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雨の記憶  作者: キヨモ
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04. 避けられている予感

 雨の中、少女は走っていた。本降りになる前に戻ろうと思っていたのだが、思ったよりも早く霧雨が篠突く雨となったのだ。

 あなたの雨読みもまだまだねと、家に戻ったら母に笑われるだろうな。そう思うと、少女はしゅんと肩を落とした。


 ふと、雨でけぶる視界の先に人影が見えた。少女は雨を気にせず近づいて行く。この森で一番大きな楠の下で、ひとりの少年が途方に暮れたように立っていた。

「こんなところで何をしているの?」

 ためらいがちに、少女は尋ねてみる。雨のせいで少女の気配を感じられなかったのか、少年は驚いたようにびくりと反応した。

「雨が降りそうだから近道を選んだけれど、視界が悪くなり方向がわからなくなってしまった。そなたこそ、ここで何をしている?」

「わたしも家へ帰る途中」

「ひどく濡れているではないか。早くこちらへ」

 そう言うと少年は少女の手を引き、雨が当たらない楠の幹の傍へ招き入れる。そうして懐から布を取り出すと、少女の頬をごしごしと拭った。既に濡れそぼっている少女の髪からは幾筋もの滴が伝い、拭いても拭いてもまったく意味はなかった。


「ありがとう。わたしは大丈夫だから」

 少女は少年を見上げ、小さく笑った。ふたり、目が合う。少女の心臓がとくりと鳴った。

 相変わらず雨は強く降り続いている。楠から伸びる枝葉が激しい雨からふたりを守ってくれてはいるが、いつまでもここで雨宿りをするわけにはいかない。日暮れの刻限まで間もなくだ。

 少女は瞳を閉じると、ゆっくりと祈りの言葉を口にした。やがて雨の音は静かになり、閉じられた少女の目にも光が感じられた。


「そなたは……」

 少女が目を開けると、少年が驚いたように少女の顔を見つめていた。

「あの光の先が、森の出口よ。じき夜になるから、急いだ方が良いわ」

 少女が笑顔で促すと、少年は深く頭を下げ、ぬかるんだ足元を注意深く進んで行った。



   ***



「雨音、いつまで寝てるの。いい加減起きなさい」

 遠くで聞き慣れた女の人の声がする。ああ、あれは母の声だ。そう思うと、雨音はぼんやりと目を開けた。

 一瞬、ここがどこか、自分が誰かわからないような、不思議な感覚に陥る。


「こら、雨音。休みだからって、いつまでもだらだら寝ないのよ!」

 反応がない雨音にしびれを切らしたのか、スリッパの音がして勢いよくドアが開いた。

「うん、起きた……」

 ベッドの上に、のそりと起き上がる。

「良いお天気だから、布団干しておきなさい」

 母親はそう言いつけると、慌ただしく階段を下りて行く。毎日元気な母のパワーは一体どこから来るのだろうかと、寝ぼけた頭で雨音はぼんやりと考えていた。

 いや、そんなことより。何だ、あの夢……?


 雨音は、つい先程まで見ていた夢を思い出す。最近あの話のことを調べていたから夢にまで出てきたのかなと、寝ぐせのついた髪を撫でつけながらひとりごちた。

 これまでも何度かあの話の夢を見たことがある。しかしそれは、幼い雨音が祖母の膝の上で話を聞いている夢で、どちらかというと祖母の夢だ。けれど、先程の夢の中で雨音はレンだった。夢の中の少女も少年も名乗りはしなかったが、あのシーンは何度も祖母から聞いたレンとミカゼの出会いの場面だ。

 あんな夢を見るなんて自分はどうかしてると、雨音は苦笑しながら立ち上がった。クローゼットを開けて、デニムのスカートとTシャツを取り出す。それにしてもと、パジャマのボタンに手をかけながら雨音はもう一度あの夢を思い出した。

