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雨の記憶  作者: キヨモ
16/20

15. 恋に落ちた証拠

 期末試験が終わるとすぐにテスト休みに入り、二日ほど登校日があったあと、長かった二学期の終業式を迎えた。テスト期間中に雨音が寝込むことはなかったが、結局微熱は暫くの間続き、返却されたテストの点数は散々だった。中間テストから二十番以上も席次を下げてしまい、雨音は緊張しながら通知票を見せたのだが、さすがに両親は何も言わなかった。

 冬休みに入ると、雨音は母に言いつけられて普段やらない箇所を徹底的に掃除した。その合間に宿題を済ませたり、年賀状を書いたり、年末になると正月の買い出しにも連れ出された。新年を迎えるまでは何かしら追い立てられるようで忙しなく、そしてそれは、時間があればつい色々と考えてしまう雨音にとって都合の良いことであった。



「あけおめ!」

 駅前の何だかよくわからないモニュメントの前に立っている雨音の姿を見つけると、美雪が大きく手を振りながら小走りでやって来た。その後ろから、寒そうにマフラーを巻きつけている智子も続いて来る。三人でどこかへ遊びに行く時は、いつもこの前衛的なデザインの像の前で待ち合わせるのが暗黙の了解だ。

「正月はどうだった?」

 新年の挨拶を交わすと、智子が雨音に尋ねてきた。

「食べてばっかりだよ。元旦はおせち食べて、二日は親戚の家でご馳走食べて、昨日はテレビ見ながらずっとお菓子食べてた」

「わたしも同じだ。年が明けてから怖くて体重計に乗ってないもん」

 智子はそう言うと、コートの上から自分の腹のあたりをさすった。

「だからこそ、宇佐美神社詣でだよ!」

 ひとりでずんずんと先を歩いていた美雪がふたりを振り返ると、何故か得意気に言った。電車で三十分程のところにある宇佐美神社は、このあたりで最も歴史のある神社だ。そこへ三人で初詣に行こうと、終業式の日に提案してきたのは美雪だった。


「ちょっ、きつい」

「もう、息、あがってきた」

「ねえ、ちょっと休憩しない?」

 荒い呼吸の合間に漏れるのは、しんどいとかもう駄目だとか、そんなネガティブな言葉ばかりだ。宇佐美神社の境内までは百段以上の石段が続き、何よりもその傾斜が急なことから、地元では心臓破りの石段として有名なのだ。最初は強気の発言をしていた三人も、半分も行かないうちに息も絶え絶えになり、もはや弱音すら出てこない。会話もなく、ただ聞こえるのはそれぞれの荒い息遣いという中で、最後はひたすら無心で一段一段を上って行った。


「着いたー!!!」

 最後の一段を上り切ると、三人同時に声をあげた。待ち合わせた時は痛いくらい冷たく感じていた真冬の空気も、微かに汗ばんでいる今の三人にはひんやりと心地良い。暫く呼吸を整えたのち、大きな石の鳥居をくぐる。三箇日を過ぎていたが、予想以上に参拝客は多かった。本当にあの石段を上って来たのかと、思わず尋ねたくなるような老人もたくさんいる。とりあえず三人は手水舎で清め、本殿の前にできている列の最後尾についた。

「ね、いいダイエットになったでしょ?」

 そう尋ねる美雪の声に、もはや待ち合わせた時のような覇気はない。

「正月に食べた分のカロリー、全部消費したかも」

「それは言いすぎ」

「もう絶対に、明日筋肉痛だよ」

 太股の筋肉の微かな張りが、翌日、確実にくるであろう筋肉痛を予感させる。

「あそこ、また下りるんだよね……」

 雨音がぽつり呟くと、考えないようにしてたんだから言わないでよと、智子と美雪が同時に溜息をついた。


「ねえ、智子は何をお願いしたの?」

 やがて参拝を済ませると、智子の提案でおみくじを引いた。正月だからいつもより多く含まれているであろう大吉を三人ともがしっかりと引き当て、その内容に一喜一憂しながら社務所の脇の木の枝に結びつける。美雪は少しでも高い場所に結ぼうと、必死に腕を伸ばしながらぷるぷるとつま先立ちの足を震わせていた。

