日本語って難しい!!
ベルさんの弟であるレオさんに会ってから影響を受けた俺は、フランス語を独学で学んでいた。レオさんみたいなマルチリンガルに少し憧れを抱いたからだ。レオさんは難なく話していたが、俺にとっては、簡単なことではなく、結構苦戦していた。また、最近フランス語の勉強に脳のリソースを使っているので、日本語が少しずつ怪しくなっている気がした。そう思うことが何度か続いたのである。
ある日の休み時間、俺とベルさんは雑談をしていた。
「昨日テレビで見たんデスけど、人って毎日選択しているんデスね!」
「洗濯? まぁ人によるんじゃないか?」
「そうなんデスか!? 選択しない日もあるんデスか?」
「あまり量がなければ二日や三日に一回って人もいるんじゃないか」
「そうなんデスか! 水無月サンはどのくらいの頻度で選択してマスか?」
「俺は毎日してる。一日で結構着替えるからな」
「キガエル? あぁ! 着る服を選択しているんデスね! それならワタシも毎日選択していマスね!」
「まぁ女性はオシャレな人が多い印象なんだが、ベルさんも持っている服、多いんじゃないか? 洗濯も大変だろ?」
「そんなことないデスよ! ワタシは結構楽しんでマス! 可愛い服を選択するのも面白いデス!」
「そうなんだな。可愛い服はシワにしたくないから、あまり洗濯したくないのかと思ってた」
「ワタシは逆デスね! 可愛い服は何回も選択して、何回も着マス!」
「それもそうか。服は着るものだから、着ないと意味がないよな。お気に入りだからって、ずっと着ないともったいないからな」
「そうデスね! ワタシも同意見デス! でも、水無月サンもいつの間にファッションに目覚めたんデスか?」
「え? 何で?」
「だって、前にあまり服に拘っていないって言っていたじゃないデスか! 脳のリソース使うからどうのこうのって…」
「え? 今でもそうだけど…」
「あれ? でも、さっき毎日服を選択しているって言ったじゃないデスか!」
「毎日洗濯をしているのは事実だが、洗濯はルーティーンの一部になっているから、あまり脳のリソースを使わないんだ!」
「そうなんデスか! 即断即決デスか?」
「即断即決っていうか、やることは決まっているから、ただ手順通りにしているだけで…」
「そうなんデスね! ワタシは結構悩んでしまいマス!」
「何に悩んでるんだ? 洗剤の量とか? 干し方とか?」
「……センザイ? ……ホシカタ? …水無月サンは何を言っているんデスか? 服の種類デスか?」
この時、少しずつ話が噛み合わなくなっていたが、俺とベルさんはまだ気づかなかった。
「いや、悩んでいるなら、何か力になれないかなと思って」
「本当デスか!! ワタシの服を一緒に選んでくれるのデスか!?」
「え!? 何で俺がベルさんの服選びをするんだ?」
「え!? だって協力してくれるって言ったじゃないデスか!」
「洗濯の悩みを聞くのに、何で服選びになるんだ?」
「選択の悩みデスよ! 服選びは最適じゃないデスか!」
ここまで話して、少しずつ違和感を覚えたが、それが何かはまだわからなかった。この時、近くで話を聞いていた霜月にツッコまれたことでようやくすれ違いに気づくことができた。
「さっきから二人が話している内容、なんかズレてないか?」霜月が横から言った。
「何がズレてるんだ?」俺は霜月の方を見て聞いた。
「さっきから『せんたく』の話をしてるけど、ベルさんは選ぶ意味の『選択』で、翔は洗う方の『洗濯』の話をしているよな?」
霜月にそう言われて、俺とベルさんは頷いて、お互いを見合った。たしかに、改めて振り返ると霜月の言う通りだということがわかった。
「二人とも勘違いしているのに、よく話が続いたな!」霜月が笑いながら言った。
俺とベルさんもそれに釣られて笑ってしまった。しっかりと会話しているつもりでも、ここまですれ違うことがあるのかと思った。
この話は、日本語の難しさを改めて教えてくれるが、氷山の一角に過ぎないのであった。
また別のある日の授業で、A組とC組の合同授業があった。この日は雛月さんが登校しており、俺とたまたま同じ班になった。そして、雛月さんが俺に話しかけてきた。
「チャオチャオ! 翔くん! 一緒の班だね!」雛月さんは気さくに声を掛けてくれた。
