第一話 ひとりぼっちのシリウス
“ガイア”。この遠く離れた隣星は、望遠鏡が発明されてすぐ世界中の人々を虜にしました。夜の面にも文明の灯りが見えたからです。しかし時が経ち、世界を巻き込む戦争が起こるようになると、見知らぬ隣人への素朴な興味は恐怖心へと変わってゆきました。自分達でさえ争いが絶えないのだから、いずれあの星からも敵が攻めてくるに違いない……。そして恐ろしい核戦争の時代、ありったけの核ミサイルが地球の重力を振り切って、何年間にも渡りガイアへ撃ち込まれ続けました。人類はガイアへ飛び立つ力を手にしながら、その力でかけがえのない相手をいきなり殴りつけてしまったのです。ところがガイアからの反撃はなく、ただひとつ再突入カプセルが地球へ落ちてきただけでした。カプセルに入っていたのは、ちょうどあなた達と同じ年頃の子供でした。冷凍睡眠中の事故ですでに亡くなっていた小さな使者はなにも語りはしませんでしたが、それきり人々は一切の戦争をやめました。
誤解はどうしてなくならないのでしょうか?あなたならガイアからのメッセージにどんな返事を出しますか?では、これを次回までの宿題にしましょう……。終業のチャイムが鳴り、教壇上のロボット教師は話を切り上げた。何十年も前に空から落ちてきたという男の子の死体なら、シリウスも遠足先の記念館で何度か見せられたことがある。花々に囲まれた安らかな死に顔は、デスマスクをもとに作られた蝋人形にすぎないと分かっていても、今にも目を開けそうで不気味だった。日直の号令でシリウスとクラスメート達があくび混じりに起立しようとしたとき、街を守るレーザー砲が火を噴いて教室の外がまばゆい光に包まれ、窓ガラスを震わせる雷鳴とともになにかの破片が燃えながら半透明のバリアの曲面を転がり落ちていった。
シェルターを揺さぶる激しい振動と爆音でシリウスは我に返った。あれは隕石なんかじゃなく、ガイア軍の偵察ポッドかなにかだったんだ。侵略が始まってからも、核戦争の時代に作られた防衛システムはしばらく敵を寄せ付けなかったが、バリアが破られると街の建物に被害が出始め、シリウスは両親と一緒に昼夜を問わず最寄りのシェルターへ逃げ込むしかなくなった。世界中で黒い巨大ロボットが都市を襲い、地球防衛軍はなすすべもなく壊滅していった。そうだ、遠くの星も戦争もシリウスにとって昔話でしかなかった。こんなことになるまでは……。
シリウスのインカムに通信が入った。
「マイラ!」
《つながった!シリウス?いま近くまで来てるの!》
「電話はマナーモードにしておきなさい」
「マイラからだ。父さん、ハッチを開けてくる。いいよね?」
「こら、シリウス!」
迷惑そうなご近所さん達の膝と膝の間を通って重いハンドルを回し、分厚い扉に小さな身体の全体重をかけると、焦げ臭く生ぬるい風が流れ込んでくる。そのわずかな隙間からシリウスが抜け出すと同時に、マイラの乗る電動スクーターがハッチの前の道に横着けした。
「シリウス!」
「マイラ、なにやってるんだよ!避難してなきゃだめじゃないか!」
「おじいちゃんがシリウスを呼んでるの!来て!」
「博士が!?なんで!」
「いいから早く!」
見上げれば、炎が空を赤黒く染め上げ、地球防衛軍の戦闘機と敵の黒い戦闘機が群れ飛ぶ中、燃えさかる街を三体の黒い鋼の巨人、ハウンドがマシンガンを乱射しながら行進してくる。ビルや民家をたやすく薙ぎ倒しながら戦車を蹴散らして進むその顔は、牙を剥き出しにして笑っているようにも怒っているようにも見える。シリウスはシェルターのハッチを蹴飛ばして閉め、スクーターの運転をマイラと交替した。掴まって、と背中のマイラにひと声かけてからアクセルを全開にすると、急発進したスクーターのすぐ後ろでハウンドの巨大な足が、さっきまでシリウスのいたシェルターを踏み潰した。
「もう、こんなときに!研究所だな!?」
たったいま父さんと母さんが死んじゃったっていうのに、出てくる台詞がこれか……。電波は通るし、簡単に壊されるし、なにが核シェルターだよ!GPSが破壊されていてナビは使えないので、マニュアル運転でいくしかない。シリウスは表通りからわざと狭い路地裏へ入り、スクーターを狙うマシンガンの銃弾から死にもの狂いで逃げた。泣いている余裕なんてなかったし、涙は一滴も出なかった。
研究所の正門へ通じる広い道に飛び出すと、シリウスを待っていたように敷地の中でリフトのハッチが開いて地下からなにかがせり上がってくるのが見えた。あのリフトは大きな発明品を分解せずに地上へ運び出すための設備なのだが、いま載っている発明品には見覚えがない。こちらに背を向けて片膝をつく巨大ロボットの尻尾から背筋に沿って即席のスロープが敷かれ、その終端でコックピットハッチが口を開けている。
