大陸の西の涯に住む龍と妹の話 白銀の龍の背に乗って
王国の西、夏でも雪をまとった険しい山々の、更に先。道のない峰を下りた、海を臨む崖の上。
妖精に祝福されたその地に、ぽつりと小さな館がある。
巨大な切り株をそのままのような形。二階建て位の高さで、透明なガラスを貼った窓がいくつも見える。
「ノカ、用意はできたか?」
地下から階段を上がってきた黒髪の少年、ルーシェが声をかけた。
「財布は?」
「ありまーす!」
「帽子。」
「かぶってまーす!」
「かばん。」
「しょってまーす!」
「ハンカチ。」
「もってまーす!」
赤銅色のおさげ髪の少女ノカが、後ろからついてくる同じ毛色の小さな猫、ニコの問いに答える。
地下へ長く続く階段を競いながら駆けていく。
「今日は足りなくなった調味料と缶詰めを買いにいきまーす。」
ノカが楽しげに言う宣言する。
「俺の葡萄酒もなくなるから追加で!」
ルーシェがすかさず自分の欲しいものを主張する。
「ボクのハムも忘れずにね。」
ニコがこっそりとノカに耳打ちした。
長い長い階段を下りた先に、洞窟の中のような広い空間が広がっている。
ルーシェが中程まで進んでいって、すう、と息を吸った。
黒髪の少年の姿が膨れ上がって、洞窟いっぱいに広がる。
銀の鱗。流れるような曲線を描いた姿。背にはコウモリのような大きな一対の翼。額には3本の角。
そこに、内側から白銀に輝く一匹の龍がいた。
龍が手を伸ばすと、肩にニコを乗せたノカがそうっと掌の上に乗った。
龍のルーシェはそのまま手と尾を回してふたりを背中に乗せる。
「それでは出発するぞ?」
ルーシェが背に頭を向けて確認すると
「はーい。いってきまーす」
ノカは振り替えって、洞窟の上の館に向かって出掛ける挨拶をした。
洞窟は外に大きくひろがって、開けている。その先は、海の上の絶壁だ。
ルーシェがバサッと翼を広げた。一気に海の上まで飛んでゆく。切り裂いた風がノカの顔をかすめていく。
ルーシェは海の上で方向転換して、崖の上にある館の上を一息に飛び上がった。
一度の羽ばたきで、後ろが見えないほど遠くまで進む。そのまま幾度か羽ばたいて雲の上まで続く山脈を越えた。
どこまでも青い空を、雲を突き抜けて、風を裂いて、光を追い越して、駆け抜ける。
「気持ちいいなぁ。」
ノカがニコニコと笑う。その頬に、光の輪が跳ねる。髪に、風の円が遊ぶ。
「空を渡るのにぴったりの天気だね。」
ニコが風を避けてノカの耳元で言った。
「ぼんやりして落っこちるなよ。」
風を切って高速で飛ぶルーシェが笑いながら言った。
「寝さえしなきゃ落ちないけどね。」
ニコがノカの顔をまじまじと見ながら返す。
「今日は眠くないから大丈夫!‥‥だけど寝そうになったらニコ、起こしてね。」
「はーい。ノカの自信のない発言いただきました。」
ニコが茶化すように言った。眼下には森が、湖が、街が次々と現れて消えてゆく。
「そろそろ王都に着くよ。」
ルーシェが言って羽ばたくと、王都へ続く町並みが現れた。
スピードを緩め、少しづつ高度を下げながら飛ぶ。
視界の先に小さくお城が見えてきた。城の後ろには広大な森があるのが見える。近付いていくと森の手前、城の西側に大きな湖があった。
白銀の龍はゆっくりと高度を下げて、ざぶりと湖に降り立った。
***
龍はゆっくりとした動きで湖の桟橋に着くと、背からノカとニコを下ろした。
小さな桟橋の横にはどこかからの伝令で聞きつけていたのか、二人の人影があった。クラッシックなスーツを着こなした上品な年配の紳士と、衛兵の制服を身につけた背の高い青年。一緒に頭を下げると、年配の紳士が声をかけた。
「守護竜様、妹姫様、ようこそお出でくださいました。本日はどちらへお出掛けですか?」
「タムおじさんおはようございます。今日は町へお買い物に来ました。」
ノカが無邪気に答えると、紳士がにこやかに微笑んだ。
「それでは城壁の外までご案内しますね。」
ルーシェが人の姿になるのを待って、年配の紳士がゆったりとした動きで先導する。
「昨日北の辺境の騎士団が帰ってきて人が多いから、ノカちゃん気を付けてね。」
衛兵が人好きのする笑顔でノカに話しかける。