ちなみに、『チャオチャオ』とは、雛月さんがSNSに投稿する際に必ず使うセリフである。イタリア語の『チャオ』を二回繰り返しているだけで、単純におはようという意味で使っているらしい。雛月さん曰く、響きがかわいいらしい。この『チャオチャオ』というあいさつは、雛月さんの影響力もあり、学校で物凄く流行っていた時期があった。全盛期には、我が校のほとんどの学生が使っており、教師まで言っていたらしい。当時の俺はそんなことを知らなかったので、全員が怪しい宗教に洗脳されたのではないかと思っていた。今振り返ると、その予測もあながち間違っていなかったようだ。今は全盛期に比べると使っている人は減っているようだが、雛月さんに対しては、みんな必ず使っているようだ。
「あぁ、おはよう。よろしく」俺はあっさり答えた。
雛月さんと会話をすると、周りから変な風に思われて、迷惑をかけるかもしれないと思ったし、注目されるのも嫌だったからだ。
「なんか素っ気ないなぁ」雛月さんは少し不満そうな様子だった。
「俺はいつもこんな感じです」俺がそう答えて会話は終わると思ったが、雛月さんは続けて話しかけてきた。
「ねぇねぇ! 翔くんはたまに休むって聞いていたけど、今日は登校して来たんだね!」
「投稿? …そうですね。なるべく続けようとは思っています…」
雛月さんは俺のブログを読んでいるらしいので、そのことかと思った。
「そうなんだぁ! 私も頑張らないとなぁ!」
「何言ってるんですか!? 雛月さんの方が全然頑張っているじゃないですか!」
「そうかなぁ? そう言ってもらえると嬉しいなぁ!」
「俺は気分屋ですから……、俺の方こそ雛月さんを見習わないと…」
「へぇー! そうなんだぁ! 翔くんはそんな風に思ってたんだ!」
「あっ、いや、今のは本気ではなく、社交辞令であって…」
「そういうことは言わなくていいんだよ!」雛月さん笑いながらそう言った後、少し真面目な顔をして「でも、もう少し登校したいと思うんだよね」と言った。
この発言を聞いた時、雛月さんは本当に努力家だなと思った。毎日SNSで投稿するだけでもすごいことなのに、その頻度を増やそうとしているからだ。
「何か悩んでいるんですか?」俺は率直に聞いてみた。
「ううん。そこまで悩んでいるわけじゃないんだけど、もっと学校生活も楽しみたいなぁと思って! それに…」そこまで言ってから雛月さんは一度視線を俺に向けて、「それに…学校だと翔くんに会えるからね!」と満面の笑みで言った。
「あんまりからかわないでください」俺はそう言いつつも、心臓はバクバクしていた。
お世辞とわかっていても、こんなに可愛い子に正面から言われると、正気を保つのも一苦労だった。俺は冷静な発言をしようと必死だった。
「からかっているわけじゃないんだけどなぁ」雛月さんは本気なのか、冗談なのか、わからないトーンで言った。いや、100%冗談ではあるのだが…。
「それよりも、投稿を増やすなら、仕事もさらに大変になりますね」俺は話題を戻した。
「そうかもしれないけど、今しかできないことだから、頑張ってやってみたいの!」
「そうなんですね。まぁ無理はしないように…ですね。身体が一番の資本なんで」
「そうだね! それでも翔くんは応援してくれるの?」
「もちろん、応援しますよ! ていっても、応援することしかできないですけど…」
「ありがとう! フォロワーの応援が私にとって何よりの励みになるよ!」
雛月さんは涙を拭きとる素振りをしながら言った。やはり俺をからかっているようだった。それに、雛月さんにとって俺はいつの間にかフォロワーの一人になっていたことを知った。まだ雛月さんのSNSをフォローしていないのだが、あえて言うことでもないと思ったので、スルーした。
「ねぇ、翔くんは仕事と学校を上手く両立しているように見えるんだけど、何かコツとかあるの?」
「上手く両立できているのかはわかりませんが、俺はある程度時間を決めて習慣にしています」
「そうなんだぁ! どんな風にしているの?」
雛月さんがさらに聞いてきたので、俺は一日のルーティーンをざっくりと説明した。雛月さんは俺の話を聞きながら、うんうんと頷いて聞いてくれた。
「そうなんだぁ! 私も翔くんみたいに効率よくできたら、もっと登校できるようになるかな?」
「そうですね。俺は雛月さんが一回の投稿にどのくらいの時間を掛けているのかわからないけど、効率が良くなれば増やすことはできると思います」
「そんなに時間は掛からないよ! 家からここまで結構近いから! 大体…三十分くらいかな!」
「三十分! そんな短時間で一つ投稿できるんですか!?」
俺は驚きながら聞いた。そんなことできないだろうと思いつつも、いや、もしかしたら、プロならそれが当たり前なのかもしれないと思ってしまった。プロならぶっつけ本番で撮影して、それをそのまま投稿しているのだろうか、と思った。
