大人になる方法
※このお話はBL小説ではなく、単なるコメディです。
──この世は不条理と不公平で出来ている。
僕がそう悟ったのは、5歳の時だった。
とはいえ、常識と非常識、合理と不合理、平等と不平等などは、教会が僕たちに植え込んだ定義に過ぎない。教会が勝手に概念の境界線を決めたのだ。ここまでが“常識”で、ここから先が“非常識”だと。いわば、“刷り込み”によって僕たちがそうだと“思い込み”しているわけだ。……まあ、社会通念として何か規範が無いといけないし、善悪の境界線を決めないと治安が悪くなる。“国家”として、健全な社会的集団生活を送るためならば、やむを得ざる仕儀だと理解は出来る。倫理的、論理的側面から見ればね。
けれど、個人レベルで“不条理”や“不公平”を感じた場合、世の中はすべからくそれらで出来ていると分かっていても、様々な感情が胸中に去来するのは仕方ないことだ。それが人間ってモンでしょ?
では、“不条理”や“不公平”を悟った時、どんな行動に走る人がいるのか。──僕は二通りあると思う。
一つは、悔しさや虚しさを感じ、相手に対して恨んだり僻んだりする、ネガティブな方向に向かう人。
そして、もう一つは、憧れや尊敬の念を抱き、相手に対して称賛したり崇拝したりする、ポジティブな方向に向かう人。
僕は完全に後者の人間だったようで、5歳の時に完全完璧な人間に出会った時、僻むより憧れた。嫉むより崇拝した。そして生涯の神様になったのだ。
──その神様の名は、ロイド・フィッツジェラルド。僕の親友だ。てへ。
教会が信仰する神など見たことはないけれど、僕の親友は神そのものであるかの如く、完璧な人間である。姿形の美貌もさることながら、その叡知も、身体能力も、剣の腕も、身分・家柄でさえも、彼より高い人物はそうそういないし、その全てを兼ね備えた人間となると、親友以外に存在しない。──もうね、これだけ整えられたらさ、嫉妬なんて遥か彼方にぶっ飛ぶよ!尊いっ!
こうして彼は、僕の信仰対象になったのだ。
「…何を言っている?」
「あっ、神様!」
「変な呼び方をするな」
パシッと親友に頭を叩かれた。えへー。今日も眉間に寄せられたシワが格好いいよー。
ぶたれたのにニコニコしている僕を見て、ロロが一歩足を引く。……ちょっと、そんな気味悪がらなくてもよくない?!
心なしか、ロロの足が速まる。僕も少し足を速めて彼に並んだ。──今日は良い天気。二人ともようやく休暇をもぎ取れたので、たまには街に出てぶらぶらしよう、と僕が親友を連れ出したのだ!
ロロは彼より親指の長さ程低い僕を見て、怪訝そうに尋ねる。
「それで?今日は何の目的があって街に来たんだ?」
「あっ、それそれ!ついに完成したって連絡を受けてさ。ロロに是非見てもらおうと思って!」
喜色満面の声でそう言うと、ロロはいやぁな顔で冷たく呟いた。
「…なにやら、嫌な予感しかしないのだが」
「いいからいいから!」
もうすぐそこだよ、とロロを急ぎ足で案内する。程なくして美しい看板が掲げられた店に着いた。僕の目的地はここだ。それにしても、さすがは一流芸術家。看板からして格好いいデザインだ!
こんにちは、と声を掛けながら中に入ると、所狭しと色々な作品が展示されている。僕は名前を伝えて、来訪の目的を告げた。
「これはこれは、ハミルトン様でございましたか。作品を持って参りますので、少々お待ちください」
僕はウキウキして待つ間、他の作品も眺めてみる。食器やカトラリー、装飾品や時計など、実に種類は様々だ。あっ、銅像まで!次はこれにしようかな…と考えていると、店主が作品を持って戻って来た。
「では、ハミルトン様。どうぞ中をお検めください」
「うん。……こ、これは……!」
「…どうした?テディ」
ヒョイとロロが作品を覗く。そしてギョッとして叫んだ。
「な、な、なんだ、これは?!」
「店主!素晴らしいよ、完璧だよ!ああ、よくぞここまで忠実に描けたものだ…!」
「ええ、わたくしめの渾身の作品です。いやはや、お連れ様が来た時なぞ、正直絵から飛び出したのかと思いましたよ」
「まさに!」
あはは!と明るい声で店主と笑い合うと、ロロに首根っこを掴まれた。そして恐ろしい声で脅迫する。
「今すぐこの絵を捨てねば、貴様の首をひねり潰す…!」
「ぐぇぇ…い、いやだ…あ、店主、ありがとう…ぅぇ…」
今度は銅像を注文するからね~と首を絞められながら辛くも伝えて、僕はロロに連れ出された。
店の外に出ると、ロロが真剣に怒っている。怒り顔すら格好いいとか、どこまで神様に贔屓されてるんだろう…とうっとりしながら説教を受けていると、ロロからゴチンと全力の拳骨が飛んだ。……ぐっ…めちゃくちゃ痛い…!
「この馬鹿!何考えてるんだ?!俺の姿絵など注文しおって…!」
「だって、最近中々会えないじゃないか。だから姿絵を拝んで一日の原動力をもらおうと…」
「気味悪いからヤメロ!そのうち妙な噂が立つぞっ!」
あー、僕たちがデキてるってヤツ?別に僕たちの性癖はノーマルだから、そんな支障はなくない?(※そういう問題ではない)
ロロは僕の大切な親友であり、大切な偶像崇拝だからさ!グッズを欲しがるのは、ファンとして正しい真理じゃない?
「どこが正しい真理だ!ふざけるな!今すぐ燃やせ!」
「無理!」
姿絵を取り上げようとするロロから逃げながら街を走っていると、路地から悲鳴が聞こえた。それは、追いかけてきたロロにも聞こえたようで、ロロが剣の柄に手を掛ける。
「…テディ」
「うん。助けに行こう」
僕は悲鳴が聞こえた路地に入る。すると、三人の暴漢と思しき男が、一人の女性を囲んでいる。三対一。遠慮はいらないな、と僕は背後から抜剣はせずに剣の鞘でぶっ叩いた。──え?背後からは卑怯だって?いやいや、女の子一人に成人男性三人で取り囲む方がよほど卑怯だよね。よって、僕は卑怯じゃない!(※すり替え論法)
あと二人…と振り返ると、残り二人の男はロロがあっという間に倒していた。さっすが英雄!かぁっこいい!ヒューヒュー!
……なんて言ってる場合ではない。襲われたと思しきこの事態に、片袖を破られた女の子はガタガタと身体を震わせている。……可哀想に、怖かったよね。でももう大丈夫だよ!
僕は少しだけ女の子に近寄って、優しく声をかける。
「大丈夫?悪いヤツらは伸したからね。安心していいよ」
「は、はい…ありがとう、ございました…」
「いえいえ。僕らはこの暴漢を治安部隊に引き渡すからもう行くね。どうか気を付けて帰ってください」
「は、はい…」
女の子の声が震えている。けれど、最後はしっかり僕の目を見て返事をした。そのとき、僕は女の子を思わずまじまじと見てしまったのだ。
──うっわー!可愛い子!
目がパッチリ大きくて、肌は眩しいくらい白くて、艶やかな金髪と輝く海の瞳。ぷっくりとした唇は潤んだ苺のよう。こりゃ襲われるわ、うんうん、と僕は妙な感心をする。
ロロに送ってもらおうかな、と親友に声を掛けようとしたら、ロロはすでに暴漢二人を担いで路地から出ていた。僕も慌てて残りの男を引きずって後を追いかける。女の子はよろよろと立ち上がり、ゆっくり僕たちの後について、路地を出た。僕は安否確認のために女の子をチラチラ振り返りながら歩いたけれど、女の子はいつまでも僕たちを見送ってくれた。……いや、危ないから、早くその場を立ち去ってね。
ついに女の子の姿が見えなくなると、僕はこれから暴漢を治安部隊に引き渡して事情を説明して書類を書いて…と考え始め、少し足どりが重くなる。
──結局、休暇も半分仕事になっちゃったな。
・◦・◦・◦・◦・◦・
僕と親友は18歳に学院を卒業して、騎士に叙任された。…やっぱ仲良しだよね、僕たち。ズッ友さ!
僕らは父親同士の仲が良かったので、5歳で初めて会ってから、頻繁に互いの家を往き来している。それはそれは長い付き合いだ、互いにホクロの位置まで知る仲だからね!(※知らねぇよ!byロロ)
ロロは学院の次席卒業で、剣の腕は群を抜いて強かった。文官でも武官でも、出世頭なのは間違いない。ロロはどっちを選ぶのかと学院中が注目していたが、結局ロロが選択したのは武官の道だった。──えっ?僕と一緒の道を選んでくれたの?!ああ、ロロから深い愛を感じるぅ~!(※違うからヤメロ。byロロ)
ちなみに、僕は公爵の息子といっても次男だから、財産権が無いんだよね。あはは。それで己の力で身を立てて生きていかないといけないからさ。武官しか僕に選択の余地はなかったんだ。だから大好きな親友が同じ武官を選んでくれて…本気で嬉しいよっ!
