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雨の記憶  作者: キヨモ
13/20

12. 時雨

「レン!!!」

 自分の名が叫ばれると同時に、少女の目の前に手が伸びた。自分を庇うように伸びる手、広い背中、ちらりと見える横顔。

 その状況を認識するよりも早く左腕に衝撃が走り、思わずがくりと膝をつく。左腕が燃えるように熱い。


「レン、大丈夫か!?」

 顔を上げると、心配そうに覗き込む切れ長の瞳があった。

「大丈夫でございます」

 無理に笑みを浮かべ、両足に力を入れて立ち上がる。みるみる衣は赤く染まり、破れた袖から覗く左腕はぱくりと傷が開いていた。庇ってくれたその背中をすり抜けて、どうやら敵の矢が掠めたらしい。少女は咄嗟に右手で傷を隠した。

「畜生……!」

 血に染まる衣の上からきつく布で縛って止血をすると、少年は低く唸った。刹那、眼の奥が緑色に光った。

 生温かい風が、地面からゆっくりと這い上がる。それはゆるゆると加速し、やがて周りにあるものをすべて巻き込むかのように大きくうねり始めた。その様子を不安げに見守っていた少女の視界の端に、ちらりと小さく赤いものが掠める。

「弥風様、おやめくだりませ!」

 咄嗟に少女は叫んだ。


 しかし、少女を傷つけた敵を消す為の肥大な力を生み出すことに集中している少年には、もはやその声は聞こえない。微かに草を揺らしていた風は、既に大きく木の枝を揺さぶり、足に力を入れていないと体ごと吹き飛ばされてしまいそうなくらいだ。

 ぞくり、少女の背筋を恐怖が這い上がる。それを掻き消すように、少女は渾身の力で叫んだ。

「弥風、凪いで!!!」



   ***



 まどろんでは目覚めてを繰り返し、ろくに眠れないまま登校した雨音の体調は最悪だった。朝から作り笑いで何とか誤魔化してきたが、三限目の体育の授業は長距離走で、さすがにグラウンドを十周することは無理そうだ。

「ちょっと雨音、顔色悪いよ。大丈夫?」

 心配そうに智子が顔を覗き込む。

「無理したら駄目だよ。ほら、保健室に行こう」

 強引に美雪が雨音の腕をとった。

「うん、ちょっと風邪っぽいから薬もらって来る。でも、ひとりで大丈夫だから」

 このまま無理をすればきっと周りに迷惑をかけると思ったので、雨音はふたりの言葉に素直に従った。体育教師に断りを入れて、保健室に向かう。智子と美雪が心配そうな表情を見せるので、笑顔を浮かべて安心させた。

 空には朝から灰色の雲が重く垂れこめており、いつ雨が降り始めても不思議ではない。十一月の冷たい風が吹きつけ、ジャージ姿の雨音はぞくりと背筋を震わせた。


 保健室の扉からは明るい光が漏れていた。どうやら養護教諭は在室のようだ。

 コンコンと二度ノックし、扉を開ける。その瞬間、雨音の体は硬直した。こちらに背を向けて立つ人物のジャージのゼッケンが、雨音が今、一番避けたい人であると告げていた。

 逃げようか。そう思ったタイミングで、まるで雨音の思考を読んだようにその人物が振り返る。

「あ……」

 凪もまた、雨音の存在を認めると固まった。


「どうしたの?」

 やがて、気を取り直したように大きくひとつ息を吐くと、凪が静かに尋ねてきた。

「少し風邪気味だから、薬をもらおうかと思って。先生は?」

「さっきの体育の授業で二年の人が怪我したらしく、病院に付き添っているんだってさ」

「そう……」

 短い会話が終了すると、ふたりの間に気まずい空気が流れる。少し間をおいて、今度は雨音が尋ねた。

「谷岡くんは、どうしたの?」

「俺はちょっと切ったから、絆創膏もらいに来た」

 男子はバスケだから、プレー中に接触でもしたのだろうか。左腕に貼った絆創膏からは、薄く血が滲んでいた。不意に昨晩、何度も繰り返しみた夢を思い出す。雨音は残像を追い払うかのように、ふるふると小さく頭を振った。


「風邪薬はあるみたいだけど、施錠されていて取れないな。たぶんもうすぐ帰って来ると思うから、それまでそこで休んでいれば?」

 薬棚を物色していた凪は振り返ると、真っ白のシーツが敷かれているベッドを見やりながらそう言った。

「うん、そうする……」

 雨音は曖昧に頷く。ふたりしかいないこの空間は、何とも居心地が悪かった。

 渡り廊下で哀しい予言をされた先週の月曜日以来、ずっと凪とは視線も合わなかったのに、今になって何故ふたりきりになるのだろうか。雨音は自分のタイミングの悪さを心底呪った。

