【魔女狩りの男-3】
村を出てしばらく。
ガブリエルは地図を見た。
(ここら辺だと思うんだけどな……)
彼は難儀していた。
パープルステップは街道から少し外れた所に位置してこそいるが、住民もそれなりにいて、近くまで来ても分からないほどの村ではなかった。
それにあの村にはとても大きな教会が建てられている。小さな村には似つかわしくないあの教会はこの辺りの街道を通る際には嫌でも目につく筈だった。
しかしどうだ。ガブリエルは村に入ったこともあるし、別の依頼で何度も通りかかっている。当然村の存在を知っているし、村人と言葉を交わしたこともある。
なのに村までの道が分からなくなってしまった。
(おかしいな)
ガブリエルが気づいた違和感。
それは――。
「人が……いない?」
普段なら街道を村人が行き来し、必ず誰かとすれ違うはずだった。
思い返してみれば、この付近に来てからというもの、誰とも会ってはいない。
(これは、けっこう、不味いことになってるなぁ――あれ?)
何も考えず適当に馬を歩かせていると、ガブリエルは己の目を疑った。
気がつくと彼はすでに村に入っていたのだ。
そしてさらに、2つの違和感を感じた。
まず、人の気配がないこと。
時間は昼前くらいだろうか。人間が1番の活発に働く頃合だ。
そのはずが牛飼いはもちろん、賑わっているはずの市場にも、広場にも、誰の姿もなかった。牛や鶏、犬などの動物もいなかった。
2つ目は、建物が綺麗なままである点だ。なにか理由があって、人々がいなくなったのだとしよう。それにしても、この状況は異常なのだ。
(生き物だけが、綺麗さっぱりいないのか)
人が村からいなくなることは、そこまで珍しい事でもない。
例えば、異端や盗賊団による襲撃。女子供含め、全員が殺されたのかもしれない。
例えば、大規模な飢饉。それによって全員が村を捨てたのかもしれない。他にも災害や野獣から避難したという可能性も無くはない。
だがそんな事があれば村人が家財を運んだ跡であったり、放置された建物が風化していったりで、村が多少荒れるはずである。
しかし、建物はどれも、綺麗とまでは行かないが、生活の痕跡を見せ、家が荒れているということもなく、特に異常はない。
(どうなってるんだこれは――)
馬を降り、人のいないパープルステップと思われる村を歩く。
前にこの村を訪れた時には、この格好を物珍しく思った子供達に蜂蜜の菓子を渡したの彼は思い出した。
それが今では、時が止まったかのように彼の足音だけがやけに大きく聞こえた。
ここで彼は1つの疑問を持った。
(そういえば……いつ村に入った?)
余所見をしていたとはいえ、村に入ったことに気づかない程、彼は抜けてはいなかった。
そうなると、考えられるのは魔女狩りにおける1番の悪手である――。
「あー分かった……最悪だ……」
魔女の領域、認識阻害、人払いの結界の内側に警戒も無く入り込んでしまった、ということである。
もしここに居るのが通常の【異端狩り】の狩人達であれば気づけたのかもしれないが、ガブリエルは『体質』のせいで自身に対しての魔術には鈍いのだ。
慌てて馬の背から降りると、尻を叩いて遠くへ走らせた。
そして彼はすぐに背負っているバックパックから見慣れた小瓶を取り出すと、蓋を開け辺りに振りまいた。
瓶から出てきたのは、灰のような目に見えないほどの粉末。その粉は大気に触れたその一瞬間だけ淡く輝いたが、たちまちその光の粒は輝きを失い、地面へと吸い込まれていった。
「【智覚灰】の反応がこんなに早い……」
足元に消えていった黒粒を見た彼はそう呟いた。【智覚灰】、彼がそう呼ぶこの瓶詰めの灰には周囲の呪いを一時的に吸収し、打ち消し、真実を見せる効果がある。
通常であれば、今のように瓶一振りの量でパープルステップ程の規模の村の呪いを払いきるには十分な効果が期待出来る。その際、今のように淡く光り輝くのだが、この領域の呪いが余程濃かったのだろうか、すぐに効果が切れてしまった。
「くそ……」
ガブリエルは腰に下げた剣の柄に手をかけた。
こうなってしまった今、彼は完全に魔女に優位を取られてしまっている。
(どこだ……どこにいる!)
