第68話 楽しみにできない緊張
二時間の食べ歩きを終え、王城の自室にこっそりと戻ったクレアだったが、案の定、クレアが部屋着に着替えたところで、部屋のドアがノックされた。
この部屋を訪ねてくる人には何人か心当たりがあったが、一番最初に頭に浮かんできたのは、アスティリアだった。
「は~い」
クレアはなるたけ自然な声で返事をして、ドアに向かって歩いた。
「俺だ。シリウスだ」
ドアの向こうから帰ってきたのは、浮かんだ候補の中では確率が高くないと思っていた人だった。
「はい、今開けます」
クレアは相手がわかると、少し早足でドアまでたどり着くと、落ち着いた動作で、自然にドアを開けた。
「一体、何の御用でしょうか?」
ドアの向こうに立っていたシリウスに、クレアは尋ねた。
すでに仕事を終えていて、いつもなら軽装になっていてもおかしくない時間なのに、しっかりと鎧を着用していた。
その姿から何か大事なことがあるのだと察したクレアは、昼間の抜けだしも含めて警戒した。
「こんな時間に尋ねてこられるなんて。しかも、鎧を着たまま。何かあったのですか?」
「うむ。実はパーティー終了後に、国王からこの時間に緊急会議をすると言われてな。お前は知らないだろうから、こうして教えに来たというわけだ」
「そ、そうですか。それはありがとうございました」
「礼は要らない。会議に出てもらうだけだ」
「わかりました。すぐに支度をしますので、先に言っていてくださいますか?場所はいつものように、王の間、ですよね?」
いつも会議をしているのは、王の間。
アグニ討伐前、そして討伐後もそこで行った。
ゆえに、今回もそこでやると思ったのだが、クレアの予想を裏切って、シリウスは首を横に振った。
「違う。王の間ではない。お前も知らない場所だ」
「私の知らない場所?」
「あぁ。だから俺は、お前を案内する役割も請け負っている」
「そうですか。では、少々お待ちいただくことになりますが」
「いや、そのままの格好でいい。何も肩肘を張った公の会議をするというわけではないのだ」
「そう、ですか。シリウスさんがそういうのなら、このままで」
そう言ってクレアは部屋を出て、シリウスに向き直った。
シリウスはそのまま、向きを変えて歩き出した。
そして、クレアはそれについて行く。
「そう言えば、シリウスさんは鎧を着てますよね?それはどうして?」
軽装でいいと言ったシリウス自身が鎧を着ているのは、クレアには違和感があった。
しかし、その違和感はすぐに解消された。
「先ほどまで仕事だったのでな。どうやら、どこぞの誰かが王城に侵入したのを目撃した兵がいてな。そいつから事情を聞いて、その収拾を俺がやったということだ」
「へ、へぇ~、ソウダッタンデスネ」
片言になっているクレアには、そのどこぞの誰かが誰なのかよくわかっていた。
考えるまでもなく、自分自身。
(注意したつもりだったんだけど)
クレアは心の中で落ち込んだまま、シリウスをちらりと見ると、その視線とシリウスの目が交わった。
その瞬間、クレアの心臓は飛び出るほどの勢いで鼓動を速めた。
無意味だとわかってはいても、クレアは表情を冷静に装った。
(これ、バレてるわね。ということは、他の人たちにも……。せっかくの秘密の脱走が、あっさり看破されるなんて)
そんな様子のクレアは、シリウスの言う会議の内容が少し恐ろしくなった。
肩肘を張った公の会議ではないと言っていたが、それはもしかして、今回の王城抜け出しの罰を与える場だったとしたら。
そう思うと、クレアは今すぐ回れ右をして部屋に帰りたかったが、国王自らが招集しているとあっては、クレアも無視するわけにはいかない。
(よし、こうなったら誠心誠意謝ろう。土下座でも何でもして、許してもらおう。そして、正式に町に出かける許可をもらおう)
謝る決意を固めているはずが、本音では図々しいお願いをしようとしているクレアは、開き直ったとはいえ、恐ろしいことに変わりはない。
これからどうなるのか、それが全くわからない。
ただの会議でもこの状況では緊張するというのに、さらに秘密の会議なのだから、クレアの心臓は収まりそうにない。
「シリウスさん、その会議場ってまだですか?」
「もうすぐだ。楽しみにしておけよ」
シリウスの言葉に、クレアは心の中で全力で突っ込んだ。
(楽しみにできるかぁ!!)