それから、4年。僕たちはそれぞれ違う騎士団に配属されたから、ロロと会う時間は極端に減った。クスン、寂しい…。そんな僕の心情とは裏腹に、ロロは順調に出世している。まだ22歳の若さで、ロロが所属する第一騎士団の副団長に任命された。くっふ~!滅茶苦茶格好いいっ!英雄譚の主人公みたいだよぉ~!(やっぱ銅像も発注しようっと!)
……僕?僕は一歩ずつ進んでいるよ?いまは第三騎士団で新人騎士の教育の主任を務めている。悪くない出世コースだ。
──そんな僕たちには、婚約者はおろか恋人すらいない(涙)。
ロロは騎士団というエリート集団に所属している上に、身分は公爵。当然、世の妙齢の女性たちから熱い視線を送られ、『結婚したい相手』の上位に入る男だ。ただでさえ完璧人間のロロなんだから、その気になればどんな女の子だってイチコロなのになぁ…。ロロは硬派でストイックでクールで堅い性格の、今世紀最大の美青年だ!美女から粉をかけられても、ことごとく素気なく払っているのだ!くはっ!そういうところも格好良い~、尊いっ!
──ん?さり気なく自分の話をそらしているって?ぐっ…それは…その。僕だって悪くない男だよ?ホントだよ?!でもさ、隣に“ロロ”っていう完璧超人がいたら、僕なんて霞んでしまうのよ。……例えばね。一億ゴールドの壺の脇に百万ゴールドの壺があったとしよう。この場合、人々が“スゴい!”と目を向けるのは一億ゴールドの方でしょう?百万ゴールドの壺だって立派なものなんだよ?でもね、一億ゴールドの隣だと、誰もその価値に気付かないんだ。…強い光に、弱い光は消されてしまう。そういうことなのだ。
とっ、とにかく僕のことはどうでもいいんだ。僕としては、是非親友に可愛い恋人が出来て欲しい。そして誰より幸せになって欲しい!
そんな下心から、僕は夜会の招待状を渡す。
「…なんだこれは?」
「僕んち主催の夜会だよ。僕のいとこをデビューさせたい、とせがまれてさ。夜会を開く羽目になったんだ」
「それと俺に何の関係がある?」
「まあまあ」
あー、本っ当に女の子に興味がないな、ロロ。これだけ美青年に生まれたら、女の子と遊び放題だろうに。なんか勿体ないね。
くふ。この夜会はデビューのご令嬢がたくさん参加する予定なんだ。やはり狙うのは、デビューの女の子だよね。ロロにはさ、手垢のついていない女の子が似合うもんな!
…という計画に笑みをこぼしていたら、ロロに不審顔を向けられた。そして断ろうとするロロに、僕は縋る。
「だって、僕ら、もう22歳だよ?!僕もそろそろ恋人を作りたいんだよ、ロロぉ…」
「…………まったく」
はあ、とため息をついて呆れているが、「仕方ないな」と結局は了承してくれる。ふふ。やっぱりロロは優しいな。大好きだ!
──まあ、僕にも可愛い恋人が出来たらいいな、というのは、全くの本音だけれどね。ロロのおこぼれでも良いから、僕にも可愛い恋人が出来ますように!
・◦・◦・◦・◦・◦・
ロロの邸宅であるフィッツジェラルド公爵邸ほど大きくはないけれど、我が家──ハミルトン公爵邸もかなり大きい。門から屋敷までは歩くと15分くらいかかるし、そもそも門扉を開けるとまず公園並の庭があるのだ。美しく整備された前庭を進むと、道が放射状になる。その中央にあるドでかい噴水を越えれば、ようやくエントランスにたどり着くよ。お疲れ様です。
そんな我が家に、続々と馬車が入ってくる。うわー…父上ってば、どんだけ招待状を送ったんだよ。しかも、若いご子息が多い。……僕があぶれたらどうするんだよ、父上!
ホールで父上とあちこち挨拶していたら、ロロが来たので僕は人波をかき分け抜け出した。夜会服のロロは久しぶりだ。黒い盛装が黒髪黒目の彼をより凛々しく魅せていて、まぁなんてズバ抜けて格好良いのでしょう!今夜の主役はロロだね!
「ロロ、今日も格好良いね!」
「…テディ…」
壁にもたれて所在なさげにしているロロに、僕は声をかけた。ダンスフロアでは、デビューのご令嬢方がふんわりと可憐なダンスを披露している。
「皆キラキラして可愛いね、ロロ。気に入った子はいた?」
「…よく分からん」
興味無さそうに呟くロロが、男らしくて格好良い~!そうかぁ。いい男は、可愛い女の子たちにもそわそわ反応したりしないのか~。勉強になるなぁ!
僕は視線をロロに向けると、ロロはふと首をかしげて、とある女の子をじっと見つめた。僕も思わず首をかしげて、ロロに尋ねる。
「ロロ?どうしたの?」
「いや…あの女性、どこかで見たことがあるような…」
「どの女性?」
と僕は尋ねたんだけど、女の子はクルクルと入れ替わり立ち代わり、特定出来ない。ロロは諦めて首を振った。──ロロが女の子を気にするなんて、すごぉく珍しかったのにな!
色気がダメなら食い気とばかりに、僕とロロはビュッフェのコーナーに向かう。そこへ白いドレスの女の子たちがちらほら見受けられ、デビューのご令嬢方があちらこちらで声をかけられるのを待っていた。ううん、皆可愛いな!僕は綺麗めより可愛いめの女の子が好みなんだけど、ロロはどう?
「…化粧くさくない女性がいい」
「ええ~。身だしなみは大事だよ!」
女の子が可愛く見られたくて身だしなみに気をつかうなんて、ほんっとに素敵じゃないか!化粧くさくない女の子なんて、農家のお手伝いさんくらいじゃないの?──でも、それが本当の好みなら、探し出すのはやぶさかではないよ、ロロ。
なんてニコニコとロロの世話をやいていると、ロロがまた目線を一点に絞って呟いた。
「あ」
「え?どうしたの?ロロ」
「…左の隅で、壁にもたれている女性を見たことがないか?テディ」
「うわぁ…!めちゃくちゃ可愛い子だね!…うーん、どっかで見た…かな?」
確かに見覚えがあるような。…ないような。いや、そんなことはどうでも良い。ロロが女の子に興味を示したことが大事件だ!よぉし、声をかけよう!とロロの袖を引っ張りながら女の子に向かう。「おい、やめろ!俺を巻き込むな!」とぶつくさ文句を言うロロはガン無視だ。
壁にもたれている女の子は、金色の美しい髪の持ち主だ。フロアを見てため息をついたところで、僕たちは彼女に話しかける。
「こんばんは、ご令嬢。よかったら少し話をしても?」
「…いえ、わたくしは……あっ!」
「?」
わあ!パッチリお目目は綺麗な海色の瞳!スッゴく可愛い女の子だなぁ…!ロロが気になるだけあるよ!なんてキュンと僕の胸が跳ねる。僕を見て驚きの声を上げたけれど…知り合い、だっけ?と首をかしげていると、女の子は僕を見てうっとり呟いた。
「王子様…」
「王子様?ああ、ロロのこと?」
サッとロロを引き寄せて、女の子の前に立たせる。ロロは首をカリカリかいてなんだか決まりが悪そうにしていた。ロロは気になる女の子を前にしても、一向に話しかけない。だから、僕が背中を押してあげる。
「ロロ、ご令嬢と踊っておいで」
「…なぜだ?」
「こんなに可憐な女性に声をかけないなんて、男じゃないぞ!さあ、行っておいで」
「…はあ…。では一曲いかがですか?」
ロロは諦めて女の子に手を差し出して、ダンスに誘う。女の子は僕を見て戸惑っていた。
「あ、あの…わ、わたくしは…その…貴方が…」
「ロロはとてもダンスが上手いですよ。楽しんできてください。もしよかったら、そのあと僕とも踊ってくれると嬉しいです」
「……っ!は、はいっ!是非!」
女の子は僕を見て嬉しそうに頬を染めて、ロロの手を取る。うう~ん、やっぱり愛らしい女の子だな。僕の好みだ。あんなに顔を赤らめて、可憐で無垢で純粋な女の子。きっとロロの琴線にも触れるはず!……でも、ロロの手に引かれながら、ずっと僕を見ているのは何故だろうね?