「ライムさん教えてくれてありがとう。」
「人が多いのは面倒だな‥‥。」
「守護竜様、お帰りの前にお茶をご用意するとリドル様が申しておりましたが。」
ルーシェが苦々しい顔で柔和な紳士を見た。
「うわー、さらに面倒な予感がするな。しかしリドルを無視して館から呼び戻される方が厄介だ。昼過ぎにここに戻ってくるからその時でいいかな?」
「かしこまりました。ありがとうございます。」
紳士がルーシェに向かって丁寧に頭を下げると、ノカに微笑みを向けた。
「妹姫様、桜の実のタルトを用意しておきます。」
「やったぁ!クリームたっぷりでお願いします。」
ノカが嬉しそうに笑った。ルーシェがやれやれ、という顔でノカの頭をぽんぽんと叩いた。
城の方から一生懸命走ってくる小さな女の子が見える。少女の後ろからは侍女やら護衛やらがわらわらとついてきていて、まるで追いかけっこをしているようだ。
「タイムー!!!いま しゅごりゅうさまがいらっしゃったのがみえたわ!」
顔いっぱいで嬉しそうに笑っている。
「リリカ様!そんなに走ると転びますよ!」
年配の紳士‥‥タイムが慌てて女の子の方へ走ってゆく。
「リリカ、待っててあげるからゆっくりおいで。」
ルーシェがヒラヒラと手を降る。
タイムに捕まったリリカが、にこにこと歩いてくる。
「ルーシェさま、ノカさま、ごきげんよう。」
女の子が、かしこまって礼をする。
「さっきまで走っていたとは思えないお姫様ぶりだね。」
ルーシェがクスクスと笑って女の子の頭を撫でる。にこにこと手を伸ばす女の子を、ルーシェが肩の上に乗せた。
「リリカ、今君の叔父さんにお茶にご招待されたのだが一緒にどうだい?」
「桜の実のタルトもあるんだよ。」
ノカが横から顔を出して付け加える。
「いきたいです!」
「それならリリカ様は今日のお勉強をしっかり終わらせなくてはいけませんね。先生を置いてきたでしょう?」
タイムが高い位置にあるリリカの顔を見て穏やかな声で言った。
「わかってるわ!すぐおわらせるからいつでもだいじょうぶよ!」
「おお、頼もしいね。楽しみにしてるよ、王女様。」
他愛もない話をしながら歩く。広大な庭の木立の間の道は、他のどの道とも繋がっていなくて、人とすれ違うこともない。木々が石畳に影をつくって、木漏れ日が風と吹き抜けてゆく。
城の通用門に着くと、ルーシェがリリカをタイムに渡した。通用門の衛兵が門を開く。
「それでは昼過ぎに、湖の東屋にお茶をご用意してお待ちしております。」
タイムがリリカを抱いたまま一礼した。
「リドルによろしくな。」
「ルーシェさま おまちしてます!」
リリカが手を振る。
「それじゃいってきまーす。」
「ノカちゃん気をつけてね。知らない人についていっちゃダメだよー」
でっかく手を振るノカにライムも気楽に手を振っていた。
***
城壁の外側にはりっぱな噴水のある大きな広場があり、その向こうから大きな商店の建物が立ち並ぶ大通りが続いている。
「相変わらず小さい王女はルーシェ様が大好きですね。」
ずっと黙っていたニコがルーシェを見上げて言った。
「俺様はかっこよくて優しいお兄ちゃんだからな」
「リリカちゃんドラゴン大好きだもんね」
店頭を飾る洋服や道具、色とりどりの商品に気をとられて何度も立ち止まる。往来はいつもより人が多くて、騎士団の制服でお土産でも選んでいるような人をたくさん見かけた。
目的の食料品を扱うお店について、ノカが元気に扉を開けた。
「こんにちわ。」
「いらっしやーい。あれ、ノカちゃんだ。」
お店の奥さんが威勢よく答える。奥の方には旦那さんが騎士団らしきお客さんと商談をしている。
「元気そうでなにりだよ。」
奥さんはニコニコ笑いながら棚の缶を開けて、かつお節をひとつまみカウンターに置いた。ニコがノカの肩からカウンターに下りて、愛想よくニャアと鳴いてみせる。
「塩と魚の缶詰めとハムをください。」
ノカが元気いっぱいに注文する。
「はいよ。今日は白身魚のやつが入ってるよ。あといつものハムの他に燻製の腸詰めもある。」
「お、いいね。腸詰め食べたいな。」
奥さんの言葉にルーシェが答える。
