま布団に横になり、眠りについた。
読んでいいただき、ありがとうございます。
次回もお楽しみに。