「え!? まぁそんな感じかな! 翔くんも同じくらいじゃないの?」雛月さんは当たり前のように答えたので、プロってやっぱりすごいなと感心した。
「俺はそこまで早くできないです。大体一回の投稿に一時間くらいは掛かります。稀に調子のいい時に三十分でできるときもありますけど、それは稀です」
「調子次第で登校時間に三十分も差があるの?」雛月さんが驚愕しながら聞いてきた。
「俺は結構調子に左右されますね。雛月さんの安定力が羨ましいです!」
「え!? これってそんなにすごいことなのかなぁ?」雛月さんは自分の凄さを理解していない様子だった。
「毎日企画を考えるのって大変じゃないですか?」
「キカク?」
「雛月さんは自分で投稿内容を考えているんですか?」
「登校内容…? うん。そうだけど…。え? 翔くんは自分で決めてないの?」
「俺も自分で考えてます。いつも一人ですから…」
「そうなんだ…」雛月さんはここで一度黙って何かを考え始めた。そして「ねぇ、じゃあこんど一緒に登校してみる?」と提案してきた。
「いや、それはさすがにちょっと。俺なんかが出たら炎上してしまいますよ」
「そんなことないよ! 同じ学校なんだから、一緒に登校するのなんて当たり前だよ!」
「いや、同じ学校でも俺は無名の一般人で、雛月さんは有名人ですから。急に雛月さんのSNSに俺が登場すると、大変なことになりますよ」
「ん? SNS? ……登校中に誰かに撮られるってこと?」
「え? 雛月さんが撮るんじゃないんですか?」
「ん?」
「え?」
俺と雛月さんが困惑していると、近くで話を聞いていた、如月さんが会話に入ってきて、すれ違いを指摘してくれた。
「二人の話が聴こえちゃったんだけど、もしかして、内容がすれ違っていないかな?」
「すれ違い?」俺はと雛月さんは声を揃えて言った。
「雛月さんは学校に登校する意味の『登校』のことを話していると思うんだけど、水無月くんはネットに投稿する意味の『投稿』の話をしているよね?」
如月さんの指摘に俺と雛月さんは頷いて、お互いを見合った。どうやら如月さんの言っていたことは正しかったようだ。たしかに、今までの会話を振り返ると、所々すれ違っていることがわかった。
「すれ違ったまま、よく会話が成立していたよね!」
如月さんはビックリした様子で言った。俺と雛月さんは驚きながらも、なんだか可笑しくなって笑ってしまった。そのせいで先生に注意されてしまった。またしても、日本語の難しさを痛感した。
そして、またある日の放課後の部室。俺はいつも通り本を読んでいると、桔梗さんが話しかけてきた。
「我が同胞よ! 少し相談したいことがあるんだが…」桔梗さんが右手を突き出しながら声を掛けてきた。
「ん? なんだ?」俺は読んでいた本を鞄に入れて、聴く姿勢になった。
「実は、カスミンは『支持』されるのが苦手らしいのだが、汝はどう思う?」
「『指示』されるのが苦手? そうなのか。俺と同じだな」
「汝もそうなのか?」
「あぁ、あまり好きじゃない」
「そうなのか!? 我は結構好きなんだけどな。支持されるの」
「そっか。俺は自分のことは自分で決めたいから、指示されるのは苦手だ」
「ん?」
「まぁ人それぞれだな。ところで、何を相談しようとしたんだ?」
「おぉ、そうだった! ……実は、最近我がクラスではカスミンを支持する人が増えてな。それで霞ちゃんがどう対応していいかわからず困っているのだ」
「カスミンに指示する人が増えた? どうして?」
「んー、どうしてそうなったのか、我にも詳しい事情はわからぬが、おそらくカスミンの可愛さにみんなが気づき始めたのだろう」
桔梗さんは真面目な感じで言っていた。だが、事情はどうあれ、誰かに指示されるばかりの一日はキツイだろう。俺だったら無視できるが、二宮さんはやさしいので、断ることができずにいるのかもしれない。実際二宮さんとカスミンは疲れ切った様子で机に伏せて脱力していた。
「じゃあ二宮さんたちがあんな状態になっている原因って…」
「みんなから支持されて注目されたために疲れているのだ。本来霞ちゃんもカスミンも注目を浴びるのが苦手だからな」
「カスミンはどんな指示をされたんだ?」
俺はこれがいじめに発展することを危惧して、具体的な内容を聞いた方がいいと思って尋ねた。場合によっては早急に行動した方がいいとも思った。おそらく桔梗さんもそれを危惧して相談してきたのだろうと思う。
「そうだな。我がクラスのマスコットとか、ゆるキャラとか言われてたな」
「ん? マスコット? ゆるキャラ? それってどういう意味だ?」
「そのままの意味だ! あと、救世主とか、モルモットとか言っている人もいたな」
「救世主? モルモット?」
