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雨の記憶  作者: キヨモ
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18. エピローグ

 駅前のカフェに入ると、窓際の席に案内された。雨音はミルクティーを注文すると、窓の外を見やった。

 つい先日までコートとマフラーが手放せなかったが、今や街はすっかり春だ。風はまだ少し冷たいが、日差しは柔らかく暖かい。ふと、窓の外の人物と目が合った。笑って手を振ると、彼女は足早に店内に入って来た。


「遅れてごめんな」

「いえ、わたしもちょうど今来たばかりなんで」

 スプリングコートを脱いで店員にコーヒーをオーダーすると、ようやく史子は落ち着いたように笑った。

「何だか、久しぶりやね」

 史子と会うのは、あの十一月の終わりの雨の日以来だった。

「でも、メールを頂いていたので、そこまで久しぶりな気はしないかもです」

「そう言われてみれば、そうかも知らんな」

 たまに史子は、思い出したようにメールをくれた。あれ以上新しい情報を得られなかったのか、雨音の様子がおかしかったから敢えて避けたのか。風と水の一族のことには触れず、その内容はいつも他愛のない近況報告だった。


「そうだ、卒業おめでとうございます。そして就職も、おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 雨音が頭を下げると、史子もおどけたようにぺこりと頭を下げた。先日大学院を卒業した史子は、根本教授の助手としてそのまま大学に残ることが決まったらしい。

「立場は変わったけど環境もやることもあまり変わらんし、いまいち新鮮味に欠けるわ」

 言葉とは裏腹に史子の表情は楽しそうで、この人は本当に歴史が好きなんだなと、雨音は少し羨ましく思った。

「雨音ちゃんは今度、二年生やんな? 進路とか、もう考えてるん?」

 運ばれてきた紅茶にミルクを注いでいると、史子がそう尋ねてきた。

「文系クラスを志望しましたけど、具体的にどこの大学とかははまだ」

「じゃあ、うちの大学とかはどう? それで、うちのゼミで一緒に研究するねん。地味で変わり者ばっかやけど楽しいで」

 どこまで本気かわからない史子の言葉に、雨音はくすりと笑った。

「これから色々調べて決めようと思ってますけど、英語科に進みたいなと思ってます」

「わー、いいなあ。英語が得意な人は、ほんまに尊敬するわ」

「いえ、得意じゃないです。ただ好きなだけで」

 まだ色々と迷っているけれど、史学科にだけは進まないだろうと雨音は思っている。新たに何かを思い出してしまうことが怖いというのは、もちろんある。けれど、今の雨音には別の世界を見たいという気持ちが強かった。語学を学んで、できれば海外にも行ってみたい。色々なものを見て、様々な体験をして、自分自身の世界を広げてゆきたいのだ。


「史子さん」

 ミルクティが入ったカップを置くと、雨音は少し緊張気味に史子を見つめた。

「何?」

 史子が小さく首をかしげる。ずっとずっと、言おうと思っていたことが、なかなか口から出てこない。

「あの、わたしが祖母から聞いた弥風とレンの話なんですけど」

「うん?」

「あれは、教授たちの間で、既に調査されてたりするのですか?」

 史子は少し驚いたような表情で雨音を見つめ返すと、柔らかく微笑んだ。

「根本教授には、まだ報告してへんよ」

「え?」

 今度は雨音が驚いて、目を瞬いた。

「彼らについての伝承は殆ど残っていなかったからかなり貴重な話やけど、でも雨音ちゃんの了承をとってないもん。雨音ちゃんはうちの個人的なサイトを見て、うちらは個人的に情報交換しただけやから」


 ああ、相談したのがこの人で良かったと、雨音は心底思った。いつか自分もこういう女性になりたいと、眼鏡の奥の優しい目を見つめながらそんな憧れの気持ちを抱いた。

「あの、本当に勝手なお願いなんですけど……」

「ええよ」

 あっさりと史子が頷く。

「え?」

「ええよ。まだ解読されてない古書もあるし、未だに寺社や地主さんの蔵からずっと眠っていた文書が見つかったりするねんで。それを紐解いていけば必ず新しい発見があると思うし、うちはその作業が好きでずっと続けてきてるねん」

 そこで史子は一呼吸おくと、だからと言葉を継いだ。

「だから、おばあさんが聞かせてくれたあの物語は、雨音ちゃんが大切にしとき」


「ありがとうございます」

 雨音はテーブルすれすれまで、深く深く、頭を下げた。

「その代わり」

 交換条件を提示する史子に対して雨音は顔を上げると、真剣な表情でその言葉の続きを待つ。

「たまにこうやって、うちとデートすること」

 たまには若い子と喋らな変人の巣窟におったらうちまで変人になるわと嘯く史子に、雨音は満面の笑みを浮かべた。

「はい。わたしも史子さんと、これからもデートがしたいです!」


「今日は、晴れて良かった」

 穏やかな沈黙が続いたあと、窓の外を眺めながら史子が言った。少し霞んだ春の空を見やりながら、そうですねと雨音も頷く。

「前に雨音ちゃんに会った日は、空が泣いてるみたいな冷たい雨やったもんな」

 雨音ちゃんも泣きそうやったし、とまるでひとりごとのように呟いた。

「今日は晴れて、本当に良かった」

 雨音は、自分の心臓がとくりと鳴る音が聞こえた気がした。

 この人は、もしかすると何かに気づいているのかもしれないと、雨音は思った。何を、どこまで悟っているかはわからないが、察した上で雨音を受け止めてくれている。そんな確信に満ちた思いが生まれていた。