表ではそんなことは微塵も出さないが、裏ではもう熱が満ち満ちていた。
パニックと混乱、恐怖、そしてツッコミ。
何だかもう汗まで出てきて、体の体温が上昇しているようだった。
アグニ討伐の時は外からの熱が体温を上げていたが、今回はクレアの内側から体温を上げていた。
どちらも悪い方向性に違いはない。
ここにワクワク感でも加われば、何か特別なことがある予感とつなげられるのだが、そう都合よく自分の考えを操作はできない。
一度開き直ったとしても、開き直り切れていないようだった。
それを自覚したクレアは、何度も心の中で腹をくくっていることを自分に聞かせ続けた。
理屈を通さず、ただ言葉で落ち着いているのだと言い聞かせた。
しかし、それでは全く収まらず、かえって悪化する一歩だということに気付いたのは、大きな扉の前に付いた時だった。
「ここだ」
「ここ、ね。はぁ、はぁ」
「少し息が上がっているが、大丈夫か?」
「大丈夫です。自分との戦いが、思った以上に大変でした」
「自分との戦い?」
「こちらのことです。気にしないでください」
自分に言い聞かせるので相当に体力を使ったのか、クレアは呼吸が荒い。
心の中で思っていただけだから、おそらく肉体面ではなく、精神面。
汗も出てはいるが、汗ばんでいる程度。
「すぅー……はぁー……」
呼吸を落ち着けるのと、自分の中を落ち着ける。
そうしたことのために、クレアは深呼吸する。
意識してではなく、無意識で。
それでも、目的通り、少しだけ落ち着いてきたのを感じるクレア。
もう一度、もう何度か重ねて、ようやく落ち着いた自分を取り戻した。
(よく考えれば、私ってさっきから緊張しっぱなしだった?シリウスさんが部屋に来たときから。いや、それより前の自分の部屋に戻って来てから?何か今日は緊張が多い気がするけど、まぁ、気のせい、かな?うん、そうしよう。今日は良いことがあったんだし、少しくらい我慢するのも、苦にはならないね)
良いことというのは、名前の知らない銀髪の少年の手掛かり。
そして、町の屋台の料理がおいしかったこと。
人間は、良いことがあれば、それを糧にして耐えられるものだ。
それでも緊張は完全には収まらないが。
なにより、シリウスが先ほど言った、楽しみにしておけよ、がまだ響いてくる。
頭の中に、ということではなく、心にずしんとおもりが付いているような。
これだけは深呼吸では取り除けなかった。
(まぁ、仕方ないか。ここは腹をくくって、この先に行かなきゃ。皆を待たせると、ペナルティが増えるとかになりそうだし)
前も後ろも逃げ話ということを自覚したクレアは、あともう一回だけ深呼吸をして、目の前の大きな扉を睨みつけた。
「おいおい、まるで扉に穴が開きそうだな」
「それには構わないでください。これが私の覚悟ですから」
「覚悟って……それは言い過ぎなような」
「別にいいじゃありませんか。それでは、開けますよ」
クレアは扉に両手を当て、その手に力を込めた。
見た目の大きさに反してスムーズに空いて行くその先には明かりが見え、クレアは目を細めた。
そのまま扉を開けていき、緊張で鼓動を速める心臓とともに、クレアは覚悟を決めてその先へ足を踏み入れた。