なんて不思議に思いながら、僕は手を振って二人を見送った。
・◦・◦・◦・◦・◦・
夜会は苦手だ、とロイド・フィッツジェラルドは重いため息をつく。
香水臭くてかなわない。化粧お化けの女が周りをうろついて、本当に鬱陶しいのだ。俺の古い友人であるセオドア・ハミルトン以外の誘いなら、すぐに断ったのに。セオドア──テディの願いは、5歳の出会いからいつだって無下に出来ない。あいつはいつも、いつでも俺を一番に思いやっての行動なのだから。
そういえば、可愛い彼女が欲しいと言っていたな。テディは顔も頭も剣の腕も、かなりの高水準だ。おまけに公爵家次男。身分すら障害がない男なのに、なぜか婚約者もいなかった。──いやまあ、それは自分もそうなのだが。
今日はデビューの令嬢が多いから、さすがに積極的に声はかけられなかった。少し安堵する。だが、踊りもしない会話もしない夜会など、居心地が悪いだけだな、と周りを見渡していると、どこかで見た顔の女が。
「あ」
……思い出した。先日の姿絵事件のとき、街で暴漢に襲われた女だ。
「え?どうしたの?ロロ」
「…左の隅で、壁にもたれている女性を見たことがないか?テディ」
「うわぁ…!めちゃくちゃ可愛い子だね!…うーん、どっかで見た…かな?」
……鈍いな、テディ。お前、本気で可愛い彼女とやらを探す気があるのか?と呆れていると、手を引っ張られた。おい、やめろ!俺を巻き込むな!──だが、こういう時のテディは強い。俺の叫びなどガン無視で女に近寄り、テディが優しく声をかける。
「こんばんは、ご令嬢。よかったら少し話をしても?」
「…いえ、わたくしは……あっ!」
「?」
女はテディを見つめて、あっと声を上げる。テディはどうやら彼女が誰か分からない様子で首を傾げていた。……バカだな、やっぱり。可愛い彼女とやらが出来ないはずだよ。女はテディをうっとりと見つめて、「王子様…」と呟いた。
「王子様?ああ、ロロのこと?」
テディはサッと俺を引き寄せて、女の前に立たせる。
──コイツ、本気か?!
この女が心惹かれて見つめているのは、どう考えたってお前だろうが!くそっ、俺を当て馬にするなよ!
とバツが悪く立ったままの俺に焦れて、テディから背中を押された。
「ロロ、ご令嬢と踊っておいで」
「…なぜだ?」
「こんなに可憐な女性に声をかけないなんて、男じゃないぞ!さあ、行っておいで」
「…はあ…。では一曲いかがですか?」
俺はは諦めて女に手を差し出して、ダンスに誘う。だが、女は俺になど目もくれず、テディを見て戸惑っていた。
「あ、あの…わ、わたくしは…その…貴方が…」
──だよな。
「ロロはとてもダンスが上手いですよ。楽しんできてください。もしよかったら、そのあと僕とも踊ってくれると嬉しいです」
「……っ!は、はいっ!是非!」
女はテディを見て嬉しそうに頬を染めて、俺の手を取る。……クソッ、完全に当て馬じゃねーか!女は女で、俺の手を取って歩き出しても、俺のことなど一顧だにしない。
こんな扱われ方は初めてで、俺は苛立ちと悔しさと情けなさで感情がグチャグチャになった。
ダンスフロアで踊り出すと、女は意外とダンスが上手かった。俺のリードに逆らわず、楽曲に合わせてとても優雅に踊る。改めて女に目を向けると、中々美しいと思った。抜けるように白い肌は目映く、豊かな金の髪に海色の大きな瞳、丸みがある小さな鼻と熟れた苺のような愛らしい唇は、まず間違いなく優れた容姿と言える。チラッとうつむくと、深い胸の谷間が男を誘う。スタイルもとても良い。
──だが、この女は、目の前にいる俺には少しも興味が無さそうだった。それが面白くなくて、俺はつい咎めるように尋ねてしまう。
「…名は、何というのだ?」
「…コーデリア・グレイヴスと申します」
「グレイヴス嬢。君は先日、街で暴漢に襲われただろう?」
「………っ!」
そう指摘した途端、コーデリア・グレイヴスは息を飲み、瞳に警戒をにじませる。……あれ?
「俺はその現場に駆けつけて、暴漢二人を伸したのだが…覚えてないのか?」
「わたくしを助けてくださったのは、卿のご友人ですわ」
ツン、と横を向いてコーデリア・グレイヴスは吐き捨てるように告げた。う、嘘だろう?!だって、俺、あの場にいて…君を助けたんだけど?!それ全部テディの手柄になってしまうのか?!
二の句が継げない俺に対して、コーデリア・グレイヴスは少し躊躇うように俺に話しかける。
「あの…。卿のご友人のお名前は…何とおっしゃるのでしょう…?」
「…………セオドア・ハミルトンだ」
「セオドア様…」
素敵なお名前…と頬を染めてコーデリア・グレイヴスはうっとりと呟く。……あの、いま君を胸に抱いて踊っているのは俺なんだけど?!
俺はギュッと彼女の腰を引き寄せてアピールするが、コーデリア・グレイヴスは俺のことなど全く見てくれなかった。──ショックだった。これまで俺に群がる女など面倒でしかなかったが…こうまで無視されてしまうと、驚きと虚しさで衝撃が走る。
俺たちは一曲踊ってテディの所へ戻る。……彼女は最後まで俺の名など尋ねはしなかった。
・◦・◦・◦・◦・◦・
僕は二人の踊る実に華麗なる円舞曲に感動して、思わず拍手した。二人はまるで黒髪の精悍で凛々しい騎士と金髪の可憐で愛らしい姫という、小説の主人公のようだ。なんてお似合いなのだろう!……とうっとり見つめていたら、こっちへ戻ってきた。え?早くない?!あと2~3曲踊ってくればいいのに…。ロロってば、照れ屋だな。
おや?戻る途中で、僕の父に捕まっている。……あ。そういやいとこがロロと踊りたいって言ってたっけ。あらら、連れて行かれちゃった。ご愁傷様、ロロ。
それなら、あのご令嬢を一人にするわけにはいかないな。僕はオロオロしている可愛い女の子の側に行った。
「可憐なご令嬢。私とも是非ダンスを」
「……っ!は、はいっ、喜んで!」
ご令嬢はキラッキラの笑顔で僕の手を取ってくれた。ああ、可愛いなぁ…!ロロの二番煎じの扱いではなくて、“僕”を見つめて“僕”とのダンスを喜んでくれる。ちょ、この子、すっごく良い子だよ!
僕は深い感動に包まれながら、ダンスフロアで彼女と踊る。彼女……そういや、何て名前なの?
「失礼ですが、ご令嬢の名をお伺いしても?」
「も、もちろんですわ、卿。わたくしはコーデリア・グレイヴスと申します」
「コーデリア嬢。とても可愛いらしい貴女にぴったりの素敵なお名前ですね」
「あ、ありがとう、ございます…」
嬉しいお言葉です…と頬を染めて照れるコーデリア嬢がとても愛らしい。はう、僕、いまキュンです!
しかも、コーデリア嬢はダンスがべらぼう上手い!僕のリードなんて大して良くないのに、まるで僕がダンス巧者のように見せてくれる。はあ…いまだかつてこれほど僕を思いやってくれたご令嬢がいただろうか。(いやいない!)
──ロロにお似合いだけど、もしロロの好みじゃなかったら…僕の彼女になってくれないかな?
なんて、下心がムクムク湧いてしまう。それほどコーデリア嬢は素敵なご令嬢である。
ふわふわ浮ついて踊っていると、ダンスフロアの隅の方で踊るロロが見えた。僕のいとことダンスしているのだけれど…その表情は苦渋そのもの。…うわぁ…露骨ぅ…。嫌そうに踊るロロを見て、いやいやまずはロロだろうと僕は思い直した。(もちろん、おこぼれ大歓迎だけど!)
そこで、僕は親友についてこっそり尋ねることにする。
「コーデリア嬢は、ロロをどう思いましたか?」
「ロロ…様…?」
「あ、コーデリア嬢が先ほど踊った相手のことです。ロイド・フィッツジェラルドって言うんですよ。私は“ロロ”と呼んでいるのですが」
「ふふ。仲良しなのですね」
コーデリア嬢は楽しげにクスクス笑う。…これは、好印象だったのかな?まあ、ロロは神様みたいに美しくて格好良くて強くて賢い男だから、当然か。
コーデリア嬢からはっきりした答えはもらえないまま、今度はコーデリア嬢から話しかけられた。
「あの…ハミルトン卿。先日は暴漢から救って下さって…本当にありがとうございました」
「暴漢…?ああっ!あの時のお嬢さんですか!」
──ひぇっ!世間って狭い!
「はい。あの時のハミルトン卿は、暴漢を一撃で倒して…とてもとても格好良かったですわ…」
「いや、ご無事で良かった。あれから大丈夫でしたか?」
「おかげさまをもちまして」
この通り元気ですわ!とクルッと可憐に回転する。そんな茶目っ気も可愛いなぁ。
僕たちはダンスをしながら会話も弾んだ。他愛のない話も、コーデリア嬢は嬉しそうに耳を傾けてくれるし、相槌を打ったりコロコロ笑う様子はとっても愛らしい。どうしても助けてくれたお礼がしたい、とのことで、僕たちは後日また会うことになった。助けてくれたお礼……ならロロも必要だな。
──ん?これってもしかして、遠回しのロロへのアプローチなの?!