 雨に濡れた感覚、冷えた指先、ミカゼが頬を拭いてくれた布の固い感触……。

 何もかもが、夢にしてはあまりにもリアルだったのだ。無意識に考えすぎているから夢にまで出てくるのだろうか。雨音は小さく溜息をつくと、手早く着替えた。




「おはよう雨音ちゃん。約束通り持って来たよ」

 月曜日の朝、雨音が登校すると、千春がピンクの小さな紙袋を持って教室にやって来た。

「わーい、ありがとう!」

 雨音は声を弾ませて、その可愛らしい袋を受け取った。

「二時間図書室でぼーっとしてただけで、千春ちゃんのクッキー貰えるなんてラッキー」

「喜んでくれているところ言いにくいんだけど、ちょっと固いかも知れないんだよね」

「大丈夫。千春ちゃん毎回そう言うけど、いつも美味しいもん」


 その後、日曜日に千春が同じ中学の男子に偶然会ったという話から、中学の話題で盛り上がる。そうこうしているうちに予鈴が鳴り、千春はパタパタと自分の教室に戻って行った。 クラスメイトと挨拶を交わしながら、雨音も自分の席につく。昼休みに智子と美雪と一緒に食べようと思いながら、鞄の中にクッキーをそっとしまった。

 不意に、ガタンと大きな音がした。思わず小さく悲鳴をあげる。その瞬間、雨音の目の前に手が伸びてきた。

 何が起きたのかわからずに混乱している頭の中を、一瞬何かの記憶が掠めた。


 驚いて見上げると、雨音を庇うように立っていたのは凪だった。

「ごめん、大丈夫?」

 焦ったように凪が謝る。

「う、うん。平気」

 雨音はぎこちなく答えた。

「おい和也! おまえ、危ないだろう」

 凪はもう一度小さくごめんと謝ると、窓際の男子に向かって怒鳴った。どうやら和也が何かを凪に投げたのだが、それが逸れて雨音の方へ飛んで来たらしい。

「澤田ちゃん、ごめんなー」

 和也が雨音の方に向かって、両手を合わせている。

「大丈夫、大丈夫」

 雨音は笑いながら、小さく手を振った。深く息を吐いてようやく落ち着くと、雨音は先程何かを思い出したことに思い至る。

 自分を庇うように伸びる手、広い背中、ちらりと見える横顔。それらには既視感があった。けれど、誰にどこで庇われたのか覚えていない。 ただ、前にもあったとだけ感じるのだ。

 いつの記憶だろうと考え込んでいると知らぬ間に担任が教壇に立っていて、雨音は皆よりワンテンポずれて起立した。



「すごい美味しいよ、コレ。矢野さんってば何者!?」

「ココア味もいけるよ。今度、彼氏の誕生日前に矢野さんのところに弟子入りに行こうかな」

 弁当を食べ終わって、雨音は千春からもらったクッキーの袋を開けた。千春は固いかもと言っていたが、案の定そんなことはなく、智子も美雪も大絶賛だ。

「でしょ、でしょ? 千春ちゃんのクッキーは絶品なんだよね」

「どうして雨音が得意気なのよ」

 友達が褒められたのが嬉しくてつい自分のことのように胸を張ったら、智子と美雪にからかわれた。

「でも、せっかくの星型とかハート型がもったいないね」

 智子がふたつに割れたクッキーを繋ぎ合わせるように並べると、残念そうに呟いた。今朝、凪が雨音を庇った際に机の横にかけていた鞄に当たったらしく、その中に入れておいたクッキーの一部が割れてしまっていたのだ。

