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雨の記憶  作者: キヨモ
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10. 哀しい予言

「もともと弥風についてはあまり注目してなくて、うちも殆ど知らんかったんよ。で、雨音ちゃんからメールをもらって改めて調べたら、結婚していたという記述が見つかってん」

 史子は閉じられた本を再び手に取ると、別の色の付箋が貼ってあるページを開いて指で示した。文章の意味はわからないが、“弥風”と“セン”という字が見てとれる。

「彼女が水の一族の出身だという記述は一切見つかっていないけど、雨音ちゃんのおばあさんの話に出てくるレンと同一人物じゃないかなとうちは思ってる」

 史子のきっぱりとした主張に、雨音は思わず息をのんだ。

「たぶん雨音ちゃんのおばあさんは、スイ族に縁のある生まれなんやろうと思う。それで代々語り継がれてきた話を、幼い雨音ちゃんにも聞かせてくれたんじゃないかな。でも、長い年月を経て、内容を違わず後世へそのまま伝えることは殆ど不可能や。名前がセンと似た音のレンとして伝わっても不思議はないし、もしかしたら話の内容も当初のものと若干変わってきてるかも知れへんね」

 雨音の心臓がどきりと鳴った。脳裏にふたつの夢が蘇る。

 ――幼いふたりの少女の夢と、少年と少女の別れの夢。


 史子が言うように、祖母が聞かせてくれた物語と事実が違っているというのは、たぶん間違いないだろう。しかし、センとレンは同一人物ではない。レンと弥風が別れたのはきっと、弥風がセンと結婚することになったからだ。

 史子からメールで弥風の妻の名前を知らされた時、雨音はレンと弥風の別れの理由を確信した。しかし、史子には言えない。彼女の仮説に、雨音は曖昧に頷くことしかできなかった。あの妙にリアルな夢は、自分の中では結論づける絶対的な根拠となり得るけれど、他人に説明するにはあまりにも馬鹿げた胡散臭い理由にしかならないのだ。




「今日は、本当にありがとうございました」

 研究室を出ると、雨音は史子に礼を述べた。

「こちらこそわざわざ来てもらって、興味深い話を聞かせてくれてありがとう。あんな怪しげなサイトの管理人にメールするなんか勇気いったと思うけど、うちは雨音ちゃんに会えて感謝してる」

「とんでもないです。子供の頃の曖昧な記憶だけで思いつきみたいにメールしたのに、こんなにも色々調べて下さって、わたしの方こそ感謝しています」

 そう言ってふたりでぺこぺこ頭を下げながら、誰もいない廊下を歩く。雨音は固辞したが、史子は正門まで送ってくれるらしい。広い学内を歩きながらふたりは他愛のない話をした。メールを送った相手が史子で良かったと、雨音はしみじみ感じていた。


「あれ?」

 校舎の外に出て閑散とした中庭を歩いていると、史子が不意に小さく声をあげた。

「どうしたんですか?」

 史子の視線の先を追いかけながら、雨音が尋ねる。刹那、視界に予想もしない人物が入ってきて、雨音の足が止まった。

「あの子も先月の講演会に来てた子やわ」

「え……?」

 驚きのあまり、思わず史子の横顔を凝視する。雨音の口から漏れた音は、小さく掠れていた。

「さっき言うたやん? 講演会に来るのは殆どおっちゃんやから若い子は目立つって。その何人かいた若い子らも、殆どはうちの大学の子やったりして見覚えがあるから、雨音ちゃんとあの子はめっちゃ印象に残ってるねん」