僕の混乱を余所に、ダンスは終わりを告げる。彼女の綺麗なお辞儀を受け、うっかり胸の谷間にくぎ付けになった。哀しい男の性よ…。
・◦・◦・◦・◦・◦・
さて後日。約束の日は青空が広がっていた。
春の陽気は麗らかで、空にわた雲がぷかりぷかりと浮いている。少し湿り気のある大気が、肌に心地良かった。そんな素晴らしい春の午後なのに、隣にいる親友は不機嫌だ。
「……なぜ俺まであの女に会わねばならん?」
「なーに言ってるの。コーデリア嬢は、助けてくれたお礼がしたいんだよ?なら、ロロがいなくちゃ駄目じゃないの!」
ていうか、ロロが本命だと思うよ?僕はオマケだけど、おこぼれ狙ってマス。だってコーデリア嬢、めっちゃ可愛いもん!あ、でもでもロロがコーデリア嬢を好きになったら応援するよ?ロロには世界一幸せになって欲しいからね!
……という想いを乗せてロロを熱く見つめると、ロロから嫌悪の視線を頂きました。ううん、どんな顔でも格好良いよ!尊いっ!
なんてふざけていたら、遠くから馬が駆け寄ってきた。おお、ものすごく立派な栗毛の馬だ。ベルベットのような皮膚と美しい筋肉の良馬、それを華麗に乗りこなすご令嬢。──コーデリア嬢だ!ビックリ!
「お待たせして申し訳ございません!」
「いえいえ、全然待っていませんよ」
コーデリア嬢は、ヒラッと馬から下りる様まで美しい。なんとまぁ…ロロと並んだらものすごい美男美女じゃないか!……という興奮を隠して、僕はコーデリア嬢に軽やかに応じた。
コーデリア嬢は頬を染めて僕を見つめる。…えーっと、僕、なんかヘンだったかなぁ…?ひとしきり僕をうっとり眺めたあと、コーデリア嬢は夢から覚めたように僕たちに告げる。
「す、すみません。今日は先日のお礼に、厩舎をご案内したいと思いまして」
「えっ、厩舎?!」
「……ほう」
可愛い女性から意外な言葉が出てきた!乗馬服姿でのお出掛けって珍しいな~なんて思っていたけれども!そんでもってロロは感心しているわい!
「では付いてきてください」とコーデリア嬢は馬に乗り、颯爽と駆けだした。いやはや、このご令嬢はものすごく格好良いわ。背筋がピンと伸びて、見事な手綱さばきだ。どうやらロロも同じ事を感じたみたいで、「…得手だな」と呟いた。ロロが女性を嫌悪しないで感心するなんて初めてだ!すげー、コーデリア嬢、すげー!
やたら感動してコーデリア嬢を熱く見つめ続けていると、いつの間にか景色は街中から自然豊かな場所に変わる。「どこに行くの?」と聞いてみると、軽やかな声でコーデリア嬢は「キャノンズヒース厩舎です」と答えた。
「キャノンズヒース厩舎!なんと…」
「ロロ、知ってるの?」
「知らないのか?!国内最高の厩舎じゃないか!」
スピンドル商会が経営する、国内最大規模で最高級の馬を提供するキャノンズヒース厩舎は、全騎士の憧れである。まさか…この可憐なご令嬢に招待されようとは!とロロが驚いてる。ふぁ…コーデリア嬢はスゴいなぁ…。
馬を駆けること、小一時間。やたら広い馬場に着いた。ここが国内最大規模のキャノンズヒース厩舎か。僕は間抜けな顔して呆けてしまう。入口でやたらペコペコ頭を下げられたのだが、どうやらコーデリア嬢に対して敬意を払っているみたい。──ホントこのお嬢さんはスゴいな!
隣にいるロロを見ると、ロロは瞳を輝かせて興奮していた。ロロは黒馬を好むらしく、ひたすら黒馬に見蕩れている。僕はさほど馬に興味はないけれど、ここに居る馬が素晴らしいのは分かった。健康状態がすこぶる良いので、大切に愛されて育てられているのだろうな。素敵だ。
僕たちが思い思いに馬に見蕩れていると、コーデリア嬢から穏やかに話しかけられた。
「あの…ハミルトン卿。助けて下さったお礼に、どの軍馬でも差し上げます。気に入った馬はありますか?」
「ええ?!僕…いや、私は騎士としてコーデリア嬢をお救いしたのです。言わば、職務ですから…どうかお気を使わず」
「では、わたくしたちを守って下さる、日頃の感謝を合わせて。どうか、お心を汲んで下さると嬉しいです」
キラキラの海色の瞳でそう言われちゃったら…断れないよね。うーん、可愛いよぉ、コーデリア嬢!その気遣いも嬉しいよ。
でも、馬については、ロロに譲ろうっと。
僕はロロがしきりに魅入っている黒馬を指して聞いてみた。
「コーデリア嬢。あの黒い軍馬は?」
「まあ!お目が高いですわ!あの馬はトラケナーで速さと耐久性を兼ね備えた最高の軍馬です!」
へえ、そうなんだ。僕はコーデリア嬢に感心した。コーデリア嬢の話を聞いていたロロがしきりに頷く。……それが欲しいんだね……。
僕はコーデリア嬢を見つめて、にっこり微笑んだ。「とても素敵(な馬)ですね」と告げると、コーデリア嬢は頬を染めて嬉しそうな顔をする。
「こちらになさいますか?」
「お言葉に甘えて良いのなら…」
「もちろんですわ!」
すぐさまコーデリア嬢は厩舎の従業員に声をかけ、黒馬を連れてくるよう指示した。……え?!コーデリア嬢はここの厩舎の支配人なの?!
あ然とする僕を余所に、ロロはやって来た黒馬に目を輝かせて、優しくその背を撫でる。
「素晴らしいトラケナー種だ。青毛がなんとも美しい…」
「……ありがとうございます」
「良かったね、ロロ!」
「ええっ!?」
コーデリア嬢が驚いて僕を見上げた。おぅふ…女の子の上目遣いって、ちょっとクるものがあるな。初めて気付いたよ…。
コーデリア嬢からふんわり香る良い匂いを堪能していると、コーデリア嬢から涙目で聞かれた。
「あ、あの、ハミルトン卿は…」
「ああ、私とロロで君を助けたのです。なので二人で一
頭で充分ですよ。むしろ欲張り過ぎな気がして申し訳ないけれど」
「いいえ、そんなこと!わたくし、わたくしは…」
わたくしはハミルトン卿に何か差し上げたくて…!と縋られる。うひょー!ナニコレすっごいご褒美!コーデリア嬢めっちゃ可愛いっ!
「それなら、また私たちと一緒に出かけてくれますか?」
「も、もちろんです!喜んでっ!」
僕はさり気なく次の約束を取り付ける。……ロロは馬に夢中だったけれど。もー!ロロのためでもあるのにな!アピールしてよ!
せっかくなので、僕たちは厩舎の馬場で乗馬を楽しむ。色々な馬に乗せてもらえて、スゴく楽しい一日だった。普段軽馬しか乗らないけれど、ゴッツい重馬はめっちゃ格好良い!スピードは軽馬に劣るけれど、重厚感が半端ない。ドスン!という衝撃は、乗馬冥利に尽きる感触だった。これはこれでとても魅力的な馬だよ。そんでもってポニーは小さくて可愛い。なのに結構パワーがあって驚いた。「…まるでけたたましい女のようだな」とロロの呟きに吹き出してしまったけれど。
僕たちは帰りまでにすっかり胸襟を開いて仲良くなった。あのクールなロロが、コーデリア嬢にはたくさん話しかけて楽しそうにしている。コーデリア嬢ってば、聞くのも話すのもすこぶる上手なんだよ。僕もたくさん褒められて嬉しくなっちゃった!テへ。それで調子に乗って「コーデリア嬢だから、ココだね!」なんて愛称を付けたら、ものすごく喜んでもらえた。うわぁん!超良い子だよ、コーデリア嬢、いや、ココ!
新しい友達(しかも可愛い女の子!)が出来て、僕の胸はかなりときめく。また次も三人で遊べるかと思うと心が弾んだ。これぞ青春っ!──その日、僕は心地良い眠りについた。
・◦・◦・◦・◦・◦・
あの女は何なのだ?と俺は会う度不思議に思う。
テディがコーデリア・グレイヴスと意気投合し、デートだ何だと騒いで遊ぶのは一向に構わない。だが、いつも俺を巻き込むのは勘弁してくれ。可愛い彼女が欲しいんだろう?二人で出掛ければいいじゃないか!