彼はその瞬間即座にその場を飛び退いた。次の瞬間、今まで彼が立っていた場所には赤黒く汚れた木の杭が深く突き刺さっていた。
(この刺さり方……教会からか!)
ガブリエルが村の奥にある教会を睨むと、それと同時に2本目の杭が彼を目掛けて発射されていた。
「っあぶねぇ!!」
咄嗟に上体を沈め、近くの家屋に飛び込む。
今入った家から教会まではおよそ40メートル程だろうか。教会は村に入ってすぐにでも気がつけるようにと村の最奥に位置している。
「魔女のくせに教会に陣取ってるのかよ」
そう言って少し笑ったガブリエルは鞘から剣を引き抜いた。
その光のように真っ白な片刃の刀身は、陽の光を僅かに反射しながら、ただ静かにゆらゆらとガブリエルの歩みに合わせて揺れていた。
扉の近くに立った彼は目を閉じてズドン、ズドンと音を立て大地を揺らしながら地面や家屋を穿つ杭の音を聞いた。
どうやら魔女はガブリエルがどの家に潜んでいるのかまでは分かっていないようで、周辺の家屋に向かって杭を放ち続けていた。
そしてその音は次第に彼に近づいていた。
――――ズドン!
(今!)
ガブリエルが潜んでいた家に杭が刺さり、壁が砕けるのとほぼ同時に、彼は扉を蹴破り、教会へ走り出した。
それでも止むことなく彼を貫かんとする杭を全て紙一重で躱しつつ、教会に一直線に向かっていく。
(この杭、術で打ち出されてるのか……どおりで間隔が狭いワケだ……)
教会まであと数十メートルという所で、5本の杭が一斉に窓を突き破って打ち出された。
「ちぃっ!」
そのうちの1本を剣で弾き、彼は再び建物の陰に身を潜めた。
しかし。
「Aaaaa……」
カチャカチャと軽い音を立てながら、土煙のなか此方に向かってくる複数の影。
「傀儡か!」
傀儡――多くの魔女が行使する魔術の1つ。
個体によるがその土地によってその体を構成する物は変わり、今ガブリエルの前に現れたそれらは、村に置かれていたバケツや箒、ピッチフォーク等でその体を作っていた。
それだけ聞くと愉快に思えるかもしれないが、頭部と思われる箇所には様々な種類の生物からくり抜かれた眼球が、それぞれにひとつづつ埋め込まれていた。
牛や豚、鳥に犬そして――人間の子供のものもある。
赤黒い液体をぽたぽたと滴らせながら、1つ目の可笑しな怪物達はガブリエルに近づいて行った。
(さすがに位置はばれてるよな……)
しかし、目の前の傀儡達よりも、魔女に居場所がばれていることを彼は危惧していた。
「AaaA!」
傀儡のうちの一体がガブリエルとの間隔を詰める。
距離にして1メートルもない程の近距離。
恐ろしい人形がガブリエルの背後につき、目の前の狩人の心臓を穿とうとその金属製の腕を振り上げている。
それに対し、ガブリエルはまだ物陰から教会を睨んでいるままだった。
ガチャンと音を立てて、傀儡の一体がガブリエルに向けてピッチフォークの腕を素早く振り下ろす。
瞬間、鋭い三又がガブリエルに届くよりも早く、彼は目にも留まらぬ速さで、その手に握った剣の切っ先で傀儡の眼球の中心を深く突き刺していた。
そしてすぐさま刀身を引き抜き、たったの2歩で残りの傀儡達との距離およそ6メートルを駆け抜ける。
そのまま踊るように他の傀儡の攻撃を躱しながら、また同じように眼球を貫き、切り裂いていった。
5、6体いたはずの傀儡達は今の一瞬のうちに魔力の供給源である眼球を失い、それこそ糸の切れた操り人形のように、全てガチャガチャと音を立てて崩れていった。
「さて……」
散らばった傀儡達の残骸を後目に、いくつかの屋根の向こうに見える教会に目をやる。
この分だと教会はもう魔女の工房と化しているに違いない。
そうなると、正面から乗り込んでいくのは馬鹿な作戦だ。
「屋根からしかないかぁ……」
ガブリエルはそう呟きため息をつくと、崩れた建材を足場に、屋根へと登って行った。
【智覚灰】
瓶に詰められた何かの残滓。
異端狩りは皆、共通のある商人からこの灰や他の道具を仕入れる。
どこで誰が作ったのかは知られていない。
異端狩りにさえ役立てば、それでいいのだろう。