「味に変わりはないし、ちゃんと無事なのもあるから」

 そう言うと、雨音は星型のクッキーをつまんだ。


「でもさ雨音、ちょっとドキドキしなかった?」

「へ?」

 目をきらきらと輝かせて尋ねてくる美雪の質問の意味がわからず、雨音は間抜けな声を発する。

「もう、雨音ってば! 谷岡くんが、奥田っちの投げた消しゴムから身を呈して守ってくれたじゃん」

 反応の薄い雨音に対し、美雪がじれったそうに声をあげる。“消しゴム”と“身を呈して守る”という、あまりにも似つかわしくない単語の羅列に、思わず雨音は吹き出した。

「ちょっと、何でそこで笑うのよ!? 瞬間的に手を伸ばして、カッコ良かったじゃん」

「だって、美雪の表現が大袈裟過ぎるんだもん」


「雨音、美雪のことはもう無視していいよ」

「ちょっと、智子。あんた、失礼な奴だなあ」

 智子がわざとらしい溜息をつくと、美雪は憤慨したように口を尖らせた。

「まったく、美雪は本当に恋愛脳だねえ。少女漫画の読み過ぎなんじゃない?」

 美雪の顔をまじまじと見つめながら、智子は呆れたように言った。

「だって、見てる方がドキドキしちゃったんだから仕方ないじゃん」

「うっわー、本物の恋愛脳だ。勝手な妄想で、暴走しないでよ」

 三人の中でお姉さん格の智子が、末っ子気質の美雪に太い釘を差す。雨音は心の中でこっそりと、智子に感謝した。

「暴走なんかしないもん」

「じゃあ大人しくしときなよ。雨音がそういうの苦手だって、美雪も知ってるでしょ?」

「そんなの言ってたら、誰かに取られちゃうじゃん。よそのクラスにも狙ってる子いるらしいし」

 黙って聞いていた雨音は、ふたりの会話の展開に戸惑いを覚え慌てて口を挟む。

「ちょっと待ってよ。わたし全然そんな気ないんだから」

「雨音は消極的すぎるんだよ。絶対お似合いなんだから、自信持たないと」

 どうしてそこまで頑なに断言できるのか、いい加減、雨音は苛ついてきた。

「だから、そんなんじゃないって!!」


 思わず発した言葉は、予想以上に大きく教室に響いた。智子と美雪が雨音の顔を驚いたように凝視し、固まった。

「そもそも、わたしは谷岡くんに嫌われてるし……」

 消え入るような声でそう呟く。言葉にしたら、急に惨めになった。


 高校に入学し、同じクラスになって半年。

 雨音は男子と積極的に話すタイプではないし、凪もそれほど女子と話すタイプではない。だからもともとあまり接点はなかったけれど、単に親しくないという言葉では済まされない、切ない予感が少しずつ雨音の心に染みのように広がっていた。

 凪は、人懐っこい美雪や姐御肌の智子とはたまに言葉を交わすが、ふたりと一緒にいる雨音とは目を合わすことはない。視線が合いそうになるその刹那、いつも逸らされてしまうのだ。

 千春が当番の木曜日には通う図書室も、雨音が当番の水曜日には一度も訪れたことがない。休み時間によく本を読んでいるが、駅とは反対の方角から通っている凪が市立図書館に行くのは不便だ。きっと木曜日以外の日も、図書室を訪れているのだろう。被害妄想かも知れないが、千春と当番を変わった日に目が合った凪の表情は、驚いたというよりもしまったという表情だったのだ。

 何が原因かはわからない。知らないうちに、何かしてしまったのかも知れない。

 けれども理由がわからないのに謝ることもできず、話しかけることもできず。周囲には気づかれない自然さで、ただ雨音だけが、凪の拒絶を感じていた。


「どうしてそんなこと思うの? 嫌われてるわけないじゃん」

 美雪が目をまるくして言った。確かに、周囲の人間は誰もそう思わないだろう。けれども避けられている本人は、何となく敏感に察知してしまうものなのだ。

「もうこの話は終わり。もうすぐ予鈴だよ」

 嫌われている理由を自分でいちいち言葉にして、これ以上傷を深めたくはない。雨音は自ら話を終わらせた。

「そんなつもりじゃなかったんだけど、何かごめんね……」

 いつも大人しい雨音が示す不快感に、美雪と智子は明らかに戸惑っている。雨音にもその空気は伝わっていたが、それを取り繕うことすら煩わしくて、残ったクッキーと空の弁当箱を持って自分の席に戻った。


 はあー、と大きく溜息をつく。

 美雪も智子も悪気はないのにと、腹の底から罪悪感が湧き上がってくる。千春から貰ったクッキーは美味しかったのに、後味の悪さだけが残った昼休みだった。

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