「何言ってるの、ロロ。確かにココは可愛いけれど、彼女を気に入っているのはロロの方じゃないか」
だから僕は断腸の思いで二人の縁を結んでいるのに!とテディが憤る。……なんだその、謎な配慮。誰が誰を気に入っているって?!
あんな女!と俺はコーデリア・グレイヴスを思い浮かべる。たゆたう金の髪と煌めく青い瞳はまるで天使のようだし、小さくて丸い鼻や艶やかな赤い唇はとても愛らしい。身体の凹凸はハッキリしていて魅力的だし、明るくこざっぱりした性格は中々話しやすい。
──ん?
──いい女、じゃないか?
だが、コーデリア・グレイヴスは俺を見ると顔をしかめる。話しかけたら丁寧な応対をするのだが、テディとはかなり温度差があった。いつぞやは手を触れたこともあったのに、動揺するどころか嫌そうな顔をされたぞ。……女にこんな扱いをされるなど初めてだったから、俺の方が苛立ちを覚える。……くっそ…。テディにはあんなに可愛らしく笑って、優しく接して、嬉しそうにしているのに…。
──俺は…彼女を気に入って…いるのだろうか…?
否!だんじて違う!なぜなら出会う度に苛立ってしまうからだ!……少しくらい、俺に微笑んでくれても良いのに……。
何だかモヤモヤしながら、三人で集まること2ヶ月。楽しいには楽しいのだが、なんとなく疎外感を感じる今日この頃だ。そんな中、公爵家の家宰に頼んでいた調査書をようやく渡された。
「遅かったな」
「申し訳ございません、若様」
「……“若様”はやめてくれ……」
バツの悪い思いで調査書の封を開けると、中身は用紙5枚ほどでやたら少ない。内容も、2ヶ月もかかってこれだけか?という薄っぺらさだった。
「何だこれは。児戯ではないんだぞ?」
「なんと…。本気だと言うのですか、ロイド様…!」
「……うん?」
なんか齟齬があるな。本気とはどういう意味か?本気で調べるのは家宰の方だろうが。
「コーデリア・グレイヴス嬢は、男爵家の一人娘。スピンドル商会を営む男爵は、一代で莫大な財産を築き上げた商魂逞しき天才です。とはいえ…その、公爵家とは釣り合わないかと…」
「……うん?」
それ、どこの公爵家だ?
「このご令嬢に…本気で入れ上げているのですか?」
……誰が?
「……まあ、(テディの)好みには違いないな」
「なんと…!」
家宰が驚きの声を上げて、身分がどうとか家柄がどうとか言っている。案外保守的なんだな、うちの家宰は。身分とか家柄とか言っていたら、俺は結婚出来ないぞ?社交界に出入りする女など、話が全く合わないからな。
むぅ。そう考えると……やはりコーデリア・グレイヴスは悪くない女だ。
……否ぁ!
お、俺がコーデリア・グレイヴスを調べたのは、テディが騙されないためのものであって!そう、親友のためだ!
……誰に何の言い訳をしているのか。馬鹿らしい。そんなことより、俺は珍しくテディもいない非番の日(アイツはいつも休暇を合わせてくるのだ!)だから、一人でのんびり街に出かけた。
王都は治安が良いとは言えない。それは、活気があることとイコールだ。人が集まるから活気が出る。人が集まるから治安が悪くなる。表裏一体の関係だな。
人混みを上手くかき分けながらスイスイと歩く傍ら、ついあちこち気にしてしまう。……これは職業病だ。まあなるべくなら平和がいいさ。そう思いながら当て所なく歩いていると、路地で人だかりが出来ていた。どうやら賑やかな大道芸のようだが、ふと眺めると穏やかな顔で拍手を送るコーデリア・グレイヴスの姿がある。──俺は須臾声を掛けるかどうか躊躇った。
すると、コーデリア・グレイヴスと目が合う。こうなっては声を掛けぬ訳にはいかないな、うん。俺は大股でコーデリア・グレイヴスに近寄った。
「大道芸を見ていたのか?」
「ええ、通りかかったので」
互いに短い受け答えのあと、黙ってしまう。……してみると、俺たち三人はほとんどテディがしゃべっていたのか。アイツはスゴいな。
さてどうするか…と迷っていると、ふと思い出したような顔つきでコーデリア・グレイヴスは俺を見つめて尋ねてきた。
「あの、この後お時間ありますか?」
「あ、ああ。今日は非番だから…」
「では、少しだけお時間頂いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない」
そう頷いて答えると、コーデリア・グレイヴス「ありがとうございます」と小さく微笑んだ。……うっ、その笑顔が眩しく見える。何てことだ…病気か?俺は。
「こちらです」とコーデリア・グレイヴスが俺の前方を歩く。女性にしてはしっかりとした足取りで、スイスイと人混みを抜けた。おお…やはり彼女は非常に運動能力が高い。
コーデリア・グレイヴスの見事な足さばきと張りのある尻を交互に眺めていると、どうやら到着したようだ。……む。見たことあるぞ、この店。そうだ、いつぞやの…テディが俺の姿絵を頼んだアトリエじゃないか!
俺が思い出し怒りをしていると、委細構わずコーデリア・グレイヴスは中に入って行った。慌てて着いていくと、やっぱりあの店主がいる。
コーデリア・グレイヴスは店主に駆け寄って、少し高めの綺麗な声で依頼した。
「店主、お願いがあるの」
「これは、お嬢様。何なりとどうぞ」
「実はね…」
コーデリア・グレイヴスは真剣な顔つきで何やら書きながらポソポソと店主に説明する。俺にはほとんど聞こえてこないから、商品を見て時間を潰すことにした。あの時、姿絵を見せられた驚きで他のことは忘れてしまったが、こうして見ると案外センスの良い作品が多い。銀の時計など、意匠がシンメトリーになっていて芸術的だった。
「…では、あの方が?」
「ええ、そうなの」
「なるほど…」
ふむ、と店主がいつの間にか俺に近寄り、肩や腕を触ってくる。……な、なんだ…?!一般市民だから、こちらから手は出せない。嫌悪感を感じながら我慢していると、店主は満足げに破顔してコーデリア・グレイヴスに告げた。
「よろしい。素晴らしい作品にしましょう!」
「良かった!どうぞよろしくね!」
二人は固い握手を交わして、交渉が成立したようだ。……俺に何の用だったのか。呆然と立ち尽くしていると、店主が羨ましそうに俺を眺めて、「贈り物ですよ」とこっそり耳打ちした。その声が届いたのか、入口付近でコーデリア・グレイヴスが「もう!店主ったら!内緒なんです!」と怒っている。
──な、内緒の…贈り物か?俺に…?!
だから、俺をここに連れて来たのか!だから、店主が俺のサイズを測るように触ってきたのか!……俺の胸が勝手に跳ね上がる。くっ…なんて厄介な身体か!
俺はキュンと胃を竦めさせながら、コーデリア・グレイヴスの後を追って店を出た。
店を出て、俺たちは並んでしばらく歩くと、少し照れたようなコーデリア・グレイヴスからお礼を言われた。
「お忙しい中ありがとうございました」
「…いや。非番だったから別に構わない」
「今日は…お一人なのですね」
「…まあ、所属部署が違うからな。そうそう休暇を合わせられない」
──はずなんだが、テディはかなりの高確率で俺と休暇を合わせてくる。あれはどんな技を使っているのか…。聞いたら怖い答えが帰ってきそうだから聞かないけれど。
俺がテディと共に居ないのがそんなに珍しいのか、コーデリア・グレイヴスは残念そうに呟いた。
「そう、ですか。セオドア様はお元気ですか?」
「アイツに元気がない日など、あり得ないさ」
「ふふ。そうですね」
軽い口調でそう言うと、テディを思い出したのか、コーデリア・グレイヴスは楽しそうに笑う。……可愛い、なんて感じた俺は、やはり何かの病気なのだろうか?
そういえば頂いたトラケナー種は素晴らしい馬だな、などと近況報告すると、コーデリア・グレイヴスは瞳を輝かせて俺の話を聞く。あの馬はとても慎重だけれど勇敢です、と嬉しそうに反応する姿は、俺の心臓を早めさせた。……くっ!これは、もはや病気に違いない!(※恋の病だよ、ロロ!byテディ)
意識すると、やたら緊張し始める。今日は特に予定がないから、コーデリア・グレイヴスにどこまでも付き合えるな…と期待していると、五叉路の道で彼女は「私はこっちです。今日はありがとうございました」と言って、颯爽と去って行った。その少しも躊躇いのない足取りを見て、俺はがっかりしてしまう。……クソ。なんて厄介なのだ!
……もう少し一緒にいたい、と素直に誘えれば良かったのだろうか?──答えが出ないまま、俺はコーデリア・グレイヴスとは反対の道を歩き、家に帰るのだった。
・◦・◦・◦・◦・◦・
僕たちが親しくなって3ヶ月が過ぎた頃、僕は23回目の誕生日を迎えた。誕生日パーティなどやる歳でもないけれど、毎年ロロがお祝いしてくれる。テへ。やっぱり僕の神様はサイコーだね!尊いっ!
