第80話 結果的に
「獣人だけってことは、普通は僕みたいな人間が入ってはいけないってことですか?」
もしリベルは入ってはいけないのだとしたら、店員や客たちの反応も頷けるし、こうしてここにいるのは居心地が悪く思えた。
心臓がドキドキしながら、リベルは女主人の次の言葉を待った。
追い出されるようなことになったら、それはそれで仕方のないことだが、できればそうはなってほしくはなかった。
そんなリベルの様子から察したのか、女主人は言った。
「心配しなくても、追い出そうなんて思っちゃいないよ。追い出すつもりなら、中に入れることはないし、注文を取ることもないさ」
言われて盛れば当たり前なことで、リベルはそれに気付かなかった気恥ずかしさを紛らわすように笑みを浮かべた。
「ですよね。安心しましたよ」
「ここには確かに獣人しかいないが、別に人間が入ってはいけないなんて決まっていないのさ。ただ、人間の誰もが避けているだけでね」
「避ける?それは一体どうして?」
リベルの質問に、その場の空気が凍るのを感じた。
「え?」
周囲を見てみると、獣人の誰もがリベルの方を冷ややかな目で見ていた。
隣のソフィーですら、やれやれと呆れた表情をしていた。
「本当にわからないのかい?結構、常識だと思うんだけどね」
女主人も呆れているのがわかり、リベルは自分のした質問がよほど変な物だと気付いた。
「えっと……もしかして、過去の人間と獣人の間にあった因縁のせいで、お互いが避けている、とか?」
リベルは半信半疑といった様子で聞くと、女主人は重苦しい表情で頷いた。
「何でそんな風に……所詮は過去のことじゃないんですか?」
「そういう風に言うことができるのは、そうはいない。人間の方にも、もちろん獣人の方にも」
「そりゃ、獣人はそうかもしれませんけど……だからって、そのまま不干渉でいるのは、どうかと思いますけど……」
「お前は見た感じ若い。昔のことを知らないからそんなことを言えるのだろうな」
若いから知識としてしか知らない。
そこを言われてしまったら、リベルは返す言葉に困る。
なにせ、実際に見ていないことを、その当事者に第三者の視点であれこれと言うのは、非常に図々しいことだからだ。
リベルもそこを十分にわかっている。
世間一般で知られているのは、数十年前までは、公に人間が獣人を奴隷として扱うことがあったということ。
その際に奴隷となっていた獣人たちは、ほとんど半分は解放されている。
しかし、中には死んだ獣人も多く、他にもどこかの国では、まだ奴隷制度が行われているという話だ。
お互いの相互の交流があるとはいえ、それが必ずしも良い方向に進んでないということだ。
「知らないから、そうやって意見できるんだよ」
「……知らないかもしれないですね。でも、考えて、理解していることはありますよ」
「へぇ~。それは何だい?」
「それは、結局のところ、種族の違いでいがみ合っていることが馬鹿馬鹿しいということです」
その言葉に、凍った空気は、一瞬で怒気に変わる。
女主人は驚いたような表情をするだけだったが、店員たちはリベルを睨み、客たちも同じようにした。
そして、その中の男の客の一人が立ち上がり、リベルへと殴り掛かってきた。
『何してるんですか、リベル!』
ソフィーがリベルの爆弾発言に悪態をつきながらも、ソフィーは大気中の魔力を集めて、リベルを守る障壁を展開する。
一方のリベルはこうなることを予想していたのか、さほど慌てることなく、迫ってくる男へと顔を向け、一言。
「<ハーモニクス>」
そう言った次の瞬間。
男の拳が、リベルの頬を捉え、強く打ち付けた。
獣人の予想以上の力に、リベルは椅子から飛ばされ、床を何度か転がってようやく止まった。
『リベル!?』
ソフィーは悲鳴に似た驚きの声を上げて、リベルの駆け寄る。
「くっ、うぐっ……いったぁ」
意識はちゃんとあるリベルは、ゆっくりと体を起こした。
その際、床に血がぽたぽたと垂れる。
ソフィーがリベルの顔を覗き込むと、その左の頬には拳の痕が残り、鼻にも当たっていたようで、鼻からは鼻血がこぼれ、口からも血が垂れていた。口の中も切っているようだ。
その様子に、店の中に人たちは対応に困っているようだった。
こうして怪我をしているリベルだが、男が殴りたくなる気持ちもわかっていたため、どうしていいかがわからないのだ。
その中で、女主人だけは、しっかりと対応した。
「奥から救急箱を取ってきな」
立ちすくんでいる店員にそういう女主人に、店員はすぐに奥に入ろうとした。
しかし。
「だ、大丈夫です。その必要はありません」
怪我をしているリベル自身が止めた。
「だが、その怪我はひどいぞ」
「救急箱は必要ありません。ソフィー、お願い」
