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第七話 テイア、ガイアの月

 指一本動かせないほどのGから解放されて疲れ果てたシリウスが浴室へ入ると、左右の壁に並ぶシャワーポッドのうち二つのハッチが同時に開いた。

「またか!!」

 ポッドの中に現れたのはマイラとテウメッサだった。湯気を纏うほわほわの身体……!この船に男は自分しかいないし、急ごしらえすぎて男湯も女湯もないのだから仕方ない。テウメッサって着やせするタイプなんだな、と思う間もなく彼女の拳が顔面を襲い、シリウスは背後のシャワーポッドに激しく後頭部を打ちつけて呻いた。しかもその衝撃でポッドのハッチが閉じてしまい、鼻と口にまとわりつくお湯の中で溺れかけながら緊急停止スイッチを探り当てるまで、シリウスは服を着たまま全身をくまなく高圧洗浄されてしまった。ようやく脱出できた頃には浴室に女の子達の姿はなかった。

 医務室ではブランが端末に向かってライカのサイボーグ・メカの電子回路を点検していたが、鼻血まみれのシリウスを見るや作業を中断した。

「あ……」

「その顔、どうした!」

「あら大変」

「なんでもありません……また来ます」

「駄目。そこへ掛けなさい。無重量状態では頭に血が上っていて出血が止まりにくいのよ?……大丈夫、切り刻んだりしないわ」

 ブランがガーゼで鼻血を拭い、頭を触診して骨折がないことを確認するあいだにライカが氷嚢を用意した。メンテナンス中のライカは後頭部をケーブルで端末につながれているが、冷蔵庫はケーブルの長さの範囲内にある。

「他に痛むところは?」

「ないと思います」

「触っただけでは中身までは分からないわね……。腕を出しなさい」

 シリウスは冷蔵庫から戻ったブランが使い捨て注射器のパッケージを破ったので身構えたが、ほんのひととき雑談しているうちにすべてが終わっていた。

「細胞修復ナノマシン。悪いところを探って全身をひと巡りしたら、おしっこと一緒に出ますからね。年に何度か、予防注射を受けるでしょう?そこに含まれる成分と同じものです。こうしているあいだにも私達は多量の宇宙放射線を浴び続けていますが、癌や白血病にならずに済んでいるのもそのおかげなのよ」

「はぁ……」

「もともと軍用だったんだよね」

「ええ。核戦争の時代を生きるための技術が、まさか有人宇宙探査に役立つとはね」

 鼻の穴に脱脂綿を突っ込まれたシリウスは氷嚢を鼻柱に乗せてうつむいた。軽く床を蹴ったつもりでも勢いがつきすぎてしまうことのある宇宙船では天井や壁に身体をぶつけることなど珍しくなかったので、ブランは特に何も問いたださなかった。

「血が止まるまで、しばらくそこでおとなしくしていなさい」

 医務室にテウメッサがやってきた。付き添いのマイラに促されて何か言おうとするが言葉にならず、シリウスと視線も合わせることができずにしょんぼりしたまま尻尾を垂らしている。

「また怪我人?今日の医務室は大盛況ね」

「もう……、違うんです。シリウスにひとこと謝りたくて、一人でこっちの船に来たのよね?」

「なにから話せばいいのか……私、あんなこと初めてだったから……」

 点検作業を続けていたブランとライカは思わず顔を見合わせた。

「あんな姿を見られたのが恥ずかしくて、気が動転していて……」

「……シリウスくん?」

「違っ!誤解ですよ!」

「あ、あれは事故みたいなもので、そのときわたしも一緒で!」

「マイラ!その言い方はかえってよくないと思うな!!」

「初めてを……?初めてを一緒に……!?」

「わたしはべつにいいのよ?シリウスとは小さい頃お医者さんごっこだってしてたぐらいだし」

「「お医者さんごっこ!?」」

「お医者さんごっこは関係ないだろ!!」

 鼻血の玉を撒き散らしてシリウスの鼻栓が吹き飛んだとき、医務室にマアトからの警報が鳴り響いた。二隻の宇宙船を捕捉したテイアの基地から迎撃部隊が上がってきたのだ。


 ガイア軍の地下基地は激しい爆撃を受けながらも健在だった。大きすぎるケンネルは整備ドックのハッチを通れず、シリウスとブランを乗せたライラプスがライカのグレイホークとともに衛星軌道上で一旦パスファインダーへ移乗して、パスファインダーごと入港するという面倒だが安全確実な手順を踏んだ。ライラプスの狭いコックピットで長身のブランはシリウスの背中にかなり密着していたが、それでもコアライダーが後ろへスライドするとき天井に頭をぶつけた。

