【魔女狩りの男-1】
――あぁ、私の愚かな愛弟子よ……
――私はお前に赦しは請わない……
――しかし聞け、新たな狩人よ……
――私がお前に、最初の依頼を託す……
――全ての邪悪を、お前が狩り取るのだ……
――それが叶えば、我々は救われる……
ああクソ、またこの声か。
数年経った今でも、その声は俺を縛りつける。
命の恩人でもある師の最期の姿は、悪夢となって俺の心に反響し続ける。
俺には無理だ。
俺は深い海の底へと沈んでいく中で、遠ざかる師の後ろ姿に縋るように手を伸ばした。
けれどそれは叶わず、代わり俺の腕を掴んだのは、灰色の毛を逆立てた、一匹の人狼。
獣は言う。
『貴様は此方に生きるのだ。そうせねばならぬ』
骨に響く、低い唸りのような声。
周りを見てみると、その人狼だけではない、多くの怪物達が彼の体を、腕を、足を掴み、さらに深くへと引きずりこむ。
あぁ、我が師よ……この務めは、俺には大き過ぎるのだ……。
諦めたように目を瞑ると、怪物達に身を任せ、底も見えぬ深くへと、俺は沈んでいった。
✕ ✕
辺境の村
「――ぃ!」
「――さん! 大丈夫か?」
「――狩人さん! 大丈夫かい?」
耳元で叫ぶ声と乱暴に揺さぶられる振動で、青年は目を覚ました。
「あぁ……寝ちまってたのか……」
「全く、心配しましたぜ! こっちは高い金払ってるんだ! 死んじまってるのかと!」
青年を起こした小太りの男は、少し息を荒くしていた。息を整えると、男は目を覚ました青年に訊ねる。
「それでぇ、どうなんです? 何か分かったんで?」
「あぁ……ここ数日のうちに、体の具合を悪くした奴がいるんじゃないか?」
黒髪の青年は欠伸を漏らしながら、不安げな男に向けて問うた。
「たしか……隣の家のサリクって若いヤツが最近よく胸が痛むと……。それがなにか、関係あるんですかい?」
不安げな男の質問をよそに、青年はその家に向かい、表の草むらのある部分を指差す。
「ほら、ここ。1箇所だけ地面の草が枯れている。夜には大声で泣く女の声、それに体の不調を訴える若者……間違いないな」
青年は立ち上がり、不思議そうに見ていた男に伝える。
「村長さん、アンタらを悩ませてる異端は泣き女だよ」
「泣き女……ですか?」
村長と呼ばれた小太りの男は、よく分かっていないような顔で青年に言葉を返す。
「あぁ。その名の通り、女の異端。もうすぐ死ぬやつの家の周りに現れて、そいつの為に泣き続ける。別に悪い奴じゃないさ」
青年はそう言って人懐っこく笑った。
「桶に水を張って、その近くに赤い染料で染めた服を置いておけ。そうすれば、女はそれを血と勘違いして服を丹念に洗いだす。夜な夜な大声で泣かれなくて済むぞ」
「はぁ……ありがとうございます……」
村長は、納得はしていない様子だったが頷き、感謝を伝え、報酬の入った袋を青年に渡した。
「あ、それと。そのサリクって奴?もう少しで死ぬから。好きなことさせてあげな」
「えっと……どういう……?」
「そのままの意味だよ。言ったろ? 泣き女はもうすぐ死ぬやつの家に現れる。死期が近づいたのを教えてくれる、良い奴なのさ」
「じゃあ、退治してくれた訳じゃないのか!?」
村長は渡しかけていた袋を慌てて引っ込めた。
「実を言うと……泣き女には効果的な退治の仕方がないんだ。別に悪い事するわけでもないし。俺が教えたのは、夜に大声で泣かれる事への対処法。サリクが死ねば、泣き女も消える」
「そんなっ!? じゃあサリクは助けられないのか!?」
「サリクは泣き女に殺されるわけじゃない。詳しく調べてみないとわからないけど、心臓病か何かだろうね。それなら俺じゃなくて医者を頼るんだな」
「そう……ですか……」
村長はそう言うと、力なく青年に袋を差し出した。
「アンタに依頼したのは、夜の泣き声のことだもんな……そう、だな……」
落ち込んだ様子の村長に、青年は居づらそうな顔をし、後ろ髪をポリポリと掻いた。
「あー……知り合いに腕のいい医者がいるんだけど、紹介してやろうか?」
「いや、いい……サリクも家族や友達といたいだろう……」
「……そうだね。泣き女が現れた時点でそいつが死ぬのは間違いないんだ。きっと最期は楽しい方がいい」
「あぁ……ありがとう……異端狩りさん」
そう言った村長の顔は暗かった。
【異端狩り】と呼ばれた青年は袋の中の金額を確認すると、
「では、達者でな」
そう言って、村を立ち去った。
16世紀、ドルク。
ノレターによって宗教改革が行われ、ドルク全体が旧教派と新教派に分かれ、今すぐにでも戦争が起ころうとしている。
そんな中、宗教間での争いに関わろうとせず、各地を旅する青年がいた。
その名をガブリエル・ラーデ。
【異端狩り】の狩人である。
✕ ✕
さっきの村から少し歩いた街道を俺が歩いていると、大きな荷物を運ぶ商人の馬車に出会った。