「じゃあ缶詰めは白身と赤身と両方10缶でハム2本と腸詰めにします。」
「まいど!」
奥さんが威勢よく答えてカウンターに缶詰と肉、塩と積み上げていく。ノカがお金を払って、買った品物を背負いかばんに詰めていった。
「そうだ、桜の実のシロップ漬け作ったからおまけにどうぞ。」
奥さんがカウンターの下から小さな瓶を出した。透明の瓶の中で黄色と赤のグラデーションが綺麗な桜の実がつやつやしている。
「きれい‥‥おいしそう!ありがとう、嬉しいです。」
「いいってことよ。またよろしくね。」
奥さんが嬉しそうに笑うノカの頭をくしゃくしゃっと撫でた。
「ニコの分もありがとう。」
奥さんが今度はニコの首もとを撫でる。
「ニコに触らせてもらってるお礼だからね。お前はホントに美人さんだな。」
ニコがゴロゴロと喉を鳴らしている。
「いつもこうだと可愛いけどな。」
ルーシェがニヤニヤと笑う。ニコがべーっと舌を出してみせた。
「ニコは今日も可愛いよ。」
ノカが手を伸ばすと、ニコがとんとんっと肩の上に登ってノカの頬にすり寄る。ルーシェがやれやれ、と肩をすくめた。
食料品店を出て石畳の通りを歩くと、隣の隣にある葡萄酒の瓶の看板のお店屋さんに入る。
「こんにちわー!」
ノカが元気よく扉を開けると、カランカランとベルが鳴った。
入ってすぐの所にカウンターがあって、後ろには沢山の酒瓶が並んでいる。左手奥にはテーブル代わりの樽が並んでいるが、照明が落ちていて暗い。
カウンターで作業していた栗色の髪が美しい仇っぽい姐さんが顔を上げてにっこりと笑った。
「あら、ノカ、ルーシェ、いらっしゃい。」
首を傾げると大きなセーラー輪っかが重なった耳飾りががしゃらんと揺れる。
「葡萄酒が欲しいんだけど、どんなのがありますか?」
「葡萄酒‥‥。」
姐さんは迷いのない手付きで後ろの棚から3本ほど選ぶと、爪を綺麗な水色に染めた白い手でカウンターに並べていった。
「ルーシェには味がしっかりしてるこの辺かな。ノカが飲むなら白い甘いのでしょう?あとこれは今のお勧め。王国の東の地方の葡萄酒であんまり数が出回らないけど、当たり。」
「いいねぇ。じゃあそれと、エールも1ダース。」
横からルーシェが言う。ノカが会計をすますと、姐さんがルーシェに目を向けて意味ありげに笑った。
「まだまだ夜遊びする予定はないみたいだね?うちの女の子達が待ちくたびれてるよ。」
「夜中まで遊んではいるんだけどね、おうちで。もー快適すぎて出歩けなくなっちゃったよね。みんな俺の顔なんかとっくに忘れてるでしょ。」
ルーシェもおどけて笑う。
「兄さんはずーっと同じ顔だから、どうだろうね?」
「ま、そのうち顔を出すよ。おじさん達に呼びだされた時とかにね。」
「その時はいい酒をたらふく飲んでもらわないとね。」
にんまりと笑う姐さんに手を振って店を後にする。大量に詰め込んだかばんはかなり重いはずだけれど、魔法で容量も重量も感じさせない。
「お腹へった‥‥」
ノカがぽつりとつぶやく。
「たくさん歩いたからなあ。そろそろ昼飯にしようか」
「やったぁ!」
***
食事を終えてから市場を通って王城の通用門までくると、門番の衛兵の横でライムが待っていた。ノカ達を見つけると人なつっこい笑顔で手を振ってくれる。
「おかえりー。いっぱい買ってこれたかい?」
「おかげさまで大漁です。」
ノカが満足げに答える。
「それはよかった。こっちはお茶の用意ができてるみたいだよ。」
のんびりと話しながらゆっくり小道を歩く。ライムはルーシェよりももっと背が高くて、ノカは上を向いて話しているようになる。
「そういえばノカちゃんは西の山脈の向こうに住んでいるんだろう?」
「そうですよ。」
「あの向こうの海には人魚が住んでいるって聞くけど、見たことあるかい?」
ライムの問いにノカが首を傾げる。
「人魚‥‥というと、上半分が人間で下半分がお魚の海の中に住んでいる生き物ですよね?」
「そうそう。歌を歌うとか言うよね。」
ライムがワクワクした顔で聞いてくる。
「私は見たことないけど‥‥」
ノカは少し考えるようにしてルーシェの方を見る。
「‥‥俺に聞くのは反則かなって気がするけどね。」