「美雪はどうなのよ?」

 智子は質問には答えず、逆に美雪に問い返した。

「わたしはね、智子が彼と末永く幸せになりますようにと祈ったよ」

「大きなお世話!」

 美雪がからかうようにそう言うと、智子は不愉快そうに声をあげた。

「何よ、友の優しさに対して失礼な奴だな」

 完全に面白がっている美雪の様子に、雨音は我慢できずに吹き出した。

「ちょっと、雨音まで」

 じとりと智子が雨音を睨む。ごめんごめんと、雨音は軽く謝った。

「だって、ついに智子の恋が成就したんだもん。親友としては幸せを願わずにはいられないじゃん」

 そう言うと美雪は雨音の腕を組み、ねえと同意を求める。雨音もねえと返すと、智子は渋い表情を見せた。


 智子が中学時代の同級生と付き合うようになったのは、期末テストが終わってからだ。しかし、からかわれるのが恥ずかしいのか、智子がそのことをふたりに白状したのは、冬休みに入ってからだった。

「ねえ、どっちから告白したの?」

 もう何度目かの質問を、美雪は懲りずに繰り返す。

「しつこい」

「いいじゃん、減るもんじゃないんだから」

「減る」

「智子のケチ!」

「ケチで結構」

 いつもやり込められてばかりの美雪がここぞとばかりに智子を攻めるが、智子はすっかりだんまりを決め込んでしまった。

「智子、可愛い」

 思わず雨音がそう言うと、智子は心外だと言わんばかりに頬を膨らませた。智子が照れ隠しの為にぶっきらぼうに振る舞えば振る舞うほど、余計にそれが可愛らしいと思えるのだ。


「雨音はどうなのよ?」

 質問攻撃に耐えきれなくなった智子が、矛先を雨音に向けようと強引に話題を振った。

「そうだよ。雨音は本当に好きな人いないの?」

 まんまと智子の思惑にのせられた美雪の興味津々な目を呆れたように見つめると、雨音はいつもと同様にいないと答えた。

「本当にいないの?」

 美雪が疑いの眼差しで尋ねてくる。

「いないよ」

 苦笑いを浮かべながら、雨音は即答した。

「ちょっといいなと思う人くらいいるでしょ?」

「いないもん」

「もう! 雨音は理想が高すぎるんじゃないの?」

 信じられないという表情で雨音を見やると、美雪は大袈裟に溜息をついた。

「そんなことないよ」

「この智子っだって恋してるんだよ。ピンク色なんだよ。雨音も恋をしようよ!」

「このってどういう意味!? てゆか、ピンク色って何よ?」

 智子がじろりと睨むと、美雪はわざとらしく肩を竦めた。

「ほら、こんな冷やかな目をした智子が、恋すれば乙女になるんだよ」

 恋のパワーってすごいよねと言いながら智子を指した美雪の手は、不愉快そうな顔をした智子にぴしゃりと振り払われた。

「あんたは今年も相変わらず失礼ね!」

 年が変わっても繰り広げられるふたりの子供のようなやりとりに雨音が笑い転げていると、不意に智子が雨音に向き直った。


「雨音はさ、傷つくのが怖いんじゃないの?」

 予想外の言葉に驚いて智子の顔を見やると、親友は真っ直ぐに雨音を見つめていた。あまりにもその瞳が真剣だったので、雨音は思わず黙り込んでしまう。

「ぶつかって傷つくのが怖いから、だから最初から好きにならないように逃げてるんじゃない?」

「そんなこと……」

「わたしは気がきついしプライドも高いから、ふられたら恥ずかしいという気持ちがどうしても強くて、気になる人がいてもいつも気のないふりをしていたの。こんな気持ちは相手に迷惑かもとか、心の中で言い訳ばかりして、素直な気持ちを表せなかった。わたしの勝手な想像だけど、雨音もそういうところがあるんじゃないかと思ってさ」

 普段は恋愛がらみの話を殆どしない智子が訥々と語る言葉に、雨音は何も言えなかった。いつも茶化してばかりの美雪も、隣でじっと黙って聞いている。

「ねえ……」

 やがて、雨音がぽつりと呟いた。

「その人のことが本当に好きだって、みんなどうやって気づくの?」

 雨音はずっと、凪のことを思い浮かべていた。弥風が凪ではないかと疑った時、ときめかなかったと言えば嘘になる。次々と蘇る記憶は吐き気をおぼえるくらい恐ろしくて、熱に浮かされながら、前世の記憶に振り回される自分を呪った。けれども同時に、心の奥底で、凪との運命的な繋がりに微かな喜びをおぼえていたのも事実だ。

 しかし、凪は生まれた時からあの苦しみを抱えていた。誰に打ち明けることもできず、ひとりその恐怖とか苦しみとか哀しみとかが混ざり合った感情の塊を抱えて生きてきたのだ。