「あれよ!」
「うそだろ……乗り込めってことか、このまま!?」
スクーターを発見したハウンドの火線に追われながら、シリウスはスロープの始点でつまずかないように少し前輪を浮かせてからロボットの背中を駆け上がった。スクーターが胴体に入ると前輪と後輪が床に固定されて、操縦システムのリンクと、スクーターのバッテリーへの充電が始まり、背後でハッチが閉じると同時に前後左右と頭上のモニタ・パネルが点灯する。外界を映す正面モニタの端に通信メニューが現れた。
「おじいちゃん、シリウスを連れてきたわ」
《ご苦労じゃった。無事ドッキングに成功したようじゃな》
「博士!なにこれ!?」
《ライラプス。猟犬を狩る猟犬じゃ》
「そういうことを訊いてるんじゃなくて、このままだと俺達、敵の的なんですけど!」
《ハンドルを左右に引いてみい、基本はそのスクーターと同じ要領で操縦できる。ハンドル操作が上半身、体重移動が下半身じゃ。頑張れよ》
左右に伸展したハンドルがそれぞれ中程から下へ折れて巨大な両腕と同期し、ウィリーするつもりで車体を引き起こすとホイールを床下から支えている二本の太いアームの動きに連動して機体も立ち上がる。シリウスの体重移動で振り返ったライラプスはスロープを尻尾で崩しながらハウンドと対峙した。
「頑張れよって、俺がやるのかよ……」
「研究所の専属テストパイロットでしょ!シリウス、敵がくる!」
「武器は!?」
《ぶん殴れ!》
「あっちは鉄砲を持ってるんですよっ!!」
突進するライラプスに狙いを定めたハウンドはトリガーを引くが、銃弾が発射されない。弾切れか?故障か?いずれにせよその隙に距離を詰めたシリウスは奥歯を食いしばり、左手でマシンガンを脇へ押しやってハウンドのニヤつく頬に右ストレートを叩き込んだ。するとライラプスの拳がハウンドへ届く寸前に前腕部の四つのパーツがせり出し、四つの光点がハウンドの頭部を穿った。
「こういうことか!」
四連装高出力レーザーカッター、通称ライラプス・クロー。拳を左下へ振り抜くと、見えない爪が胸部装甲をざっくりと焼き切った。そのとき左右に展開していた残る二体のハウンドはライラプスに襲いかかることはせず、僚機が胴体の爪痕から火を噴いて倒れるまでの一部始終を見届けるや離脱用ブースターに点火し、はるか上空で黒い戦闘機と合流した。シリウスはすぐさまハウンドのマシンガンを拾い上げたが、トリガーはロックされていた。
敵が引き上げ、街の火災が消し止められてからも、シリウスとマイラはスクーターに二人乗りのままライラプスの狭いコックピットから降りることができなかった。研究所の前で立ち尽くすライラプスの足元に、地球防衛軍のトレーラーがなにも積まずにやってきた。ライラプスは博士が軍の依頼で作っていたロボットで、試運転を終えたため、ただちに引き取られることになったのだ。巨大なトレーラーの助手席からタラップに足を掛けて降りてきた背の高い白衣のおねえさんが、博士となにやら言葉を交わす。
「あの人は?」
「ブランさん。おじいちゃんが軍隊で働いてたころ助手だった人、おじいちゃんの弟子ね。たまに研究所にも遊びに来るけど、なにを考えてるのか分からないから、わたしは苦手」
「博士だってそういうとこ、あると思うけどな。なんの役に立つのか分からない発明品とか試用させられてさ」
「大違いよ!」
「そうかな?」
「ブランさんはおじいちゃんとそりが合わなくて、おじいちゃんが軍隊をやめる原因になったんだって。難しいことはわたしにもよく分からないけど、その話をするときのおじいちゃんは一度もいい顔したことないわ」
「ふぅん」
眼下でブランがインカムに手をやった。
《パイロット、聞こえて?その機体を台車に座らせます。ロボットの誘導に従いなさい》
「はい」
シリウスの幼い声を聞いたブランは一瞬驚いたようだったが、心配そうな博士とともに笑顔でライラプスを見上げる切れ長の目は、まるで研ぎたてのメスだった。シリウスがひとつ溜息をつくと、不意にマイラの柔らかな毛皮の両腕が、ぎゅっとシリウスの背中を抱いた。
「シリウス、独りじゃないよ……」
シリウスと同じくハウンドの攻撃で両親を失っているマイラにも、博士の研究所以外に帰る家はなかった。あ……そっか、母さんの作るオムレツ、明日からはもう食べられないんだ。知らぬ間に涙がこぼれ落ちていた。