 史子は興味津々といった表情で、その人物の背中を見送っていた。

「図書館に入って行ったなあ。高校生に見えたけど、うちの学生やったんか。どこの学部の子やろう?」

 史子の呟きに応えることもできず、図書館の自動ドアの向こうに消えた背中を、雨音はただ呆然と見つめていた。




 史子から様々な話を聞いた雨音が最も恐れていたのは、夢を見ることだった。

 根拠はないが、またレンと弥風の夢を見るのではないかという予感があった。しかし予想に反し、史子に会った夜もその次の夜も、雨音があの物語を夢をみることはなかった。



「どうしたの、朝から溜息ばかりついて」

 心ここにあらずといった体で弁当をつつく雨音に、智子が訝しげに問いかけた。

「いや、期末が近づいてきたし、憂鬱だなあと思って」

 曖昧に笑い、咄嗟に誤魔化す。

「雨音ってば、嫌なこと思い出させないでよ。今度の数学の範囲なんて鬼だよ鬼!!」

「まだ二週間くらいあるんだし、真面目に勉強すれば?」

 大袈裟に頭を抱える美雪に、智子は至極まっとうなアドバイスを与える。いつもと変わらぬふたりのやりとりを眺めながら、雨音はこっそりともう一度溜息をついた。


 まるで、底なしの沼に足を踏み入れたようだと雨音は思う。幼い頃から心にかかっていた疑問を解決したいと、ほんの軽い気持ちで調べ始めただけなのに、気づけば膝まで泥に浸かっている気がするのだ。

 レンとセンはどういう関係なのか? 祖母は本当に、弥風と結ばれたのがレンだと思っていたのか? そもそも、どうしてレンと弥風の物語を雨音しか覚えていないのか?

 調べる程に疑問がつのり、足を踏み入れてしまった雨音は、もはや引き戻せないだろうという漠然とした予感を抱いていた。



 その日、雨音は凪に話しかけるチャンスをずっと窺っていた。

 しかし、突拍子もない質問であるが故に他の人には聞かれたくないし、何よりも美雪や和也に変に誤解されるのは避けたい。そう思って教室で話しかけるのを躊躇していると、あっという間に放課後になってしまった。

「ねえねえ、これからみんなでよっちゃんのバイト先に行こうかって話になっているんだけど、雨音も一緒に行かない?」

 ホームルームが終わり、どうしようか考えながらのろのろとノート類を鞄につめ込んでいると、美雪が声をかけてきた。どうやら、最近アルバイトを始めたクラスメイトを冷やかしに、バイト先のファミレスへ押しかけようと盛り上がっているらしい。

「ごめん。鈴木先生に図書委員のことで呼ばれてるから、今日はパスするわ」

 雨音は咄嗟に、口から出まかせの嘘をついていた。

「そうなんだ? 鈴木ってば相変わらず人使い荒いね」

「何か仕事頼まれるんだったら、わたしも手伝おうか?」

「大丈夫。ただの連絡だけだと思うから」

 口実にしたせいで悪者になってしまった鈴木に胸の内でそっと詫び、手伝おうと申し出てくれた智子の気遣いに罪悪感をおぼえる。

「そっか、じゃあ今度ね」

「ケーキとかパフェとか、食べすぎたら太るよ」

「大丈夫、一番カロリー低いのを選ぶから」

 何が大丈夫なのかよくわからない答を返すと、他の友人たちと連れだって教室を出て行く。雨音はバイバイと手を振りながら、彼女たちを見送った。やがて楽しそうな笑い声が廊下の向こうに消えると、雨音はちらりと窓際に目をやった。


 凪は数人の男子と会話をしていて、まだ教室を出る気配がない。今日は雨音が当番の日ではないから図書室に行くのではないかと予想して、教室を出たらこっそり追いかけようと目論んでいたのだが、何やら会話が盛り上がっているようだ。次々とクラスメイトたちが教室をあとにし、掃除当番が床を掃き始めている。仕方がない、今日は諦めて帰ろうか。そう思って鞄を手にした瞬間、凪が男子グループの輪を離れ、片手をあげて教室を出た。

 慌てて雨音も教室を出ると、放課後の賑やかな廊下をすり抜けて彼の背中を追いかける。案の定、凪は図書室へ向かうようで、階段を下りると図書室のある特別棟に繋がる渡り廊下へと歩いて行った。