 その事実を知った時、雨音は密かに能天気な自分を恥じた。まるで少女漫画のような展開に、運命的だと鼓動が早くなるようなときめきを感じてしまった自分がひたすら恥ずかしかった。


「ちょっと、雨音ってばそこから!?」

 好きだという感情を自覚する方法を尋ねてきた雨音に、美雪は半ば呆れたように叫んだ。

「理想が高いんじゃなくて、奥手すぎるんだね」

 納得したかのように、智子はひとりで頷いている。

「だって……」

 雨音は思わず口ごもった。

「無意識に視線が追いかけて、言葉を交わすだけで幸せで、気づけば脳裏に顔が浮かんでくる。そんな人がいれば、間違いなく雨音はその人のことを好きなんだよ!」

「あまり難しく考えなくていいんじゃないかな。他の男子には感じない何かを感じたら、それは特別なんだから」

 美雪が興奮気味にまくしたて、智子が諭すように続けた。

「そうそう。で、今うちらが言ったことに当てはまる人はいた?」

 美雪がわくわくした表情で、雨音の顔をじっと見つめてくる。

「じゃあ……」

 けれども雨音は美雪の質問には答えず、更に別の疑問を口にした。


「じゃあ、もしも美雪や智子の彼氏が前世でも恋人だったとして、その人が気になるのは生まれ変わりだからじゃなく、自分がちゃんと好きだからって言える?」

 あまりに突拍子もない雨音の質問に、智子と美雪は思わず顔を見合わせた。

「生まれ変わりって、その設定ちょっと萌える!!!」

 数秒の間をおいて、何を妄想したのか美雪のテンションが急激に上がった。

「同じ時代に生まれ変わって再会するというそのシチュエーションだけで、恋に落ちるに決まってるじゃん!!」

 ひとりでキャーキャー叫んでいる美雪に、違うのにと雨音は思った。生まれ変わりであるという事実に流される気持ちは、本当の恋だとは言えないと思うのだ。


 無意識に視線が追いかけてしまうのも、言葉を少し交わしただけで嬉しくなるのも、ふとした瞬間に思い出すのも。それはすべて過去の記憶のせいだろう。前世の自分が好きだった人がクラスメイトだと知ったら、意識するのは当然だろう。

 ならば、雨音の気持ちは果たしてどうなのだろうか。レンの気持ちが強すぎて、雨音は自分の気持ちを見失っていた。まだ何も知らず凪に嫌われてると思っていた頃、何故避けられていると気づいたかといえば、それは雨音の視線が凪を追いかけていたからだ。見つめていたから、目と目が合ったその瞬間に逸らされることを自覚する。現に今ははじめから目を逸らしたままだから、目が合うこともなく、だから逸らされたと自覚する瞬間がない。

 けれど、そのすべての行動が過去の記憶に支配されていたからだとしたら……。過去の夢を見て以来、ずっと体の奥深くに感じるぞくりとした恐怖の根底は、きっとここにあるのだ。


「前世とか、そんなの関係ない」

 何か言いたげな雨音の表情をちらりと見ながら、不意に智子が口を開いた。やけにあっさりと言い切った智子に、美雪がつまらなさそうな表情を浮かべる。

「ええー、何で? 生まれ変わりなんて、それこそ運命的じゃない」

「あのね、今生きてるのはわたしなんだよ。過去の人間がどうだったかなんて、関係ないじゃん」

 智子の言葉に、雨音の体がびくりと震えた。

「過去の人間って、そんな冷めた言い方しなくても。それは前世の自分なんだよ。前世の恋人と現世でも結ばれるなんて、超ロマンティックじゃん!」

「何がロマンティックよ。これはわたしの人生なの。過去なんか関係なく、わたしが好きだと思う人をわたし自身が選ぶのよ」

「智子は自分で選んだつもりでも、実際は前世の恋人を選んでるかもしれないじゃん。運命に逆らえずにさ」

「別にそれはそれでいいよ。だって、わたしが好きだと思って選んでいるのだから。生まれ変わりだから好きになるのと、好きな人が生まれ変わりなのは全然違うからね」

 雨音は何も言えず、ただ黙ってふたりのやりとりを聞いていた。


「もう、智子は理屈っぽくって全然ロマンティックじゃない。生まれ変わりなんて絶好の萌シチュエーションなんだから、最大限に楽しめばいいじゃん」

「そう言う人が運命とかいう言葉にころっと騙されて、下らない男に引っ掛かるんだよ」

「引っ掛かりません!!」

「美雪は無意識のうちに前世の恋人を選んでるかもと言うけど、その逆もあるよね。前世の恋人は今の彼氏じゃなくて、実は全然意識したこともないよそのクラスの男子だったり、通りすがりの人だったりさ」