「雨の日もあるけど、きっといつかは晴れますから」

 雨音がそう言うと、史子はそうやねと優しい声で同意した。




「委員長は先生に用事を押しつけられたから、少し遅くなるよ」

 ホームルームが終わり、雨音の教室にやって来た智子がそう報告した。

「うん、さっき聞いた」

 先程まで賑やかだった教室も、それぞれ下校したり部活に行ったりと徐々に人が減り、今はすっかり落ち着いている。

「別に智子の報告なんて必要ないよ。本人がちゃんと彼女に言いに来るんだから」

「そっか、余計なお世話だったね」

 にやにやと笑いながら美雪が言うと、同じくにやにやと笑いながら智子が同意した。


 二年生に進級し、予想通り雨音たち三人はクラスがばらばらになった。

 美雪は千春と同じクラスになり、本当にお菓子の作り方をレクチャーしてもらったらしい。雨音は和也と同じクラスになった。智子と同じクラスになった凪は、新しいクラスで委員長になったようだ。今まで凪を苗字で呼んでいた智子は、二年になってからたまに凪のことをふざけて委員長と呼ぶ。そんな智子は副委員長だ。

「何だか手嶋さんには、いつも見張られてる気がする」

 この間ぽつりと漏らした凪の言葉に思わず雨音は吹き出したが、反応が怖いので智子にはもちろん伝えていない。


「もう、からかわないでよ!」

 ふたりの容赦ないからかいに、雨音が顔を赤くして抗議した。

「そんなに照れなくていいじゃん。事実なんだから」

「ちょっと遅くなるけど待っていてねと彼氏が彼女に言いに来るくらい、全然普通のことだもんね」

 雨音が恥ずかしかることがわかっていて、ふたりは敢えて彼氏とか彼女とかいう単語を使うのだ。照れるから余計にふたりが面白がるのだということはわかっているが、顔が赤くなるのはどうしようもない。いっそ開き直ってみようかと、そう雨音は決意した。

「そうだよ、彼女だもん」


「ぶは! そんなに赤面するなら、言わなきゃいいじゃん」

「まあまあ、そこが雨音の可愛いところなんだから」

 自分で言いながら、恥ずかしさで机に突っ伏した雨音を、ふたりが面白そうに指で突いてくる。照れをなくして潔く開き直れたら効果的なのだろうが、これではまったく逆効果だ。

 雨音が凪と付き合いだして二ヶ月が過ぎたが、こうやって三人で話していると必ず最後は雨音がいじられる。いい加減飽きてくれないかなと雨音は思ったが、ふたりの楽しそうな表情を見ていると、当分飽きる気配はなさそうだ。

「まったく、こんなに好きオーラを出してるのに、頑なに自分の気持ちを否定してた頃はどうなるかと思ったよ」

 呆れたように、智子が言った。

「大人しいけど、雨音は頑固だもんね」

 美雪が笑う。そんなことないもんと否定したが、雨音の言葉はふたりにさらりと流された。

「挙句の果てには、自分は谷岡くんに嫌われてるとか言い出すし」

「あんなに意識しまくりのくせにね」


「そんなにわたし、意識しまくりだった?」

 おずおずと、雨音がふたりを窺うように尋ねる。

「しまくりだったねえ、雨音も谷岡くんも」

「今だから言うけど、本当はこっそり付き合っているんじゃないかなと疑っていた時期もあったもん」

 智子と美雪が、感慨深そうにそう言った。

「それ、奥田くんにも言われたことあるけど、でも何で?」

 雨音は理解できないといった表情で、ふたりを見つめた。毎日同じ教室で過ごしたけれど、会話はおろか、挨拶すら殆ど交わすことはなかった。好きだという気持ちも無自覚だったのに、どうして周りからはそんな風に見られていたのだろう。

「奥田っちにも言われたんだ。やっぱり男子も思っていたんだね」

 美雪が腕を組んで、うんうんと納得したように頷いている。


「上手く言えないけど、ふたりの空気が同じなんだよ」

 智子が言った。その表情に、先程までのからかいの色はない。

「同じ波長を持つ相手に明らかに惹かれてるのに、何に拘ってるのか、何を恐れてるのか、全然近づこうとしなくて。でも、視線だけはずっと追っていて、常に相手を意識している。それが、一年の時の雨音と谷岡くんだった」