 校門とは反対側に位置する渡り廊下は、放課後の喧騒が嘘のように静まり返り、まるで異空間だ。

「谷岡くん」

 雨音はひとつ深呼吸すると、意を決して凪の背中に呼びかけた。渡り廊下の真ん中で足を止めた凪が、雨音の方へゆっくりと振り返る。その瞬間、ふたりの視線がぶつかった。

 凪と言葉を交わすのは、あの雨の日以来だった。


「あ、あの。ちょっと谷岡くんに聞きたいことがあるんだけど……」

「何?」

 訝しそうな表情で凪が聞き返す。

「あのね、えっと、すごく変な質問なんだけど……」

 この期に及んで、質問内容の突拍子のなさに言葉に詰まる。

「うん、何?」

 凪が微笑した。そんな気がして、雨音は思い切って問いかけた。

「この前の土曜日、県立大の図書館にいたよね?」

 予期せぬ質問だったのだろう。凪は驚いたように目を見開いた。

 県立大学に史子を訪ねたあの日、帰り際に雨音が見かけたのは凪の姿だったのだ。


「ああ、あそこは蔵書が充実していて、登録すれば部外者でも利用できるからたまに行くんだ」

 しかし次の瞬間、凪は何事もなかったかのようにいつもの表情で平然と答えた。

「何を、調べてたの?」

「理工系の本だけど、何でそんなこと聞くの?」

 逆にそう問い返された。不機嫌さを滲ませた視線から目を逸らすと、雨音は鞄の中から一冊の本を取り出した。

「先月は、この先生の講演会にも行ったよね?」


 雨音が手にしている色褪せた本を見ると、凪は瞠目した。

 『室町時代の人々』という本のタイトルの下には、色褪せた字で“根本誠一郎 著”と記されている。迂闊にも史子に会うまでまったく気づいていなかったけれど、雨音が図書室で借りた本の著者は、市立図書館で講演をしていた教授その人だったのである。そして根本教授なる人物は民俗学と呼ばれる学問の権威であり、古の時代に自然を操る力を持つ一族が存在したと公言する異端児としてその世界ではかなり有名らしく、ネットで名前を検索すると容易に情報を集めることができた。

 誰も手に取らないようなマイナーな本を読み、更にはその講演会にまで訪れ、大学の図書館でも何やら調べているらしい。

 雨音がレンと弥風について調べていると、その先に凪の影がちらついているのだ。これを偶然という言葉で片づけてしまうことは、もはや雨音にはできなかった。


「もしかして、風を操る一族とか水を操る一族とかのこと、調べてない……?」

 恐る恐る凪の顔を見上げると、雨音は心の中の疑念を言葉のせた。心臓が、早鐘を打っている。

 雨音をまじまじと見つめる切れ長の瞳は、「何故知っているんだ」とも「何を意味不明なことを言ってるんだ」とも、両方に見えた。

「何、それ?」

 たっぷり数秒おいたあと、凪が低く問うた。不意に、ふたりの間を冷たい風が吹き抜ける。渡り廊下の脇の花壇に咲くコスモスの花が、ゆらゆらと頼りなさげに揺れる。

 雨音が息を止めて凪を見つめていると、やがて彼は、ふっと自嘲気味に笑った。

「……見られてたんだ」

 そしてついに、観念したかのようにそう呟いた。


「少し気になることがあって、ネットで調べたり講演会に行ったりしてたの。そしたら、県立大で根本教授のゼミに所属する院生と知り合うことができて。あの、谷岡くんは何故……?」

「へえ、そこまで行動していたんだ」

 凪は何故、風の一族と水の一族について調べていたのか。雨音が最も聞きたかった質問は、少し意外そうな感心したような、そんな凪の呟きによって遮られた。

「あ、あの……」

「で、全部思い出したの?」

 柔らかな笑みを浮かべ、凪が穏やかな口調で問い返す。

「え?」

 その質問に、心臓がぎゅっと縮んだ気がした。息が苦しくなって、雨音は思わず制服のブラウスの襟口を強く掴んでいた。


「まさか谷岡くんも、夢、見るの……?」

 声が掠れる。視界が揺れる。

「で、最後まで全部思い出したの?」

 雨音の質問には答えず、凪がもう一度問い返した。

「や、まだ、断片的にしか……」

「だろうね。そうじゃなきゃ、俺に話しかけてくる筈がないから」


「え?」

 凪の言葉の意味をはかりかねて、雨音が震える声で聞き返す。

「すべてを知らないから、澤田さんはこうやって俺に話しかけてくるんだ」

「どういうこと?」

「断言するよ。君はすべてを知った時、間違いなく俺を拒絶する」

 言葉の内容とは裏腹に、凪は穏やかな微笑みを湛えてそう言った。

「な、何言ってるの。そんなことある筈ないじゃない!」

「君は、俺を拒絶するんだよ」

 そう言うと、凪はもう話すことがないという風情で口を噤み、茫然と立ちつくす雨音を残してゆっくりと特別棟の中へ消えて行った。

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