これらの話を聞いて、俺は隠語か何かだと思って考えていたが、全く理解できないでいた。カスミンに指示をしている人は、周りの誰にもわからないような意味の言葉を使って指示を出し、嫌がらせをしているのに気づかれないようにしているのかもしれないと推測した。
「他にも…」
「ちょ、ちょっと待て。他にもあるのか?」
「あぁ、まだまだあるぞ。カスミンはどうか知らんが、霞ちゃんは結構モテるからな」
桔梗さんがそう言ったのを聞いて、前に神無月が同じようなことを言っていたのを思い出した。この時、もしかしてカスミンに指示をしている人たちは、二宮さんに好意を抱いていて、そのきっかけ作りとしているのではないかという考えが思い浮かんだ。
話を聞けば聞くほど混乱してきたが、まだまだわからないことが多いので、もっと詳しい話を聞く必要があるだろうと思った。
「二宮さんたちは実際どんなことをしたんだ?」
「うーん、そうだな。威厳を示すために胸を張った姿勢をしたり、手を振ってきた相手に笑顔で振り返したりしてたな」
「そうか。…で、効果はあったのか?」
おそらく二宮さんは、指示してくる奴らは、カスミンをなめているだろうと考えて、なめられないようにするため、そのようなことをしたのだろうと思った。
「あぁ、みんな可愛いと言っていた!」
「それって効果あったのか?」
「大アリだ! 支持される者として、慕われているということだからな!」
「それって慕われてるんじゃなくて、なめられてないか?」
「なめられてはおらぬ! むしろ崇められているくらいだ!」
「崇められて…? でも、いろんな人から指示されるんだよな?」
「あぁ。今まで隠れていたファン共がとうとう表に出てきたということだ!」
「隠れていたファン?」
「あぁ、霞ちゃんは可愛いだろ? でも、人見知りでみんなに注目されるのが苦手だから、ファンもそれを尊重してあまり表には出てこなかったのだ。だけど、最近カスミンが調子に乗って饒舌になったから、それで注目を集めるようになって、ファンも行動しだしたようなのだ」
「じゃあ、今カスミンに指示している人っていうのは、二宮さんのファンってことか?」
「そうだろうな。まぁ全員そうとは限らないが…」
この話を聞いて、先程思い浮かんだ推測が近いかもしれないと思った。カスミンに指示をしている人たちは、二宮さんに好意があって関わりたいために、そのような行動をしているという推測だ。
「そうか。だけど、二宮さんが嫌ならそいつらをどうにかしないとな」
「そうだな。我もそう思って考えていたんだが、いい策が思い浮かばなくてな。それで汝に相談したのだ」
「俺も人に指示されるのが嫌だからな。二宮さんの気持ちはよくわかる」
「そんな人もいるのだな! 我は支持されると気分が高揚するけどな」
「そうなのか! 桔梗さんはてっきり我が道を行くタイプだと思ったから、指示されるのは嫌いかと思ってた!」
「我が道を行くからこそ、支持者は大事ではないか!」
「ん?」
「え?」
その時、脱力していたカスミンが起き上がり、俺たちの会話のすれ違いについて指摘してきた。
「さっきから二人の話を聞いていたけど、話が噛み合っていないニャ!」
「え?」俺と桔梗さんは声を揃えて言った。
「桔梗ちゃんは支えるという意味の『支持』の話をしているけど、水無月くんは指し示すって意味の『指示』で話しているニャ!」
「そうだったのか?」桔梗さんが驚きながら俺を見てきた。
「あぁ、桔梗さんも?」
「カスミンの言った通りだ。…そうか! だからあの時…」
「二人とも、よく会話が続いていたよね」二宮さんが笑いながら小さな声で言った。
このように会話のすれ違いが頻繁に起こったので、俺は少しコミュニケーションに対して自信をなくしていた。ただでさえ、思い込みが激しい方だと自覚していたが、まさかここまで酷いとは思わなかったので、内心焦っていた。このままでは、相談部を続けられなくなってしまうかもしれないと危機感を抱いていた。
そんな時、如月さんが「そういうことってよくあるよね!」と言って笑い話にしてくれた。みんなもそれに同意して笑ってくれた。その光景を見て、俺は落ち着くことができた。如月さんの一言で、俺の失敗は笑い話に変わったのである。これで俺もネガティブに陥っていた考えを切り替えることができた。
その日の帰りに、俺は如月さんにお礼を言った。如月さんは「何のこと?」とわかっていない様子だった。こうした何気ない会話でも、人に影響を与えることができるんだなと改めて思った。
読んでいただき、ありがとうございます。
次回もお楽しみに。