「気をーつけいっ!」

 ドックではガイア兵が踵を揃えてずらりと整列しており、工具を持ったロボット達がパスファインダーに群がる中、基地司令自ら一行を執務室まで案内してくれた。執務室に着くと、自己紹介もそこそこにブランが本題を切り出した。衛星軌道上をケンネルが周回している。このままでは狙って下さいと言っているようなものだ。

「閣下、私達は同じ敵に攻撃されています。テラにご助力頂けるという確約が欲しいのです」

「即答はしかねる。正式な軍事同盟の申し入れであれば、最高司令部に報告し、討議のうえ決めねばならん。ひとつ訊いておくが、仮に手を組むとして見返りはなんだ?我々の過去を帳消しにするほどのものか?」

「……敵の正体」

 司令の目が鋭く光った。こんな話はライカもシリウスも初耳だ。

「もっとも、確証を得るにはいささかガイア側の情報が足りません。機密でなくとも新聞や雑誌のアーカイブから手に入る情報でよろしい、端末を使わせて下さい」

「いいだろう。こちらも通信網が寸断されていてな、本部とのやりとりは人手に頼らざるをえず時間がかかる。連絡がつくまで当基地にて自由に過ごしてもらって構わない。上空の宇宙船には私の権限の範囲内で補給をさせよう」

「ありがとうございます」

 司令は交渉の場ではテウメッサの名を一切出さなかったが、二人きりになると娘を強く抱き締めた。

「お父様……!」

「よく帰ってきたな。分かっているよ、あの方々はおまえの命の恩人だ。邪険になど扱うものか。……それにしても、こんな最果ての基地に飛ばされて預かった艦隊は壊滅、免職も覚悟していたところへ隣星からの使者との交渉役になれるとは。私も運が向いてきたらしい」

「なぜです?」

「いま地球で一番テラに近いのはこの私だからだよ。テウメッサ、情報は力だ。本部の連中はテラの情報を欲しがり、こぞって私に問い合わせてくるだろう。彼女達が月にいるかぎり、あらゆる情報交換が私を介して行われることになる」


 荒涼とした地表から周回軌道上のケンネルに約束どおりヴィクセンが物資を運び、ガイアとの連絡用の再突入カプセルを積んだロケットが大気のない殺風景な黒い空の彼方へ飛び立っていった。基地での日々はたいして自由ではなく、客室から一歩踏み出せば私服のお目付役が運動場や公衆トイレにまでつきまとい、異星人の身体は未知の病原体の巣窟だとかで毎日検査を受けたうえ食事のたび薬を飲まされたが、そんな中でもシリウスとテウメッサはライカの仲介で改めて話し合いの場を持つことができた。初めてとか見られたとかいうのは、なんのことはない、模擬戦で人生初の敗北を喫し恥を晒したときのことだったのだ。地球の周回軌道上でケンネルに投降したのはノーカウントらしい。ライカは気まずそうなテウメッサをシリウスもろとも抱き締めてくれた。あとでブランさんにも話しておかなきゃ……。それから十日ほどののち、ガイア防衛軍最高司令部からの返事が、行きとは別のロケットでテイアに届いた。

「それでは聞かせてもらおうか?敵の正体とやらを」

 司令はすぐには自分の手札を見せなかったが、否定的な内容ならみんなとっくに拘束されているはずなので、プロジェクターの前のブランは余裕綽々だ。

「二つの星を攻撃しているのが第二の異星人であることに疑いの余地はありませんが、問題はその宇宙船が何のために来たかという点です。どこから来たのか?それはひとまず置きましょう。私はかねがね、テラとガイアの科学技術や人類が似すぎていると思っていました。私達の姿かたちは言うに及ばず、共通語、ロボットに支えられた文明、テラの宇宙船がガイアの基地で燃料補給までできてしまう。そして、ここしばらくの調査でたどり着いた答えがこれです」

