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眠らずの獅子と目覚めのハーブ  作者: 煎茶
第一章
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8.無礼な男

あの残念な男性と別れた後、セトカは草原を一人、歩き出した。


どこだか解らないけれど、きっと私は死んでしまったのね。何時夢から覚めるかも、覚めないかも解らないけれど、日本でのしがらみから離れて、こうして爽やかなハーブの花畑を歩いていると、自然と顔が綻んでくる。


「悪くないかもね。」


そう、悪くない。ハーブを真剣に学び始めてからはどんどんハーブの魅力に嵌まって、今では日常生活にもハーブを欠かすことは無い程のハーブフリークとなった。

忙しい合間を縫って隣町のハーブ園に遊びに行ったりしていたが、こんなに見事なハーブの草原は見たことが無かった。


「自然に生えているハーブってこんなに生き生きとして、香りも豊かなのね。」

言うなれば、放し飼いの地鶏と、狭いケージにぎゅうぎゅう詰めのブロイラーくらいの活力の差がある気がする。


ふらふらと其処此処のハーブの茂みに寄り道しつつ、セトカは花束を大きくしていった。

好きなハーブの香りを胸いっぱいに吸い込んで、セトカは元気に歩いて行くが、それも3時間続くと、段々と足が痛くなってきた。

久々に履いた7㎝のヒールも靴擦れが出来てしまったようだ。ハーブの草原を渡りきり、木の根がむき出しになった山道にさしかかってきたのもかなり体力を消耗している。セトカは苦渋の決断で、道脇の大きな石に腰掛けるとヒールを石で叩き折った。美しいラインを描くヒールは根元からポッキリと折れた。なんとなくその場に捨てるのは憚られ、折れたヒールをポケットにしまい込む。