王都の公爵邸で寛いでいると、家宰がお客様の来訪を告げた。お、ロロってば、今年は早いね。まだ午前中だよ。
嬉しさの余り階段を駆け下りてエントランスホールに向かうと、そこにいたのは親友と可愛い子だった。
「おはよう、テディ」
「お誕生日おめでとうございます、セオドア様!」
「二人ともいらっしゃい。さあ、中へどうぞ!」
僕はニコニコ顔で二人を応接室に案内する。ココまで来てくれるなんて!僕の胸がキュンと跳ねた。女の子に祝ってもらえるなんて…大人になってからは初めてだよ!う、嬉しいな!……なんか、やたら重そうな荷物持ってるけれど。「持つよ?」と聞いても、笑って断られる。僕のエスコート、下手だったかな…?
とちょっと不安になりながら応接室に入ると、なんとロロがココの隣に座った。……え、ど、どうしたの?!僕の隣も空いてるのに…ロロが自分から女性の側に行くなんて!ロロってば、ついにココへの気持ちを自覚したのかな。
……なんとなく……寂しいな。
なんてちょっぴりおセンチになった僕の向かいでは、僕に笑顔を向けて嬉しそうにしているココがいる。や、やっぱり可愛いな!あの豊かな金髪が風にふんわり揺れる姿とか、輝く海面のように青い青い瞳が美しく瞬きながら僕を見つめて微笑む仕草とか、ホント超好みだなぁ。ロロと隣り合うと、『新・デレ等』に出て来る美形王子と美麗姫様だよ!あー、今度二人の姿絵をアトリエに頼もうかな…
…なんてトリップしている内に、メイドたちがブランチとドリンクを用意してくれた。あっ、バースデーケーキまで!ううん、僕ん家の使用人は皆優しいな。ありがとうね!
「誕生日おめでとう、テディ」
「ありがとう、ロロ!」
サッと目の前に出されたのは、どうやらロロからのプレゼントみたいだ。僕はえびす顔でそれを受け取って中を拝見する。
「うわ!“ゴヴニュのダガー”だ!スゴい…」
「だろ?俺も同じ物を持ってる。キレ味凄いぞ」
「お揃い!ありがとう、ロロ!」
…お揃いとかキモいから言うな!と照れ隠しでロロが怒鳴る。いやいや、本当にキモかったら、同じ物なんてあげないよね。僕、ちゃんと知ってるからね。ロロが照れ屋でちょっぴりあまのじゃくなことを!くふん、尊いっ!
ダガーを眺めながらニマニマしていると、おずおずとココから話しかけられる。…あっ、僕、キモかった?!ゴメンよ。ロロのことになると、夢中で…っていう事情はココは既にご存知なので、今さらだけど。
「あ、あの、セオドア様。わたくしからは、こちらを…」
「うわ!スゴく大きいね。あの荷物は僕へのプレゼントだったんだぁ。ありがとね、ココ!」
「はぅん…セオドア様が…喜んで下されば…嬉しいです…」
ココがうっとりと僕を見つめる。な、なんだろ。ちょっと緊張しながらもらったプレゼントを開けると、それはなんと僕がものすごーく欲しかったモノだった!
「うわぁ…完璧…!素晴らしいよ、ココ!なんて素敵なんだ…!」
「そ、そうですか?」
「うんっ!僕、こんな嬉しいプレゼントは初めてだよ!ココは、本当に僕のことを分かってくれているんだね…」
「きゅん…はい…モチロンですわ…セオドア様…」
手放しで喜ぶ僕に首を傾げながら、ロロが僕に近づいてプレゼントを確かめる。──あ、マズい…。
と思った時には、ロロが怒髪天を衝く状態だった。
「な、な、な、な…!」
「ろ、ロロ?僕は喜んでい…」
「コーデリア・グレイヴス!」
「は、はい?!」
「何てモノを贈ったのだ!今すぐ返品しろぉ!」
ものすごい怒り顔だ。僕もココも震え上がる。いやぁ、ロロってば相変わらずだね。良いじゃないか。これは、推しへの貢ぎ物みたいなものだよ。減るもんじゃないんだし、もう少し妥協しようね。
憤慨しているロロを無視して、驚くココに僕は優しく話しかけた。
「このロロの胸像、すごぉくリアルだね!どうやって造ったの?」
「はい。アトリエの店主のもとに、フィッツジェラルド様をお連れしたのです」
「さすがココ。なんて完全完璧な仕上がりなんだ!」
「ふふ。体格も店主が確認済ですよ」
なんと!体格まで確認済だったとは!僕は改めて胸像に触れてよぅく確かめる。この目つき、鼻立ち、唇の厚さやシャープな輪郭、首の太さやデコルテの美しさ、胸の厚みまで…何もかもリアル・ロロを縮小した胸像だ。尊いっ!
素晴らしい…とうっとり胸像を撫でていると、向かいのソファからこそこそ声が聞こえる。
「…あの時俺をアトリエに連れて行ったのは…アレを造るためか…」
「はい。ご協力ありがとうございました。見て下さい!セオドア様があんなに喜んでおりますよ!」
「…いやアレ気持ち悪いだろ」
「…いいんですよ、喜んで下されば…」
あ、やっぱりお前も引いてるのか。案外まともだな。ええ、もちろんまともです。セオドア様がお優しくて素敵な方だと知ってますから。…アレが“素敵”?ええ、素敵です!…目が悪いんじゃないか?視力は2.0余裕です。
……なんて会話だった。これ、ケンカ?それとも仲良し?!僕はドキドキしながら、胸像に夢中なふりして聞き耳を立てる。
「それより、俺に詫びを入れるべきではないか?」
「まあ、なぜ?」
「俺の許可無く胸像を造ったこと。テディをあんなキモくさせたこと。その他諸々」
「…許可無く、だけお詫びいたします」
「謝るだけか?」
「その程度で十分でございましょう」
喉が渇いたのか、ココは紅茶を静かに飲んだ。その所作がスゴく綺麗で、僕はつい魅入ってしまう。──いけないいけない。胸像に夢中なふりをしなくては。
二人の会話は終わらない。
「それでは、俺の怒りが収まらない」
「…フィッツジェラルド公子は意外と小さな方ですね」
「あのな。胸像とかあり得ないだろ、普通」
「………………それだけ想われているのですよ」
「男にか?」
「………………ぅぅ」
もう!ではどうすれば良いの?!とココが折れた。……あの、僕のロロへの崇拝って、そんなにヘンかな?!ふ、普通だよ、普通に親友と仲が良いだけだよ…!(※ソッチの性癖はないんだよ?!)
ココの小さな叫びに、ロロがニヤリと笑った。悪代官のようにニヤリと笑った。か、確信犯か…!格好いい…!
「ならば、俺の呼び方を変えてもらおう」
「……必要ありますか?」
「ある。街中で“フィッツジェラルド様”などと呼ばれては、俺の身分をひけらかすようなものだ」
「……では、何とお呼びすれば?」
「……ロイド、と」
キタ━━(☆∀☆)━━!
その照れ顔、頂きました!そのセクシーな呟き声、頂きました!すっごい遠回りしてるけれど、目的地に到達したんだね!良かった良かった!
胸キュン。……いや胸熱。この青春劇場、プライスレス!
でも、ココには全然響いていなかった。ちょっと嫌そうに呟く。
「ええ…。それは…ちょっと…」
「……なぜだ?テディだって名を呼んでいるじゃないか。テディはそういう差別を嫌がるぞ?」
「そ、そう、ですね。分かりました、ロイド様」
「……それで良い」
ロロが満足げな顔でパイにかぶりついた。隣のココはなんか釈然としない顔で紅茶を飲んでいる。……ココって…目が悪いのかな?なんであんなイイ男の好意を嫌がるのだろう…?
そろそろかと僕は胸像を脇にどけて、改めてココにお礼を言うと、ココは頬を染めて破顔した。……その笑顔、なんでロロには見せないんだろう?──僕、自惚れても良いのかな…?
