第88話 考える苦悩
サブタイトルというのは、つけるのが難しいというのが、最近の悩みですね。
本当にそうです。
リベルは宿の部屋のベランダに出て、夜空を見上げていた。
最近はこうして夜空を見上げる機会が増えたので、こうしていると落ち着いてくる。
暗い暗い空に輝く、星や月。
街の明かりがあるからか、草原で見た時とは違って、少し光を薄く感じたが、町の人間らしい淡い光と相まって、それはそれで幻想的とも言えた。
「とはいえ、その人間らしさが、良い方向に向いてくれればよかったんだけど……」
その声に含まれるのは、嘆き。
そして、同時にリベルはそうしてこの国の人々を否定する自分も嫌になった。
それが間違いであっても、それでここまで国として成り立ってきていたのは事実。
それを、ほとんど個人的な理由で壊すのは、リベルには抵抗はないが、嫌な気分はある。
「何をしようとも、人は考える生き物であるがゆえに、間違えていく。それを正すのが、それ以外の誰か。そこにまた間違いがあれば、それを正すのはまた違う誰か。それだけのこと。僕はたがそのうちの一人……いや、それにすら入らないか。ただ、自分がやりたいように我儘に動いていくだけか」
リベルは手を乗せているベランダの策を、指で叩いた。
それは一回では終わらず、何度も何度も、両手で、複数の指を同時に、また別の指で叩いて繋げていく。
リベルの店には置いていなかったが、調律は何度もしたことがあって、引いたことも何度もある。
ピアノという楽器だった。
もちろん、奏でていると言えるものは出ない。
ただ気を叩く、重く短い音が出るだけ。
今の世界の情勢から考えて、大っぴらに音楽はできないにしても、これくらいはできる。
いや、むしろこれくらいさせてくれなければ、リベルも禁断症状が出てしまうところだ。
口うるさいグレンも、許してくれるだろう。
実際に楽器で音を奏でるのは、必死で止められそうだし、そんなことをしたら面倒なことになることくらいリベルも馬鹿でないのでわかっている。
「本当に、息苦しい世界になったものだね。お父さんもお母さんも生きていた頃は、こんなことになっていたのかな」
リベルが見上げる月は、神々しく光り輝いていた。
この月と同じ月が、当時のリベルの両親の頭上にもあったのだと思うと、それは当たり前のことなのに感慨深いものがあった。
発展がなければ衰退し、国の邪魔になれば消えていく。
今まで世界が歩んできた歴史の中で、様々な技術が、国の塵となって消えていった。
そうやって消えていく現状を見て、当時の人たちはどう思っていたのだろうか。
今のリベルのように、何かしらしたのだろうか。
「そういう何かしたという記録も残っていなければ、何かしたのか、それが無駄だったのかはわからない。ただ闇雲に決めていくだけでは、何も意味はない。なら、その意味はどこにある?」
リベルは、他の誰かに道を示すような言い方をしていても、それは自分が歩かない道だ。
どこまでも他人のことで、リベルは自分の歩く道すらわかっていなかった。
そう考えると、獣人たち、もっと言えば、この国の人たちの方がよっぽど道を歩いているように見えるものだった。
それがとても羨ましく、恨めしかった。
「何かを持っているように見えて、何も持っていない、か。それが嫌なんだな、僕は」
「そうやって自己完結するから、お前は自分が嫌いになるんだ」
突如かけられた声に、リベルは弾かれたように振り返った。
リベルが振り返ったベランダの入り口には、眠そうな顔をしたグレンが立っていた。
「グレン……起きてたんだ」
「まぁ、お前がトントントントン指でそこを叩いてたからな」
「あぁ、ごめん」
「別にいいがな。俺はそこまで気にしない。むしと、お前の自己完結の方だ」
「はははっ、否定できない」
リベルの浮かべる苦笑いに、グレンはため息を吐いて頭を掻くと、リベルの隣に来て夜空を見上げた。
リベルも先ほどと同じようにして見上げるが、グレンの様子が気になってちらりと横目で見る。
しばらく空を見上げて黙っていたグレンは、リベルが視線を戻そうとした時に口を開いた。
「……お前はいろんなことができる人間だが、それと同時にいろんなことができない」