ルーシェが明後日の方向を見て頭を掻いている。
「やっぱり?」
ライムの残念そうな顔を見てルーシェがにんまりと笑った。
「まあ、いるよ。人魚。よっぽど会うことないと思うけど。」
「ルーシェ様またそんなこと言って‥‥」
ニコがあきれた顔でルーシェを見る。
「本当ですか?やっぱりすごい美女?」
ライムが目をキラキラさせてルーシェを見る。
「さあねえ?信じるか信じないかは、あなた次第です。」
ルーシェがニヤニヤと答えた。
「えー、私も会ってみたい!」
ノカも目をキラキラさせてルーシェを見ている。
「いや、ノカは普通に会いに行けばいいだろ。夏に泳ぎに行こうか?」
ルーシェが首を傾げて答える。
「クラーケンが襲ってこない?クラゲの群れがいるんでしょうう?」
「ノカ、ルーシェ様と行くんだから襲ってこないよ。挨拶には来るかもしれないけどさ。クラゲだってノカは刺さないよ‥‥」
心配そうなノカにニコがさらにあきれて答える。
「いいなー、人魚にクラーケンか。俺もいつか行ってみたい。」
ライムがニコニコと笑いながら呟いた。
「西の海は、行ったら二度と帰ってこられない所ですよ。」
ニコがライムをまっすぐ見て告げる。
「そうだよねえ。‥‥いつか人生に飽きたら行ってみるとするよ。」
ライムが楽しみでならない、と小さな猫に答える。
しばらく歩いて、やがて湖のほとりに着いた。
桟橋の向こうに湖の上に張り出した東屋が見える。そこには斜の布が幾重にも掛かっていて、高貴の方が居ることが伺える。
ノカがふと横の低木に手を伸ばした。白い大きなつぼみがいくつもついている。そのひとつに触れると、手の中に一枝が落ちてきた。
「リリカちゃんにお土産にしよう」
ノカが言ってにっこりと笑うと、つぼみがふわりと開く。辺りに甘い香りが漂った。
「きっと喜ぶよ」
ライムが気楽な調子で答える。
東屋の外に、タイムが立っていた。こちらに気づくと丁寧に頭を下げる。
「お待ちしておりました。リデル様とリリカ様がお見えになっております」
「ありがとう、タイム」
ルーシェが東屋へ入ると、ルーシェより少し小柄な青年と小さいリリカ姫が立っていた。
「お久しぶりです。守護竜様、妹姫様。本日は私のお茶にお付き合いくださってありがとうございます。」
青年は仕立てのよいブラウンのクラッシックスーツに身を包んでいる。短く刈った明るい茶色の髪。涼しげな目元に艶消しの金縁メガネを掛けて、真面目そうな表情で頭を軽く下げる。
進み出てルーシェ手を取って握手をした後、膝を折ってノカの手を取ると、その甲に口づけた。
「ごいっしょさせていただいて こうえいです」
リリカがにっこりと笑ってドレスの縁を摘まんで一礼する。
「リリカちゃんにお花ををどうぞ」
ノカが白い花を差し出す。少し驚いて受け取ったリリカが嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。お庭のくちなしはまだ咲いていなかったのに!‥‥よいかおりですね」
たった一輪だけれど、花は辺りに甘い香りを振り撒いている。リデルが花を受け取って、リリカの髪に差した。リリカの水色のドレスに、軽やかな金の髪に、くちなしの白い花がよく似合う。
皆が席に着くと、ゆったりとした動作でタイムの手から紅茶が注がれた。メイドの手でしずしずと桜の実のパイが運ばれてくる。
「いただきまーす」
ワクワクして待っていたノカが、満身の笑みでパイにフォークを入れる。
「おいしーい!」
ノカが目を細めて、キラキラの笑顔になる。
「よかったねぇノカ」
ルーシェが嬉しそうに頬張る妹を見て満足そうに笑った。申し訳程度に紅茶に口をつけるとカップを戻して、向かい側の青年に顔を向けた。
「さて。それではリデルの話を聞こうかな?」
正面から目を合わせられたリデルが息を飲んだ。落ち着きを取り戻すようにゆっくりとカップを置くと、少しだけ目をそらして話し出した。
「楽にして聞いてほしい。これは世間話だからね」
リリカとノカはパイに夢中で、大人達の会話に興味が向かない。ニコはノカの肩の上から様子を伺うようにリデルをじっと見つめていた。
