117.ゲスニーク領~バスチアン
「お父様、いつになったらバローザ様はいらっしゃるの?討伐に出発してから、もう一ヶ月になるわ!!」
「おお、ミリカーレや。期限はあと数週間だ。もしかしたら、わざと遅れてお前との婚約を狙っておるのかもしれんぞ。」
ゲスニーク領の領主ティーバン・ゲスニーク伯爵は、令嬢らしからぬ粗暴な振る舞いで朝食の皿を床にたたき落とした愛娘を窘めることもせずに、必死に娘の機嫌を取っていた。
壁際で控える従者は、そんな親子の姿に静かに溜息をついた。
そもそも、侯爵位にも匹敵するS級冒険者であるバローザ・シュテリエ様はこのミリカーレ様との接触を拒否して、国を捨てようとまでしていたのだ。
その彼を引き留めるため、あの手この手を駆使していたが、ゲスニーク伯爵はバローザ様の師匠であるシーファ・スタンレイ様の血筋を探しだし、情に訴えて引き留めを図るもあえなく失敗、彼を熱狂的に崇拝している愛娘に絆され、薬物まで使って色仕掛けをしかけるもそれも失敗に終わった。
しかも、色仕掛けに使用した薬剤の調合ミスと禁止魔術の返り討ちでミリカーレ様は魔力回路に障害を負ってしまった。
その治療のために必要となったスパイダーリリーの体毛の取得を条件に、今後嫡男リビルド様を除くゲスニーク一門はバローザ様と一切の接触を避けるとの契約を交わしているのだ。
万が一にも、ミリカーレ様との結婚を考えている訳がない。
にもかかわらず、このサロンで繰り広げられる的のずれた会話はこの一月の間、ぶれることがなかった。
万が一、S級冒険者バローザ様の不興を買って国を出て行かれてしまったら、彼の故郷、アンベルクは破綻するかも知れない。
冒険者が受け取る討伐料の2%は冒険者拠出料として出身ギルドに収められる事になっており、S級ともなれば、その金額は2%とはいえかなり高額となる。だが、その冒険者が国を出てしまうと、新たに拠点とした国のギルドにその拠出金が納められるようになる。
アンベルクは、大きなダンジョンと、魔核と魔材加工で名を馳せるガンツ工房がある為、冒険者がひっきりなしに訪れては居るが、その人口は年々減ってきている様だ。
これと要って不便な町では無いが、便利なわけでも無く、冒険者以外には何の面白みも無い町、と言った印象だ。
辺境の田舎町とは言え、他人の領地の町を破綻に追い込む事になれば、あの、ミントレイノ領の領主が黙ってはいないだろう。
その名を大陸にとどろかせているガンツ工房を取り仕切る頭領は先々代の領主であり、現ミントレイノ領主の祖父にあたる。それに、領主自身、学院ではバローザ様と机を並べ、一方ならぬ恩も受けたという。
何より、今回のミリカーレ様を巡る条約を迫ったのは他でもない、ミントレイノ領の領主なのだから。
自領の冒険者の保護と言って、わざわざこちらに出向いてきたほどだ。
にもかかわらず、状況を弁えない危険な行為を両親揃って容認するような真似、如何に阻止しようかとゲスニーク家筆頭執事のバスチアンは頭を悩ませていた。
「おい、バスチアン。あの冒険者の状況はどうなっている。」
なかなか泣き止まないミリカーレ様の様子に矛先がこちらに回ってきたことに、うんざりとしながらも、表情を微笑で隠した従者は静かに答えた。
「昨日もお伝えしましたとおり、ガンツ工房の再建は進んでおりますが、何分新設した炉の調整は3ヶ月は掛ると言われております。バローザ様はある程度のレベルの魔獣の加工にはガンツ工房を愛顧されていらっしゃいますので、今回も工房の復興をお待ちになっているのでしょう。
恐らく、2ヶ月の期日に間に合うと踏んでのご決断と思われますので…」
「御託は良いのよ、バスチアン!!バローザ様はいつ私の元に来て下さるの!?」
(貴方の元に来る日は一生やってこないでしょう…)
そんな言葉を飲み込んで、バスチアンは冷静を装う。
「………一月後、と推測いたします。」
「そんなぁ!!そんなに長い間待っていないといけないなんてぇ。」
「ああ。可哀想なミリカーレ!!そんなに泣いては、身体に触るわ。ほら、母様達が何とかして上げるから。泣き止んで頂戴。」
お三方揃って頭が腐っているのではないかと思うが、どうにか平常心を保っていられるのは、嫡男のリビルド様が、冷めた目で自分の家族を眺めているからだ。
ミリカーレ様がなぎ倒した朝食のテーブルから、自分の皿だけを器用に隔離し、この騒動の中、静かに食を進めていた。
美しい仕草でカトラリーを置いたリビルド様は、静かに立ち上がると、床に座って抱き合っている3人に向って言い放った。
「父上に義母上。今一度、ミントレイノ伯爵と交わされた条約書を読み返しては如何ですか。
万が一、違約金を払うことになったら、領地のいくつかは手放さなくてはいけなくなりますよ。」
「領主である父親に向って、何と言う口の利き方ですか!!リビルド!!
ああ、母親の愛情が足りなかった所為ね、可哀想に…。
良いわ。貴方もいらっしゃい。ちゃんと家族として、愛情を感じて欲しいの。」
そう言って、地べたに座り込んで円団を組んでいたアントワーネ様が、手を広げて、リビルド様を受け入れる仕草を取るが、当のリビルド様は、うんざりした様子でそれを断った。
「義母上。私は実の母から十分な愛情を受けたので心配無用です。貴方の愛情は、そこの情緒不安定な義妹に注いでやって下さい。では私は執務がありますので。バスチアン、確認したいことがある、直ぐに来てくれ。」
母子でギャーギャーと騒ぎ始めた声を聞きながら、リビルド様は踵を返して食堂を後にした。
「何よあの態度、酷いわお兄様!友達ならバローザ様に連絡を取って早く来るように伝えてよ!!」
「全くだわ。リビルドが冷たいのは、あの子の母親に似たからなのね。私がもっと早くに貴方の妻になっていたら…」
もし、アントワーネ様が亡くなった奥様よりも早く旦那様と知り合っていたら、婿養子でここに来た旦那様のご実家である男爵家で慎ましく生活していたことだろう。だが、それではリビルド様が生まれてくることも無かった。
運命とはかくも上手く回らない物だ…
「それでは私も失礼いたします。」
我が主と決めた若者の背中を追うように、私も領主に挨拶をして退室した。
~ゲスニーク伯爵家筆頭執事バスチアン視点でした。
8月中2話ずつ投稿予定です。順番にご注意下さい。
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