「それは……人としては当然のことだと思うけど……」
完璧な人間などどこにもいない。
誰もが、何かしらの特技を持っているのと同時に、何かしらの欠点を持っている。
それをリベルは自覚している。
「そうだな。当然のことだ。だが、お前は少し他の奴らと性質が違ってくるんだよな」
「性質って……意味がわからないんだけど?」
「だろうな。俺だって別にお前のことを撫でもわかってるわけじゃねぇから、こんな表現しかできないだけで、お前ならもっとうまい言い方ができたかもな」
「内容を言ってしまえば、言い方何で二の次でしょ」
「それもそうだな。まぁ、お前の場合は、特技がその頭で考えることだからな」
「頭?僕はそんなに頭が良いわけじゃないよ?」
「頭が良い悪いは関係ない。お前は頭が良いというよりは、賢いの方が正しい」
グレンが評価しているリベルという人間の特性が、その賢いということだ。
リベルはこうしている今も、頭を使って考えていることだろう。
それが考え過ぎと思われるほどに。
「お前はその頭で、物事を他の奴らより、俺よりも深く考える傾向がある。それは基本的に言えば良いことだ。頭を使うというのは、それだけで人として生きている証の一つだからな」
「でも、それが自己完結の原因になっている?」
「そうだ。お前は物事をいろいろな面から自分一人で見ることができる。中心にいても、いつも客観的に物事を見て、考えて、そして答えを出す。確かに、お前は知識を俺やソフィーに求めることはよくあるが、最終的に答えを出すのに俺たちの意見は聞かない。それがお前の自己完結の部分で、そうやって一人で抱え込む悪い癖ってことだ。そうなるから、お前は自分を否定する意見しか出せない。人は自分を全面的に肯定するのが難しい生き物だからな」
「考える生き物だから、か」
「そうだ」
リベルはグレンの言うことはよくわかる。
グレンがリベルは賢いと評価してくれているのなら、グレンももしかしたら、リベルがすでにその考えも自分で出していることをわかっているのかもしれない。
わかっていないかもしれない。
どちらにしても、グレンにとってはそれが答えなのだろう。
グレンがリベルに与える、答えのない問いに対する、グレンなりの一つの答えなのだろう。
しかし、それをリベルは共有できない。
そこまで考えて、さらにその先も考えてしまうからだ。
たとえ自己完結で自分を肯定的に見られないとしても、それを改善しようとすることは、自分の長所を手放すということになる。
考えないのではなく、考えすぎないようにするのが、リベルの自己完結を解消する手っ取り早い方法だ。
だが、それはリベルにとって許容できることではない。
ここまで生きてきて、考えて考えて考えてきたのだ。
今さら止めるのは、これまでのリベルを否定しかねない。
少なくとも、リベルは過去の自分が間違っていると納得できるまでは、自分の長所は否定したくはなかった。
だから、リベルは自分の長所で、自分の間違いを探す。
自分が間違っているのだとわかれば、それだけで楽になれるから。
しかし、逆に自分を否定したくないという本能が、リベルの長所で、リベルの間違いの間違いを探す。
そうなると、頭が変になって気分が悪くなり、リベルは思考を止める。
それが最適な逃げ道だから。
それでも、再び考えることになるのはわかっているから、それまでは楽に平穏に生きていく。
その繰り返しなのだ。
だから、リベルはグレンの言うことをわかっていても、それを完全に認めることはしない。
それはある意味、頑固と言えるだろうが、それでもリベルはそんな風に中途半端でいる。
考える生き物だから、中途半端に、考えては、止めて、考える。
「まぁ、気長にやれよ。お前はまだまだこれからんだから、じっくりとやっていけばいいさ」
「……そう、だね。ありがとう」
リベルが礼を言うと、グレンは踵を返して、部屋の中に戻って行き、そのままベッドに倒れこんだ。
その様子を見て笑みがこぼれるリベル。
「眠いならさっさと寝ておけばいいのにね」
そうは言いながらも、心の中では感謝してるのは、自分でよくわかっていた。