「意外と当事者より、周りの方がわかるのかなあ」

 美雪が言うと、そういうものかもねと智子が頷いた。

「で、雨音は自分が谷岡くんを好きだって、どうやって気づいたの?」

 ぎくりとして雨音が美雪を見ると、にやにやと笑っている。助けを求めるように智子を見やると、姉妹のように同じ表情をしていた。

「えっと、それは……」

 ようやく赤みが引いたのに、再び雨音の頬が朱に染まる。もう四ヶ月以上が経つというのに、正月に雨音がぶつけた質問をふたりはしっかりと記憶しているようだ。

「あの時約束したじゃん。雨音に彼氏ができたら、色々語ってねって」

「約束なんかしてないもん」

 奥手な雨音をからかって、ふたりが勝手に言っただけだ。

「仕方ないなあ。では、質問を変えましょう」

 何が仕方ないのかと雨音は思ったけれど、ふたりの興味津々な顔は、まさに大好きなおもちゃを与えられた子供のそれだ。ああ、きっと卒業までからかわれるのだろうと、雨音は諦めの溜息を吐いた。


「もしも、前世で雨音の恋人だった人が、実は同じクラスにいたらどうする?」

 思いのほか真剣な表情で、美雪が雨音に問いかけた。いつもその手の質問を馬鹿にする智子も、今日は黙って聞いている。ふたりを交互に見やると、雨音は静かに、けれどもきっぱりと言い切った。

「そんなの関係ないよ。今生きてるのはわたしで、わたしが好きなのは谷岡くんなんだもん」

 そうでしょうと言って智子を見やると、彼女は満足げに頷く。美雪は嬉しそうに、きゃあと歓声をあげた。



「雨音」


 気恥かしいような、それでいてすっきりとした気分で雨音が照れ笑いを浮かべた瞬間、聞き慣れた声が雨音の名を呼んだ。

「ひゃあ!」

 教室のうしろの扉から顔を覗かせている人物を認めると、雨音の顔はこの日一番赤く染まった。

「わお、ナイスタイミングで彼氏登場だ」

「雨音、愛しの彼氏のお迎えだよ」

 何がそんなに嬉しいのか、これでもかというくらいのからかいの言葉を浴びせてくるふたりに対してうるさいと一喝すると、雨音は鞄を持って席を立った。

「バイバイ、また明日ね」

「バイバイ、雨音。委員長もバイバイ」

 まったく懲りた様子も見せずに手を振るふたりを見て呆れたように笑うと、雨音は小さく手を振って教室を出た。

「いつも三人、楽しそうだなあ」

 誰もいない階段をゆっくりと下りながら、感心しているのか呆れているのかわからない口調で凪が言った。主に楽しんでいるのは、雨音をからかって遊んでいる智子と美雪だ。いつか形勢逆転したいものだが、きっと当分は無理だろう。


「ねえ」

 靴を履き替えて校舎を出ると、雨音は右側を歩く凪を見上げた。

「うん?」

 凪の涼しげな眼が、雨音を捕える。

「あのね。教室でわたしたちが話してた内容、聞いた?」

「話って?」

 雨音は安心したようにほっと息をつくと、別に何でもないと言った。

「何だよ、俺の悪口でも言ってた?」

「そんなんじゃない」

 その反対、なんて恥ずかしくて言える筈もなく、雨音は笑って誤魔化しながら自転車に鍵をさした。

 付き合いだしてから、バス停まで自転車を押しながら一緒に歩き、凪の乗るバスが到着するのを待つのが日課になった。今日は凪が先生から言いつけられた用事で遅くなったが、何もなければいつもは図書室で一緒に勉強して帰る。

「あ、そういえば、前世で好きだった人がもしも同じクラスにいたらっていう話は聞こえたかも」

 雨音が自転車を出しやすいように手前の自転車を少し移動させながら、凪が何でもないことのように言った。


「顔、赤いよ」

 声も出せずに固まっている雨音の頭をぽんと叩くと、凪が悪戯っぽく笑った。

「やっぱり谷岡くんは、意地悪だ」

 雨音が恨めしそうに、小さく口を尖らせる。

「別に聞こうと思ったわけじゃなく、聞こえたんだから不可抗力だよ」

 それに、と凪は言葉を繋ぐ。

「あそこで聞かなくても、俺はもう雨音の答を知ってるもん」



 校庭の大きな桜の木はすっかり葉をつけ、風が吹くたびに僅かに残った花びらがはらはらと舞い落ちる。

 前かごにふたりの鞄を入れると、凪が自転車を押してくれた。右手だけでハンドルの真ん中を支えると、左手を雨音に差し出す。ちらりと凪を見上げると、雨音は黙ってその手に自分の右手を絡ませた。

 春の風は心地よく、雨音の火照った頬をなぜる。正門の脇の花壇には、今年も赤いチューリップの花が咲いていた。



< 終 >

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