 そう言って、意地悪そうに智子が笑う。

「智子ってば可愛げなさすぎ。せっかく彼氏ができたのに、もうちょっと夢見ようよ」

 考え方がまったく正反対の智子に対し、美雪がじれったそうに声をあげた。

「美雪は夢見すぎ。てゆか、そもそもわたしは生まれ変わりなんて非現実的なこと信じてないし」

 いつにもましてクールな智子は、未だ納得がいかない表情を見せている美雪を無視し、雨音に向き直った。

「そして、雨音は色々考えすぎ」

 そう言って、雨音の冷たくなった頬をつねる。

「智子、痛い」

 雨音が小さく抗議する。つねり返そうと手を伸ばしたら、ひらりと体を躱された。


「あーあ、智子の理屈っぽい話を聞いてたらお腹すいてきた。何か食べに行こうよ」

 すっかり気勢をそがれてしまった美雪が、脱力したようにそう零した。

「美雪がテンション上げて話に夢中になるから、すっかり体が冷えてきたじゃん。早く下りよう」

 いつもの冷静さを取り戻した智子も同意する。すっかり汗が引いた体に、冷たい風が余計に体温を奪っていった。

「てゆうかさ、この話題を振ったのは雨音だよ」

「そうだそうだ。でもって、自分は何も語らずだしね」

 智子と美雪が体を寄せ、聞えよがしに話しながら石段に向かって歩き出す。

「まあまあ、雨音ちゃんに彼氏ができたら色々語ってもらおうよ」

「そだね。雨音ちゃんの恋愛観を、じっくり聞かせてもらおうか」

 対照的なふたりだけど、どうのこうの言って仲が良い。というか、ふたりが組んだら最強だ。雨音は強力タッグを組んだ智子と美雪を、足早に追いかけた。

「ねえねえ、下りたらわたしたこ焼き食べたいな」

 参道には様々な屋台が軒を連ねている。旨そうな匂いに釣られそうになりながら、帰りに寄ろうと言って石段を上って来たのだ。

「今はそんな話してないの」

 振り返ったふたりが同時に言った。

「じゃあ、焼きそば?」

「違う」

「フランクフルト?」

「だから、食べ物の話じゃない」

「じゃあ、何も食べないの?」

「食べる、けど」

 美雪がそう言うと、三人が同時に吹き出した。そうして徐々に出てきた筋肉痛を誤魔化すように、ゆっくりと石段を下りて行った。



 不意に強い風が吹き、雨音の髪を乱す。容赦なく吹き付ける冷たい風に、雨音は思わずマフラーを口元まで引き上げた。マフラーの中で、自分の吐いた温かな息がこもる。

 ずっとひとりで、出口のない闇の中をぐるぐると歩き回っているようだった。皮肉なことに、目を逸らされることがなくなってから、自分が凪に見つめられていたという事実に気づく。二度と視線が交錯しないだろうという予感に、言いようのない喪失感をおぼえた。けれど、その瞬間に決まって脳内に彼女の声が響くのだ。

 ――どうして自分だけ、弥風と同じ時代に生まれ変わってるの?


 出会うことなく逝ってしまった祖母の、センの、責めるような妬むような羨むような、そんな目が雨音を捉える。

 わたしが望んだわけではない。何度も何度も、祖母の声が聞こえるたびに、雨音は心の中で叫んだ。けれども、自分だけが凪と同じ時代に生まれてしまったという罪悪感は消えなかった。



 徐々に息があがり、途切れることなく雨音の口からは白い息が吐き出される。ふと立ち止まり、雨音は天を仰いだ。すっかり葉を落とした木の枝の隙間から、雲ひとつない空が覗いていた。

(今生きてるのはわたしなんだよ)

 雨音は心の中で、智子の言葉を反芻した。美雪は運命を信じると言い、智子はそもそも生まれ変わりを信じないと言った。現実は少女漫画のように単純ではないけれど、雨音が背負っているものを、ふたりに打ち明けることはできないけれど。あの言葉に、雨音が救われたのは事実だ。


 今、ここで呼吸しているのはわたしだ。

 真冬の風を冷たいと感じているのも、長い石段を往復して太股に痛みを感じているのも、紛れもなく雨音自身なのだ。

 すぐに答は出ないかもしれない、答などないかもしれない。けれど、思考に蓋をして考えることを拒絶してきたけれど、ちゃんと向き合っていかなければいけないと雨音は覚悟を決めた。

 ――だってこれは、わたしの人生なのだから。

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