7.洞窟~B
「どういうことだ?どこへ消えた?」
辺りを探ると、洞窟の入口付近、狼の巣穴の辺りで人の気配を察知した。よりによって気性の荒いセイル狼の巣だと?万が一巣穴の主と鉢会えば、簡単に八つ裂きにされてしまうだろう。
訝しみながら見に行くと、案の定、あの令嬢が手足を丸めて寝入っていた。
「おい、こんな所で何をしている。」
声を掛けるも、眉間に小さく皺を寄せたまま、一向に起きる気配が無い。
「俺に魔獣の相手をさせて自分は狸寝入りか。おい、起きろ。」
剣の鞘で揺り動かすも、令嬢は目覚めることは無かった。それどころか…
「ああっ。クソっ。なんて厄日だ。」
俺は頭を抱えた。
令嬢は雨に濡れた衣服も乾かさず、傷の手当ても禄にせずに寝入っている。
このままでは風邪を引くだろうし、傷口から菌が入り化膿する可能性もある。
じわりと血が滲む傷口は、消毒も血止めも行っていないようだ。
俺は声を掛けたことを盛大に後悔しながら、令嬢を抱え、たき火の側に移動させた。
俺のマントを敷き、洗浄と乾燥を掛けた令嬢をその上に横たえる。
肌の見えている両腕と、膝下の擦り傷を治療するが、けったいな形状をした靴を脱がせると、痛々しいほどの水ぶくれと、靴擦れが出来ていた。
どんな歩き方をすればこんな酷いマメが出来るんだ?と言うか…小さな足の裏は今まで歩いたことがあるか?と疑いたくなるほど柔らかく滑らかだった。
初めて歩いたのがこんな山奥だったのだろうか?
日焼けも無い白い肌と、労働とは無縁の細く柔らかな手足、手入れの行き届いた長い黒髪…
見れば見るほどこの場に相応しくない令嬢の姿に頭が痛くなる。
まさか、こんな傷だらけにした責任を取って結婚しろとか言い出すんじゃ無いだろうな。
俺は最大限の警戒を払って、たき火から離れた所に陣取り、胡座をかいた。
何で火をおこした俺がこんな離れた所で過ごさなくてはいけないんだ。そう独りごちながら…。
夜が明けても、令嬢は一度も目を覚まさないまま、マントを被って眠っていた。
俺は昨日狩った魔獣をたき火で焼いて朝食にすると、柔らかな兎の丸焼きを令嬢の前に置いてみた。
昨日から何も食べていないはずなので、腹が減っているだろう。
だが、兎を目の前にしても令嬢はピクリとも動かない。
「無理に起こしてまた難癖を付けられても不愉快だな。」
俺は山頂付近まで、昨日スパイダーリリーが振り巻いた毒の状況を確認に行くことにした。
条件が揃えば、一日で毒は消えるが、無風状態が続くと、毒は数日間、その場に浮遊することになる。
果たして、山頂は、綺麗な青空が広がり、毒はすっかり消え去っていた。
昨日の雨と西南西の風が良い具合に作用したようだ。
ギルドへの経過報告の狼煙を上げ、此処での討伐を完了した。
俺はサッサと山頂を後にすると洞窟へ戻ってきた。
恐る恐る、たき火の前に行くと………。
令嬢は先ほどと変わらぬ姿で寝ていた。用意した兎肉は手も付けられないまま置いてある。
なんだ、野獣の肉なんて喰えないッてことか?それとも実は収納魔法持ちで何ら食うに困っていないと言うことか?ぐるぐると怒りがこみ上げるが、貴族令嬢は肉より魚を食す方が肌が白くなると言う話を思い出した。
コイツも肉より魚が良いって言うのか?
俺はため息を付きながら、魚を捕りに行くと走り書きを残して洞窟を後にした。
シーファと以前来たときに、捕まえたシェルサーモンは絶品だった。
シェルサーモンは、市場でも滅多にお目に掛らない高級食材だ。それを取ってくると解れば、あの令嬢も態度を改めるだろう。
そう期待してとりわけ大きな2匹を捕まえて砦に戻ると
…そこに令嬢の姿は無かった。