 スクリーンに二枚の大きな画像が表示された。一方は荒野の不明瞭な円環に輪郭線を引いて強調したもので、もう一方は海底にあるいびつな同心円を中心点から虹色に色分けしたものだ。

「これらの巨大クレーターの原因となった小天体は、それぞれ同時期にテラとガイアへ衝突したと考えられています。しかも、推測されている大きさも重さも同じ。こんな偶然があるでしょうか?」

「偶然に決まっている。地球とテラにある無数のクレーターの中から、たまたま似通っているだけの二つを取り出して何が言いたい」

「たまたまではありません。この二つのクレーターは特別なものです。私達の歴史には共通の謎がある。現生人類に連なる進化の系譜を遡ってゆくと、ある時点で痕跡がぱったりと途絶えている……つまり、私達には件の天体衝突以前の祖先がいないのです。落着の衝撃で地殻がめくれ上がったため、化石が失われてしまったというのが一応の通説ですが、しかし、しかしですよ?もしもその小天体が人工物だったとしたら……」

「論理の飛躍だ!どこかの異星人が、邪魔な生態系を一掃するために隕石を撃ち込んだとでも?」

「おっしゃる通りです閣下。巨大ロボットによる空襲は清掃作業の仕上げ。彼らが移り住むのに適した環境になったので、核兵器の放射能で星が汚染され尽くす前に私達を滅ぼしに来たのです」

 シリウスが口を挟んだ。

「おかしくない?隕石で地面を吹き飛ばすだけじゃ、そのあとどんな環境の星になるか分からないし、俺とテウメッサのおおまかな見た目が似てる理由の説明にもなってないでしょ」

「そうだな」

「落ちてきた小天体は人工物と言いました。宇宙船と言い換えてもいいわ。同じ時期に芽吹き、同じように進化して、同時に刈り取れるように、あらかじめ生命いのちの種がデザインされていたのよ。私達は種の状態で二隻の宇宙船に乗せられて、ご主人様のために我知らずお屋敷の手入れをしていた奴隷だったというわけ。身勝手にもほどがあるわよねぇ、何万年も働かせておいて用が済んだら皆殺しだなんて」

「待ってドクター、仮にそうだとしよう。その情報が何の役に立つ?あたし達はそいつらをどうやって倒せばいいんだ?」

「そこで、宇宙船がどこから来たかという点が関わってくるのよ。神出鬼没すぎてそんなことは私にも分かりません。でも、戦力の展開や改良の異常な素早さから考えて、指令を発するどこかと頻繁に連絡を取っていることは確かです」

「まさか……」

「あの黒い母艦に直接乗り込み、通信設備あるいは指揮官そのものを探す」

「無茶苦茶だ!そんな作戦に手を貸せというのか」

「ライラプスなら可能です」

 ブランはシリウスを見て微笑んだ。その優しい視線は相変わらず真冬の凍てつく風のようだった。

 ガイア軍の本部が寄越した返事は、最高責任者のサイン入りの書類がなければ同盟までは約束できないというそっけないもので、こちらの司令官はコンピュータだからなどという言い訳は基地司令には通用しなかった。しかし地球側にガイアへの敵意がないことはひとまず伝わったらしく、ケンネルの帰路を護衛せよとの命令がテイアの残存艦隊に下った。ちなみに残存艦はパスファインダーのほかにもケンネルを出迎えたエクスプローラーがあるが、基地に駐屯する将兵の脱出用に最低でも一隻の宇宙船を確保しておかなくてはいけないので、事実上、ケンネルに随伴できるのはパスファインダーだけだ。敵艦拿捕作戦は地球へ帰るのに最適なタイミングまでに実行されることになったが、それよりテイアを周回するケンネルが敵に見つかるほうが早く、基地への空襲という最悪の形でチャンスが巡ってきた。

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