「随分歩きやすくなったわ。」

お気に入りだったヒールを折ってしまった後悔が押し寄せるが、自分を納得させるように空元気を出すとセトカは再び立ち上がった。


ハーブの草原では感じなかったが、森に入ると、木々のざわめきと共に動物の鳴声が聞こえてくる、最初は自然を感じて感動していたが、段々と心細くなってきた。

「まさか、肉食獣とか居ないわよね。日本狼はもう絶滅しているし、警戒するべき猛獣は…熊?」

確か、山菜採りで山に入る人は鈴を付けて熊よけにするとテレビで見たことがある。

セトカは急に恐ろしくなってきて、落ちていた木の棒を拾うと、カンカンと音を立てながら歩き始めた。


暫くしてポツポツと雨が降ってきた。

「わわわ、振り始めちゃったわ。早く洞窟に行かないと。山の天気は変わりやすいって言うものね。」

熊よけに歌いながら歩いていたセトカはその足を急がせた。


雨足が強くなってきた頃、漸くあの男が言っていたであろう川に突き当たったが、心配していた賽の河原では無く、緑の生い茂る爽やかな空気に包まれた河原だった。

懸衣翁も、脱衣婆の姿も無い。


「三途の川では無さそうだわ。…洞窟は、川上にあるって言っていたわよね。」


セトカはほっと安堵のため息を付くと川上に向って歩きだした。

ヒールを折ったサンダルはバランスが悪く、何度も足を滑らせては岩に身体を打ち付け、手足に切り傷を増やしている。


何時しか、手にしていたハーブの花束も無くし、セトカは痛む身体を引きずりながら洞窟を目指していたが、先ほどから、動物のうなり声が聞こえるようになっていた。

肉食獣では無いと思いたいれど、セトカが弱って力尽きるのを待っているかの様な距離間で付いてきているのを感じる。


一休みしたいのをグッと堪えて、セトカはひたすら川上を目指した。


雨で体温と気力が奪われ、意識が朦朧とする中、セトカは漸く洞窟の入口を発見した。

「あ…そこが…洞窟…。」

はぁはぁと息の上がった呼吸を整える間も惜しんで、洞窟に急ぐと、不意に獣のうなり声が大きくなった。

と、ふわりと風をはらみ、音も無く黒い固まりが目の前に飛び込んできた。


「っ!!!!」

声にならない悲鳴を飲み込むと、そこに立っていたのは先ほどの無礼な男だった。

虎か何か、猛獣かも、と身構えていたセトカは、人間だったことに安堵するも、その人は舌打ちと共に不機嫌そうに声を掛けてきた。

「オイ。何故ひとりで居る。護衛はどうした。」

眉間に盛大に皺を寄せて厳めしい表情を作っているが、セトカはもう立っているのがやっと、という程体力が限界に近かった。

漸く洞窟にたどり着いて少し気の緩んだところにあのドッキリである。ショックで気を失わなかった自分を褒めてやりたい。大体、さっきは私だって色々聞きたいことがあったのに、近寄るな、話しかけるなと一刀両断したのは向こうでは無いか。

人の話も禄に聞いていないから、護衛はどうした、なんてとんちんかんな質問をしてくる辺り、とっても腹が立つ。セトカは彼の言葉を無視して洞窟へ歩き出した。あと少し、あと少しで雨をしのげる洞窟にたどり着く。


ガクガクと震える足腰に、鞭を打って歩んでいると、先ほどより声を荒げた男がセトカの足を止めた。

「おい、何故黙っている。」

セトカは余りにも自分勝手な男に向き直り、口を開いた。


「先ほどお話した方と同一人物でしたら、私が話すことはありませんから。」

「どう見ても、先ほど呑気に昼寝していた令嬢だろう…違うか?」

女性から言い返されたのがさも不満だとでも言わんばかりに眉を顰めた男は、セトカの身体を頭からつま先までじろじろと遠慮無く見回している。

身長は見上げるほどの大男だが、顔は30代半ばの青年、と言った雰囲気だ。だが、その態度は男尊女卑が当たり前の団塊世代のおじいちゃんのようだ。

なんて不躾なの。


「呑気に昼寝していた訳ではありませんが、確かに草原にいたのは私です。

そう言う貴方は、<軽々しく近寄るな。話しかけられるのも迷惑だ>と仰った方と同一人物ではないのですか?」

「先ほどとは状況が違う。何故、護衛達と山を下りずに懲りずに追いかけてきたのか聞いている。」

呆れたような物言いが心底頭にくる。おまけに、私が彼を追いかけて来たとでも言いたいのかしら?この洞窟を紹介してくれたのは自分なのに、何故、<懲りずに追いかけてきた>なんて言えるの?

彼の言う、護衛とやらを探しているのか、しきりに辺りを伺っている。


かれこれ5,6時間は歩き続けているが、獣の声はすれども、人の声など一切耳にしなかった。

彼は何をもって護衛、だの取り巻きだのと言っているのだろうか。


「先ほども言ったとおり、私は一人ですし、貴方が先ほどとは状況が違うと理解されている通り、雨が降ってきたので、紹介して下さった洞窟に向っているところです。

貴方から言葉を掛けられなければ、話しかけるつもりはありませんし、勿論近寄るつもりもありません。ただ、この雨の間だけ雨宿りをするだけよ。」

もういよいよ限界が近い、この人の前で無様に気を失うよりも、洞窟に一刻も早くたどり着いて身体を休めたい。


その一心で、セトカは彼を無視して洞窟へ向うことにした。

後ろから隠そうともしない舌打ちと悪態が聞こえてくるが、もうそれすらも耳に入ってこない。

ぼんやりと霞み始めた視界の中、少し窪んだ洞窟の一角を見つけると、セトカは気を失うように倒れ込んだ。


手足がじんじんとするが、痛みからなのか、凍えからなのか、考えることも放棄してセトカは眠りに落ちていった。


何時しか身体を冷たく濡らしていた雨が止み、洞窟の中に暖かさが広がってきた。

寒さに縮めていた手足を少し緩めて、セトカはひたすら眠った。

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