少し話を聞くと、彼もシュパイセルに向かうようだったので、ついでに乗せていってもらえないかと交渉した。
人の良さそうな商人は快く了承し、俺を荷台に乗せてくれた。
「にぃちゃん、1人で旅してんのかい?」
髭を伸ばし、頬をふっくらとさせた商人が俺に話しかけた。
疲れてはいたが、タダで乗せてもらっているのだ、これくらい我慢しようと、仕事続きで眠い頭を働かせた。
「ちょっと近くで狩りをね。ここら辺は街からも遠くて大変で」
【異端狩り】と聞いて良い顔をする人は少ないので、俺はその話題を避けて会話を続けた。
俺がいたのは主要都市の1つ、シュパイセルから南に数キロ進んだところにある小さな村だ。
街の掲示板に貼られていた依頼を見て、わざわざ出向いていた、というわけだ。
「にぃちゃん、名前は?」
「俺はガブリエル、知り合いからはギャヴィって呼ばれてる」
笑顔で商人の質問に答える。
「近頃この辺にも異端が出るって言うじゃないか。それなのに馬もなしでいたのかい?」
「あー……まぁ運が良かったんだな」
【異端】。
いつこの世に現れたのかは、誰も知らない。
常世における全ての醜悪。
人を騙し、人を喰う、穢れた存在。
それらを殺し、狩ることが【異端狩り】である俺の仕事だった。
「じゃああれかい? にぃちゃんは狩人なのかい?」
「えっと……そう」
「それにしては、変な格好してるんだな。弓も罠も持ってるようには見えないが。それじゃあまるで異端狩りの連中みたいだ」
痛いところをついてくる。
商人の言うとおり、俺達【異端狩り】の狩人は弓や罠を仕事に使うことは好まない。
それでは【異端】を仕留めるのに時間がかかってしまうからである。
持っている武器といえば、腰に差した剣のみだ。
その他に目立った武装はなく、継ぎ接ぎだらけの薄汚れた黒い外套と、片耳につけられた銀のイヤリングが時折光の反射できらきらと輝いていた。
「その髪の色、よその国のモンか?」
「さぁね。俺は孤児なんだ。物心ついた頃にはドルクにいたよ」
この国の人間にしては珍しい烏羽のように真っ黒な髪の間から、薄緑の瞳を覗かせて、俺はまた人懐っこく笑った。
「この馬車、何を運んでるんだ?」
「これかい? なんでも、錬金術の材料なんだそうだ。運んでるだけで儂にはさっぱりだがね」
「錬金術か……」
座席から振り返り、荷台に積まれた木箱を見る。俺はこれまで様々な異端なモノと対峙してきた。
アルプにドワーフ、クランプスにコボルト。
それに魔女。
そんな俺がいまひとつ理解出来ていないモノの1つが錬金術だ。
「魔術と何が違うんだろうな?」
「そーだなぁ、儂もよく分かっとらんが、魔術と違って錬金術は人間の手で全てを実現させる、だかなんとか」
「白魔術みたいなものか?」
「どうだか。儂には魔術も錬金術も同じに見えるがね」
この世界には魔術というものが存在する。
時に精霊と心を通わせ、時に悪魔と契約を結ぶ。
白魔術師と呼ばれる者達は主に前者だ。
その力をもって人々を癒し、知恵を授ける。
占い師や癒し手として街や王宮で活躍している者も多い。
それからしばらく商人と最近のドルクの情勢や売上げがどうのという話をしていると、街道の先に大きな橋が見えてきた。
「着いたぜにいちゃん。シュパイセルだ」
「みたいだな」
「儂は手続きがあるから、ここでな」
「あぁ。本当に助かったよ。また縁があった時はよろしく頼むぜ」
商人は馬車をゴトゴトと揺らしながら検問に向かった。
シュパイセルはドルクの南に位置するレンガ造りの建物が多い都市で、街の大きさや人の賑わいもドルク中でも1、2を争うだろう。
道幅約10m、全長100m弱ある石レンガで造られたこの大橋はシュパイセルに2箇所のみあり、そこを通る以外に街の中へ入る方法はない。
それもあってか人通りは非常に多く、本来広いはずの道幅も人やその荷物で狭くなってしまっている程だ。
俺は済ませた依頼の報酬を元に街で宿を借りた。
日が暮れるまでまだ時間があったので、宿の近くの掲示板を見に行くことにした。
(なにか新しい依頼はないかな……)
掲示板にはシュパイセルの街やその周辺での問題解決を求める依頼や仕事の求人が貼り出されている。
シュパイセル程の規模の街であれば、国家や富豪からの依頼書が張り出されていることも珍しくない。
「ねずみ退治……旦那の浮気…………」
沢山貼りだされた依頼書をぺらぺらと流し見ながら、次の仕事を探す。
「異端……異端……――お」
その中の1つ、おそらくそれなりの期間放置されていたのか、そもそもボロ紙だったのだろうか、所々破けてしまっている依頼書に書かれていた内容は俺にとって非常に興味をひくものだった。
「場所はパープルステップ……魔女退治か……」
俺はその依頼書を掲示板から剥がすとポケットにしまった。
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ではまた次回ノシ