「澤田さん、顔色悪いよ。大丈夫?」

 俯いた雨音を、凪が心配そうに覗き込む。その瞬間、びくりと体が震える。しまったと思った時には、一歩扉へ後ずさっていた。



「……思い出したんだ?」

 低く、凪が呟いた。雨音はまるで呪いをかけられたかのように、動くことも、言葉を発することさえできなかった。

 沈黙が重い。すると、凪が微かに笑みを浮かべた。

「怖かったんだろう?」

 雨音は凪を見上げた。違う。そう叫んだつもりだったけれど、喉の奥で掠れて声にならかった。

「自分を制御することもできず、怒りにまかせて力を使った弥風が怖かったんだろう?」

 思わず雨音は、大きくかぶりを振った。

「情けないよな。そうやって力を使っても、敵の有利になっただけでレンを助けるどころか助けられて」

 伏せた眼が、哀しそうに揺れる。

「ちが……」

「あの時あんなにも後悔したのに、生まれ変わってもまた後悔し続けるなら、いっそ……」

 雨音の否定の言葉を遮るように吐きだされた凪の言葉は、最後まで続かなかった。けれども雨音には、そのあとに続く悲痛な声がはっきりと聞こえた気がした。


 ――いっそ、出会わなければ良かった。




 結局、雨音は午前中で早退した。あれからすぐに戻って来た養護教諭の指示で熱を測ると、三十七度の微熱だった。テスト前だから大事をとって帰りなさいと説得され、四限目が始まる前に学校を出たのだった。

 しかし今、雨音は降りしきる雨の中、県立大の正門の前に立っている。

 気象予報士でなくても今日は雨だろうと容易に予想がつく空の色だったが、雨音が学校を出る頃からついにしとしとと降り始めた。夕方から大荒れになるという予報が出ていた為、今日は自転車ではなくバスで登校していたのだが、気づけば雨音は家がある方面ではなく駅へ向かうバスに乗っていたのだ。

(どうしようかな……)

 何となくここまで来てしまったのだが、着いた途端、ここへ来てどうするつもりだったのかと我に返る。

 帰ろう。そう思った。十一月の雨は冷たい。早く帰って温かくして、少し眠ろう。期末テストの前に体調を崩して学校を休むわけにはいかない。そう思っているのに、雨音の足はまったく動かなかった。


「雨音ちゃん……?」

 不意に水色の傘の中を覗き込まれ、名前を呼ばれた。

「史子さん?」

「やっぱりそうや。こんなところで何やってるの?」

 透明のビニール傘を片手に、ベージュのニットコートを羽織った史子が驚いたような表情で立っていた。

「学校は?」

「今日は午前中までだったので」

 咄嗟に小さな嘘をつく。

「あーもう! そんなこと聞いてる場合じゃないわ。こんな冷たい雨の中で、風邪ひいたらどないするの?」

 怒ったようにそう言うと、史子は雨音の冷えた手を握って正門をくぐり、研究棟へ向かって足早に歩いて行った。


 部屋に入ると史子はヒーターを強にして、乾いたタオルを雨音に手渡した。

「すみません……」

 突然雨の中を訪ねて来て、迷惑をかけて。自分の考えなしの行動に、雨音は自己嫌悪に陥る。

「はい、これ飲んで早く温まって」

 目の前にココアが入ったマグカップが置かれる。向かいの椅子に史子も腰かけ、自らも白く湯気のたつマグカップに口をつけた。

「すみません……」

 二度目の謝罪に、史子は湯気でうっすらと曇った眼鏡越しにちらりと雨音を見る。

「怒ってるんちゃうで、心配してるねんで」

 そう言って、大きく息を吐いた。

「制服姿の女子高生なんか珍しいなあと思って何気なく見たら、雨音ちゃんやったからびっくりするやん。うちは決まった時間に大学に来るわけじゃないし、根本教授についてどこかへ行ってることも多い。今日はたまたま会えたから良かったけど」

 そう言って、史子は俯いている雨音の顔を心配そうに覗き込んだ。

「一体どうしたん? 何かあったん?」


 改めて問い質されて、雨音はふと我に返る。自分はこの人に一体何を相談するつもりだったのだろう。

 徐々に明らかになってゆくのは自分でも信じられない事実で、そんな話を家族や友達には到底できない。でも、ひとりで抱えるにはあまりにも恐ろしくて、誰かに助けを求めたくて仕方がなくて。話だけでもいいから聞いて欲しい。結局その思いが雨音をここまで連れて来たのだ。

 でも、いざとなってみれば、本当のことなんて言える筈がなかった。

「ちょっと用事で近くまで来たから寄ってみたけど、史子さんがいる確証もないし、どうしようかと迷ってました」

 結局、雨音の口をついて出た言葉は、自分でも呆れるくらい見え透いた嘘だった。

 史子が自然を操る一族が存在したという突拍子もないことを信じているのは、文献をもとに研究した結果によるものであって、夢に見たという非科学的なことを根拠にした話を信じてもらうのは難しいだろう。同じ事柄を史実だと判断していても、論理的に納得している史子と、感覚的に悟っている雨音は決定的に違うのだ。