その日は三人で最高の一日を過ごした。ロロもココも笑顔で一緒にいてくれた。とてもとても嬉しかった。でも同時に名状しがたい何かに襲われる。
二人が結ばれて欲しいような。三人でいつまでもいたいような。僕だけを見てもらいたいような。僕は23歳の誕生日に、実に複雑な感情を得たのだった。
・◦・◦・◦・◦・◦・
テディの誕生日会の帰り、俺はコーデリア・グレイヴスをフィッツジェラルドの馬車に強引に乗せ、送ることにした。コーデリア・グレイヴスが顔をしかめたが知ったことか!なんとしてもコーデリア・グレイヴスに確かめたいことがある。……テディ抜きで。
馭者に目的地を告げて馬車が走り出すと、俺は早速切り出した。
「…何を考えている?」
「何を、とは?」
「テディの関心を引いて、アイツとどうなりたいんだ?」
「まあ!ロイド様は下世話ですこと!」
コーデリア・グレイヴスがふくれっ面をしてプイッと横を向く。俺は追求の手を緩めず、さらに問い詰めた。
「アイツは、あんなんでも公爵家の男だ。お前とでは身分が釣り合わなかろう。アイツの財産が狙いなら、俺も黙ってはいない」
「……これまでも黙ってなんていなかったと思いますけれど」
「屁理屈を言うな」
「……別に…わたくしは…セオドア様とどうにかなりたい訳ではありません」
コーデリア・グレイヴスは苦々しい顔で、ぽそぽそと話す。
「あの方はとても素敵な男性ですもの。わたくしが憧れることくらい…許してはくれませんの?」
「憧れるだけなら構わないが、あまりアイツを惑わせないでくれ」
「……もう少しだけ、夢を見させてください」
「どういうことだ?」
コーデリア・グレイヴスはとうとう俯いてしまった。……むむ。そ、そんな強い口調だったか?!だが、テディを弄んで欲しくないし。詰問しないわけにはいかない。
戸惑う俺に、コーデリア・グレイヴスはポツリと言った。
「……わたくし、もうすぐ父の決めた方と…お見合いする予定です」
「なっ…!」
「ですから、セオドア様と結ばれるはずはないのです。…ご安心なさいましたか?」
「そ、そんな…」
ガン!と鈍器で殴られたような衝撃に襲われる。結婚、だと?誰とも知らぬ男と…コーデリアが?
動揺する俺に、諦めたような笑顔でコーデリア・グレイヴスはさらに告げた。
「でももう夢見ることもお終いですね。…これ以上ロイド様の友情を妨げるようなことは…ないと思いますから」
「あ…」
それ以上互いに言葉が出ない。俺たちは葬式のような雰囲気のままグレイヴス邸に到着し、そのまま別れた。
オレンジの皮をかじったような苦みが胸に広がる。俺は自分の行動を恥じ入り、深く後悔したのだった。
その後俺がどうしたかというと、手始めにコーデリアの再調査を家宰に厳命した。家宰からの報告はあまりに表面的で、可もなく不可も無い内容だったからだ。意図的に隠していることがある、と踏んで、キツく言い渡す。
「二度とあのような軽い調査はしないように。もし其方に無理ならば、外の調査機関に依頼する」
「…畏まりました、ロイド様」
「ああ、それから、1週間以内に彼女の近況を少しの漏れもなく報告してくれ。必ず、全ての事情を調査するのだ」
「…必ず全てご報告いたします」
臍を噛むような表情で家宰は下がった。──ひとまず、これで良い。これ以上コーデリアに失礼があってはならないのだ。
そして、出来れば彼女の結婚を阻止したい。
その役目は…テディが適任だろう。きっと彼女も喜ぶに違いない。──その笑顔を思い浮かべると、俺の胸に甘いものと苦いものが交互にやってきた。だが、その感情には蓋をせねばなるまい。俺は己の行き過ぎた行動を、必ずや償わなければならなかった。
きっちり1週間後、家宰から分厚い調査書を受け取る。ほらみろ!コーデリアの報告があれほど薄いはずがないのだ!
俺が一枚一枚丁寧にめくって確認していると、家宰が不安げにみつめてくる。……いったい何の心配をしているのか。ひと通り調査書を読み終えてから、「どうしたのだ?」と家宰に問いただした。
家宰は気まずげに、しかし俺の目をしっかり見つめて言う。
「ロイド様は…グレイヴス嬢を妻にお迎えしたいのですか?」
「妻…」
……悪くない。だが、色々障害がある。
「何か問題が?身分についてはもう問題はあるまい。何せ、グレイヴス男爵は、“救国の商人”だ。多くの国民に慕われている」
コーデリアの父・グレイヴス男爵は一代で財を築いた天才商人だが、人情に厚かった。彼の領地とその隣地に流行病が蔓延した時、彼は私財を投じて抗生物質の投与と薬の製造を行った。そのため流行病は王都に届くことなく、あっという間に昏滅した。その功績を称え、これからグレイヴス男爵は伯爵に封じられ、その領地も広く分け与えられる予定なのである。
──という情報を、最初この家宰は一切報告しなかった。彼の中ではグレイヴス男爵は“成り上がり貴族”という、強いわだかまりがあるのだろう。苦い顔つきのまま、なおも食い下がる。
「なにもグレイヴス嬢でなくとも、ロイド様に相応しい女性はたくさんおります。公爵閣下がそのうち素晴らしい女性をご紹介されますゆえ、グレイヴス嬢を妻に定めるのは…まだ時期尚早かと」
「…そう言われては、意地でもコーデリアを妻にしたくなるな」
「ロイド様!」
「怒るな。そもそもコーデリアを調べた理由は、テディに近づいた女の身元を調べるためだったのだ」
「なんと…ハミルトン様のためでしたか!」
家宰に喜色が広がる。調査が妻にするためではないと知って安堵したのだろう。「さすがはロイド様。友情にお厚いですな!」と褒めちぎり嬉しそうに一礼して出て行った。
一人になった俺は、最後のページを凝視する。
『来週、モートン伯爵令息と見合い』
来週か…。俺は小さく呟く。モートン伯爵の三男は現在20歳。コーデリアは19歳だから、年齢的にも釣り合うな…。グレイヴス男爵は、モートン伯爵令息を己の後継者にするつもりだろう。…いや、コーデリアとの共同経営者という意図の可能性の方が高い。
いずれにせよ、公爵家の嫡男である俺の方が不利だ。……これがテディなら、うってつけの立場なのだが。
やはり、アイツが必要か。俺はため息をついてテディに連絡を取るのであった。
・◦・◦・◦・◦・◦・
なんか最近会えてないなぁ、なんて思っていたら、血相変えたロロからビックリな報告を受ける。
「ええっ?ココが、お見合い?!誰と?!」
「モートン伯爵の三男だ。文官だから俺たちとは接点がないが」
「お見合い…」
僕は心底驚いたのだ。だって、ココが選ぶなら、当然美青年だと信じていたのだから!(※おこぼれなら僕で!)
あまりの動揺に、僕はロロの腕を掴んで問いただす。
「な…なんでそんなことに…。ロロってば、なんで告白しないのさ!」
「なっ!なんで、俺が、そんなこと…!」
「だって!ロロはココが大好きだろ!他の男にかっ攫われてどうするのさ?!」
「だっ…大好きってことは…まだ…ないっていうか…」
ゴニョゴニョなんか言ってる。でもどうやら『好き』な気持ちは認めたみたい!うわぁ…キュンですぅ…!
……って違う違う。ときめいてる場合じゃない。
「それで、どうするの?」
「…アイツが望んだ結婚ではないからな。テディ、邪魔してこい」
「ええっ?!な、なんで僕なの?!」
こういうのって、美青年が助けに行くんじゃないの?!お姫様を助けるのは王子様の役目でしょう?!
「その通りだ。だからお前が行くんだろう?」
「いやだからなんで僕?!王子様といえばロロだろう?僕、恥かきたくないよ!」
「俺が行った方が道化だろ!」
「何言ってんのさ!ご令嬢に大モテの王子様はロロなんだから!」
「世間的にそうでも、アイツにとっては違うんだ!」
あ、『世間的な王子様』って認めた。
その世間的な王子様は、自分の発言に傷ついている。ココがロロに夢中…ってことはないんだけれど、何のかんの一緒にいて楽しそうにしているんだよね。……あ、それは僕も一緒か。僕を見て顔を赤らめたりするココの様子は、僕に恋をしている…なんて思わなくもないんだけれど。
でもでも!自惚れだったら恥ずかしいじゃないか!ロロを差し置いて好きになってもらえる自信なんてないし!
なら、ココがモートン伯爵令息とやらと結婚するのを指をくわえて見てるだけで良いのか?とロロが責める。そ、それは…嫌だ、けれど…。
堂々めぐりに業を煮やしたロロは、立ち上がって叫んだ。
「よく分かった。では俺が行く!」
「ろ、ロロぉ…」
情けない声を出してロロに縋るが、ロロは僕を振り払って出て行った。うう…これで良いのか?セオドア・ハミルトン!