「この前の冬は例年より雪が少なかったですよね。おかげで孤立する村は少なくてすんだし、雪崩や遭難も少なかった。」
「そうだな。いつもならかまくらのひとつやふたつ作れるくらい降るものだけど、今年は雪だるまくらいしかつくれなかった」
ルーシェが、うんうんと頷く。リデルはゆっくりと、言葉を選びながら続けてゆく。
「雪解けからこちらも今日のような気持ちのいい天気が続いていますね。」
リデルが穏やかな表情でルーシェを見つめる。
「なるほどね?」
ルーシェが首を傾げてみせると、今まさにパイの最後の一口を口に入れたノカを振り返った。
「フォノルーシュカ、どうかな?」
急に話を振られたノカはきょとんとしている。ニコが話が済んだのを見て取っると、ノカの肩で目を閉じた。
「今年は少し雨の月が遅いようだ、俺も紫陽花を見たいな。」
ルーシェと見つめあったままノカの目が何かを考えるように遠くなる。見えない何かを探しているように、見つめているように。
「ああ、雨の月‥‥。」
ノカが緩慢な動作で東屋の向こうに見える空を向いて沈黙する。どこまでも透き通った、青い空。日射しがキラキラと輝いていて、雲の影もない。
「迎えに行かないとダメかもね。」
ノカが視線を戻して言った。
「あいつすっかりノカに甘えてるからな。」
「ノカに忘れられて拗ねてますね。」
ルーシェとニコがうんざりした調子で答える。リデルが聞かなかったふりをしながらカップに口をつけた。
「リリカはあめのおとがすきです。よるにきくとほっとします。」
リリカが嬉しそうにノカに言う。
「私も雨が好きです。雨が降ると葉っぱが嬉しそうだし、レインちゃんとは仲良しなんです。」
ノカがにっこりと笑って言った。リデルがノカの笑顔を見て表情を緩める。
「そうだね。私は雨が降ると図書館で本を読んでいたのを思い出すな。剣の稽古がなくなるからゆっくりできて本当に嬉しかった。」
頭脳労働専門の王弟が楽しげに言う。
「リリカもあめのとき ほんをよみますよ。ゆうしゃとおひめさまのおはなしがすきです。」
リリカが目をキラキラさせる。
「俺は雨が降ってるとかあんまり気にしたことないな。」
「ルーシェ様濡れてもどうってことないですもんね。」
ルーシェがいまいちピンときていない顔で言うと、すかさずニコが返す。
「その言い方だと俺が大雑把で何も考えてないみたいじゃないか。」
「そんな事言ってませんけど、ルーシェ様がそう思ったならそうかもしれませんね?」
ニコがしれっと言うので、みんなが笑った。
気持ちのいい午後。緑の葉の間を、風が通り抜けてゆく。
リデルと兄の子供の頃の話。リリカのお気に入りの絵本の話。ルーシェの昔の冒険の話。たくさんの話をして、楽しい時間は過ぎていった。
湖に、白銀の龍のルーシェが降り立つ。
「守護竜様、妹姫様、今日は楽しい時間をありがとうございました。またいつでもお越し下さい。」
リデルが穏やかに微笑むと、小さな包みをノカに手渡した。
「王城のシェフが作った焼き菓子です。お召し上がりくださいね。」
「ありがとうございます!いい匂いがしますね。」
ノカがはしゃいで受け取る。
「リリカもとってもたのしかったです。ルーシェさま、またリリカとあそんでくださいね。」
リリカが少し照れながら言うと、龍の大きな手をぎゅっと握った。
「時間があったらまた空を飛ぼうな。」
ルーシェが頭を傾げて言う。
龍の手の上にノカとニコが乗って、ルーシェが手と尾で背中に乗せる。肩にニコを乗せたノカが大きく手を降った。
龍が翼を大きく拡げて、湖の上をすべると、ゆっくりと空へ飛び立つ。
リデルが手を振る。リリカが両手を大きく振る。タイムとメイド達が深々と礼をして、端の方ではライムも手を振っていた。
傾いてきた陽の光を浴びて美しく輝く白銀の龍は、翼の一振で彼方まで飛んでゆく。
「とっても、きれい‥‥。」
リリカがその迫力に、美しさに見とれて、小さく呟いた。
白銀の光はあっという間に青空の小さな点になって、消えていった。
つたない文章ですが、読んでくださってありがとうございます。
この後雨の月の話が続く予定でしたが、長くなりすぎたので分けました。