「そっか。じゃあ、雨音ちゃんがうちに会いたいと思ってくれたらいつでも来てもらえるように、携帯番号渡しとくわ」

 ついでで来たなんて口実は使えないくらい大学の周りには何もなく、雨音のついた嘘はあまりにも下手すぎるのに、史子はそこには触れずに明るい口調でメモ用紙を取り出した。

「何かあったら、何もなくてもメールしてな」

 そう言って手渡された薄いピンクのメモ用紙には、携帯番号とメールアドレスが書かれていた。

 不意に、涙が零れ落ちそうになる。気を逸らすため、受け取った電話番号の数字の羅列を凝視する。瞼の縁でどうにか耐えた涙が乾くと、雨音は小さく切りだした。

「お忙しいのに、お邪魔してすみません。そろそろわたし、帰ります」

「別に今は他の学生も出かけていておらへんし、気にせんでもええよ」

 史子の言葉に雨音は小さく首を振ると、笑って礼を言った。突然押しかけて十分すぎるくらい迷惑かけているのに、これ以上研究の邪魔をするわけにはいかない。雨音は鞄を持って立ち上がった。

「雨、結構降ってるみたいやから、気をつけてな」

 そう言いながら史子も立ち上がる。

「ココア、ごちそうさまでした」

「どういたしまして」

 優しく応えてくれた史子にぺこりと頭を下げると、雨音はドアノブに手をかけた。


「史子さん」

 一瞬迷ったのち、雨音は史子を振り返った。

「ひとつ、聞きたいことがあるんですけど」

「うん?」

 眼鏡の奥の史子の眼が、柔らかく微笑む。窓の外からは、雨の音が聞こえてくる。

「千風と弥風は、その後どうなったんですか?」

 雨音の質問に少し驚いたような表情を見せると、やがて史子は小さく首を振った。

「わからへん」

「え?」

「彼らがその後どうなったかは、わからへんねん」

 雨音に言い聞かせるように、史子はもう一度言った。


「藤原常平との交流がなくなったとか、ですか?」

 常平の日記に登場しなくなった為に、その後の詳細がわからないのだろうか。

「戦がね、始まったんよ。突然、隣国の天美の国が宇美の国を攻めて来てね。その戦いで、常平は戦死したとされてるわ」

「風と、水の一族は?」

 微かに、声が震えた。

「さあな」

 史子は小さく首をかしげ、曖昧に笑った。

「滅んだかも知れんし、生き延びて姿を隠したのかも知れん。もともと歴史の表舞台から隠れるようにひっそりと生きてきた一族で、たまたま常平という人物がおったからその存在を知ることができただけやし、その後どうなったかを知ることは難しいわ」

「史子さんは……」


 雨音が口を開いた瞬間、目の前のドアが開いた。慌てて一歩下がると、扉の向こうの人物も雨音の存在に驚いた表情を見せた。

「おかえり」

 史子がその人物に声をかけると、彼はもごもごと口の中で何かを言って部屋の奥に入って行った。

「変わってるやろ? 変人の巣窟やねん、ここ。うちだけが、唯一まともな人間や」

 呆気にとられている雨音を面白そうに見ながら、史子が悪戯っぽく笑った。

「そんな」

 どう答えて良いのかわからず雨音が戸惑っていると、史子がぷっと吹き出した。つられるように、雨音も笑った。

「そう言えば、あいつが帰って来る直前に、雨音ちゃん何を言いかけてたん?」

 思い出したように、史子が尋ねてくる。

「えっと、何だったけ? 忘れちゃいました」

 そう言って肩を竦めると、史子は納得したようなしていないような表情で、けれどもそれ以上は何も尋ねてくることはなかった。

「じゃあ、今度こそ帰ります。お邪魔しました」

「うん、気をつけて。また遊びに来てな」


 外へ出ると、まだ昼過ぎだというのに、夕方かと錯覚するくらいに薄暗かった。雨音は手にしていた水色の傘を開く。

 本当は、史子に何を聞こうとしていたのかを忘れたわけではなかった。ただ、聞いても無駄だから聞くのをやめたのだ。

 風と水の一族がどうなったと思うかを敢えて史子に聞かなくても、いずれ雨音は知ることになるだろうから。




 雨脚は徐々に強まり、いつの間にか風も強くなっていた。横から吹きつける雨を傘では遮ることができず、駅までの僅かな距離でも紺色の制服はじっとりと濡れ、電車に乗ると悪寒がぞくりと背筋を這い上がってきた。 車内は充分に暖房が効いている筈なのに、指先の震えが止まらない。早く帰って薬を飲まないと、明日休む羽目になりそうだ。ぼんやりとしてきた頭で、雨音は思った。

 ようやく家に着くと、悴んだ手で鍵穴に鍵を差し込んで、玄関のドアを開けた。すると、そこには、水仙の花の香りがいっぱいに充満していた。思い切りその匂いを吸った雨音はぐらりと目眩を感じ、上框に思わず手をつく。

 ちゃんと自分の部屋まで行かないと、そう思い何とか体を起こしたその時、視界の端に白い花が掠めた。雨音は無意識に、下駄箱の上の一輪ざしに挿してあるその花に手を伸ばす。


 次の瞬間、ぐらりとバランスを崩して雨音は倒れた。遠ざかる意識の中で、一輪ざしが割れる音がした。

 水仙の花の強い香りに、吐きそうだと思ったその刹那、雨音はすべての意識を手放した。

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