「ん?ソフィー?誰だい、それは?」
「今ちょうど、僕の隣にいる幽霊のことです。ソフィーが回復魔法が使えるようなので、大丈夫ですよ。だよね、ソフィー?」
リベルが横で膝をついているソフィーへと顔を向けると、その表所は不機嫌そのものだった。
『回復をしてあげます。でも、納得はいかないです』
そう愚痴って、ソフィーはリベルに両手をかざす」
『この者に癒しを―』
そう言うと、リベルの体を魔力が包み込み、魔法が発動する。
体中に温かいものが流れていくのを感じ、それが傷を癒していくのだと理解できた。
そして、しばらくしたら痛みが薄らいでいき、傷も腫れも赤みもなくなっていき、三十秒ほどで全快した。
「ありがとう。やっぱり、回復魔法はすごいね」
予想と期待していたとはいえ、実際に受けてみるとすごいものだとわかって、リベルはソフィーの魔法に感動していた。
さっきまで魔法も使えなかったのに、今では普通に滞ることなく発動できている。
詳しい原理はリベルにはさっぱりだが、とにかくすごいということはわかった。
『はぁ~。そもそも、リベルがあの男の拳を受けなければ、回復する必要もなかったんですけどね』
「まぁ、それはそうなんだけどね……。しょうがないんじゃないかな?」
リベルが軽い調子で言っていると、ソフィーは口調に怒気を強めた。
『しょうがない?それ、本気で言ってます?もともと受けることなんてなかった攻撃だったでしょう?』
「あぁ、ソフィーは防壁を作ってくれたよね。ありがとう」
この『ありがとう』を、リベルは本心で言っている。
それをソフィーは意識が繋がっていることでわかっている。
しかし、だからこそソフィーは怒りが抑えきれなかった。
『ありがとう?そう思うんなら、何で<ハーモニクス>で、私の防壁を無効化したんですか!?』
叫ぶようにソフィーはリベルに言う。
リベルは確かに、男に殴られる前に<ハーモニクス>を発動した。
その力で男の攻撃を無効にできたはずだ。
ソフィーも咄嗟に防壁を展開してリベルを守っていたので、<ハーモニクス>で勢いを失った拳がそこに当たって、完全に封殺できるはずだった。
しかし、ソフィーの言うように、リベルが無効化したのはソフィーの防壁。
それだけを無効化した。
それにより、遮るものがなくなった男の拳が、リベルの顔面に直撃したというわけだ。
『怪我することくらい、わかるでしょう!?何でそんなことしたんですか!』
リベルは自分の思考を遮断していない。
ゆえに、ソフィーはそう叫んでいる間にも、リベルの考えは伝わって来ていた。
わかっているけど、わかりたくない。
その真意が、直接リベルの口から告げられない今は、それを肯定することを許さなかった。
『そんなことをして、何になるんですか!』
「……そうだね。無意味かもしれないね。結局、僕は差し引きゼロにしたかっただけかもしれないし、ただの自己満足かもね。ただ、それでも、何となくそうした方がいいと思った。僕は、こうされるべきだと思った」
『……その自己満足のせいで、どうなるかわからなかったんですよ。最悪のことだってありました。獣人の身体能力が凄まじいことくらい、知識として知っているでしょう?』
「うん、知ってた。でも、まぁ、結果的には大丈夫だった。今はそれでいいと、僕は思うけどね」
『……わかりました。納得はできませんけど、わかりました。話そうと思えば、いつでも話せますし、今はこの状況を整理する方が先決ですからね』
「ありがとう」
『ですが』
ソフィーは一呼吸溜めて、そこに心を込めて言った。
『結果論を経験にしないでください』
リベルはその言葉に、苦々しい顔をした。
ソフィーの言うことが絶対にできると言える保証はなかった。
人間である以上、生きている以上、良い結果には縋りたいものだからだ。
そうやって縋ることで、自分の自信としたいのだ。
だが、リベルもわかっている。
その自信が、あくまで虚構であることに。
だからこそ、ソフィーはそう言っているのだと。
わかっているけど、保証ができない。
だが。
(保証はできないけど……約束、はいいのかもね)
その違いは感覚的なものでしかない。
ただ、約束の方が温かく、守りたいと思えるものだった。
「うん、わかった。約束しよう」
「……もうそろそろいいかい?」
リベルが決断したところで、しびれを切らしたのか女主人が声をかけた。
傍から見れば、リベルは何もない空間を話しているだけだったので、見ている側からしたら、リベルが何を話していたのかは、ほとんどわからなかっただろう。
完全に周りのことを忘れていたリベルは、数秒だけ硬直した。
『結果論を経験にしない』
この言葉はとても好きなので、それを話に組み込めて本当に良かったです。