僕はしばし自問自答し、ロロの後を追うかどうか真剣に考える。ロロもココも大好きだよ。でも結婚ってなると…なんか急に現実を突き付けられたようで混乱してしまった。僕が願うのは、ロロとココの幸せだ。二人が一緒でも別々でも良いから、絶対に幸せになって欲しい。
それなら、と僕は勇気を振り絞る。気持ちの赴くまま、僕はロロを追って馬を走らせた。
テディは優しい男だ。どんな時も自分のことより大切な誰かのことを優先する。──俺には決して出来ないこと。だから、俺はセオドア・ハミルトンという男を尊敬しているんだ。
だが、優柔不断はダメだ。他の男に渡したくない、と気付いたら行動すべきだろう?……いや、俺に遠慮しているのかもな。気ぃ遣いしぃだからな…。
一度は勧めた。二度目は引いた。それでもウダウダしていたから、俺がその役目を奪うことにする。──神は、三度は微笑まないのだ。
先日送っていったから、道も場所も知っている。なので馬を駆け、ものの三十分でグレイヴス邸に到着した。モートン伯爵家の家紋がついた馬車を見かける。どうやらすでに見合いは始まっているらしい。俺はすぐに門を叩き、出てきた使用人に名を告げた。
こういう時、“公爵”は便利だとつくづく思う。フィッツジェラルドの名を出せば、誰もが一目置いて案内してくれるのだ。家を利用するのはあまり好かないが、この際四の五の言っていられない。利用出来るものは、なんでも使うつもりだった。
見合いを中座したのか、グレイヴス男爵…伯爵は慌てて俺の所にやって来る。「フィッツジェラルド公子。今日はどういう御用向きで?」と不思議そうに尋ねてきた。
さあ、ロイド。ここは演技のしどころだぞ!
「お初にお目にかかります、伯爵。今日のご令嬢の用事を知って…居ても立ってもいられずにまかり越した次第です」
グレイヴス伯爵の肩がピクリと跳ねる。彼の瞳が急速に輝きだした。──どうやら俺は“救国の商人”に興味を抱かせるのに成功したようだ。
「これはこれは耳の早いことですね。伯爵に封じられる栄誉は、まだ一昨日賜ったばかりですよ」
「おめでとうございます、伯爵。して、ご令嬢はどちらに…?」
「失礼ですが、公子と娘の関係とは?」
「恋人です」
なっ…!と伯爵が大きく動揺した。少し胸がスッとする。──そうだ。コーデリアは俺の恋人に相応しい。そうなれば…嬉しい。
俺はずいぶんと惚気た笑顔だったのだろう。伯爵は俺とコーデリアの関係を信じたようだった。
「…どうやら公子は何もかもご存知で、我が家を訪ねて来たご様子。いいでしょう。娘のもとへ案内します」
「感謝します」
一礼して伯爵の後に付いていく。ノックして俺と伯爵は応接室に入った。白い衣装の生っちょろい男がモートン伯爵令息か。手首を握ったら折れそうな腕だ。
──お前、こんなヤツと結婚するつもりなのか?
俺やテディの方が遥かにイイ男だぞ?……さあ、それを証明してみせよう。
俺はゆっくりコーデリアに近づきながら、彼女を熱く見つめて恋人のように語りかけた。
「コーデリア…すまない。私がハッキリしないせいで…見合いなど」
「えっ…と…ロイド様…?」
「ああ、美しい私のコーデリア!」
俺はコーデリアにひざまずく。間近で見るコーデリアは青い海の瞳が煌めいて、金の太陽の髪を揺らして、空色のドレス姿を艶めかしく着こなして、俺をどこまでも魅了した。演技する必要はない。──美しい、俺のコーデリア!
ソッと肩を引き寄せて、彼女の柔らかな身体を抱きしめる。
「好きだ。モートン伯爵令息と結婚しないでくれ…!」
「なっ、何を…!」
そう強く告げると、コーデリアの身体がビクリと跳ねた。これは…良い気分だな。少しは意識してもらえたようだ。だが、冷静さを取り戻してジタバタされても困る。俺はさっさと切り札を出すことにした。
耳元でソッと囁く。
「……………もうすぐテディも来る」
「……………っ!」
コーデリアから一切の抵抗が消えた。よろしい。では次の手を打とう。
突然現れて告白する男を呆然と見ているモートン伯爵令息に、俺は眉尻を下げて謝罪した。
「…モートン伯爵令息。本当にすまない。私たちは愛し合っているのだ…」
「あ、あ、貴方はいったい…?!」
…む。俺のことを知らぬのか。まあ文官では仕方ないかもな。
「ロイド・フィッツジェラルドです。どうか、コーデリアから手を引いては頂けませんか…?」
「ひっ!ふ、フィッツジェラルド公子!」
こ、これはどういうことなのですか?グレイヴス男爵!といきり立つモートン伯爵令息。その姿に呆れながら、「申し訳ない」と形だけ謝る伯爵。
──大人しく優しいだけの男など、大したものではないよ?グレイヴス伯爵。
今日の所はこれでお開きにしましょう。私からモートン伯爵にお話ししますゆえ、と威厳のある声で断言されては、モートン伯爵令息に何が出来ようか。「わ、分かった」と物わかりよく彼は帰っていった。
さて、これからグレイヴス伯爵に尋問されてはかなわない。俺は先手を打って伯爵に約束する。
「本日は突然の訪問、大変失礼いたしました。ご令嬢のことは真剣に考えております。近いうちに必ず改めて訪問させて頂きますので」
「……フィッツジェラルド公がお許しになるとは思えませんが」
「そのせいで、二の足を踏んでおりましたが…。やはりコーデリア嬢を愛しているのです」
「……まあ、今日の所は許しましょう」
なんとなく、複雑な事情を推察してはいそうだ。だが、俺の気持ちを汲み取ってくれたのは…多分、俺の本気に気付いているのだと思う。それならむしろ、好都合と言える。
まだあっけにとられるコーデリアの肩を抱いて、俺は外に出た。
──さて、グレイヴス邸の外には、当然駆けつけたセオドアが待っているわけで。素早く彼を見つけたコーデリアが、喜色満面の高い声を上げる。
「セオドア様っ!」
「こ、ココ…。ゴメンね、僕が…邪魔をしたかな?」
「邪魔だなんて!全っ然、全っ然ありません!むしろ邪魔しに来たのはロイド様ですから!」
「何を。助けてやったんだろうが」
どこがよ!と呆れた口調でコーデリアは言った。「恋人扱いされてむしろ迷惑です!」とコーデリアは顔をしかめる。
そんなコーデリアを優しく見つめて、ロイドは告げた。
「あれは、本心だ。…好きだよ、コーデリア」
「げえっ!」
「うわぁ…。ロロの告白も初めてだけど、ロロに“げえっ!”って反応した人も初めて見た…」
スゴいね、ココ…とセオドアは驚く。その姿を見たコーデリアが、必死な形相で言い訳を始めた。
「ちっ、違うんです、セオドア様!わたくし、その、王子様が助けに来て下さったら…なんて夢を見てしまって!そしたら助けに来たのは全然別人で!」
「…それは俺に失礼だと分かってるのか?」
「分かりませんっ!もうっ、ロイド様は!めちゃくちゃにかき回して…!」
「お、落ち着いて、ココ」
興奮状態のコーデリアにセオドアが近づくと、コーデリアはセオドアを潤んだ瞳で見上げて、ついに言ってしまった。
「わたくしが…わたくしが好きなのは、セオドア様なのですぅ!」
「ええっ?!ぼ、僕?!」
「………ふん」
今度はセオドアが混乱する。「でも、ロロの方がずっと格好良いし…」なんていつものようにぼやくと、コーデリアは大きく首を振って否定する。
「このインチキ詐欺師より、セオドア様の方が遥かに、うんと、何十倍も素敵ですわ!」
「インチキ詐欺師…おい、酷くないか?!」
「酷くなんてありません!」
いや酷いだろ!仮にもお前に告白した男に対してそれはないぞ!とロイド。ほら!仮の告白なんてインチキ以外の何ものでもないじゃないですか!とコーデリア。ふ、二人とも仲良く…とセオドア。
──みんな、大人になろうね?
コーデリアはケンカ腰だが、ロイドは本気だった。セオドアに譲るつもりは満々だったのに、それを拒否したのは他でも無いセオドアなのだ。ロイドはもう遠慮しないと決めた。決意したロイドは無敵である。
そんなロイドは涙目のコーデリアを見つめ、子犬のようにキャンキャン騒いでも可愛い…なんて思っていた。そしてニヤリと不敵に笑うと、コーデリアに断言する。
「俺はすでにグレイヴス伯爵に約束したからな。改めてコーデリア嬢をもらいにくる、と」
「いやぁ!公爵家なんて絶対に無理ぃ!どうせ公爵家に嫁ぐなら、セオドア様が良いですぅ!」
「こ、ココってば…!」
コーデリアの大胆な発言に真っ赤になるセオドア。だが、ロイドの本気を見て迷う。コーデリアの告白はハッキリ言ってものすごく嬉しい。けれど、ロイドと天秤にかけたら…どっちが重いのか。コーデリアへ返事しない所を見ると、セオドアの天秤はまだロイドに傾いているようである。
──参ったなぁ…。
これは、三角関係と言うのだろうか?
誰が妥協するのか。それともまた別の道を選ぶのか。
それは、神のみぞ知る。
END
お読み頂きまして、誠にありがとうございました。超健全なお話は初めてです。…まあ、ただのコメディ小説なのですけれど。
長い短編にお付き合い下さいまして、とても嬉しく思います。